えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

あなたの横顔8話

2018-10-09 07:43:35 | 書き物
裕子の様子に違和感を感じたのは、撮影が終った後。
仕事はしっかりやっているけれど、俺の目を見ているようで見て無い。
それが、気になって仕方なかった。
実際、出来上がったものは俺の想像を超えた、素晴らしいものだった。
俺の横顔の絵をベースに加工された、ジャケットの絵やロゴ。
初めて見た時の、ノートいっぱいの俺の横顔を思い出していた。
あの頃の約束が、こうして果たされるなんて。
ただ、慰労会に来ない裕子が心配だった。
プロモーションの渦に放り込まれた俺は、へとへとに疲れてしまって、連絡も出来なくて…
たまに元気かとメールしても、元気よとしか返って来ない。
このままじゃ、同じことの繰り返しだと思うけれど、疲れた心と身体は言うことを聞いてくれない。
そんな頃、裕子の同僚の田中さんが、事務所に挨拶に来てくれた。
俺はいなかったけれど、代わりに高山さんが話を聞いてくれたそうだ。




「西山くん、裕子の様子が変だって気づいてた?」
取材の移動の車の中で、いきなり高山さんが尋ねてきた。
「高山さんも気づいてたの?なんだか、撮影の後から俺の目を見てくれてなくて。なんでだろうって思ってたんだ」
「例の撮られたニュース、裕子は知らなかったらしくて。裕子に言っちゃったスタッフがいたの」
「なんでそんなこと…」
「まりちゃんて人だった」
「まりちゃんが?なんで…裕子とも仲が良かったはずなのに」
「嫉妬でしょ」
「嫉妬…」
まりちゃんがそんな目で俺を見てるなんて、思ってもいなかった。
裕子と俺のことは、よく知ってるはずなのに。
「そんなことを聞いても、裕子は俺のことを信じてくれると思ってる。でも、思ってるだけじゃ…ちゃんと話さなきゃダメだよな」
「連絡、取ってるんでしょ」
「まあね。でも、たまにメールするくらいしか出来てない。メールしても当たり障りのない返事しか来ないんだ。いっそ、裕子から聞いてくれたほうが良かった…裕子はすぐ黙って抱え込むからな…」
しばらく、無言のまま車が走った。
目的地に着く直前、
「私に考えがあるから、任せて。ちょうどいい仕事の依頼があるの。後で教えるから」
「仕事…?」
「そう。きっと気に入るわよ」
ちょっと面白がる顔で言われて、首を傾げる。
仕事って…なんなんだ。



年が明けて、少したった頃。
高山さんから、スケジュールを言い渡された。
「これ…サプライズライブって…」
「私たちの高校よ。あちらから依頼が来たの。テレビ局の企画だけどね。西山樹、卒業した高校でサプライズで歌うってヤツ」
「卒業式の後に、サプライズで俺が歌うの?」
「そういうこと。一部、バラエティー番組で流れるの」
「こういう仕事、引き受けるの初めてじゃないの」
「そうだけど…ちょうどいいじゃない。裕子を呼んだら?ちゃんとお互いに話す、いい機会だと思うけど。こんな企画なら、体育館の隅に裕子がいてもおかしくは無いしね」
「…そういうことか。」



3月。
懐かしい体育館のステージ裏にいた。
今、まさに表では卒業式。
終わったら一旦幕を引き、再び幕が開いたら俺が歌い出すと言う段取りになってる。
そこへ、高山さんが静かに入って来た。
「裕子、来たわよ。後ろの隅にいる。西山くんが出るのは知らない。面白いものを見せるとしか、言ってないから」
「分かった」
幕が開いた。
椅子に座って、ギターを抱えたスタイルで客席を見ると、一斉に悲鳴のような歓声が上がった。
ドラマの主題歌でヒットした曲を歌い出すと、生徒たちが立ち上がり、跳ねてくれた。
裕子はどこだ…いた。
1番後ろの隅で、手で口元を覆っている。
泣いてるのか…
10年近く前、この体育館で裕子のために歌った。
今日もまた、最後に裕子に向けて歌おう。
「最後の曲になります」
あの時と同じ、3曲目。
イントロを弾きだすと、客席は静まりかえった。
この曲は、デビューしてからはバンドアレンジで歌って来た。
弾き語りで歌うのは、久しぶりだ。
シンプルなメロディー、シンプルな歌詞。
あの頃俺の横顔を見つめて、描き出してくれたのは、裕子だった。
俺の横顔は眠っていた。
裕子の手で目覚めたんだ。
そんな裕子のことを、歌った。
愛する人のことを。

大きな拍手に見送られ、袖に入ると高山さんが待っていた。
うっすら、涙を浮かべていて驚いてしまった。
指で溜まった滴を拭い、手のひらを出口に向ける。
「…弾き語り、いいわね。あの時の裕子がいたから、今の西山くんがいるんだって、分かったわ」
「そんな風に言ってくれるなんて、嬉しいよ」
「…あっちで、待ってるから行ったら。裏門に車がいる。この後は、好きにしていいのよ」
「ありがとう。色々と」
ステージ裏からの出口を出ると、あの日のように裕子が壁に寄りかかっていた。
急いで駆け寄って腕を引く。
胸の中の裕子は、あの日の女の子のままだ。
俯いていた顔を上げると、涙を落としながら笑って見せた。
「樹…樹はあの頃と変わらないんだね。私にあの曲を歌ってくれた、あの頃のままなんだね」
「裕子も。あの頃のままだ。俺の横顔を描いて、告白してくれた」
「ふたりとも、だね」
笑ってみせた唇に、ちいさなキスを落とす。
また、目尻から滴が落ちた。
「私、樹が好き。樹のそばにいたくて、樹の世界に近づきたくて…だから頑張れたの。でも…」
「何を、気にしてるの」
頬を撫でると、俯いた。
「…樹のまわりには、綺麗な女性がいっぱいいて…」
「みんな、仕事で一緒の人ばっかりだから」
「私で…いいの?仕事の邪魔になったりしないの?」
「裕子と一緒にいるのが、仕事の邪魔になんかならないよ」
「…私、仕事で余裕が無くなると、きっと樹にキツイ顔を見せてしまう」
「裕子、俺は気にしないよ。だから…」
髪を撫で、唇を撫でて、しっかり届くよう、耳元で言う。
「ずっとそばにいて、裕子の顔を見せて。仕事の顔も、恋人の顔も…俺に見せて欲しいんだ」
「…今の私でいいの」
「いいんだ。どんな裕子も裕子なんだから」
「ありがとう…」
裕子の鼓動を胸に受けながら、考えてたことを裕子に告げた。
「一緒に暮らそう」
「え、…でも、今そんなこと出来ないでしょう。無理だよ」
顔を上げて、俺のシャツの裾をぎゅっと掴む。
「忘れたのか。好きなようにやってみせるって、約束しただろ」
「でも…」
「大丈夫。大事な人と一緒にいることが俺にとって必要なことなんだから。任せて。ほら」
手を差し出すと、躊躇いながらも握って来た。
小さな手をぎゅっと握り、裏門に停めてある車に向かう。
あの日も手を繋いで帰った。
裕子、樹と呼び合うはじまりだった。
今日も同じ。
ようやく恋人に戻れた裕子とのはじまりだ。
「一緒に、帰ろう」
「うん」
後部座席に並んで座って、指を絡めた。












あなたの横顔7話

2018-10-09 07:40:29 | 書き物
樹の事務所から、1年後に出る新曲のパッケージデザインの製作の依頼があった。
所属してるデザイン事務所ではなく、私を名指しで。
それを受けて、営業の田中さんと彼の事務所に向かった。
田中さんは、7歳年上のベテランの営業の人。
今回は、パッケージ全体を手掛ける、私のマネージャーのような形で、同行してくれた。

大手音楽事務所。
そう聞いてはいたけれど、都心にある中規模のビルの3フロアだと聞いて、意外だった。
受付に予定を告げると、プロデューサーとチーフマネージャーである、なつきが迎えに来てくれた。
「今回は、引き受けて下さってありがとうございます」
なつき…いえ、チーフマネージャーからていねいに挨拶され、3階の会議室に案内された。
エレベーターを降りて、案内された会議室に入ろうとした時。
「あ、岡本さんは、ちょっとこちらへ。田中さんはこの会議室で少々お待ち下さい」
なつきに導かれ、『第4会議室』と書かれたドアの前に止まった。
「さ、入って。済んだらまたさっきの会議室に来てね」
さっさと行ってしまったなつきを見送り、ドアを開けた。
そこには、そうだろうと思っていた人が、私を待っていた。
「裕子、久しぶり」
「樹…」
腕を伸ばし、私の腕を掴み、引き寄せられる。
久しぶりのはずなのに、彼の香りに包まれると、一瞬で樹の恋人に戻れた。
「裕子、俺の願いを叶えてくれてありがとう」
「…ううん、私の夢を樹が叶えてくれたの。樹の言葉を信じて、ここまで来られたの」
樹の胸に頬を擦り寄せ、目を瞑る。
このまま、樹にずっと甘えていたい。
でも…
「樹、まだ、これからだよね。これから始めるの、樹の願いが叶うように」
顔を上げてそっと樹の胸から離れた。
「うん、分かった。要望は遠慮無く出しますよ、岡本さん」
「分かりました、何なりとどうぞ、西山さん」
顔を見合わせて笑い合う。
会議室に戻ったら、たぶん、こんな二人ではいられないと思うと、笑っていても胸がきゅっとして苦しい…
「裕子…分かってると思うけど、俺と裕子の関係は高山さんしか知らないんだ。だから…」
「分かってる…私と樹は、ミュージシャンとデザイナー、ってことは。高校の同級生なんて、誰も掘り起こしてないことだし」
「うん…気になることがあるかもしれないけど、気にするなよ」
私の頬と唇にそっと指で触れてからドアを開け、樹が出て行く。
私もついて行き、スタッフが集まる会議室に向かった。




顔合わせ、何回もの打ち合わせ。
樹の要望を聞いてデザインのプランを練る。
CDのパッケージデザインの仕事は、初めてじゃない。
前回手掛けたものは、それなりに評価されたから、樹の事務所も依頼してくれたそうだ。
そうでないと、いくら樹の希望があっても無理だっただろう。
今回は、ベースになる絵を私が描くことになってる。
だから、自分の事務所に持ち帰って、納得行くまで描いた。
樹に見て決めて貰うため、何パターンか準備て。
持参する前に田中さんにも見せた。
田中さんは営業だけれど、今までかなりのアート作品を見てる人。
田中さんは、どんな目で見るんだろう…
「岡本さんは、西山さんとは初対面だったの?」
じっと絵を見ながら、田中さんに聞かれた。
「え…?どうしてそんなこと聞くんですか」
「…質問には、答えてくれないの?仮に違ったとしても、誰かに言うつもりはないよ」
田中さんの穏やかな顔を見て、警戒した言葉を発したことを、後悔した。
田中さんには、事情を話しておいたほうがいいかもしれない…
「初対面じゃないんです…彼は、高校の同級生だった人で」
「それで、恋人だった?いや、今もそうかな。」
「…なんで?そんな…」
「やっぱりね」
出来上がったこの絵から、そんなことが読み取れるんだろうか。
それとも、私の態度が不自然だった?
「そんな、慌てなくていいよ。顔合わせの時の別行動と…この横顔への視線は恋人だと思ったから」
「そうなんですか…」
田中さんには隠しても無駄だと思って、樹とのいきさつを、全て話した。
ライブハウスでの活動、一度遠ざかってまったこと、樹の希望を叶えたくてデザイナーになったこと。
「岡本さん、すごいね。彼の希望を叶える為に大手の広告代理店を飛び出すなんて」
「…私の夢でもあったんです」
「分かった」
「え?」
「俺が出来ることなら、協力するから。なんでも言って。」
「ありがとうございます」
有難い。
一緒に動く田中さんが分かってくれてたら、ずいぶん違う。




それからは、打ち合わせ、持ち帰りの繰り返し。
手を加えると、その都度彼に見せて修正していく。
樹の言葉は的確で、でも押し付けがましくなくて、すごくやり易い。
そのせいか、絵自体はわりと早い段階でOKが出た。
後は他のデザインとのバランスや配色。
裏には樹の画像も入れたいから、撮影もしなければならない。
新曲のリース前だから、樹もパッケージデザインにばかりに関わっていられない。
でも1度も、急かしたりしなかったし、そんな態度も取らなかった。
撮影の時間が短くて、集中して撮らなければならなくても、決して慌てない。
落ち着きはらってポーズをとる樹を見て、私は思わずふーっと大きく息を吐いた。


「岡本さん、どうしたの。おっきなため息ついて」
「あっ田中さん、すみません…つい」
「何か気になることでも?」
「いえ、つくづく彼の集中力ってすごいと思って」
「ああ…分かるよ。時間が無いのに、焦りもせずに要求に応えていってるよね。売れてる人って時間の使い方がうまい人が多いと思うよ」
「そうですね。タイトなスケジュールをこなすには、集中力がないと。でも、そんな忙しいのにいつも穏やかなんです」
「苛立ったりすると、まわりもピリピリするからねえ」
「あ~それを言われると…私、時間が押すとつい現場でイライラしてしまうので…ほんとにすみません」
私がぺこっと頭を下げると、田中さんはニヤッと笑ってみせる。
「そうだね、時々アシスタントに指示する声が、低くなってるよ」
あぁ、やっぱり。
デザインで賞を貰ったりもしたけれど、まだまだ悩むことばっかり。
彼の前でこんなキリキリした顔、見せたくなかったのに…
仕事なんだからぼーっとした顔ではいけないという気持ちと、彼の前ではおっとりした私でいたい気持ち。
こんなことで悩むなんてと、自分の余裕の無さに落ち込んだ。

「岡本さん」
撮影が終わり、衣装のまま彼が近づいて来た。
スッキリとスーツを着こなしていて、一瞬立場を忘れて見とれてしまった。
「…どうしたの?」
田中さんが離れてしまって、私1人だったからかふだんの樹の声。
「…なんでもないの…スーツに見とれてた」
小さな声で言うと、くしゃっと嬉しそうな笑顔になった。
「…照れるな…じゃ、今日はこれで終わり?」
「…終わりです。お疲れさまでした」
その時、スタッフの女性が近づいて来たから、彼に目配せする。
「お疲れさまでした。じゃ、」
彼の指が、私の手に一瞬触れる。
けれどすぐに離れて、スタッフの女性の方へ行ってしまった。
ほんの一瞬、彼の指の熱が私の指に移る。
近くにいるのに触れることが出来ない日々。
だから、こんな風に少しでも触れられたら、嬉しくて顔が緩んでしまう。
スタッフの女性は、樹に近寄って短く言葉を交わすと、私の方に近づいて来た。
「…まりちゃん」
「裕子ちゃん、お久しぶり。もう、裕子ちゃんなんて呼んじゃいけなかったかな」
「そんなこと…まだ、彼のスタッフを?」
「そうね。アシスタントのアシスタントみたいな、雑用ばっかりだけどね」
「そう…」
「樹くんが一緒にやらないかって、誘ってくれたの」
樹くん…
そう言ったまりちゃんの顔は、私を睨んでいるように見えた。
「裕子ちゃん、樹くんの近くに戻って来たのね」
「近くって訳ではないけど…仕事だし」
「彼の邪魔じゃなくて、お仕事してるのってことね。」
まりちゃんの言葉のトゲに、ハッとして彼女を見ると口をきゅっと結んでる。
「まりちゃん、私は…」
「今さら戻って来ても無駄よ。噂になってる人のこと、知らないの」
…まりちゃん、なんでこんなに苛立ってるの。
私、何か悪いことでもした?
まりちゃんの顔を見つめて固まっている私に、
「広告だけ作ってればよかったのに」
そう言って、ぷいと行ってしまった。
…今、何があったの。
まさか、まりちゃんがここにいるなんて。
噂になってる人って、誰なの。



「裕子、どうしたの。もう今日はこれで終わりでしょ」
「…なつき…今、いたスタッフの人」
「あぁ、ライブハウス時代からの人ね。ちょっと西山くんに思い入れが強そうな」
「知ってるの、私。あの人がまりちゃんなの」
「えっ…裕子に余計なこと吹き込んだ、あの?」
「うん…」
「また、余計なこと言ったんじゃないでしょうね」
「言われた。樹と噂になってる人って誰?」
言った途端、なつきが思い当たる顔をした。
「本当なの」
「本当な訳ないじゃない。西山くんと彼女とスタッフ全員が参加した、食事会の時に撮られたのよ。さも二人だけみたいな書き方で」
「そうなの…」
「この世界ではよくあることよ。西山くんと話したでしょ。後ろめたいことなんて、あるわけないじゃない」
「…うん、そうね」
「この仕事終わったら、ちゃんとゆっくり話なさいよ」
「そんな時間、あるのかな」
「…そう言われると…でもきっと、どうにかするわよ」
他のスタッフに呼ばれて、なつきはそこで行ってしまった。
まりちゃんとの再会、噂の人のこと。
モヤモヤを抱えたまま、ノロノロと帰り支度をする。
とにかく、この仕事が終わったら。





1年後、パッケージは出来上がりCDの発売日を迎えた。
参加したスタッフを集めて、樹の事務所で慰労会があったけれど、田中さんに行って貰った。
担当は、私だったのに…
まりちゃんに言われたことが引っ掛かって、きっと樹の顔をちゃんと見られないと思ったから。
これから、樹には怒涛のプロモーションが待っている。
CDが発売された、これからがまた忙しいのだ。
ようやくまた会えたけど、恋人として甘えられる時間は、樹には無い。
私の仕事は終わったから、仕事で会う理由も無い。
お疲れさま、ありがとうのメールが来たっきり。

彼と一緒に仕事をしたことで、思い知らされたことがあった。
彼のまわりには女性が大勢いること。
スタッフ、共演者、歌番組で一緒になる女性のミュージシャンだって。
噂になった人は、CMで共演した女優さんらしい。
彼のファンだと公言していて、撮影終わりに食事会になったとか…
後でなつきが、詳しく知らせてくれた。
…そんな大勢の女性が、樹を囲んでいるような状況で。
私は、樹のそばにいられるのだろうか。
いて、いいのだろうか。
樹は、私でいいの?



慰労会の翌日、田中さんに言われた。
「昨日、なんで来なかったの?西山さん、気にしてたよ。体調でも悪いのかって」
「すみません…心配お掛けして。体調は、悪くありません…ただ、自信が無くて」
「…何の自信?」
「まだ、樹…西山さんの近くに、いていいのかなって」
「え?なんでそんなこと、考えちゃう?何かあった?」
田中さんに、まりちゃんの言ったこと、噂のことを話した。
「そう、そんなこと言われたんだ。正直、その噂とやらは、直接西山さんから聞いた方がいいと思うよ。話題を作りたくてその女優さんサイドが流したとか、よくある話だからね」
「そんなこと、するんですか」
「大丈夫、とにかく西山さんが落ち着いたら、よく話した方がいいよ。今は、プロモーション中でしょ」




新曲は幅広く受け入れられ、プロモーション効果もあって、大ヒットになった。
暮れには紅白に出場。
華やかな世界にいる彼を、テレビの画面越しに1人部屋で見ていた。
私は彼の仕事相手にはなれたけれど、恋人には戻れてない気がする。
テレビ越しに見る彼は、遠い世界の人。
今回の仕事を受けた時は、これで元通りになるって、思えたのに。
私、樹の隣にいられるのかな。
1人でいると、止めどなく涙が溢れてしまう。
本当は、彼の温もりに包まれたい。
彼の胸の中に戻りたい。
目の前にないものに焦がれて、ただ画面を見つめていた。









あなたの横顔6話

2018-10-08 22:23:59 | 書き物
裕子にチケットを渡したと高山さんに聞いたのは、ライブの前日だった。
「確かに渡したわよ。来るかどうかは裕子次第。ほんとはこんなこと、スタッフとしてはやっちゃダメなんだろうけど」
自虐的に笑った後は、サブマネージャーの顔に戻った。
「リハーサルの後に、取材があるのでホールから移動になります。時間が押すとマズイので、迅速にね。もちろん、ちゃんと誘導しますから」
「取材、ですか」
「もう、またって顔しちゃダメ。誰でも取材して貰えるわけじゃないのよ」
「グラビアもあるの?」
「もちろん。今回は有名なカメラマンが撮ってくれます」
「そういうの、苦手だ…」
「それも込みでプロモーションだと思って。それに…」
俺の肩をポンポン、と叩きにっこり笑う。
「ある程度売れたら、西山くんの好きなように出来るよ。稼げる人は大事にして貰えるの。今は折り合いをつけなきゃいけない時期」
「折り合い、か…」
「そうよ、ど真ん中に行くまでの辛抱よ。我慢しろとは言わない。折り合いをつけるのよ」
…なんだか、ストンと腑に落ちた。
好きにやるために、折り合いをつける。
俺にだって、出来るはずだ。



ライブの幕が上がった。
今までの倍のキャパシティーで、ベテランのバンドマンに囲まれて歌う。
プロデューサーに勧められて、変えられたアレンジ。
ギターではなくマイクで歌うスタイルの曲。
100%俺のやりたいようにはやれなかった。
それでも、今の俺の最高のパフォーマンスが出来たと思った。
それは、幕が下りた後でバンドメンバーに次々にハイタッチされて、実感したものだ。
楽屋に戻り汗を拭き、着替えて俺は待った。
上手くいったら、ここへ裕子を連れて来て貰うことになっていた。
一目でも会いたい。
顔を見て、声を聞きたい。
終演後の取材まで、30分ほどしかなかったが、高山さんが他のマネージャーには言わずに、聞き入れてくれた。
「西山くん?入るよ」
いきなり高山さんの声がして、ドキッとする。
ドアが開き、高山さんについて入って来たのは、裕子だった。
4年ぶりの裕子。
長かった髪は肩までになって、ふわっとカールしている。
裕子に、似合ってる。
「西山くん、申し訳ないんだけど5分で切り上げて。時間押してるから」
そう言って高山さんが出て行くと、俺は裕子に近づいた。
「…久しぶりだね。元気だった?」
「うん…今日は呼んでくれてありがとう」
俯いてしまった裕子の肩に、両手を置いた。
「俺を見て」
「私、あんなこと…したのに」
「一方的に連絡してくれなくなったこと?」
俺の手から逃げようと、後ずさる裕子の肩をぐっと掴む。
「そんなの…結局、俺だって会いに行かなかったし、連絡しなくなった…でも」
涙を溜めた裕子の目尻を、そっとぬぐってからようやく裕子を抱き締めた。
「今日はどうしても、聞いて貰いたかった。またこれから、会えなくなるかもしれないから」
「そう…だよね。だって、樹はもう」
「なつきちゃんに聞いた。売れたら、稼いだら、好きなようにやれるようになるって」
「そんなこと…出来るの」
「その言葉を信じて、やるしかない。裕子のことも音楽の仕事のことも、きっと俺のやりたいようにしてみせる。だから、、裕子」
「…なに?」
「そうなれたら。何もかも思うように出来るようになったら。俺のCDのジャケットを…俺の横顔を、描いてくれ」
その時、ドアの向こうから高山さんの声が聞こえた。
「もう時間よ。裕子、出て来て」
驚いた顔で俺を見上げる裕子に、4年ぶりのキスをしてから、ドアまで手を引いた。
「裕子、覚えてて。俺の言ったこと、叶えてくれ…いつになっても」
「…うん。私、やってみるから。待ってて」
小さな声で呟いて顔を上げた裕子が、ドアから出ていく。
俺は大きく息を吐いた。



やりたいようにやると言っても、なかなか一筋縄では行かない。
まずはアルバム製作で、俺に編曲させて貰えるよう、プロデューサーに交渉した。
返事は、まず依頼したアレンジャーに編曲してもらい、俺のは試しに聞いてから、と。
ライブハウス時代にやっていたように、自分のやり方で自分の曲を編曲したい。
バンドアレンジも、ライブハウス時代に覚えた。
自分の曲だからって、型に嵌めたアレンジはしたくない。
試行錯誤しながらも作り上げ、アレンジャーとプロデューサーに聞いてもらう。
結果、5曲分、俺の名前が編曲者としてクレジットされることになった。
MVの製作は、とにかく初めて。
だから、またプロデューサーに交渉した。
好きなミュージシャンのMVの監督に、依頼して欲しいと。
監督の演出や編集を見ながら、先ずはそれぞれを勉強する。
出来れば、セルフプロデュースをしたいと思っていたから。
まずは、自分を知って色々な世界を見て、選択して行かなければ。
…それには、ヒット曲が必要だと思った。



メジャーデビューのシングル1枚目は、CMタイアップが付いて、よく言う『スマッシュヒット』になった。
おかげで、デビュー作から歌番組に出演することが出来た。
…CMタイアップも、歌番組出演も、やっぱり事務所の規模がものを言ったものだ。
でも、1回ヒットしたからって、次も、またその次もヒットするかは分からない。
事務所は、ヒット曲を作れと言うけれど、それを意識したら厳しいと思った。
売れることと、やりたいこと…
上手くバランスを取って曲を作らないと。
後は、今どんな音楽が主流になっているか。
ちょうど今、俺の志向する音が受け入れられているようだ。
好きな洋楽を取り入れたビートの効いた音に、シンプルな日本語を合わせた俺の曲。
流行りの巡り合わせかもしれないが、ラッキーなことだと思った。
だから今は、とにかく好きな音を追及しよう、と決めた。
デビューして2年がたった頃。
4枚目のシングルが、あるゴールデンタイムのドラマの主題歌に採用された。
主役もヒロインも、今1番人気があると言われる2人。
評判の高い脚本家で、ヒット間違いないとの前評判のドラマ。
その主題歌に決まったと言うことで、あっという間に歌番組、雑誌やテレビの取材が決まった。
その頃には、チーフマネージャーになった高山さんが、詰まったスケジュールを捌いていた。
「西山くん、これがヒットしたら、きっとやり易くなるわ。そんな気がする。正念場よ」
俺も同じ気持ちだ。
だから、インタビューもグラビアも積極的に受けて、プロモーションに励んだ。
ドラマのタイアップ曲は、ドラマのヒットに乗って大ヒットした。
CDの売れにくい時代と言われる今、文句の付けようがない枚数。
ダウンロードも伸びて、曲もMVも賞を取れた。
その辺りから、プロデューサーも俺の言うことを、ほぼ認めてくれるようになった。
事務所の上の人からも、ああしろこうしろとは言われることは少なくなった。
自分のやりたい音を分かってくれる、バンドメンバー、スタッフ。
俺の言うことを聞いてくれて、でもアドバイスもくれる。
28歳を過ぎて、俺はようやく『やりたいようにやる自分』に、近づいたんだ。



裕子のことは…
あの再会の半年程後、広告代理店からデザイン事務所に移ったと聞いた。
音楽関係の仕事が多い事務所だと、高山さんが教えてくれた。
広告代理店での仕事が認められて、アシスタントからとは言え、最初から大きい仕事に関わっているそうだ。
「たまには知りたいでしょ、裕子のこと」
「そりゃ。知りたいよ。あんなこと頼んで、プレッシャーになってないかも気になるし。でも、いいの?事務所的に」
「まあ、近況を知るくらい、いいんじゃないの」
2年たつ頃には、製作に彼女の名前が出るようになった。
CDパッケージはもちろん、販促ポスターやグッズの製作まで。
幅広い音楽関係の仕事が、グラフィックデザイナーである岡本裕子の得意分野だと、言われるようになっていた。
彼女は、依頼された仕事をする時、アートディレクターを使うこともあるけれど、彼女自身がイラストを描くこともある。
彼女の名前が更に知れ渡ったのは、あるミュージシャンの大ヒットアルバムの、CDパッケージを手掛けたこと。
アルバムのヒットに加えて、ジャケットも賞を取ったのだ。


そのニュースを耳にした時、俺はやっとその時が来たと思った。
再び、裕子に俺の横顔を描いて貰う時が。














あなたの横顔5話

2018-10-08 22:20:52 | 書き物
ワンマンライブの後、私から連絡を取るのを止めてしまった。
しばらくの間、樹からメールが来たり電話が来たりしたけれど…
1回だけ、電話を取った。
「裕子、聞いてる?」
樹の声が聞こえた途端、樹から離れようと言う気持ちが、鈍りそうになる。
黙っているのがキツくて、涙が溢れた。
「…ごめんね」とだけ言って、切った。
まりちゃんの言ってた通りなんだ。
たぶん、これから樹の環境はどんどん変わって行く。
私がそばにいても、じゃまになるだけ。





それから1年。
就活も無事内定を貰えて終わった。
樹のライブを聞いていて、CDのジャケットのデザインをやりたいと思い、自分なりに勉強してた。
でも…樹と離れてから思い出すとつらくなってしまった。
それでも、どこか樹のいる世界に繋がっていたい。
結局、先輩がいたこともあって、大手の広告代理店を受けて、無事内定を取れた。
広告と言っても色々ある。
色々なパッケージデザインだけじゃなくて、ポスターなんかも。
だから、今まで勉強してきたことが、生かせるかもしれないと思った。
イラストを描くチャンスも、もしかしてあるかもしれない…
けれど、そんな私の甘い期待は、すぐに潰されてしまった。


広告と言っても、ピンからキリまで。
新人の私の仕事は、細かい雑誌の広告を手掛けている、先輩の助手。
先輩の前に準備万端整えておくこと。
手配や調達などの細かいことは、先にやっておくこと等々。
カメラマンの手配、スタジオの予約…
一日中バタバタと動いて、気がつくと電車が終わっていた。
そんな日々の中で、樹がインディーズからCDを出したことを知った。
夢への最初の一歩、か…
樹は確実に前に進んでる。
じゃあ、私は?
私の夢ってなんだっけ?
そんな自問自答を繰り返しても、ただ毎日の仕事をこなすだけで、日々が過ぎて行ってしまった。


仕事も2年目に入り、やや慣れて来たけれど…これでいいのかという気持ちが、なかなか拭えない。
やれることが増えても、まだまだ一人前には遠くて、覚えることだらけ。
樹のインディーズデビューを聞いてから、不安で押し潰されそうな気持ちになった。
どんどん樹が遠く離れて行く。
違う世界の人になって行く。
樹の今を知りたくて、音楽雑誌の樹の記事を探したりもした。
あれから、樹から目を逸らして来たのに。
インタビューを読むと、なりたい自分になるために、やるしかないという樹の言葉が、胸の奥に刺さった。
なりたい自分。
なりたかった自分。
そんなことを考え出した頃からまた、仕事の合間にグラフィックデザインの勉強を始めた。
勉強したからと言って、私にはまだ仕事の依頼なんて来る訳もない。
それでも…
そんな時、樹が事務所に所属したことを知った。
程なくして、メジャーへの移籍も。
25歳になる年だった。

夏に、メジャー移籍後初の樹のライブが行われることが発表された。
中規模のホールだから、今までのライブハウスよりキャパは大きくなる。
大手の事務所だからなのか、音楽雑誌での扱いも大きくなって、グラビアも飾るようになった。
部屋で1人、じっくり読んでみる。
グラビアの樹の目は、私が知ってる穏やかな樹じゃない気がした。
インタビューの内容も、初めから何かミュージシャンの型に当てはめられているようで…
こんなものなのかな、ミュージシャンとして売り出すということって。
樹はどう考えているんだろう。
…相変わらず、綺麗な横顔。
この頬に、この唇に、触れたのは何年前だろう…
樹から離れて初めて願った。
樹に会いたい。
あの歌を歌う樹にまた、会いたいと。



仕事に1日走りまわった日も終わり、帰る支度をしている時だった。
知らないアドレスからメールが来ていた。
誰?
なぜ、私のアドレスを知ってるの。
開いてみると…なつき。
高校の時仲良くしていて、幼なじみでもあつた、高山なつきだった。
大学の時に1、2度会ったけれど、それからは会う機会がなかったのに、会いたいなんて今頃なんだろう…
翌日は特に用事も無かったし、久しぶりに会おうかな。
今、なつきはなんの仕事をしてるんだろう。
翌日、仕事が終わって待ち合わせのカフェに行く。
私もたまに利用する、居心地のいい店。
食事も出来るしお酒も飲める。
女性客が多いから、気楽に長居出来る店だ。
店の中に入って見渡すと、窓際の女性が手を振るのが見えた。
「待たせてごめんね」
「ううん、私もさっき来たとこ」
2人、ビールのグラスを合わせてから、近況を聞きあった。
「裕子、広告代理店なんだってね。ずいぶん忙しいんじゃないの」
「うん、まあね…でも、さすがに最近は終電で帰るのはしなくなったよ。それに、私はそんな花形部署じゃないもの」
「雑誌の広告?」
「うん。新人の頃からだから、慣れはしたけどね。締め切りがあるのが難点かなあ。なつきは?なんの仕事なの?」
「私?今、音楽事務所に勤めてる」
「音楽事務所?」
「そうよ、ミュージシャンのマネジメントが主な仕事」
「ミュージシャン…」
それを聞いたら、樹のことを思い出さずにいられない。
まさか…
「実は、この春から西山樹のサブマネージャーになったの」
「えっ…」
「私もビックリしたわ。まさか、西山くんがうちに入るなんて。インディーズでの噂は聞いてたけどね」
「そうだったの…」
樹が大手の事務所に所属したというのは、ネットニュースで読んだ。
そのとたんに、露出が増えたのは素人の私にだって分かる。
その樹のスタッフに、なつきがいるなんて。
「ねえ、裕子は今、西山くんに全然連絡取ってないの」
「取ってない…だってもう、別の世界の人じゃない。連絡なんて取ったってしょうがないよ」
「そんな風に思ってたんだ」
ボリュームのある美味しそうなサラダを、つつく気にもなれず、ついビールばかりを飲んでしまう。
アルコールがまわったせいもあって、なつきに聞かれるまま樹とのいきさつを、話してしまった。
「そのまりちゃんって人の言ってること、全く間違いでもないかもしれないけどさ」

話すにつれ、なつきもビールを空けるのが早くなった。
「それでも…どうするかは当人同士が決めることよね。余計なお世話だわ」
「でも実際、樹のファンは女性が多いんでしょ」
「そうだけど…だからと言って彼女がいたらダメとか…まあ、今はマズそうだけどねえ」
「そうなんだ」
「樹くんの見た目や雰囲気は、女性に受けちゃうからねえ。どうしても、女性受けのする売り出しかたになっちゃうのよ。彼氏感のあるグラビアとかね」
彼氏感、か…
樹は、すっかり「芸能人」にされてしまうのかな…
「でも、西山くんは言われるままにはなりたくないみたいだよ」
「…そうなの?」
「ここの所、よくそれを口にしてる。でも、新人だからなかなか思うようにはね」
…そうだったんだ。
華々しく見えても、そんな葛藤があるのね。
樹、焦れったいだろうな。
「それでね、話の流れで言っちゃうけど。夏のホールライブ、裕子に来て欲しいって」
「私に?…なんで?」
なつきが差し出したチケットの券面を、じっと見つめた。
「なんでって…裕子に今の姿を見せたいんでしょ」
「でも…私から連絡を切ってしまったのに」
「…そこはまあ、それでも来て欲しいってことよ」



なつきと別れ、無理やり渡された封筒を見つめた。
私だって、樹に会いたい。
樹の歌を聴きたい。
いいの、私が行っても。
速まる胸を押さえながら、夜の街に出た。
また樹に会えたら…一緒にいる頃の私に、戻れるのだろうか。
それとも、もう戻れないと思い知るのだろうか。














あなたの横顔4話

2018-10-08 20:23:37 | 書き物
ワンマンライブの後、裕子から連絡が来なくなった。
俺からメールをしても、既読にならない。
いそうな時間に電話をしても、出ない。
あの時、久しぶりに会えたライブの夜。
取材があるからと、慌ただしく行ってしまったきりだ。
…1度だけ、電話が繋がったけれど。
「裕子、聞いてる?」と話し掛けても無言のまま。
俺、何かしたかな。
ワンマンライブの後、途中で帰ってしまったけど、何か引っ掛かっているのか。
「ごめんね」とだけ聞こえて、切れてしまった。
こんなことで終わりたくなかったから、出来れば直接会いに行きたかった。
でも、そのあとどんどん余裕が無くなってしまった…
今までと規模の大きい方と、ライブハウスを掛け持ちしだしたから。
でも…
無理にでも時間を作って、会いには行けたはずだ。
なのに俺は、裕子は就活中だとか、忙しくて余裕が無いとか、そんな言い訳を並べて行かなかった。
その時の俺の頭の中は、インディーズレーベルからCDを出す話でいっぱいだったからだ。
それは、年を越した頃に持ち上がった話。
規模の大きいライブハウスのマネージャーの紹介で、インディーズレーベルの人に会った。
俺の集客が見込めるから、と言われた。
少し躊躇ったけれど…
やっぱり、CDは出したい。
そのうち、メジャーと契約したいと思ってはいたけれど。
それの第一歩になるなら、気合いを入れて取り組んでみようと思った。



ミュージシャン、スタジオの手配。
ジャケットの依頼、そして枚数をどうするか。
やること、そしてお金がかかることが山ほどあった。
事務所にも所属してないから、やらなきゃいけない雑多なことは多かった。
そこは、ライブハウスのマネージャーに聞いたり、レーベルの担当者と詰めて行った。
インディーズで活動してる人たちは、みんなこれをやってるのか。
曲作りもあるし、いつものライブもこなさなければならない。
俺はCD発売に向けてのあれこれに没頭し、裕子のことを頭から閉め出していた。
忘れたわけじゃないし、時々ふっと思い出すこともある。
そんな時も、敢えて考えないようにした。
そして、俺からも連絡を取ることをしなくなっていった…
ようやくCDの発売日が決まったのは、1年後。
23歳になった年だった…


大学も途中で辞めて音楽活動に本腰を入れ、キャパの大きなライブハウスで、ライブをこなす。
インディーズからCDを出した夏の頃には、『インディーズでの期待の新人』の特集で、音楽雑誌に載ったりもした。
まだまだ、小さなものだったけれど。
CDは、ライブによく来てくれる固定の客が、まず買ってくれた。
ライブをこなしていくうちに、より多くの枚数が売れて行くようになった。
最初のプレス分が売り切れた頃には、より取材が来るようになっていた。
そんなとき、ライブが終わった後に楽屋にマネージャーが訪ねて来た。
「樹、ちょっと話があるんだけど」
「ちょうど着替えたところです。どうぞ」
マネージャーがパイプ椅子に座ると、俺の向かいに座る。
「樹さあ、そろそろ事務所に所属する気はないか」
「事務所、ですか…」
「その方がメジャーとの契約もしやすいよ」
「メジャーですか?まだ、インディーズから出したばかりだし、俺には早いんじゃ」
「そんなことはない。インディーズとは言え、樹の売り上げはかなりいい。メジャーレーベルと契約出来るだけの力はあるよ」
「そう言われると嬉しいけど…事務所ってどうしたら」
「実は、音楽事務所の大手がライブを聞きたいって言って来たんだ」
マネージャーが言った事務所の名前は、誰もが知ってる音楽事務所だった。
そんな所から、俺に?
「言っておくけど、聞いてくれたからって即契約になるわけじゃない。樹次第だからな」
「…分かりました」
大手の音楽事務所に所属したからって、すぐにホールでライブを、メジャーからCDを出せるわけじゃないことは、知ってる。
でも、確実にきっかけにはなるってことは、分かる。
…前に進むしかないんだ。



いつ、音楽事務所の人が来たのかは、教えて貰えなかった。
でも、客席にいて席も立たない客は目立つから、見当はついた。
…いつものライブをすればいい。
そう自分に言い聞かせ、ギターを弾き、歌った。
客を煽り、乗せた。
ライブが終わった瞬間、その客たちはじっとステージを見つめていた。
半年後、インディーズで話題の西山樹、大手音楽事務所と契約、のニュースが音楽雑誌に載り、ネットニュースに流れた。
その半年後に、メジャーレーベルに移籍してメジャーデビュー。
春、4月。
俺は25歳になった。



2月、打ち合わせのために訪れた事務所で、意外な人に会った。
「西山くん、久しぶりだね」
長い髪を束ねて、黒のパンツスーツを着た女性。
…誰だろう。
「あの…お会いしたこと…?」
「あれ、分からない?私、なつき。裕子の友達の」
「あっ…」
俺とは高3の時だけクラスメイトだった、なつき。
高山なつきだ。
「高山さん…?なんでここに?」
「実は、私いま、ここの社員なの。たぶん、これからあなたの…ミュージシャン・西山樹のサブマネージャーになる」
「そうだったのか」
「こんな所で会うなんてね。うちの会社にとってあなたは、これから売り出す大切な人よ」
「それは、どうも」
「じゃ、打ち合わせの時に。私も同席するからよろしくお願いします」
長い打ち合わせを終えて、事務所を出た。
駅まで歩く間、気分転換にウィンドウを覗いてあるく。
自分には関係があるはずもないアクセサリーショップの前で、あるヘアアクセサリーに目が止まった。
何枚かの葉をコラージュした、グリーンのヘアピン。
…裕子がしてたのと似ている。
よくライブハウスに来てた頃。
「これ見て。葉っぱがたくさんついてて、樹って感じじゃない」
そんなことを言いながら、髪に止めていた。



今日は思いもよらず、裕子の友達に会った。
そして、このヘアピン…
こんなデザインのヘアピンは、量産されて出回っているのかもしれない。
でも、それで頭の隅に押し込めていた裕子の記憶が、溢れ出てきてしまった。
裕子…
裕子に会いたい。
連絡も取らず、記憶を押しやって思い出すことも止めていた。
そんな俺には、許されないかもしれないけれど。
メジャーデビューの記念ライブが、夏に中規模のホールで行われることが決まった。
裕子に聴いて欲しい。
裕子にのために、あの曲を歌いたい。