えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

明日、浪漫亭で 3話

2020-07-08 07:58:00 | 書き物
- 3話 -
街中に音楽が流れて、店頭には賑やかな飾り付けが溢れてる。
クリスマスが近づいた12月の土曜日。
巨大なターミナル駅に隣接した大型の書店。
私たちスタッフは、朝から張り切っていた。
店のイベントスペースで、ある俳優さんのサイン会&トークショーがあるのだ。
その俳優さんは、田中陽介さん。
2年ほど前、あるドラマでの役が話題になって、いわゆるブレイクした人。
その人気ぶりで、来月主演ドラマが控えてる。
その田中さんが女性誌で連載してたエッセイが書籍化された。
書店でのサイン会はよくあるけれど、今話題の人気俳優さんともなれば、開店前に並ぶ人数もかなりのもの。
店の前の歩道には長い行列が出来ていた。
係員が付きっきりで行列が乱れないよう、声を掛けている。
私と同期の鈴木都は、田中さんと関係者の方々の誘導と色々お世話をする係。
2人で打ち合わせをしながら、役割分担しなきゃいけないんだけど。
都はつい最近、私が以前いた支店から異動して来た。
まさか、また都と一緒に働くなんて思ってもみなかったのだ。
なぜって…
都は私の元カレとつきあっていて、結婚して辞めるって噂になってたから。
別れて移動したらしい都は、それについては一言も言わない。
三原さんと別れたのは本当みたい。
そんなこと、もう私には関係ないことだけど。



2年前、私は都心ではあるけれど私鉄の沿線の中規模の支店にいた。
24になって、書店勤めも2年目。
先輩の三原さんと付き合い出して半年。
仕事はまだまだ半人前。
けれど、大好きな本に囲まれて仕事も彼といる時間も楽しくて仕方なかった。
仕事帰りに彼と会う時は、いつも繁華街から一歩入ったカフェ、浪漫亭。
彼と付き合ってることは、支店の皆には言ってなかったから、すこし古めかしいこのカフェを使ってた。
まあ、田中さんが常連て言うミーハーな理由はあったんだけど。
いつもカウンターで、コーヒーを飲みながら彼を待った。
美海ばっかり待たせて悪いねって言う彼。
そんな彼にそんなこと気にしないでって言ってた。
だって、待ってる時間も好きだったんだもの。
ある夜。
彼が来て迎えた私がカウンターのスツールから立ち上がった時だった。
階段を登って来た都と目が合ったのは。
他の支店から異動になったばかりの都とは、あまり喋ったことはなかったからよく知らなかった。
でも、彼と私を見る都の目を見たら、なんだか胸をぎゅっと掴まれたみたいになって…
都が奥の席に行ってしまってから、急いで店を出た。
きっと、あれがきっかけだった。
その後、都がいた支店の人に聞いたこと。
気に入った人を都は絶対手に入れるって。
その時はまだ、私は彼を信じてた。
皆が振り返って見るような人。
仕事が出来て女の子から寄って来るような人。
彼がなんで私を好きになってくれたのか分からなかったけど…幸せだった。
彼がくれる眼差しや甘い言葉を信じてた。
たぶん…都が近づくまでは彼の気持ちは私に向いてたのかもしれない。
でも、都が近づいたら簡単に飛んでっちゃった…
あからさまに近づく都を、避けるでもない彼にもやもやして。
挙げ句の果てに、彼のマンションに入ってく都を目撃しちゃうなんて。
私が別れてと言ったら、何も聞かず言い訳もせずに美海が望むならって言った彼。
何か言って欲しかった。
私は言い訳が欲しかったのかもしれない。
胸が苦しくて、押し潰されそうで。
耐えきれなくなって、待ち合わせに使ってた浪漫亭に行った。
彼は来るはずもないのに。
ただ、酔えば楽になるのかって思ったの…

「小川さん」
「あ…はい」
感じのいい笑顔を浮かべて、都が近づいて来る。
異動してきてから、何も無かったかのような私に対する都の態度。
私がいることを知って彼に近づいたのって、どういう気持ちだったの?
聞いたって答えないだろうけど。
「田中さんのご案内、私がしていい?」
「どうぞ。じゃあ、私はその間にお茶を淹れて来ます」
「お願いします」
何だろう…
まさか、今度は芸能人に近づきたいの?
面倒なことはやりたくなさそうだったけど、都ならそのくらいのこと、しそう…
さっさと裏の関係者入り口に向かう都の背中を見つめて、考えた。
いけない。
私はお茶の準備しなきゃ。
田中さんに会うのはあの晩、あのカフェでお礼を言って以来。
あの時はまだ、こんな騒がれてなかった。
だから直接お礼を言えたのだ。
でももう、一般人の私が普通に『会える』人じゃない。
だから、あの時のことを時々思い出しながら、あれからもファンとして応援してる。
でも今日は、言葉を交わすことは出来るかもしれない。
そんなこと、最後だとは思うけど。




控室でお茶のセットを準備して、ポットが音をたてたところでドアが開いた。
「いらっしゃいませ。お疲れさまです」
深くお辞儀をして顔を上げたら、スーツ姿とパーカーにチノパンのカジュアルな姿との、男性が2人、入ってきた。
「お疲れさまです。今日はよろしくお願いします」
2人同時に同じ言葉。
懐かしい田中さんの顔。
「どうぞこちらへ」
会議室を兼ねた控室。
長いテーブルの奥の窓際にパーカーの田中さんが座り、ドア近くにスーツの…たぶんマネージャーさんが座った。
先にスーツ姿の男性の前にお茶を置く。
すると、都がその脇に跪いてイベントの段取りを説明し始めた。
私は窓際まで行ってパーカーの男性の前にお茶を置いた。
田中さん、私のことなんて覚えてないよね…
「失礼します。お茶をどうぞ」
お茶を目の前に置いたら、私を見上げる瞳が見開いた。
「ありがとう。小川…みみさん…だよね?元気そうで良かった」
今度は私がびっくりする番だった。
「あの…覚えていて下さったんですか」
あのカフェで会ってから2年もたつのに…
「よく覚えてるよ、だって俺に向かって倒れて来たんだから。そんなことなかなか無いでしょ」
「あの時は…ありがとうございました」
目を細めて私に笑顔を向けてくれる。
「俺のエッセイ、読んでくれてる?」
「はい、ファンなので。ずっと読んでます」
「小川さん、そろそろ時間よ」
2分も話して無かったと思うけど、そこで時間になったらしい。
都が声を掛けて来た。
「あ、はい。それでは、移動をお願いします」
頷いて彼が立ち上がった。
思っていたより近くに立っていたようで、誘導するように少し前に出ると、何か言いたげに立ち止まったまま。
「田中さん?」
「あのさ、エッセイであのカフェを書いた回ね」
「え?」
「あれ、きみのことなんだ」
そう言うと、私の横をすり抜けてドアへ向かった。
通りしなに一言、
「ずっとまた会いたいって思ってた」と囁いて。

都が誘導して皆控室を出るまで、お茶のセットを洗ってしまい、部屋を出た。
その間ずっと、田中さんに言われたことが頭から離れなくて。
カフェを書いた回は、書籍化にあたって書き下ろされたものだった。
書籍化の告知の時に書き下ろしの章もあると聞いて、すごく楽しみにしてたのだ。
でも、購入したことはしたけれどまだ読めてない…
私は急いでイベントスペースの横にある売り場から、一冊取ってまた無人の控え室に入った。
立ったまま本を開く。
目次を見ると、最後の章のタイトルが『金曜日の彼女』となっていた。

『いきつけのカフェで、金曜になると見かけてた彼女がいた。
彼氏と待ち合わせしてるらしい彼女。
彼氏が来た時の嬉しそうな笑顔。
彼氏がいるのに、その笑顔に惹かれて彼女が気になって…』
金曜にカフェに行くと、彼女を探すようになったこと。
その彼女と1度だけ話す機会があった時、連絡先を聞きだせなかったこと。
また会いたかったのに会えずじまいになってしまったこと…。
いまでも時々思い出す彼女。
たぶん、恋してたんだと思う。
何年か前の話だけどね、と締めくくられてた。
これが、私のことなの?
1度だけ話したって、私がお礼を言いたくて待ってた、あの日の事なんだ。
あの日…
お礼を言いたいからって、いきなり席まで押しかけた私を優しく気づかってくれた。
恋…
田中さんが私を?
頬に手を当てて、はーっとため息をついて椅子に座った。
窓際の、田中さんが座ってた席。
…はじめは素敵な文章を書く人だなって思った。
告知のあったドラマを見たら、動く田中さんをいつの間にか目が追っていた。
友達には地味な人だねっていつも言われたけど…
私は、地味だなんて思ったこと無い。
落ち着いた優しい瞳で、話す声は少し低くて。
その声で喋るセリフがすごく好きだった。聞いていて心地良かったから。
だから、ファンになったんだ。
ファン…
好きと、ファンはどう違うの?
ファンの好きは…男の人を好きなのと違う?
分からない。
首を振って壁の時計を見てハッとした。
そろそろ、トークショーが終わる。
予定ではまたここに戻って来て、それで終了のはず。
コーヒー、淹れないと。

それから5分ほどで控え室のドアが開いた。
「お疲れさまでした。こちらへどうぞ」
都がドアを開け、スーツの人…マネージャーさんに続いて、田中さんも入って来た。
「お疲れさまでした。よろしかったら、コーヒーはいかがですか」
そう声を掛けると、田中さんが準備をしている私に近づいて来た。
「コーヒーをいただいて休憩したいところなんだけど…次の仕事先にすぐ向かわなきゃいけないんだ。申し訳ないけど」
「…そうでしたか。では…」
「駐車場までまたご案内します」
「あ、じゃあお願いします」
マネージャーさんが、都の後ろに続く。
私は見送ろうと田中さんの後ろでドアを押さえた。
「ありがとうございました」
お辞儀をしてドアを閉めた。
はずだったのに、いきなりまたドアが開いた。
びっくりして後ろへ下がると、田中さんが顔を覗かせた。
「ごめん、驚かせて」
「…いえ、あの、どうかされました?忘れ物でも?」
「あぁ、忘れ物と言えば忘れ物かも」
「え?この部屋にですか?」
思わず後ろを振り返って部屋を見渡す。
…何にも、なさそうだけど。
振り返ると右手に小さなメモ紙を持って、田中さんがニコニコしてる。
「これだよ、はい」
「え、あの…?」
私の手を掴んでそれを握らせて、またニコニコと嬉しそうな顔。
…ちょっと、
よりによって、今私の目の前で大好きなそんな顔するなんて。
いけない、頬が緩んでる。
「せっかくまた会えたんだから、チャンスだと思って。時間のある時でいいから、連絡下さい。また会いたい」
ひらひらっと手を振ってから、ドアが閉められた。
何?今何が起こったの?
訳が分からなくて、握らされたメモ紙を見る。
携帯番号と…たぶん、メッセージのID。
田中さんの連絡先だ。
さっきの、エッセイを思い出した。
恋してた、って書いてあったけど…
これはどう受け止めたらいいの。
コーヒーセットを放置したまま、しばらく呆然と立ちつくした。




「で?連絡先渡して来ちゃったんですか?」
「うん。だってこんなチャンス逃したら2度と無いと思って」
「気持ちは分かりますけど…目立たないようにやって下さいよ」
「うん、分かった」
2年前は、まだちょっと幼さが残ってたのに。
何だろう、もちろん俺の好きな可愛さは残ってるけど、大人の女性になってた。
また会いたくて、そのまま帰るなんて出来なかった。
連絡、くれるかな。
して欲しいな…
「ニヤニヤしてないで、これから次のドラマの顔合わせですからね。いつもの田中さんでお願いします」
言葉は丁寧だけど、マネージャーの高橋くんはけっこう口うるさい。
でも、やり手の彼のおかげで助かってるのも事実なのだ。
「んー、分かりました。頑張ります」
日が暮れかかる空を車の窓から眺める。
あの時…2年前のドラマが無かったら、今こうしてることは無かったかもしれない。






























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