ペタンク

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伏見お城まつり

2018-10-15 22:28:14 | 日記
今有る伏見桃山城は、
伏見城をイメージした模擬天守(鉄筋コンクリート構造)で、
近鉄Gが桃山キャッスルランドとして1964年にオープン。
遊戯施設、プールなどがあったが、1978年をピークに
年々入場者数が減りつづけ
2003年1月惜しまれつつ閉園され,
取り壊し寸前まで追い込まれたのですが、
伏見住民の存続を求める熱意が京都市に伝わり、
その全てを京都市に譲り市が整備する形で
2007年より伏見桃山城運動公園となり
市民の憩いの場所となっていますが、
城内は老朽化が進んで居るため
現在入ることが出来ません。


地元の有志の呼びかけで、
”桃山城を残し活用したい仲間達”の
今年で5回目「伏見お城まつり」が、
昨日素晴らしい秋晴れの中、
大勢のお客様で盛況に挙行されました。

昼は鎧兜姿での”五大老サミット”トークショウ、
イベント、講演、数々のお店、パフォーマー
沢山のグルメ市屋台、”伏見寒天発祥”の寸劇、
こども達が体験できるいろいろなキッズコーナー、等々

夜はBBQで伏見の清酒&音楽ライブ

楽しい催しがいっぱいでした^^

皆さまお疲れ様でした。
また来年も楽しみにしています

そうそう 少額ながら忘れず寄付もしておきましたよ^^


PS
伏見城は三度に渡って築城され、
最初の城は1592年(文禄元年)8月に豊臣秀吉の隠居地として
伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に築城するも、
4年後伏見地震で倒壊。
後に近隣の木幡山(桃山丘陵)に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別され、
伏見城の戦いで焼失した跡に徳川家康によって再建された徳川期とに分けられる。
1619年に廃城とされる。
この時、建物や部材は、二条城、淀城、福山城などに移築され。
伏見城の後地には元禄時代ごろまでに桃の木が植えられ、
桃山と呼ばれるようになり伏見城は桃山城とも呼ばれるようになる。
(Wikipediaより)
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2 コメント

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Unknown (Keiko)
2018-10-16 02:48:18
伏見城、たとえ模擬天守
でも残して欲しいですね〜

こちらにも半倒壊のお城があちこちにあるんですよぉ。
日本のほうが住民の愛着が強いみたい。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-10-16 12:22:38
>伏見城、たとえ模擬天守
でも残して欲しいですね〜

そうなんです^^ こちら宇治からでも、天守閣が見えてます^^ 無くなってしまったら寂しいです。 なので友人達は頑張ってくれていますが、なかなか大変そうです 京セラさんロームさん任天堂さんスポンサー宜しくお願いしますぅ
返信する

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