笑っておっぱいを取り戻す!

乳がん発覚から乳房再建までの奮闘記

脂肪注入に向け一歩進み、一歩さがる

2021-11-07 23:06:00 | 日記
2019年9月乳がんで左乳房全摘、2020年4月2回の皮膚追加切除(癌が触れていた部分)、5月から7月にかけ25回の放射線照射。

経過観察のため久しぶりの通院。マンモをやり、診察を待っていると、いつもと違う診察室に呼ばれた。初めての先生。正確にいうと、手術のときのチームには入っていただいていた。でも、診察は初めて。エコーをやり、マンモもエコーも問題なしとのこと。よかった。でも、今日は再建のことを相談したかったから、主治医の先生がよかったな。

一応、脂肪注入を考え始めたことをいうと、この病院でもやってて、比較的お値段お安めとのこと。再建は自宅近くの病院がいいと思ってるけど、心が動くなぁ。話だけでも聞いてみようと、次回の診察に合わせて、形成外科にも予約を入れてもらった。自宅から比較的近い、脂肪注入再建に力を入れている美容外科のことを話してみたけど、ご存知ないようだった。

その病院にも電話をしてみようと、やる気を出した途端、ちょっとブレーキ。再建の第一人者といわれる先生に幹細胞脂肪注入をしてもらったのに、5回やってもまだペッタンコという体験談を見つけてしまった。その方は6回目もトライするそう。

2回か3回と思ってたから、その倍になるかもと思うと、気持ちはぐらつく。個人差あるからやってみないとわからないけど。放射線当ててると生着悪いという意見もあるし。と、またまた、なやむ。




脂肪注入再建に興味津々

2021-09-05 08:53:00 | 日記
2019年9月乳がんで左乳房全摘、2020年4月2回の皮膚追加切除(癌が触れていた部分)、5月から7月にかけ25回の放射線照射。

9月3日、最初の手術からちょうど、まる二年のこの日、脂肪注入による乳房再建のzoom セミナーに参加しました。自家組織再建をやろうと思って診ていただいていた先生お二人のセミナー。(諸事情により自家組織再建は断念)

術前後の写真をたくさん見せていただきました。中でもキレイにできたのをピックアップされているのだということを念頭に置きながらも、やってみようかなという気になってきました。

全摘の再建でも、3回くらいで出来るそうです。一回50〜80万円で、総額150〜240万円。

こんなにお金をかけるなら、楽しいことに使った方がいいんじゃないかと思い、もう再建はやらなくていいと思っていました。このままの姿で温泉にも行ってやる!って。

この秋に温泉に行く計画を立てていたのが、緊急事態宣言のために中止になりました。ガッカリするのではなく、ホッとした自分がいました。

やっぱり、小心者。こんな思いから解放されるなら、お金かけてもいいかな?コロナ自粛でお金使ってないしね。

術後1年8か月、放射線後10か月

2021-05-06 10:30:00 | 日記
2019年9月乳がんで左乳房全摘、2020年4月2回の皮膚追加切除(癌が触れていた部分)、5月から7月にかけ25回の放射線照射。その後も婦人科に通い、去年と一昨年は病院通いで忙しかったぁ。今年は経過観察だけとなり、診療は電話だから、楽ちん。

先月CT検査を受けた(もちろんリアルで病院に行って受けました)結果を、今日電話で聞きました。全て異常なし。このままタモキシフェンを続けましょう。ということです。傷跡に塗っていたペパリン類似物質は止めてよい。今後は市販の乳液とバイオイルを塗る方がよいとのこと。

次は半年後に右の健側のマンモグラフィー。

放射線による日焼けは、結構しぶとく残っていたけれど、ようやくほとんど分からない程度に色が冷めてきました。コロナのせいもあって、旅行を控えてきたけれど、秋には温泉に行こうかな?

感謝してhappyに生きよう!

2021-02-22 05:36:00 | 日記
2019年9月乳がんで左胸全摘。10月から自家組織の再建を目指して形成外科を受診。2020年3月にエキスパンダー挿入の手術が決まっていました。

去年の今頃このブログを立ち上げました。そしてそこから形成外科の話も、婦人科の話も、乳腺科の話も全て変わり、再建は中止して、放射線治療を受け、当分の間再建はお預けになりました。

ときを同じくして、ダイヤモンドプリンセス号内での集団感染のニュースとともに新型コロナが日本に上陸。既にマスク不足は深刻だったけど、実感としてはまだコロナは対岸の火事で、テレワークが実現するとか、自粛の生活になるとか予想だにしてませんでした。それが、あれよあれよという間に、東京五輪中止が決まり、4月に緊急事態宣言。

私はテレワーク開始。2回の追加切除。5月から7月にかけての放射線治療。仕事に支障を来たすことなく人知れず治療ができたのはコロナのおかげでした。

予定通りエキスパンダーを入れていたらどうなっちゃってたんでしょう?コロナ感染を恐れつつ自家組織再建という大手術を遠隔地まで受けに行き、付き添いもない入院生活、術後の身で何時間もの電車の移動となったか、はたまた、今もエキスパンダーが入ったままで、いつ再建できるかも決まっていなかったか。

形成外科の先生が術前検査が終わってから予定通りにエキスパンダーを入れる手術はできないかも知れないと言い出したときには、ぼう然とし、その無責任な発言に怒りを覚え、恨みさえしそうでした。

一年経った今、確信が持てないまま前任者の決めたことをそのまま進めることの方が無責任で、形成外科の先生のあのときの判断は正しかったと思えるようになりました。今は感謝してます。

婦人科も乳腺科もその段階で分かっている情報を基に最善解を提案してくれたんだと思えるようになりました。不信感を抱いたこともあったけど、今は感謝しようと思い直しました。

新型コロナのことも恨めしく思っていました。今でも決して歓迎はしないのだけど、悪いことばかりでもなかったことに気づき、助けられたことには素直に感謝しようと思います。






大阪で生まれた女・18

2021-02-21 12:24:00 | 日記
このところ、ひとつひとつは小さなことなんだけど、色んなことが起こった。

そのうちのひとつが友達の引っ越し。ちょうど一年前に京都から帰ってきてご近所さんになった。

楽しくなるなぁとワクワクしてたのに、コロナのせいで秋まで会うこともままならなかった。コロナが落ち着いてきて何回か飲みに行って、春になったらテニスしようなんて言って盛り上がった。

なのに又コロナが復活しちゃって二度目の緊急事態宣言。そして友達の転勤が決まっちゃった。コロナによる業務縮小、東京事務所の閉鎖。京都に戻る。

昨日、一緒に飲みに行った。別れた後、すごく寂しくなって、何故か大阪で生まれた女のフレーズが頭の中でこだました。

大阪で生まれた女をググったら、この曲、十八番まであることを初めて知った。高校生のカップルが付き合って、夢を求めて東京に行き、彼女は一人で大阪に戻り、二人はそれぞれの道を歩み、、、と、壮大なストーリー。

朝からこれを聴きながらノスタルジーにハマってる。最近起こった色んなことがボディーブローのように効いて来る。たまにはこんなこともあるよと思うけど、もっと強くならなきゃダメだなとも思う。