ワンマンライブの後、私から連絡を取るのを止めてしまった。
しばらくの間、樹からメールが来たり電話が来たりしたけれど…
1回だけ、電話を取った。
「裕子、聞いてる?」
樹の声が聞こえた途端、樹から離れようと言う気持ちが、鈍りそうになる。
黙っているのがキツくて、涙が溢れた。
「…ごめんね」とだけ言って、切った。
まりちゃんの言ってた通りなんだ。
たぶん、これから樹の環境はどんどん変わって行く。
私がそばにいても、じゃまになるだけ。
それから1年。
就活も無事内定を貰えて終わった。
樹のライブを聞いていて、CDのジャケットのデザインをやりたいと思い、自分なりに勉強してた。
でも…樹と離れてから思い出すとつらくなってしまった。
それでも、どこか樹のいる世界に繋がっていたい。
結局、先輩がいたこともあって、大手の広告代理店を受けて、無事内定を取れた。
広告と言っても色々ある。
色々なパッケージデザインだけじゃなくて、ポスターなんかも。
だから、今まで勉強してきたことが、生かせるかもしれないと思った。
イラストを描くチャンスも、もしかしてあるかもしれない…
けれど、そんな私の甘い期待は、すぐに潰されてしまった。
広告と言っても、ピンからキリまで。
新人の私の仕事は、細かい雑誌の広告を手掛けている、先輩の助手。
先輩の前に準備万端整えておくこと。
手配や調達などの細かいことは、先にやっておくこと等々。
カメラマンの手配、スタジオの予約…
一日中バタバタと動いて、気がつくと電車が終わっていた。
そんな日々の中で、樹がインディーズからCDを出したことを知った。
夢への最初の一歩、か…
樹は確実に前に進んでる。
じゃあ、私は?
私の夢ってなんだっけ?
そんな自問自答を繰り返しても、ただ毎日の仕事をこなすだけで、日々が過ぎて行ってしまった。
仕事も2年目に入り、やや慣れて来たけれど…これでいいのかという気持ちが、なかなか拭えない。
やれることが増えても、まだまだ一人前には遠くて、覚えることだらけ。
樹のインディーズデビューを聞いてから、不安で押し潰されそうな気持ちになった。
どんどん樹が遠く離れて行く。
違う世界の人になって行く。
樹の今を知りたくて、音楽雑誌の樹の記事を探したりもした。
あれから、樹から目を逸らして来たのに。
インタビューを読むと、なりたい自分になるために、やるしかないという樹の言葉が、胸の奥に刺さった。
なりたい自分。
なりたかった自分。
そんなことを考え出した頃からまた、仕事の合間にグラフィックデザインの勉強を始めた。
勉強したからと言って、私にはまだ仕事の依頼なんて来る訳もない。
それでも…
そんな時、樹が事務所に所属したことを知った。
程なくして、メジャーへの移籍も。
25歳になる年だった。
夏に、メジャー移籍後初の樹のライブが行われることが発表された。
中規模のホールだから、今までのライブハウスよりキャパは大きくなる。
大手の事務所だからなのか、音楽雑誌での扱いも大きくなって、グラビアも飾るようになった。
部屋で1人、じっくり読んでみる。
グラビアの樹の目は、私が知ってる穏やかな樹じゃない気がした。
インタビューの内容も、初めから何かミュージシャンの型に当てはめられているようで…
こんなものなのかな、ミュージシャンとして売り出すということって。
樹はどう考えているんだろう。
…相変わらず、綺麗な横顔。
この頬に、この唇に、触れたのは何年前だろう…
樹から離れて初めて願った。
樹に会いたい。
あの歌を歌う樹にまた、会いたいと。
仕事に1日走りまわった日も終わり、帰る支度をしている時だった。
知らないアドレスからメールが来ていた。
誰?
なぜ、私のアドレスを知ってるの。
開いてみると…なつき。
高校の時仲良くしていて、幼なじみでもあつた、高山なつきだった。
大学の時に1、2度会ったけれど、それからは会う機会がなかったのに、会いたいなんて今頃なんだろう…
翌日は特に用事も無かったし、久しぶりに会おうかな。
今、なつきはなんの仕事をしてるんだろう。
翌日、仕事が終わって待ち合わせのカフェに行く。
私もたまに利用する、居心地のいい店。
食事も出来るしお酒も飲める。
女性客が多いから、気楽に長居出来る店だ。
店の中に入って見渡すと、窓際の女性が手を振るのが見えた。
「待たせてごめんね」
「ううん、私もさっき来たとこ」
2人、ビールのグラスを合わせてから、近況を聞きあった。
「裕子、広告代理店なんだってね。ずいぶん忙しいんじゃないの」
「うん、まあね…でも、さすがに最近は終電で帰るのはしなくなったよ。それに、私はそんな花形部署じゃないもの」
「雑誌の広告?」
「うん。新人の頃からだから、慣れはしたけどね。締め切りがあるのが難点かなあ。なつきは?なんの仕事なの?」
「私?今、音楽事務所に勤めてる」
「音楽事務所?」
「そうよ、ミュージシャンのマネジメントが主な仕事」
「ミュージシャン…」
それを聞いたら、樹のことを思い出さずにいられない。
まさか…
「実は、この春から西山樹のサブマネージャーになったの」
「えっ…」
「私もビックリしたわ。まさか、西山くんがうちに入るなんて。インディーズでの噂は聞いてたけどね」
「そうだったの…」
樹が大手の事務所に所属したというのは、ネットニュースで読んだ。
そのとたんに、露出が増えたのは素人の私にだって分かる。
その樹のスタッフに、なつきがいるなんて。
「ねえ、裕子は今、西山くんに全然連絡取ってないの」
「取ってない…だってもう、別の世界の人じゃない。連絡なんて取ったってしょうがないよ」
「そんな風に思ってたんだ」
ボリュームのある美味しそうなサラダを、つつく気にもなれず、ついビールばかりを飲んでしまう。
アルコールがまわったせいもあって、なつきに聞かれるまま樹とのいきさつを、話してしまった。
「そのまりちゃんって人の言ってること、全く間違いでもないかもしれないけどさ」
話すにつれ、なつきもビールを空けるのが早くなった。
「それでも…どうするかは当人同士が決めることよね。余計なお世話だわ」
「でも実際、樹のファンは女性が多いんでしょ」
「そうだけど…だからと言って彼女がいたらダメとか…まあ、今はマズそうだけどねえ」
「そうなんだ」
「樹くんの見た目や雰囲気は、女性に受けちゃうからねえ。どうしても、女性受けのする売り出しかたになっちゃうのよ。彼氏感のあるグラビアとかね」
彼氏感、か…
樹は、すっかり「芸能人」にされてしまうのかな…
「でも、西山くんは言われるままにはなりたくないみたいだよ」
「…そうなの?」
「ここの所、よくそれを口にしてる。でも、新人だからなかなか思うようにはね」
…そうだったんだ。
華々しく見えても、そんな葛藤があるのね。
樹、焦れったいだろうな。
「それでね、話の流れで言っちゃうけど。夏のホールライブ、裕子に来て欲しいって」
「私に?…なんで?」
なつきが差し出したチケットの券面を、じっと見つめた。
「なんでって…裕子に今の姿を見せたいんでしょ」
「でも…私から連絡を切ってしまったのに」
「…そこはまあ、それでも来て欲しいってことよ」
なつきと別れ、無理やり渡された封筒を見つめた。
私だって、樹に会いたい。
樹の歌を聴きたい。
いいの、私が行っても。
速まる胸を押さえながら、夜の街に出た。
また樹に会えたら…一緒にいる頃の私に、戻れるのだろうか。
それとも、もう戻れないと思い知るのだろうか。
しばらくの間、樹からメールが来たり電話が来たりしたけれど…
1回だけ、電話を取った。
「裕子、聞いてる?」
樹の声が聞こえた途端、樹から離れようと言う気持ちが、鈍りそうになる。
黙っているのがキツくて、涙が溢れた。
「…ごめんね」とだけ言って、切った。
まりちゃんの言ってた通りなんだ。
たぶん、これから樹の環境はどんどん変わって行く。
私がそばにいても、じゃまになるだけ。
それから1年。
就活も無事内定を貰えて終わった。
樹のライブを聞いていて、CDのジャケットのデザインをやりたいと思い、自分なりに勉強してた。
でも…樹と離れてから思い出すとつらくなってしまった。
それでも、どこか樹のいる世界に繋がっていたい。
結局、先輩がいたこともあって、大手の広告代理店を受けて、無事内定を取れた。
広告と言っても色々ある。
色々なパッケージデザインだけじゃなくて、ポスターなんかも。
だから、今まで勉強してきたことが、生かせるかもしれないと思った。
イラストを描くチャンスも、もしかしてあるかもしれない…
けれど、そんな私の甘い期待は、すぐに潰されてしまった。
広告と言っても、ピンからキリまで。
新人の私の仕事は、細かい雑誌の広告を手掛けている、先輩の助手。
先輩の前に準備万端整えておくこと。
手配や調達などの細かいことは、先にやっておくこと等々。
カメラマンの手配、スタジオの予約…
一日中バタバタと動いて、気がつくと電車が終わっていた。
そんな日々の中で、樹がインディーズからCDを出したことを知った。
夢への最初の一歩、か…
樹は確実に前に進んでる。
じゃあ、私は?
私の夢ってなんだっけ?
そんな自問自答を繰り返しても、ただ毎日の仕事をこなすだけで、日々が過ぎて行ってしまった。
仕事も2年目に入り、やや慣れて来たけれど…これでいいのかという気持ちが、なかなか拭えない。
やれることが増えても、まだまだ一人前には遠くて、覚えることだらけ。
樹のインディーズデビューを聞いてから、不安で押し潰されそうな気持ちになった。
どんどん樹が遠く離れて行く。
違う世界の人になって行く。
樹の今を知りたくて、音楽雑誌の樹の記事を探したりもした。
あれから、樹から目を逸らして来たのに。
インタビューを読むと、なりたい自分になるために、やるしかないという樹の言葉が、胸の奥に刺さった。
なりたい自分。
なりたかった自分。
そんなことを考え出した頃からまた、仕事の合間にグラフィックデザインの勉強を始めた。
勉強したからと言って、私にはまだ仕事の依頼なんて来る訳もない。
それでも…
そんな時、樹が事務所に所属したことを知った。
程なくして、メジャーへの移籍も。
25歳になる年だった。
夏に、メジャー移籍後初の樹のライブが行われることが発表された。
中規模のホールだから、今までのライブハウスよりキャパは大きくなる。
大手の事務所だからなのか、音楽雑誌での扱いも大きくなって、グラビアも飾るようになった。
部屋で1人、じっくり読んでみる。
グラビアの樹の目は、私が知ってる穏やかな樹じゃない気がした。
インタビューの内容も、初めから何かミュージシャンの型に当てはめられているようで…
こんなものなのかな、ミュージシャンとして売り出すということって。
樹はどう考えているんだろう。
…相変わらず、綺麗な横顔。
この頬に、この唇に、触れたのは何年前だろう…
樹から離れて初めて願った。
樹に会いたい。
あの歌を歌う樹にまた、会いたいと。
仕事に1日走りまわった日も終わり、帰る支度をしている時だった。
知らないアドレスからメールが来ていた。
誰?
なぜ、私のアドレスを知ってるの。
開いてみると…なつき。
高校の時仲良くしていて、幼なじみでもあつた、高山なつきだった。
大学の時に1、2度会ったけれど、それからは会う機会がなかったのに、会いたいなんて今頃なんだろう…
翌日は特に用事も無かったし、久しぶりに会おうかな。
今、なつきはなんの仕事をしてるんだろう。
翌日、仕事が終わって待ち合わせのカフェに行く。
私もたまに利用する、居心地のいい店。
食事も出来るしお酒も飲める。
女性客が多いから、気楽に長居出来る店だ。
店の中に入って見渡すと、窓際の女性が手を振るのが見えた。
「待たせてごめんね」
「ううん、私もさっき来たとこ」
2人、ビールのグラスを合わせてから、近況を聞きあった。
「裕子、広告代理店なんだってね。ずいぶん忙しいんじゃないの」
「うん、まあね…でも、さすがに最近は終電で帰るのはしなくなったよ。それに、私はそんな花形部署じゃないもの」
「雑誌の広告?」
「うん。新人の頃からだから、慣れはしたけどね。締め切りがあるのが難点かなあ。なつきは?なんの仕事なの?」
「私?今、音楽事務所に勤めてる」
「音楽事務所?」
「そうよ、ミュージシャンのマネジメントが主な仕事」
「ミュージシャン…」
それを聞いたら、樹のことを思い出さずにいられない。
まさか…
「実は、この春から西山樹のサブマネージャーになったの」
「えっ…」
「私もビックリしたわ。まさか、西山くんがうちに入るなんて。インディーズでの噂は聞いてたけどね」
「そうだったの…」
樹が大手の事務所に所属したというのは、ネットニュースで読んだ。
そのとたんに、露出が増えたのは素人の私にだって分かる。
その樹のスタッフに、なつきがいるなんて。
「ねえ、裕子は今、西山くんに全然連絡取ってないの」
「取ってない…だってもう、別の世界の人じゃない。連絡なんて取ったってしょうがないよ」
「そんな風に思ってたんだ」
ボリュームのある美味しそうなサラダを、つつく気にもなれず、ついビールばかりを飲んでしまう。
アルコールがまわったせいもあって、なつきに聞かれるまま樹とのいきさつを、話してしまった。
「そのまりちゃんって人の言ってること、全く間違いでもないかもしれないけどさ」
話すにつれ、なつきもビールを空けるのが早くなった。
「それでも…どうするかは当人同士が決めることよね。余計なお世話だわ」
「でも実際、樹のファンは女性が多いんでしょ」
「そうだけど…だからと言って彼女がいたらダメとか…まあ、今はマズそうだけどねえ」
「そうなんだ」
「樹くんの見た目や雰囲気は、女性に受けちゃうからねえ。どうしても、女性受けのする売り出しかたになっちゃうのよ。彼氏感のあるグラビアとかね」
彼氏感、か…
樹は、すっかり「芸能人」にされてしまうのかな…
「でも、西山くんは言われるままにはなりたくないみたいだよ」
「…そうなの?」
「ここの所、よくそれを口にしてる。でも、新人だからなかなか思うようにはね」
…そうだったんだ。
華々しく見えても、そんな葛藤があるのね。
樹、焦れったいだろうな。
「それでね、話の流れで言っちゃうけど。夏のホールライブ、裕子に来て欲しいって」
「私に?…なんで?」
なつきが差し出したチケットの券面を、じっと見つめた。
「なんでって…裕子に今の姿を見せたいんでしょ」
「でも…私から連絡を切ってしまったのに」
「…そこはまあ、それでも来て欲しいってことよ」
なつきと別れ、無理やり渡された封筒を見つめた。
私だって、樹に会いたい。
樹の歌を聴きたい。
いいの、私が行っても。
速まる胸を押さえながら、夜の街に出た。
また樹に会えたら…一緒にいる頃の私に、戻れるのだろうか。
それとも、もう戻れないと思い知るのだろうか。