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死のインパール作戦。無駄口と岸田は無能で害がある指揮官という点でそっくりだ。いつか来た道が近い。

2023-08-06 14:40:29 | 社会
■無能な最高指揮官。己の間違いを認めない、指揮官の決めたことには部下・国民は従えという強い独裁性・独善性。

3万人余の将兵の多くを餓死させ、傷病者約4万人を出して失敗した悪名高いインパール作戦。
失敗の原因は明白だ。最高司令官の無駄口が兵站を無視したからだ。無駄口の部下である師団長、参謀長はことごとく無謀な作戦で部下を無駄死にさせるだけだと反対したが、無駄口は耳を貸さない。

一方、国民の大多数が「現行保険証の廃止を撤回しろ!マイナ保険証の強制は止めろ!」と反対しても耳を貸さない岸田。マイナ保険証を持たない人には今の保険証と変わらない「資格確認書」を送るという。まさに「屋上屋を重ねる」という無駄の典型である。資格確認書発送の裏の狙いは現行健康保険証制度を1年後に強制的に廃止することである。現行保険証の発行先が無くなれば、資格確認書使用を5年延長しても諦めてマイナ保険証に切り替えるだろう、という岸田らしい陰険なやり方である。

岸田は
・国賊・安倍の国葬も独断で決行し、財政民主主義(財政や予算は国会の承認が優先)を守らず国費を投入した。

・安倍の失策で始まった「狂った異次元の金融緩和」を放置したまま物価高に苦しむ国民生活に目を向けず、今すぐ必要でない防衛費に莫大な予算投入を決めた。

・再生可能エネルギーの振興をせず、原発再稼働・増設に舵を切った。長年の「使用済み核燃料のトイレ無し」問題、現実に破綻した六ケ所村の再処理問題を放置したまま。
しかも事故を起こした福島第一原発の原子炉圧力容器を支えるペデスタルは放射能と崩壊熱にさらされ続けていてボロボロ。いずれガラガラと倒壊するのは時間の問題。
また山側からの流入する地下水を防ぎ汚染水の発生を凍土壁で減少させていると東電は表向きの発表をしているが、bingで「福島第一原発の凍土壁の現状は?」と訊いてみたら、これも問題だらけで破綻は時間の問題である、という趣旨のAIの答えが返ってきた。読者もご自分で調べてみるといい。防衛費増額や原発再稼働というバカをやっている時間はないのだ。原子力利権に目がくらんだ岸田は亡国の輩である。

・IAEAが推奨も承認もしていない(海洋放出は日本の決断で。つまりIAEAは日本以外の国からの批判をかわす逃げ道を作った報告書を提出)トリチウムを含む汚染水の海洋放出をほぼ永遠に続ける決断をした。
トリチウム除去・採取施設の建設を怠った。トリチウム除去・採取技術は水爆(トリチウムは水爆の原料)を作る国なら昔から存在していたし、日本政府の関係機関も米サバンナリバー・サイト(核施設。トリチウム製造施設)を2013年頃に訪問し資料を収集し知っている。
等など・・

このまま無能で無責任で陰険な最高指揮官が続けば、日本の没落・汚染は明らかだ。

日本軍の戦禍に襲われたアジアの人々は、「日本は反省しない国(特に上級国民)」と思われている。反省しないから何が間違っていたか認識できない。日本の侵略を「欧米の植民地からアジアの国々を解放した」とすり替え、中国・韓国の「徴用工」を「旧朝鮮半島出身労働者」と矮小化し言い換えた。個人の損害賠償請求権は失われていないのは国際司法の常識にも関わらず従軍慰安婦への賠償も問題も解決済みと過去の戦争犯罪に向き合わない。

体裁や外面ばかりを気にする頭の悪い岸田はインパール作戦のことを知らないのだろう。名前や少しの概要は知っていても、最高指揮官としてなぜ無駄口は落第なのか考えも及ばないだろう。一国の宰相としてインパール作戦から学ぶ教訓は何か。安倍、菅に続く最低宰相に、「馬鹿の4乗が招いた死のインパール作戦」を進呈しよう。


■今も昔も無能で無責任なトップが居座る日本。無謀インパール作戦に見る「馬鹿の4乗」

 1944年3月、太平洋戦争史上、最も無謀と呼ばれたインパール作戦が開始された。10万の日本 軍が食料も武器も弾薬も、作戦必要量の1/10ほどしかもたずビルマからインドに進軍した。結局圧倒的な連合軍の前に3万人以上の死者(戦死者のほかに餓死者も多かった)、傷病者約4万人を出して壊滅した。

 この無謀な作戦の発案・推進者が第15軍司令官、牟田口中将。強気の作戦を押し通すことで有名だった。作戦内容を聞いた第15軍内の参謀長、各師団長3人が無謀だと反対した。兵站畑のベテランであった小畑参謀長は現地調査の結果も作戦は無謀で兵士を無駄死にさせるだけだと反対したが、功名心に逸る牟田口中将は消極的な参謀長は不要であるとして更迭してしまった。そのため15軍内で反対する声は消えていった。

(第15軍と上位軍組織。無能と無責任のヒエラルキー。ヒストリーch「ビルマ戦線・死のインパール作戦」から)


 第15軍の上がビルマ方面軍。その上が南方軍、その上が大本営。1943年6月、インパール作戦を評価するため、上級組織の各参謀代表がラングーン(現ミャンマーのヤンゴン)に参集した。各参謀全員が無謀で危険でムチャクチャである、反対だと酷評された。現代でも、ほとんどの憲法学者が違法だ、法案そのものも穴だらけであると強く指摘しても、この案が最高で唯一のものだと耳を貸さず撤回しない人、いつの時代にもバカが湧き出てくる。

 しかし悪化する太平洋の戦況の打開を図りたい東條首相はアジア南方からの打開案に目を向けた。同じ精神力至上主義を好む牟田口のインパール作戦を支持するようになった。陸軍大臣でもあった東條のこの意向は、次第に陸軍内部の空気が兵站上の欠点を無視する方向に作用するようになった。

 1943年8月、大本営はインパール作戦の準備命令を発した。一方、制空権を確保しつつあった英軍はウィンゲート旅団と連携し、空中補給という新兵站作戦を展開しながら日本軍の通信・補給路の寸断を行うゲリラ戦を展開していた。

●トップ間の情実と面子だけで決めた作戦認可。無謀な作戦に駆り出される将兵の命は二の次

 1943年12月、大本営の後押しを受けたことにより、第15軍司令部で無謀なインパール作戦の最終計画案が検討されていた。他の意見に耳を貸さない牟田口中将は自身が発案した作戦の実行計画を前に得意満面でこう言い放った。
「軍職30年、今回ほど必勝の信念が沸き起こる思いがしたことはない。英軍は弱い。必ず退却する。補給について心配することは誤りである」
補給を無視したこの作戦に懸念を示すビルマ方面軍参謀が再考してはと婉曲に問うても牟田口中将は傲慢無礼な口調でこう答えた。
「あなたはあまり実戦経験がないから心配されるが、今回ほど準備を周到にやった戦はかつてないことです。インパールもコヒマも天長節(3週間以内)までにきっと占領してみせます」
これを聞いた上級のビルマ方面軍 河辺司令官は、危険な作戦地へ派遣される将兵より旧知の牟田口の肩を持ち「かねてより牟田口が熱意をもって推進してきた作戦だから是非やらせてやりたい」と承認した。

 更に上級の南方軍 寺内総司令官も「苦戦が続く南方軍の管轄地域でこのような大作戦が成功するなら」と喜んで承認した。兵站を無視した作戦実行性が無いのに、いい加減な指揮官たちである。

 1944年1月4日、インパール計画案が大本営参謀本部(陸軍部)に提出された。しかし少将の真田作戦部長が補給無視のこの危険な作戦案に反対し異議を唱えた。それを見た元帥の杉山参謀総長が真田部長を別室に呼び「寺内さんのたっての頼みだから何とかやらせてやってくれ」と作戦認可を促した。上から下まで無能が揃っていた。

●作戦が開始されると、弾薬、食料がすぐに底をつき、餓死者、マラリア・赤痢が蔓延した

 当時のD(師団)長は天皇から直接「補職」状という辞令を手渡される重職であった。現在の国務大臣、副大臣、高等裁判所長官などの高位官職が天皇から辞令を手渡される認証官と同じ扱いである。なお自衛隊のトップ、統合幕僚長は認証官ではない。旧軍の暴走から得た教訓シビリアン・コントロールのためだ。
命令を受けた3D長とも当作戦に不安を抱えたままで進発しなければならなかった。特に北側の一番険しいルートを進軍してコヒマ攻略を命じられた佐藤D長は、出発前に15軍の兵站幕僚を呼びつけ、必要な補給計画を約束させた。しかしその約束は実行されなかった。

 英軍は1日約300機の輸送機でジープ・バイク・馬まで運び、武器・弾薬・食料を約250t/1日の兵站計画を準備していた。そして英軍第14軍司令官、スリム中将は日本のインパール作戦を察知していて、日本軍をインパール付近まで引き込み補給線が伸びきったところで一気にたたく作戦をたてて待ち構えていた。
 作戦開始から2W間、日本軍の15D、33Dはインパール付近に接近、佐藤D長の31Dはコヒマに到着した。しかし英軍の圧倒的な戦力に押されていた。

 4月に入ると日本軍の損害が増大し進撃は止まった。食料、弾薬も尽きかけていた。無能で戦況を把握せず部下を叱咤するだけの牟田口司令官は各D長に「天長節(4月29日)までにインパールを攻略せよ」と打電した。
4月末、各Dは食料が底をつき飢えが始まっていた。

 5月中旬、参謀総長も兼ねていた東條は天皇に深刻な戦況を報告をしなかった。「インパールの戦況は大きな不安はなく、剛毅不屈、既定の方針で貫徹します」と。
5月末、インパールに雨季が到来。疲弊したD内にマラリヤ、赤痢が蔓延した。食事は1日1人 米数粒だった。牟田口司令官はさらに叱咤する打電を繰り返した「雨季の到来は皇軍に味方するものなり。あくまでも敢闘すべし」。
 佐藤D長は約束どおり補給することを要求したが、牟田口司令官は泣き言だと一蹴した。
佐藤の野郎は、食うものが無い、撃つ弾が無い、これでは戦争が出来ないと泣き言ばかり言ってくる。食わず呑まず、弾が無くても戦うのが皇軍(すめらぎのぐん)である」と佐藤D長を罵倒した。

●佐藤D長、独断撤退を決断

 5月25日 佐藤D長打電。「Dはいまや糧絶え、山砲、および歩兵、重火器弾薬もことごとく消耗するに至たれるをもって、遅くも6月1日にはコヒマを撤退し、補給を受けうる地点(15軍に約束させていた後方補給地点ウクルル)まで移動せんとする」
独断撤退の意思を表明した佐藤D長に対し、牟田口司令官は補給支援を約束するより口先の説得で応じようとした。

 5月31日 牟田口司令官打電。「貴Dが補給の困難を理由にコヒマを放棄せんとするは、了解に苦しむところなり。なお10日間現体制を確保されたし。しからば軍はインパールを攻略し、軍主力をもって貴Dを増援し、今日までの貴Dの戦功に報いる所存なり」
 2万の将兵の命を預る佐藤D長はこの無能な軍司令官の回答に、これ以上の補給支援要請は無意味と判断。

 5月31日 佐藤D長返電。「この重要方面に軍参謀をも派遣しあらざるをもって、補給皆無、傷病者続出の実情を把握しおらざるもののごとし。状況によりてはD長独断処置する場合あるを承知せられたし」

 6月1日、佐藤D長は約束の補給地点ウクルルに撤退。しかし食料の補給はなく、さらに後方のフミネまで撤退した。これによりインパール攻略中の15D、33Dはさらに戦況が悪化した。そして佐藤D長ほか15D長、33D長も作戦途中で解任されるという混乱する状態に陥った。

●牟田口中将の卑怯な保

 6月5日、盧溝橋事件の時、牟田口の直属の上司であったビルマ方面軍 河辺司令官が作戦続行の可否を聞くため牟田口司令官のもとを訪れた。河辺司令官は日記で牟田口が何か言いたい様子だったが敢えて聞かず本人の決心を待ったとある。牟田口の回想録では、作戦続行の可否を聞きに来たのは分かっていた。作戦中止を言いかけたが言えなかった。私の顔色を見て察してもらいたかった、と卑怯ないい訳をしている。さらに戦後、連合軍の尋問調書にこう答えている。
私がインパール作戦が失敗したと分かったのは4月末。でも河辺司令官が早期撤退を渋ったため、私は彼の命令に従うほか無かった」と河辺司令官に責任をなすりつけている。

 7月1日、東條参謀総長はインパール作戦の責任を避けるため、大敗北を矮小化した理由で作戦中止を天皇に奏上した。「局所的には我に利あらざる戦況も発生し作戦を中止します

●無能な指揮官たちが作戦中止をためらった。そのため白骨街道ができた

 食料もなく弾も無くやせ衰えて伝染病に冒されハエがたかる体を引きずって投石で抵抗したり、自爆したりする日本兵を、英国BBCは奇妙な敵として実況(録音)した。
「放送をお聞きの皆さんにはショックでしょうが、この奇妙な敵、日本との戦いでよくある光景をお伝えします。日本兵の自殺です。男が手榴弾で自爆しました。やせていて、ハエがたかりまったくひどい光景です」

(馬鹿な大将、敵より怖いの実例。ヒストリーch「ビルマ戦線・死のインパール作戦」から)



 インパールからビルマまでの山々、谷、そして街道にはおびただしい日本兵の死体が横たわっていた。このため「白骨街道」と呼ばれた。

●陸軍フール・ファイブ。責任をすり替え組織防衛と保身に走った。

・フール1 東條参謀総長:(首相や陸軍大臣などを兼任し、権力を集中させていたため評判が悪かった)
 インパール作戦失敗、サイパン陥落などで倒閣運動が激化。内閣批判を抑えようと必死になり内閣改造(バカの1つ覚え。支持率回復狙い)により打開をはかろうとするが、結局7月18日、総辞職し小磯内閣に政権の座を明け渡した。
・フール2 杉山元帥:小磯内閣で陸軍大臣に就任。
・フール3 寺内元帥:終戦まで南方軍総司令官に留任。
・フール4 河辺中将:大将に昇進し航空総軍司令官の要職に就任。
・フール5 牟田口中将:予備役に退くが1カ月後予科士官学校校長に就任。

独断撤退を決意し、抗命違反でD長を解任をされた佐藤中将は終戦まで陸軍の閑職を転々とした。彼は軍法会議を覚悟してインパール作戦の責任を追及することを訴えたが、責任追及の拡大を恐れた軍は佐藤中将を心神喪失であるとして不起訴にし、軍法会議にはかけなかった。どこまでも責任回避を続ける卑怯者の軍上層部。今も昔も日本のトップの根性の悪さは変わらない。

あれだけの犠牲を出したのに悪党どもは責任を免れた。現在の日本も同じことを繰り返すのか?

佐藤中将は陸軍の無責任、無能体質を皮肉って、次のような言葉を残している。
大本営、総軍(南方軍)、方面軍、第15軍という馬鹿の4乗が、インパールの悲劇を招来したのである

(ヒストリーch「ビルマ戦線・死のインパール作戦」から)