えりこのまったり日記

グダグダな日記や、詩的な短文、一次創作の書き物など。

明日、浪漫亭で 2話

2020-07-07 23:12:00 | 書き物
- 2話 -
金曜日の夜22時過ぎ。
俺はいつものように荷物を持って、浪漫亭に向かった。
クリスマスも過ぎたし、もう世間は年末に向かってる。
こんな時間のカフェは空いてるかもしれないな。


お馴染みのカウベルを鳴らし、こげ茶の木の階段を登る。
これまたお馴染みのボックス席に着いて、コンパクトなノートPCを開いた。
このカフェ自慢の濃い香りのストレートコーヒーを注文してから、カタカタと文字を打つ。
客はちらほらいるけれど、低いジャズと客の話す声が聴こえてくるだけ。
キーボードを打つ音がやけに響く。


一区切りついてコーヒーをすすり、PCを閉じようと手を伸ばした時だった。
「あっ」と一声だけ聞こえて思わず上を見上げる。
パッと目に飛び込んで来たのは、小柄な女性が俺のテーブルめがけて倒れて来るところ。
「危ない!」
思わず叫んで立ち上がった。
ギリギリで受け止めて見ると、顔色が真っ白だ。
「大丈夫ですか」
声を掛けると、ぐったりしてる。
両腕を掴んで崩れ落ちそうな体を支えた。「大丈夫…です」
テーブルに手をついて、どうにか自力で立てるみたいだ。
「ごめんなさい…ありがとうございます」
掴んでいた腕から手を離すと、髪を耳に掛けながらふうっと大きく息を吐き、顔をこちらに向けた。
「あ…」
ここ数ヶ月、金曜日になるとこのカフェで見かけてたあの彼女だ。
血の気が引いた顔。
いつものぽってりした唇も、ずっと噛み締めていたのかカサカサと乾いて見えた。
今日は金曜。
彼氏はいったいどうしたんだ。
「すみません、ご迷惑かけて…失礼します」
覚束ない足取りで行こうとするから、思わずまた腕を掴んでしまった。
「いや…ちょっと、良かったらここに少し座って休んだら?まだ顔色悪いし。ふらついてるように見えるよ」
見開いた目の際に、涙が渇いた跡。
何かあったのか…
「…ありがとうございます」
一瞬迷った顔。
よほど体調が悪いのか、へたりこむように俺の前のシートに座って横の壁に寄りかかった。
そのまま浅い呼吸を繰り返しているのを見かねて、
『これ、飲む?口つけてないから…」
目の前に水のグラスを置いた。
ぺこっと頭を下げると慎重に飲んでる彼女。
そうだ…もしかして、飲み過ぎて吐いて来たのかもしれない。
彼女が出て来たのは、トイレの方だったから。
しばらく俯いて深呼吸を繰り返してたけど、10分ほどたったらだいぶ頬に赤みがさして来た。
テーブルを腕で押して立ち上がろうとするから、大丈夫かと心配になる。
「もう動いて大丈夫?」
「はい、あの…もう大丈夫です…ありがとうございました。ご迷惑をおかけしてしまって」
「いや…顔色も戻ったみたいで良かった。気をつけて階段降りてくださいね」
「はい、ありがとうございます…失礼します」
俯いて立ち上がり、また頭を下げてから行ってしまった。
いつものあの男はいないのか。
もしかして、悪酔いでもしたのか…
聞きたい言葉も言えず、いなくなってしまった。




それから俺は、またちょくちょくカフェに行ったけれど、1か月も彼女を見かけなくて。
そうこうしているうちに、2月になってしまった。
4月からの連ドラの撮影の前に、今回は細々とした仕事が入ってる。
このカフェにもなかなか来られなくなるかもしれない。
もう会えないのかと思うと、がっかりしてしまった。
そして、今日もいないんだろうな、と期待しないでカフェに向かった翌週の金曜日。
2階のいつものボックス席に座り、コーヒーを注文する。
PCやらメモやらをテーブルに並べていると、近づいてくる靴音。
コーヒーが来たかな、と思い顔を上げるとそこに彼女が立っていた。
俺はよっぽど驚いた顔をしていたらしい。
「あの!ごめんなさい!どうしてもお礼を言いたくて。お席まで来てしまいました。お仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい」
困り顔の彼女を見て、不謹慎にもこんな顔も可愛いと思ってしまう。
「あ、いや、そんな謝らないで。きみが謝ることじゃないよ。良かったら座ってください」
そう勧めると、胸の前で手のひらをぶんぶんと振る。
「いえ、あの…お仕事中ですし、このままお礼だけ言わせてください。ほんとに、ありがとうございました」
ぺこっとお辞儀をして立ち去ろうとするから、慌てて止めた。
せっかく、話すチャンスなのに…
「ねえ、そんな急ぎの仕事でもないから、気を使わないで。良かったらちょっと話さない?」
そろそろと俺の方に向き直り、それでもいいのかな?って顔してる。
「…いいんですか?私、田中さんのエッセイが好きで…ファンなんです。なのに」
「俺の、ファン?」
思わずポカンとしてしまった。
雑誌宛に手紙を貰ったことはあるけど、面と向かって言われたのは初めてだ。
「とにかく、良かったら…。ファンなんて言われたら余計、話してみたくなったよ」
「あ…ありがとうございます。じゃあ」


目の前に座った彼女はもう顔色も良くて、いつも見かけてた彼女だ。
「あの、本当にありがとうこざいました。お仕事のお邪魔じゃ無かったかって気になってて…」
「そんなこと、気にしないで。もしかして、飲み慣れないお酒でも飲んだの?」
「そうなんです…ちょっと飲みたい気分になって飲んでいたんですけど…気付いたらいつもの倍飲んでしまって。そのくらい大丈夫だと思ってたんですけど」
「そうなんだ。まあ、飲み慣れないと悪酔いしたりするからね。もう、体調はいいの?」
「はい。もう大丈夫です」
飲み慣れない酒か…
もしかして、待ち合わせしてたあの男のせいか?
そう言えば、彼女を見ない間アイツも見なかったな。
俺は『あの男』のせいと決めつけて、早くもアイツ呼ばわりしてしまった。
もしかして、アイツとは別れたんだとしたら。
そしたら…
すぐには無理かもしれないけど、彼女と近づきたい。
彼女のことを知りたい。


「そういえば…俺のエッセイのファンて言ってくれけど、俺の仕事も知ってるの?」
「もちろん、知ってます。告知があったらちゃんとドラマも見てます」
ニッコリと笑顔になった彼女は、ほんのり頬が染まってる。
「あの…私ずっとエッセイを読んでたので、この間田中さんに助けて貰えたなんて、夢みたいなことなんです。それだけじゃなくて、こんな風にお話出来るなんて…」
頬を染めてから、俯き気味に目を伏せた彼女。
どうしよう。
離れて見てた時より、ずっと可愛い。
決して派手な顔立ちじゃない。
鼻筋の通った美人て言うよりくりくりしたタレ目の小動物系。
こうして恥ずかしがったり照れたりする子に、俺は弱いんだ…
それに、ちょっとぽってりした唇がきゅっと上がる笑顔にも。
だから、ずっとカフェで見てきた笑顔が真前で見られて、嬉しい。
はずなんだけど…
なのに…何かが胸につかえてる。
何だろう、この気持ち。
がっかりしてる?
たぶん、『ファン』だって言われたから。
そんなに多くはないだろう、俺の『ファン』だと言ってくれたんだから、もっと喜ばなきゃ。
手を両手で握って、目を見て『ありがとう』くらい言わなきゃ。
それは分かっているんだけど。
俺の中から、それじゃ嫌だって感情がムクムクと湧いて来たんだ。
でも。
こうして話すのは今日が初めてだ。
また、会えたら。
だんだんと、素の俺を知ってくれたら…
あ…それでも今日、名前ぐらいは知りたい。

「あっ、そうだ。もし良かったら。名前、聞いてもいいかな」
「私の…ですか?あの、、小川みみ、です」
「みみさん…どんな字を書くの?」
「美しい海です。名前負けしてますけど…自分では気に入ってるんです」
「いや…名前負けなんて。そんなこと、全然ないよ。素敵な名前だし似合ってる」
緊張するとセリフみたいに滑らかに喋ってしまう。
俺の悪いくせだ。
ちゃんとそう思ってるのに…
言ってしまってから顔が赤くなって焦った。
チラッと彼女を見たら、彼女もまた頬を染めて少し俯いていた。
それがまた可愛くて、俺はもっと彼女のことを知りたくなった。
強引だと思われないよう、仕事のことや趣味やどこに住んでるか…
自分のことも織り交ぜながら聞いた。
だんだんと慣れて来たのか、笑顔を見せながら話してくれる。
それが嬉しくて、いつもはそんなに滑らかじゃない俺の口が、嘘みたいに滑らかになってた。
でも1番に聞きたいのはアイツのこと…
嬉しそうに待ち合わせしてたアイツと、まだつきあってるのか聞きたかったんだ。
でもさすがに、初めてちゃんと喋ったくらいじゃ聞きにくい。
でも、聞きたい…
そんなことを考えていると、彼女がチラッと時計を見て立ち上がった。
「あの、私、そろそろ帰りますね。時間もだいぶ遅いですし」
「あ…もう、そんな時間?」
「はい。今日はありがとうございました。田中さんとこんな風にお話し出来るなんて…本当に嬉しかったです」
「いや、こちらこそ楽しかったよ。あの、、」
また会える?と、口にしようとした時だった。
「私、今日で異動になりまして…」
「異動?」
「はい。本店に行くことになって。今日が支店の最後だったんです」
彼女が勤めているのは、大手の書店チェーン。
このカフェの近くだから来てたらしい。
本店は、だいぶ離れた大きなターミナル駅の近くだ。
「じゃあ、このカフェにももう…」
「遠くなるので来られないんです。せっかく馴染んだのに寂しいですけど」
俺は慌てた。
次会う約束も取り付けてないのに。
いや、それより連絡先も知らない。
どうしようか。
ここで聞いたら教えてくれるのかな…
「最後の日に、憧れの田中さんと会えてお礼を言えて、本当に嬉しかったです。次のドラマも頑張って下さいね。応援してます」
そう言うと、ペコっとお辞儀をする。
彼女に『憧れ』なんて言われてしまった。
そんな俺が、連絡先教えてとか言ったらガッカリされるだろうか。
口から出るのは、「あ…じゃあ、異動先でも仕事頑張ってね」なんて言葉。
はい、と笑顔で背中を向けた彼女に、もう一声かける勇気が出なかった。
彼女の姿が消え、椅子にドカッと座る。
なんてポンコツなんだ、俺…



この後も作業を続ける気になれなくて、カフェを出た。
カフェのある通りから50メートルほど歩くと、結構な繁華街にぶつかる。
そこの歩道で溜まってるグループにふと目をやると、彼女と…美海ちゃんと待ち合わせしてたヤツがいた。
そして、側にはべったりとくっついてるちょっとオトナ顔の女性。
二次会なんて言葉が聞こえるから、たぶん職場の飲み会の流れなんだろう。
今の俺には関係ない世界だ。
駅に向かう為に、すぐ脇を通って道を横断した。
信号を待っていたら、「ねえ、あの人どこかで見たことない?ドラマとか…」と、女性の声で聞こえた。
俺のことか?と思ったけど、振り向いて自意識過剰みたいに思われたくない。
早く信号変われ、と思いながら立ってた。
すると、追いかけるみたいに男の声。
「全然分かんないよ。まあ、テレビに出てる芸能人なんて色々だからな。分かんないってことは売れてないんだろ」
なんだよ。
そんなこと、自分が1番分かってるよ。
青に変わった横断歩道を、ムカムカしながら急ぎ足で渡る。
確かにこれといった代表作なんてないし、事務所の売れっ子のバーターとか、友達とかなんてことない役ばっかりだけどな。
電車に乗って家に着くまで、俺は久しぶりに猛々しい気持ちになってた。
分かったよ、売れりゃいいんだろ?
ちょうど数日後にドラマの撮影が始まる。
同じ事務所の売れっ子が体調を崩して降板して、なぜかその役が俺にまわって来たんだ。
今まで俺には来なかった、出番もセリフも多い役。
こんなチャンスなかなか無いんだ。
逃してたまるか。



あぁ、ほんっとドキドキした。
まさか、雑誌のエッセイでしか知らない人と、顔を合わせて話すなんて。
素敵だったな…
地味って言う人いるけど、そんなことない。
まつ毛が長くて…じっと見られてどうしようかと思った。
支店最後の日の、ステキな思い出になった。
思い出して本店でも頑張らなくちゃ。
もう会うことなんて、無いんだから。















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