テンキチのブログ「誠」

忘れてはならない誠=真実を記しておきます。テンキチが気づいた其の度に。

愛知万博が開催できた真相秘話

2005年06月24日 12時15分20秒 | 社会のこと
 今年の3月25日から愛知県で国際万国博覧会(愛知万博・愛地球博)が開催されています。まずまずの人気ぶりで大勢の人々が訪れているようですが、そもそも何故日本で国際万国博覧会が開催されることになったか、その経緯、理由を知り、驚き、感動を受けました。
 その真相を明らかにしたのは、元南極観測船ふじ艦長で「マダガスカルに眠る特殊潜航艇を守る会」幹事の松浦光利氏で、次のように語りました。
 
 「8年前の平成9年(1997年)、万博開催地が決定される直前、世界各国の立候補地は熱心な誘致活動を展開していました。そのなかでカナダのトロントと日本の愛知が有望とされていましたが、カナダの方が優勢で、投票では大差でカナダになるだろうと言われていました。
 投票が行なわれる2ヶ月前の5月31日、アフリカのマダガスカル共和国の北端のディエゴスアレス湾を見下ろす高台で、日本海軍特殊潜航艇四勇士慰霊碑建立除幕式が、日本・マダガスカル両国の官民多数出席のうえ盛大に挙行されました。55年前の同日(昭和17年5月31日)、湾内に在泊していたイギリス艦隊を攻撃し、大戦果を挙げ、戦死又は行方不明となった四勇士、岩瀬勝輔大尉・高田高三兵曹長・秋枝三郎中佐・竹本正巳少尉の慰霊碑です。
 除幕式には、マダガスカル共和国総理大臣の夫人が出席されました。夫人は、祖国のために一命を捧げた4人の勇士と、それを称えた立派な式典に感激され、出席していた渡辺俊夫駐マ日本大使とマダガスカルに眠る特殊潜航艇を守る会の吹田幌会長に深甚の謝意を述べられました。そして、ご主人の総理に報告し、日本に対する協力を推進することを約束されました。
 当時、マダガスカルはアフリカ統一機構(OAU53ヶ国=現AU)の議長国でありました。マダガスカルの総理は、参加国に2005年万博開催地の日本への投票を呼びかけました。
 投票の結果、20数表の大差でカナダを逆転し、日本での万博開催が決定したのです。カナダに投票される予定のアフリカ諸国の票が日本に投じられたのです。」

 マダガスカルの国民は、初めて非白人国家が白人国家に勝利した日露戦争の偉業をよく理解しており、日本に尊敬と信頼の情を持ち続けているそうです。第二次世界大戦が勃発したとき、マダガスカルの人々の間では、日本帝国海軍がやって来て自分たちを白人(フランス)の植民地支配から解放してくれるのではないかという噂が囁かれたほどです。そして、実際に日本海軍の2艇の特殊潜航艇がディエゴスアレス軍港にやって来たのです。
 最後に松浦氏は次のように言いました。

 「マダガスカルの国民を感動せしめた四勇士。その余徳が愛知万博を導いた。万博開催に当たり、遠くアフリカの国の人々をも感動せしめた日本軍将校の勲を思い起こして欲しい。」

<以上>
 

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