えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

それぞれの日常・ミチコ

2018-06-25 07:49:58 | 書き物


その日、10時ちょっと過ぎに彼から電話があった。
「もしもし、ミチコ?」
心なしか、元気のない声…
「もしもし?どうだったの?」
「麻衣子は帰ったよ。もう、来ないって」
「そう…」
「これから、行ってもいい?」
「うん、いいわよ、待ってる」
電話を切って、小さくやった!っと叫んだ。
遠距離に疲れた彼女、ちょっとしたことで諦めた彼女。
私は、諦めないわ。
これで、彼は私だけのものだからね。

彼が来るから、簡単なお昼ご飯を作ることにした。
彼が好きなお肉を乗せた丼。
まず、彼の胃を掴まなくちゃと、頑張った甲斐があったわ。
ちょうど出来あがった頃に、彼がチャイムを鳴らした。
ドアを開けると、眉を下げた顔で私を押しながら入ってくる。
「どうしたの?」
「ん…」
部屋に入ると、後ろから抱き締めて小声で呟いた。
「ミチコは…俺のそばにいてくれるよね」
…彼女が去ったのが、堪えてるんだ。
前に回った彼の手に私の手を重ねて、彼にもたれた。
「心配しなくても、そばにいるわよ」
「ありがとう」
ぎゅうっと抱きしめられると、いつもの私ではいられなくなる。
身体が熱を持って、彼の熱も一緒になってしまう。
彼のことを好きになったから、遠距離をいいことに遠ざかってた彼女から、奪ってしまおうと思った。
でも、奪おうなんて思ったのはただ好きだから、だけじゃない。

私が服飾雑貨の店の店長になったのは、ちょうど1年くらい前。
そのとき、大手の靴下会社の営業マンである、彼と初めて会った。
「お疲れさまです!」
大きな声、すごくいい笑顔。
人懐こさを振り撒いて、彼は入って来た。
ばか丁寧な人、無表情な人、色々な営業マンがいたけれど。
こんな自然に人懐こい人、初めてだった。
だから、彼の推す物…ストッキングや靴下の、販促を頑張ったの。
彼に、私をもっと見て貰いたくなって。
イチオシのディスプレイ、カラフルなポップ。
もちろん、お客様へも積極的にお声がけしたわ。
その甲斐あって、良く売れてくれたし、何より彼にすごく感謝された。
…感謝されたら、彼にもっと近づきたくなった。

帰る彼に、
「夕食食べませんか」
と、声を掛ける。
美味しい焼き鳥と、お酒のあるお店。
気取らないお店を気に入ってくれたみたい。
いつもお疲れさまです。
次の売れ線はこのあたりかも。
このつくね、美味しいですね。
…彼女、いるんですか?
仕事の話、美味しいものの話…
お酒がすすんだら、聞きたいことが聞けた。
「いますよ。東京とこっちで遠距離なんです」
やっぱり…
がっかりした声を出さないよう、気をつけたけれど一気にテンションが下がってしまった。
そりゃそうよね。
こんな可愛い人、モテるに決まってる。
ああ、ショック…
そんな気も知らずに、彼は楽しそうにお酒を飲んでる。
そんな彼を見て、むくむくと闘志が沸き上がってきた。
彼女って言ったって、遠距離なのよね。
たま~にしか会えないんでしょ。
私の方が、頻繁に会えてるしこうしてご飯も一緒に食べてる。
この人にもっと見つめられたい。
まだ触れてない彼に触れられたい。
私、彼が欲しい。

それから、しつこすぎないように、でもマメに彼を食事に誘った。
美味しいご飯やお酒を楽しんでる時間が、彼との距離を縮めてゆく。
酔ってる時なら、ちょっと彼に触れても不自然じゃない。
そうして会うことが増えるにつれ、彼も少しずつ私に触れてくれるようになった。
少しだって、彼が触れてくれた所は途端に熱を持った。
ドキドキして、もっと触れて欲しくなった。
そんな気持ちをこめて、彼を見るようにしたら。
彼の目の奥に、微かにだけれど何かが燃え始めたように見えた…
これは、よく言うもう一押しってことよね。
彼を私に引き寄せるために。
その一押し、いつしよう…

8月、暑い日が続いていたある日、定休日の前日。
検品中の彼に声を掛けた。
「あの…良かったら、今日夕御飯どうですか?」
後ろ姿の彼が、くるっと振り向く。
「いいですね。暑いからビールも飲みましょう」
「良かった…ウチですけどいいですか?」
「ウチ?」
「はい、私の家です」
「そんな…いいんですか。」
「気にしないで下さい。お店よりリラックス出来たら、って思って」
「あ、ありがとうございます」
彼が乗ってくれた。
嬉しい。
今、すく近くにいるこの人に、もっと近づきたい。
「今日はお仕事は、何時ぐらいまでなんですか」
「ああ、ここで終わりです。帰社もしなくて大丈夫なので」
「そうですか。じゃあ、あと少しで閉店なので、待っていていただけますか」
「分かりました」
ことさら丁寧な会話をした。
お互いになんとなく、今夜のことを意識してるのが分かる。
今夜…もっと彼に触れられたい。
彼に触れたい。
彼を好きになったから。
でも、それだけじゃない、私の願望があった。
彼は転勤のある営業マン。
もし、彼と結婚して本社に転勤なんてことになったら。
彼の奥さんとして、東京に行ける。
この地方で生まれ、育ち、他へ出たことがない私は、東京に憧れてた。
1人で行けばいいじゃないって、学生時代の友達に言われたけれど…
就職の時、東京の会社を親に許して貰えなくて。
地元の小さなチェーンの雑貨店に入った。
販売しかしたことなくて、中途採用を探してもなかなか見つからない。
そのうち、反対してた親は病気でいなくなってしまった。
拍子抜けしたけれど、今更東京で働ける場所を探す気力が薄れてた。
そんな時に出会った彼。
彼の奥さんになれたら。
彼と一緒になって、ここから抜け出せたら。
1人だって行けるだろうけど、夫と一緒にっていうのがいいの。
人に頼るのって言われても。
それが私の願望…

お店を閉めて、彼の営業車でアパートに向かった。
お店の近くで借りたから、あっという間に着いてしまった。
「お邪魔します」
彼が、神妙な声を出して私の後ろから入って来た。
「そこに座って、待ってて下さいね。今、ビールとおつまみ出しますから」
「あの、仕事終わったばかりで大変ですから。そんな色々用意してくれなくても…」
「大丈夫。1人の時でも私、朝の内に作って冷蔵庫に入れておくんです」
パッと出せるおつまみにビール。
少し暖めれば良い煮物、そのままでOKなサラダ。
15分もたった頃には、二人で座ってビールを飲んでいた。
「すごく手際がいいんですね。それに、美味しい」
満足そうな彼を見ると、嬉しくて頬が緩む。
胃袋を掴めって、よく言われてるもの。
一応お店で飲む時に、彼の好みはチェック済みだし。
「お口に合ったなら、嬉しいです」
ビールを重ね、焼酎を勧め…
色々な話をしながら、二人で飲んだ。
彼は予想してたより弱いみたいで、もう耳まで赤い。
酔ったからなのか、だんだん言葉が砕けてくる
ミチコさんが、たまにミチコちゃんになる。
そんな彼が可愛くてしようがなくて。
お皿を片付けるのに、腕に触れたり少し寄りかかったり。
それを、身を引くでもなく受け止めてくれる彼が、嬉しかった。

二時間くらいたった頃だった。
少し片付けるために、5分くらい台所に立って洗い物をしていたら、いつの間にかソファに寄り掛かって彼が眠ってる。
かなり、酔っちゃったのね。
どうしよう…
多分、すぐには目覚めないわ。
もう飲めないだろうから、すっかり片付けよう。
テーブルの上を片付けても、台拭きでテーブルを拭いても、彼はぐっすり眠ってた。
私はお茶を入れて飲みながら、眠ってる彼を見てた。
やっぱり、私は彼が好きだなんだわ、と思う。
話してる時も、飲んでる時も、正直でストレートで甘えたで。
だから今夜、もし彼から誘われたら。
そういう事になってもいい。
いえ、そういうことになりたい。
それに…私の願望を叶えるには、遠距離の彼女を押し退けないと。
彼はどうなんだろう…
すこしでも、私に近づきたい気持ちはあるんだろうか。

ふと、時計を見るともう11時をまわってる。
そろそろ起こさないと…
「ね、起きて。帰れなくなりますよ」
「ん…」
もぞもぞと身体を起こすと、不思議そうな顔で私を見る。
「あれ?ミチコさん、なんで?」
「あら、覚えてないんですか?ウチでお酒飲んで寝ちゃったのに」
「あっ」
思い出したらしく、顔を赤くしてる。
「ごめんなさい!もう遅いですよね。」
ばっと立ち上がった彼がよろめいた。
「大丈夫ですか?お酒飲んでるんですから」
駆け寄って抱き抱えると、近い距離で彼と見合ってしまう。
「あ、ごめんなさい…」
急いで離れようとした。
すると、彼の腕が伸びて来て腕を掴まれた。
振り向くと、じっと私を見てる。
くいっと腕を引かれると、彼の腕の中に入った。
酔ってるのに、強い力。
顔を上げて彼を見ると、この間より強い炎が燃えているように見えた。
「私…私は…」
「黙って。俺、今酔ってる。でも自分が今一番何がしたいかは分かるよ」
「…なに?」
「…ミチコさんを食べたい」
ぎゅっと抱き締められた後、唇が重なった。
男の人の匂いと、アルコールの匂い。
頭がクラクラする…
キスしながら、彼の手が背中を探り、ふわっとした生地のブラウスを捲る。
彼の首に腕をまわしながら、想いが叶った悦びで満たされた。

今。
私を抱き締めてる彼は、紛れもなく私のものなんだわ。
これで、私の願望が叶うことに、一歩近づいたんだ。
彼女がこんな簡単に諦めてくれるなんて。
私は、彼が簡単に手に入って、浮かれてた。
好きになった人に、こんなに甘えられたのは初めてだったから。
好きな人が、こんなに愛してくれてる。
私は選ばれたんだ。
それはとっても気持ち良くて、しばらくの間私をふわふわと浮かれさせた。
そして、9月も後半になった頃。
定休日前の晩は、彼が泊まりに来るようになった。
私の料理を食べて、私の頬を包んで、嬉しそうに笑う彼を見ると幸せな気持ちになれた。
ミチコの料理をずっと食べたいとか、側にいてね、とか…
彼の言葉は私の願望を、叶えてくれると思えた。
何もかも上手く行ってると思ってた、その日までは。

明日で9月が終わる、木曜日。
珍しく閉店ギリギリに彼が来た。
「こんばんは。お疲れさまです」
いつもより、大人しめな声。
手に持った荷物も、少ない。
「珍しいわね、あなたが仕事でこの時間に来るって」
誰もいないから、二人の時のように話しかけた。
彼は、少し、困った顔をしてる。
「今日は、挨拶に来たんだ」
「…挨拶?」
「うん…ちょっと、ここ座っていい?」
お店の隅に置いてある、小さなテーブルと椅子。
そこへ彼が座ったから、私も向かいに座って彼の顔を見る。
「実は、明日付けで異動が決まりました。東京の本社に戻ります」
出入りの業者さんの口調。
「え…じゃあ…」
「…明日には、後任の営業が来るから。後任も、宜しくお願いします」
「…はい。分かりました。あちらでも頑張ってください」
一応、取引先の業者さん。
ちゃんと挨拶はしなくちゃいけない。
でも…私は彼女なんでしょ。
彼女への言葉は、ないの…
黙って俯いたら、彼の手が伸びて来て私の手を取った。
「ミチコ。いろいろありがとう。ずっとミチコといたかったけど…戻らなきゃいけないんだ、ごめん」
「私…私は連れてってくれないの?」
「…それは無理なんだ。戻れば実家だし、ミチコにも仕事があるでしょ、店長なんだから」
「そう、だけど…」
なに、この顔。
こんな顔、知らない。
あんな甘々なこと言っておいて。
どの口がしれっと、仕事があるでしょ、なんて言うのよ。
白々しい。
上に置かれた彼の手を除けて、立ち上がった。
「お疲れさまでした。お元気で」
腰を折って深々とおじきをすると、落ち着かない様子になった。
「ミチコ、何か怒ってる?」
「え?怒ってなんかいないわよ。ただ虫がいいなあと思っただけよ」
「…そんなことを言われても。まさか、結婚して一緒に行こうなんてこと、言うと思ってたの」
「…そんなことは…」
考えてたことを、まさかと言われて詰まってしまった。
「そうだよね。俺だってそんな気はなかった」急いで店の外に出る彼。
それがスローモーションみたいに見えて、中からぼんやり眺めた。
「じゃあ…」
ボソッと小さな声で呟いてから、彼は行った。
バタン、と車のドアが閉まる音。
ザザッと砂利をこすりながら、車は出て行った。

さっきまで彼が座ってた椅子に、ゆっくりと座った。
さっきの彼の言いようったら。
曖昧な言葉、灯りが消えたような目。
初めて店に来た時とは大違い。
私への関心を、全部吐き出してしまったみたいだった。
いいえ、初めから関心なんてものは無かったのかもしれない。
ただ、手近にいるものに甘えただけだったのかも…
「…側にいてって言ったくせに」
呟きながら、ゴールドチェーンのペンダントを、外して握りしめた。
当てが外れた。
奥さんになって東京に行くなんて、甘かった。
彼にそんな気持ちなんて、端から無かったんだ。
私は何を見てたんだろう。
上手く行ってるって思い込んで、浮かれていたんだ。
でも…
当てが外れただけなら、ただ彼を忘れればいい。
当てになる、次の男を探せばいいだけ。
なのに、なんでこんなに胸が重くて、息苦しいんだろ…
なんで彼の匂いが、温度が恋しいんだろう…
握りしめていたペンダントを、ゴミ箱に投げると帰り支度をするため、立ち上がった。

翌日。
いつも通り店を開けた。
一晩眠って起きたら、昨日のことは夢のような気がした。
でも、現実なんだ。
普段と全く同じように、ディスプレイのチェックをしていると、自動ドアが開いた。
「いらっしゃいませ!」
大きな荷物を抱えたスーツ姿の男性が、おずおずと入って来た。
「あの、今日付けでこちらの担当になりました。宜しくお願いします」
…彼の後任の人だ。
「そうですか。こちらこそ、宜しくお願いします。こちらへ」
荷物を下ろし、私に向かい合ったその人を見た。
人の良さそうな笑顔が、口元に浮かんでる…

「新商品の靴下、あります?」
笑顔を向けた先の眼差しを見たら、ドキン、と鼓動が早くなった。
もう懲りたでしょ、と冷静な自分が告げる。
彼ならもしかして…と諦めの悪い女が顔を出す。
もう、彼は私の日常にはいらない。
私、もっともっと強かになるわ。
私には私の、日常がまた始まるんだ。


それぞれの日常・麻衣子②

2018-06-18 15:04:32 | 書き物


横たわると、腕の中に彼が呼ぶ。
いつものように。
さすがにそれには抗えなくて、彼の腕の中に収まった。
スースーと、すぐに聞こえる彼の寝息。
ムカムカは収まったけれど、目が冴えてしまって眠れない。
彼に包まれるといつもは眠れるのに。
結局、深夜まで眠れなくて、そっと彼の腕から抜け出した。
背中を向けて丸まったら、ようやく眠れたようだった。
気づくと、明け方だったから。

明け方、パチッと目が覚めた。
ベッドサイドの時計を見ると、5時。
眠れなかったのに、なんでこんな時間に目が覚めるの…
振動が伝わらないように、ゆっくり振り返ると彼はまだ眠っていた。
規則正しい寝息が聞こえてくる。
彼に背を向けたまままた横になった。
まだ眠いけれど、どうしても昨日のことを考えてしまう。
やっぱり、彼にちゃんと聞くべきなんだろうな。
どんな答えが返って来るのか、怖いけれど。
…考えてみれば、私の周りにだって男の人はいる。
学生の頃の同級生、彼とも仲がいい水沢くん。
遠距離が長くなって、彼とのことを相談したりもしてる人。
実は、直接話した方がいいと、今回彼の元へ行くことを後押ししてくれた。
今の私の日常の中で、1番近い人なのかもしれない。
でも…
だからと言って、水沢くんとどうにかなるなんて考えたことは無かった。
…いや、考えたことは無かったけれど、水沢くんに甘えてはいるかもしれない。
今回のことだって。
友達とは言え、人の彼女に親身になってくれた。
私は、もしかしたら水沢くんの気持ちも考えずに、利用しているのかも…

そこまでじっくり考えていたとき、急にベッドが揺れた。
あ、と思ったときには彼に後ろから抱きしめられていた。
「…麻衣子、起きてたの。もう体調はいいの」
「うん…」
振りほどく訳にもいかず、そのままじっとしていると、彼が話し出した。
「そのままでいいから、聞いて」
「…何の話?」
「麻衣子も、見当はついてるんでしょ」
あの、ミチコっていう人のこと?
彼から言って来るなんて。
「昨日来てた取引先の人、あるショップの店長さんなんだけど。1年前くらいに店長になった時に営業で初めて会ったんだ」
「1年前…」
「そう、去年のちょうど今頃。それで商品を置いてくれたり販促を頑張ってくれたり、すごくお世話になってね。それから…営業に行くとよく話すようになって…食事したりするようになって」
「そうだったんだ」
「そう、それでクリスマスにお礼の品を渡して」
話を聞いていて気がついた。
彼女と会ったあたりって、私への連絡が減り始めた時期だ。
彼女が、現れたからだったのね。
「独りだとたいしたものは食べてないだろうからって、食事を作りに来るようになったんだ…それで」
「それで?」
「その…彼女がいてもいいからって、言われて…」
彼の語尾が、小さくなった。
「ごめん、麻衣子。押しきられたけど、ハッキリ断らなかった俺が悪いんだ。」
そのとき、彼の腕が緩んだから、パッと半身を起こして彼をまっすぐ見た。
「…どうしたいの。私と、別れたいの」
彼も身を起こしてベッドの上に座る。
「…もう、終わらせるから。俺には麻衣子だけだから。許してほしい」
言いながら、ベッドの端に座った私の背中を抱える。
「お願いだ、許してくれよ」
後ろから、必死な彼の声が聞こえる。
こんな場面は初めてだ。
頭の中には色んな言葉が駆け巡って、クラクラしてきた。
…なんで、ハッキリ断らなかったのよ。
私のことを隅においやって、彼女に流されたの?
今までの私との時間は、何だったのよ…
言いたいことは溢れてくるのに、うまく出て来ない。
でも、聞いていたら彼と彼女のこと、私と水沢くんに似てるかもしれない。
水沢くんが彼のいないところで、私に同じ様なことを言ったら。
私、どうしただろう。
大きなため息をついて、彼の手を振りほどいた。
彼はまだ、必死な顔。
「ねえ、私たち、遠距離が長すぎたんだよ」
彼は、黙ったまま。
「あなたの日常にはもう、私はいないし、私の日常にもあなたはいないの。もう、ずいぶん前からそうだったのに、私、目を逸らせてた」
「でも…やっぱり、俺には麻衣子が必要なんだ。」
俯いたままぼそぼそと呟く。
「そんなこと言うなら」
なぜ、と言おうと思ったけど、今さら聞いてもしょうがない。
立ち上がって、俯いてる彼を見下ろした。
「私、帰るね。駅まで送ってくれない?」
「帰るの?俺のこと、は…」
「考えさせて。すぐには言えないから」
身支度をしながら、彼の助手席で揺られながら、夕べも見た山並みを見ながら。
ずっと考えてた。
今朝聞いたことを抱えながら、彼とのことを続けられるのかな。
忘れられるのかな。
きっと、遠距離が続く限り近くにいる彼女のことを、思い出してしまうだろう。
そんな気がしてならなくて。

駅近の駐車場に車が入って、助手席を開けたときだった。
彼のスマホが鳴った。
手にとった彼が
「あ…ミ」
まで口にしたから、たぶん彼女。
ミチコって呼んでるんだ。
私がまだいるはずの時間に、また掛けてくるんだ…
二言三言言葉を交わしただけで、電話を切った彼はバツの悪そうな顔。
そんな顔、見せて欲しくなかった。
「後20分で出る新幹線に乗るから。用事があるならここでいいよ」
「いや、ホームまで行くよ」
無言で二人並んで改札まで歩き、ホームへのエレベーターに乗る。
もう、何も話すことはなかったから。
席を確保してから、ホームで彼と向かいあった。
さっきの電話で、私の気持ちは決まった。
彼に、彼女との関係を終わらせることなんか、出来ないもの。
「送ってくれてありがとう。もう私、来ないから。元気でね」
「えっ…考えるって言ってたよね?」
「もう、考えたよ。あなたは彼女を切れないよ。もういいの」
「いいって言われても…」
「いつもの日常に戻るだけだよ。あなたの近くには彼女がいるでしょ。私の近くにだって」
「…それって、誰のこと?」
「あなたに言う必要はないでしょ。じゃ、もう乗るね」
走って乗り込んで席に着いたら、列車は走り出した。
彼がスマホを握りしめて、呆然と立っているのがチラッと見えた。
きっとこの後、彼女に電話するんだろうな。
悔しい気持ちが無い訳じゃない。
だからさっき、思わせ振りなことを言ってしまったんだ。
私にだって、プライドはあるのよ。
水沢くんとどうこうなってるんじゃないのに、利用してごめん。
…そうだ、一応水沢くんに報告だけしておこう。
水沢くんの後押しがあったから、結果的にスッキリ出来たんだもの。

「終わらせて来た。後悔はしてません。10時発の新幹線で帰ります。色々ありがとう」

送信したら、ため息が出た。
今の私は狡い。
寂しい気持ちを、優しい人に埋めて貰おうと企んでる。
優しい水沢くんの、心配した顔が見えるようだ。
でも、いいんだ。
ずる賢いって言われても。
もっと強かになるって、さっき決めたんだから。
スマホを置いて、瞼を閉じた。
三時間後には私の日常に戻れる。
彼の日常に二度と乱入しない。
彼のことを一度だけ思い浮かべて、目尻の滴を拭った。


それぞれの日常・麻衣子①

2018-06-18 15:01:32 | 書き物


3ヶ月ぶりに訪れた、彼のいる街。
迎えに来てくれた彼の助手席に乗って、アパートに向かった。
彼の様子はいつもと変わらない。
長い付き合いだから、そんなに甘い恋人になったりはしなくて。
でも、よく来たね、と笑顔を向けてくれた。

本当はもう3ヶ月先になるはずだった。
彼もそのつもりでいたはず。
でも、私の我が儘で行きたいってお願いした。
いつもはこんな我が儘は言わない。
遠距離になって5年。
付き合ってからは8年になる。
長い付き合いだからか、燃え上がるみたいに急に会いたくなることなんて、無くなってしまった。
ただ…クリスマスに会った時の、違和感がずっと引っ掛かってた。
こんな違和感を抱えたまま、後3ヶ月待つのは無理だって思ったから。

あの時も、こんな風に彼の車の助手席にいた。
「ちょっと待ってて」って、彼が取引先に寄った時も。
彼が持って出たのは、小ぶりの紙袋。
有名なアクセサリーブランドのロゴが、チラッと見えた。
なかなか戻って来ない彼。
退屈だった私は、振り返って後部座席を見回した。
すると、右側のドアに寄せるようにして、小さな長四角の箱形の包み。
さっき見えたブランドのロゴが、散りばめられてる。
いかにも、見えないように置かれたはずのそれが、少しだけ見えている。
何だろう…さっき持って行ったのと、同じブランド?
好奇心が抑えられなくて、車の中から彼が入って行った建物を見て、出て来ない事を確認。
シートベルトを外してから、そーっと身を乗り出した。
形からして、ペンダント?
動かすと分かってしまうから、顔だけ近づけてじっと見た。
包装紙と言い形と言い、たぶん私へのプレゼント。
そう思えて、頬が緩んだ。
その顔のまま、助手席に座ろうと思った時。
箱に付いた、ピラピラした紙に気づいた。
付箋だ。
何?と覗くと、それには
「シルバー」
とだけ書いてあった。
シルバー?どういうこと?
頭の中に?マークが浮かんだ時、足音が聞こえて来て素早く助手席に戻った。
その後、夕御飯を食べた時に渡されたプレゼント。
予想したとおりの、ペンダント。
シルバーのチェーンに、パールのペンダントトップ。
パールのまわりには、葉を象ったシルバーの細工が施されてる。
可愛らしいデザインに喜んで、頬が緩みっぱなしだった私。
取引先に、彼が同じものを持って行っただなんて、すっかり忘れてた。
違和感を感じ始めたのは、彼に見送られて新幹線に3時間乗った後。
私の日常に戻った時。

冬も押し迫った、年末商戦の真っ只中。
デパート勤めの私は、お客様に依頼された贈答品の箱を、目の前にしていた。
同じ大きさ、同じ包装紙、同じ品物。
ただ、品物の色が片方はピンク、片方はブルーになっているため、包装紙を掛けてしまうと見分けがつかなくなる。
そこで、付箋にピンク、ブルーと書いて、それぞれに貼ることにしたのだ。
これでお客様が手に取る時、すぐに分かる。
しっかり貼って、品物のブランドロゴの入った紙袋に納めて、ふうっと息を吐いた。
その時に覚えた感覚。
どこかで、こんなものを見たような…
そのことを、ずっと考えてた。
でも、年末年始は忙しくて。
余計な事を考えてる時間は無かった。
1月も、10日ぐらい過ぎた頃に休みを貰えて、ようやくじっくり考えることが出来た。

あの贈答品と同じだったとしたら。
私が貰ったのがシルバーなら、取引先にわざわざ休みの日に持って行ったのは…ゴールド。
あのペンダントにゴールドチェーンの物があるってこと、私だって知ってる。
同じ日に、彼女である私にはシルバー、取引先にはゴールドの、同じアクセサリーを持って行った?
なんだかモヤモヤした。
取引先っていって持って行ったけど…女性なんじゃないか。
思い付いたら、それが自然な気がした。
…プレゼントを送る、女性がいる?
一度そう思うと、クリスマス前までの半年くらいの彼のことが、頭に浮かぶ。
仕事が忙しいからと、平日の電話が減ったこと。
週末はメールで済ませることが、多くなったこと。
電話で話しても、すぐ話が終わってしまうこと…
長く付き合っていれば、こうなって行くのかなと、自分をなだめていた。
でも、今回のことがあってから、少しずつ彼を疑う気持ちが、積もり始めたのだ。
私の他に、誰かいるのかも、と。

今、彼の隣に座って景色を眺めてる。
綺麗な山並みを、見てるようで見ていない。
どうしよう。
彼にハッキリ聞いた方がいいの?
でも、ハッキリ聞いたしまうのは、こわい。
彼に聞くことで、もしかしたら別れるってことになるかも…
それとも、あれは気のせいと先送りにして、いつも通りに彼と過ごした方が、いいのかな。
タイヤが砂利を飛ばしながら、アパートの駐車場に入った。
車を降りようとすると、先に降りた彼が慌てた様子で、助手席側に来た。
「麻衣子、ちょっと降りないで待ってて」
「え、なんで」
「取引先の人が来てて…書類受けとるから」
「そうなんだ。分かった」
休みの日に、取引先の人が来る、の?
彼に分からないように、そっとアパートの入り口を窺った。
髪の長い小柄な女性を覆い隠すようにして、彼が話してる。
女性が俯いて、彼が低い声で話してるのは分かる。
よく聞き取れないけれど…

「麻衣子、ごめん。お待たせ」
彼が車に戻って来て、声を掛けて来た。
アパートの入り口に目を向けると、小柄な女性がこちらを向いてペコッとお辞儀をして来た。
その時、夕日に一瞬照らされた彼女の胸元。
ゴールドのチェーンが、キラッと見えた。
…気がしたのだ。
私の思い違いかもしれない。
デザインはハッキリ見えなかったし。
でも、たぶん。
私と彼女は、同じペンダントを付けてるような気がしてならなかった。

先に浴びておいでよと言われて、シャワーを浴びる。
いつもだったら、これからのことを考えて、ドキドキしてるはず。
だって彼に触れるのは半年ぷりなんだから。
でも、今日は…
何も気づかないふりをして、彼に包まれたい。
彼に何か聞くことは、地雷を踏んでしまう気がして。
そんなことになったら、今の二人の関係は全部、吹き飛んでしまう。
彼が浴びている間、ドライヤーの音を響かせながら、考えていた。
でもそれじゃあ、今日なんのために来たの。
この違和感を、もやもやを、どうにかしたかったんじゃないの。
すべて吹き飛ばす危険と、もやもやを抱えたままのキツさを秤にかけた。
先送りしたら事態も好転するんじゃないか。
そんな、後ろ向きな気持ちに傾いた時。
いきなり、テーブルの上の彼のスマホが、ブルブルと震えだした。
長い。
どうやら電話みたいだ。
私が取る訳には行かないけれど、思わず光っている画面を覗いてしまった。
そこには、猫を抱いたさっきの女性の画像。
カタカナで、「ミチコ」と出てる。
ミチコ…さっきの、私と同じペンダントをしてるひと。
呆然と画面を眺めていたら、ガラッとバスルームの戸が開く音がした。
急いで、元の場所に戻り、またドライヤーをONにした。

彼がドライヤーをしまうと、私の方を窺ってる。
何か、不自然だったかな…
ショックな気持ちを、一生懸命隠したつもりなのに。
あんな写真を持ってるなんて。
しかも、私がいるのを知ってて電話してくるなんて。
吹き飛ぶも何も、もう彼の気持ちは私には無いのかも…たぶん、無いんだ。
こんな気持ちで、彼と夜を過ごすなんて無理だ。
無理に決まってる。
胸のなかが黒く重くなって、淀んでしまった。
なのに…そんなところで顔を出す、私の女の部分。
彼に触れたら…抱きしめられたら…もしかして。
無理か、まだ間に合うのか。
2つの気持ちで、揺れていた。

彼が、急に立ち上がってこっちに来る。
ローテーブルを挟んで、ラグの上に横座りしてた私は、無意識に後ずさった。
まだ、今夜どうするか決めかねていたから…
「…麻衣子」
彼の右腕が伸びて、私の肩を掴んだ。
もう、後ろには下がれない。
その一瞬で、私はこのモヤモヤを先送りすると決めた。
少なくとも、明日の朝までは。
まだ…まだ分からない。
彼の気持ちがどこにあるかなんて。
彼に触れたら、彼の熱を感じたら。
私の、勘違いだったって、思えるかもしれない。
確かめた訳じゃ、ないんだもの。

両肩を掴まれて、彼の顔が正面になる。
じっと私の目を見つめる瞳は、いつもと同じ。
でも、
「麻衣子、なんか元気ないんじゃないの?大丈夫?」
こんなこと、言われたこと無かった。
何を心配してるんだろう。
私は、いつもと同じなのに。
そのつもりなのに。
「…そんなことないよ。平気。大丈夫だから」
「…そう。なら、いいけど」
その言葉と一緒に、彼の香りに包まれる。
いつもの香り。
唇が触れると、彼の前髪が顔に掛かる。
いつものみたいに、優しく抱きしめられてるのに。
なんで。
触れあっていても、彼の熱が伝わってこない。
彼の温度を、感じられない…
私の肌を探る手のひらが、首筋に触れる唇が、頬を押し付ける肩が。
彼のものじゃない、ただの物体みたい。
急に動悸が速まって、胸が詰まるような感覚になった。
…ダメだ、気持ち、悪い…
「ちょっと、待って」
私の腰に回りそうだった彼の両腕を掴んで、ぐっと前に押し返した。
「麻衣子?どうした?」
押し返されたままの距離から顔を近づけて、聞いてくる。
その顔は、どうしたんだろうって顔。
彼女は、何なの。
どうして私と同じものをあげたの。
どうして休みの日にまで、ここに来るの。
…全部聞きたかった。
何も知らないような顔をしてる彼に。
でも、今夜はダメだ。
胸がムカムカしだして、吐きそうなくらい。
「気持ち、悪くなっちゃって。ごめん、今夜はこのまま眠りたい。」
「急に、どうしたの?体調悪かった?」
「…ちょっと悪かったかも…ごめん」
「気にしないでいいよ。じゃ、寝よう」
私のTシャツを整えてくれて、いつもの彼の場所に横たわる。