笑っておっぱいを取り戻す!

乳がん発覚から乳房再建までの奮闘記

乳がんです!宣告された

2019-07-20 15:54:00 | 乳がん
2019年7月マンモとエコーの結果乳がんの疑いありで組織検査をし、結果を聞きに行く。

「乳がんです」覚悟はしていたつもりだった。でも、どこかで、そうじゃないことを期待してた。

すでにウルウル来てたけど、そこは先生は慣れたもの。お構いなしに説明が続く。大きさは2×3センチ。乳がんの性質は大人しい成長の遅いもので、乳がんの中ではましな方とのこと。だけど、この大きさと位置では、部分切除でもできなくはないが全摘を勧めると。どこまで広がってるか見るために全身のCTとMRIをやりましょうと言われた。MRIは怖いと難色を示すと、全摘ならやらなくていいので、まずはCTだけやって、その結果も見て全摘か部分切除かを決めることになった。

9日後にCT.その4日後に結果を聞きに行くことになった。

言われた時は気がつかなかったけど、成長が遅いのに1年2ヶ月前にマンモに写らなかった癌が2×3センチになる?あのときエコーやってれば写ったんじゃない??でも、この前聞いたとき、先生が去年はエコーでも分からなかったと言ってたんだから、そうだと信じよう。後悔してもしょうがない。前だけ見て進もう。

と思いつつも、涙が止まらない。こんなに元気なのに病気だなんて、癌だなんて。何がいけなかったの?見えない得体の知れない敵が目の前に立ちはだかっている、そんな感じだった。

10月に企画しているセミナーがあり、今日の午後、1回目の打ち合わせを入れていた。私が担当していていいのか?誰かに代わってもらうなら、今日の打ち合わせから出てもらった方がいい。

帰り道、責任者に電話して事情を説明した。病名を言うべきかどうか迷ったけど、入院することになったとだけ言い、それ以上聞かれなかったから黙っておいた。

家に帰り夫に泣きながら報告。彼もショックを受けていた。今日の打ち合わせは休ませてもらったらと言われた。私も一日中塞ぎ込んでいたいけど、行かなくちゃならない。というか、このことを知らない人と会って気を紛らわしたかった。現実から逃げたかった。体に鞭打って出かけた。外では元気にしていられた。

でも、帰ってきてまた泣いた。何が悲しいのかよくわからないけど涙が後からあとから湧き出てきて止まらない。

みんなそうだと思うけど、私も癌になるとは思ってもいなかったから当然なんの準備も知識もない。癌についても、病院についても調べなきゃならない。元気じゃなきゃ、癌とは闘えない。

泣きながら、いろいろググりまくり、乳がんがメジャーな病気であること、大きく分けて4種類あること、乳がんに力を入れている病院がいくつかあること、などがわかってきた。その中に実家の近くの病院もあった。そこの先生をググってみると、インタビュー記事やセミナーの動画が見つかった。信頼できそうな先生。

今かかってる先生は明るくてちょっと軽いけどいい先生。でも乳腺外科じゃない。乳腺科の先生は週に2回来るけど、手術はやらないらしい。乳腺外科や乳がんセンターがある病院に転院した方がいいのかな?





癌だってこと誰に言う?

2019-07-15 14:57:00 | 日記
2019年7月マンモとエコーの結果乳がんの疑いありで組織検査をし、結果待ち。

7月15日、大学の友達が結婚祝いをしてくれた。入籍は去年だったけど報告しそびれて、今年の年賀状で報告したんで、この日になった。しこりに気がつく前に約束していた。

せっかく祝ってもらうのに癌だと報告するのもなぁ。それに、もしかしたら癌じゃない可能性もまだあるし。みんなに言うのはやめといた。

癌だっていうこと、どの範囲の人まで言うのがいいのかな。夫はペラペラ喋るもんじゃないと言う。

一応まだ新婚なのに癌

2019-07-15 14:53:00 | 日記
2019年7月マンモとエコーの結果乳がんの疑いありで組織検査をし、結果待ち。

7月15日、大学の友達が結婚祝いをしてくれた。と言っても入籍したのは去年の3月3日。その11年前の3月3日に付き合い始めた。その一年後くらいにプロポーズをしてもらった。でも、すぐに返事ができず、入籍するなら3月3日と思いながら、毎年ズルズルと先延ばしにしていた。ずっと独身で、周りから結婚結婚と言われ続けて辟易していた。彼とは既に一緒に住んでいるし、もう子供を授かるような年齢でもないし、結婚する意味を見出せなかった。結婚したら今度は「お子さんは?」の質問に悩まされる気もしていた。

それが、去年の2月17日、ある女性と話した。彼女はずっと子どもを産まなかったことに忸怩たる思いがあり、親にも世間にも後ろめたい思いを抱いていた。理由は様々でも子供のいない女性が沢山いる。彼女らがみんな堂々と生きていける世の中にしたい!自分も前向きに生きたいと熱く語っていた。

彼女の話を聞いて、私も結婚から目を背けて、心のどこかでコンプレックスを抱えて生きててはダメだなと思った。1週間くらい考えた後、彼に話した。いいよ。との返事。その日既に2月27日。翌日、婚姻届をダウンロードすると、二人の証人が必要だった。こんなことすら知らなかった。近所の行きつけのバーのママ?職場の人?そういうわけにもいかない。彼は何も慌てて3月3日にこだわることはないと言うが、私はこだわりたかった。

職場が近所の幼なじみがいる。一人はその子に頼むことにした。3月2日にランチして、お願いした。付き合ってることもその時初めて話したのかもしれない。

もう一人は、父に頼むことにして、翌日実家に行き、突然今日入籍することにしたと言ってハンコを押してもらった。彼は仕事なので私一人で。今考えるとひどい話だ。一人で市役所に行き無事婚姻届を提出。

帰りに友達がやってるチャリティーショップに寄り、さっき入籍したことを報告。家に帰って、夫となった彼とバーで祝杯。

こんなふうに突然結婚したのでありました。

10年も待たされた挙句に、結婚した次の年に妻が癌になるなんてね。

温泉入るの最後かも知れない

2019-07-13 14:16:00 | 日記
2019年7月乳がんの疑いで組織検査。実は前から温泉に行こうと約束していたのよね。それが今日、組織検査の翌日。まだ絆創膏が取れてない。ちょっと迷ったけど、一緒に行く女性は40年来の友達。温泉に行ける最後のチャンスかも、と思って行ってきた。肩までは浸かれなかったけど気持ちよかった。

温泉で友達にカミングアウト。もっと驚くかと思ったら、周りに乳がんの人結構いるよ、みんな生還して元気だよ、と普通のことのように教えてくれた。後から調べて分かったことだが近年乳がん患者はどんどん増えており、女性の12人に1人は乳がんにかかるらしい。身近にいても不思議はない。私の周りには1人もいないけど。

この友達がその後も乳がん経験者の話を聞いて教えてくれて大いに助かった。この場を借りて、ありがとう。

一緒に行った男性陣は、私の趣味の仲間。癌だと知らせて余計な心配かけることもないので、内緒にして、楽しくお酒をいただいてきた。思い切り飲めるのも、今のうちかもしれない。

組織検査という名のボーリング工事

2019-07-12 14:00:00 | 乳がん
2019年6月マンモとエコーで乳がんの疑いと診断され、7月組織検査。細い針のと太い針のと2種類あるが、乳がんの可能性が高いから太い方でやるとのこと。

ベッドに寝かされ待っていると、医師が看護師に器具の使い方を教えている。今やる?と思いつつ器具を見ると、それはもう針という域を超えたパイプ。直径5ミリは優に超えていそう。それがグルグル回転してる。えーっ?あんなのでやるの?

そばにいた看護師さんに「見なければよかった」と言っていると、器具を持って医師が「行くよ!」と言って近づいてきた。あ、習いたての看護師さんじゃなくて先生がやるのね。よかった。と思ったのも束の間、私のカワイイ胸にぶっといパイプが回転しながら突っ込まれていく。すごい振動。麻酔かけてるから痛くはないけど。結構硬いのか難航して何回か角度を変えて組織採取。さながら温泉掘るときのボーリング工事。で、結果は後日。

大きなガーゼと防水シールが貼られ、上から圧迫のために伸縮性の包帯で胸をぐるぐる巻きにされた。御神輿担いだとき巻いたサラシみたい。これ一晩でとっていいけど、ガーゼと防水シールは次回までこのまま貼っておくように言われた。

実は、明日、友達と温泉行く約束が。。。目立っちゃうなぁ。予約の時から分かってたけど、先生が一番早く予約が取れる日を探してくれ、急いだほうがいいオーラが出てたから、検査を先延ばしするのも怖かったので、分かってて今日にした。

乳がんで手術しちゃったら今度いつ温泉に行けるか分からない。最後のチャンス。行っておきたい。一緒に行く女子は高校の時からの親友。彼女にはカミングアウトしよう。