今年立ち上げたNPO法人フィール・ザ・ワールドの活動では、これからの日本に生きる人たちに大切にしてほしいことを十分に伝える機会を作っていこうと考えています。英語を教えてきた私が機会を捉えては「日本文化の大切さ」を話させていただいていることに違和感を感じられることが多々あるようですが、英語を教えてきたからこそ気づくことはたくさんあります。
ことばはその人の思考であり、考え方であり、何を伝えるのか、何をわかってほしいのか、というコンテンツなくしては成立しません。自分の考え方や感じ方、知識、技術、思いがまず「存在する」ことが大前提にあります。それを「誰に」伝えるのか、「どう」伝えるのか、という部分で初めて言語力が必要になってきます。
海外に出て生活したことのある人はわかるでしょう。自分が「日本人であること」を一番知らなかったのは「自分自身」であったことを。自分がいかに日本のことを知らないか、ということを痛感させられるのは、自分自身を「外」からの眼差しで見てみる、という経験をしてはじめて理解できるのかもしれません。日本について尋ねられて満足に答えられない時、はじめて自分の無知と不勉強に気づかされます。それと同時に、日本人であることの誇りや歴史に対してあまりにも無関心だった自分を恥ずかしく思うのではないでしょうか。何を伝えたくて英語を学んでいるのでしょうか。ただ表面的なコミュニケーションで満足しているのではないでしょうか。
私の日本人再認識の原点は、在学していたアメリカの大学寮で、ルームメートだった友人が25年前私を頼って日本に来た時の出来事にあります。御多分に漏れず一緒に京都と奈良を旅行し、東大寺の法華堂を訪れた時のことです。彼女が聞くのです。
'What are the differences between these buddas?'
(これらの仏像の違いは何?)
'This is called Nyorai. This is called Amida. This is called Kannon.
How are they different?'
(これは如来というのね。これは阿弥陀。これは観音と呼ばれているんだ。どう違うの?)
'They look different. This looks scary. This one looks angry. Why?’
(これは怖そう。これは怒ってるみたい。どうして?)
この旅の間中、私は彼女の質問攻めに合い、あまりの自分の無知さに落胆しました。暗記の苦手な私にとって日本史は不得意科目でしたし、さほど興味もありませんでした。寺はどの寺も退屈なもので、仏像なんてどれも同じ、神社もどれも同じで、価値も分からず、意味も分からず…。そんな私に彼女の数々の質問は学校のテストより辛いものでした。
私が答えられなければ誰が一体教えてあげられるのだろう。日本人である私たちが伝えられないで誰が伝えられるのだろう。私たちがこの価値あるものを「価値がある」と認識しないで、日本の宝を守れるのだろうか。誇れる日本文化を次世代に伝えて行けられるのだろうか。そんなことを自問自答しながら、その旅を終えました。仏像の存在により私は自分が日本人であり、誇るべき歴史や伝統があることを再認識することができました。まさにアイデンティティの復活でした。
日本人であることを誇りに思って欲しい。日本にある価値あるものや潜在的に価値あることを顕在化させ、認知したい。そして、大切にしていきたい。フィール・ザ・ワールド(世界を感じること)はフィール・ジャパン(日本を感じること)も大切にしていきたいと考えています。
夜長の季節ですね

ことばはその人の思考であり、考え方であり、何を伝えるのか、何をわかってほしいのか、というコンテンツなくしては成立しません。自分の考え方や感じ方、知識、技術、思いがまず「存在する」ことが大前提にあります。それを「誰に」伝えるのか、「どう」伝えるのか、という部分で初めて言語力が必要になってきます。
海外に出て生活したことのある人はわかるでしょう。自分が「日本人であること」を一番知らなかったのは「自分自身」であったことを。自分がいかに日本のことを知らないか、ということを痛感させられるのは、自分自身を「外」からの眼差しで見てみる、という経験をしてはじめて理解できるのかもしれません。日本について尋ねられて満足に答えられない時、はじめて自分の無知と不勉強に気づかされます。それと同時に、日本人であることの誇りや歴史に対してあまりにも無関心だった自分を恥ずかしく思うのではないでしょうか。何を伝えたくて英語を学んでいるのでしょうか。ただ表面的なコミュニケーションで満足しているのではないでしょうか。
私の日本人再認識の原点は、在学していたアメリカの大学寮で、ルームメートだった友人が25年前私を頼って日本に来た時の出来事にあります。御多分に漏れず一緒に京都と奈良を旅行し、東大寺の法華堂を訪れた時のことです。彼女が聞くのです。
'What are the differences between these buddas?'
(これらの仏像の違いは何?)
'This is called Nyorai. This is called Amida. This is called Kannon.
How are they different?'
(これは如来というのね。これは阿弥陀。これは観音と呼ばれているんだ。どう違うの?)
'They look different. This looks scary. This one looks angry. Why?’
(これは怖そう。これは怒ってるみたい。どうして?)
この旅の間中、私は彼女の質問攻めに合い、あまりの自分の無知さに落胆しました。暗記の苦手な私にとって日本史は不得意科目でしたし、さほど興味もありませんでした。寺はどの寺も退屈なもので、仏像なんてどれも同じ、神社もどれも同じで、価値も分からず、意味も分からず…。そんな私に彼女の数々の質問は学校のテストより辛いものでした。
私が答えられなければ誰が一体教えてあげられるのだろう。日本人である私たちが伝えられないで誰が伝えられるのだろう。私たちがこの価値あるものを「価値がある」と認識しないで、日本の宝を守れるのだろうか。誇れる日本文化を次世代に伝えて行けられるのだろうか。そんなことを自問自答しながら、その旅を終えました。仏像の存在により私は自分が日本人であり、誇るべき歴史や伝統があることを再認識することができました。まさにアイデンティティの復活でした。
日本人であることを誇りに思って欲しい。日本にある価値あるものや潜在的に価値あることを顕在化させ、認知したい。そして、大切にしていきたい。フィール・ザ・ワールド(世界を感じること)はフィール・ジャパン(日本を感じること)も大切にしていきたいと考えています。
夜長の季節ですね

