gooブログはじめました!本棚の本 片っ端からもう一度読むのだ

買ってきては読まずの積読者が一念発起!!!
読書感想文的日記を書くことにしよう。

小室直樹を読む 「天皇の原理」を読む

2010-01-25 22:53:38 | 日記
第四章 救われる者と救われざる者

小室は神の救いは一方的であり、救う条件を人間に知らしていない。とここまで述べ、次に
神はなぜ人を救うのかに答えます。

その理由・・・・
 神の栄光と恩恵を賛美させるため
これだけ。

えっ、これだけ。この神様ずいぶん見栄っ張りなかたです。自分の功績を自慢したいために救うなんて。地上の賛美歌合唱だけでは気に入らない。天上においても賛美歌を歌わせる。
のでしょうか・・・・

ところでこの説は、小室の説ではなく「ウェストミンスター信仰告白」から引いてきたものだそうで、この信仰告白は大変権威のあるものだそうです。

この信仰告白の中にもう一つ重要な内容があるそうで、少し長くなりますが、

「神は生命に予定された人々、しかも彼らのみを、みずから定めかつ善しとしたとき・・・・神は彼らの頑固な心を取り去り、柔順な心をあたえ、彼らの意思を新たにして、これを善きことへと定めたまう。」

これぞ「予定説」のエッセンスと小室はいいます。

小室の解説
善きことをするから神が「予定」するのでなく。神が「予定」した人だから、この人は善きことをするのである。

「予定」しなかった人はどうなる。
「神は恩恵を拒み、その頽廃が罪の機会を作るにいたるべき事物に近づけ、サタンの力とに委ね給う」
つまり、悪いことをするから、神はこの人を「予定」しないのではない。
「予定」から外れた人だから、この人は悪いことをするようになる。こうなる。

私達の周りにいる悪人はキリスト教的解釈をすれば「神の救いから外れた者」となります。

そうか一つ合点した・・・・キリスト教信者の金持ちがせっせと慈善事業に精を出すのは自分が「救いに予定」されているから善き事をする、と周りのものにアピールしたいのだ・・・・・そういう心理があるのだな・・・と、これは黒冗談。

話をもどす・・・・

さらに重要なこと
キリストの罪の贖いの意味・・・・キリストの死の贖いは人々の罪を贖うためではあるが
この人々の意味が問題。ここで言う人々は全人類ではない。
「予定」により救われる者達だけのためにキリストは罪を贖った。「予定」されない人の罪は消されない。キリストが地上に派遣された意味は「予定」された者達だけの罪を贖うだけなのだ。

う~ん、わかったような判らないような。そんなイエス・キリスト様をキリスト教徒は信仰できるものなのか。
まったく「予定」説は理解困難。

小室もこのままではまづいと思ったのか、どうか知りませんが

・・・・次の章で「キリストによる恩恵」を語ります・・・・