第三章 将軍は去り、天皇は残った
日本は三国干渉により、遼東半島を返還させられたのみならず、ロシアは朝鮮にまで進出してきた・・・
日本は戦わざるを得ない立場となった。
しかし、当時日本中でこの戦いに勝てると思っているものはいなかった。
元老伊藤博文は金子堅太郎に、ロシアがもし日本に上陸したら、自分は一兵卒となって戦うつもりだと、その決意を語った。
日露開戦の報が伝わると、ある退職官吏は息子達を集めこういった「お父さんはロシアが上陸してきたら真っ先に戦死する。おまえ達に先祖から代々伝わる家法の刀をわたすから、これで身の決着をつけろ」
ところが、いざ日本軍がロシア軍と戦ってみると、信じられないほどの好都合があとからあとからと起きて、日本軍は海陸とも連戦連勝。
負けるはずの戦争に圧勝した。
なんでこうも上手くいくのか。
元寇のときに吹いた神風が思い出された。
「日本は神国だから、神は奇蹟によって日本を助ける」という形で再認識された。
天皇こそ、まぎれもなく天照大神の嫡孫であると、実感できるようになった。
明治の初めには、一部の尊王家だけのものであった、尊王思想はここに至って、全国民にゆきわたった。
ナポレオン帝国が、アルコレ、アウステルリッツ、イェナ、フリートラントなどの戦勝で建てられた如く、大日本帝国は、日清、日露両戦役の大勝から生まれた。
明治維新以来わずか40年のあいだに、日本国民をして、元旦や誕生日にまで「陛下にお礼申し上げろ」といわしめた、日本国における天皇。
それは例えて言えばキリスト教における神のごときものである。
※この命題も小室はよく取り上げます。詳しくは 「天皇」の原理 で語られていますが、ここでも繰り返し語られます。
日本が開国した主な理由は国防的要請であった。
それは、このままでは西欧に負ける。開国して西欧の軍事技術を学び輸入しよう。その結果、充分に国力が整ったらまた鎖国しよう。当時の日本はそのつもりであった。
開国して西欧の技術を輸入しようとしてみたが、そう容易な事ではないことも分かった。
ところが、ここが明治の先覚者達の偉いところ。西欧諸国が強いのは、軍事技術が高いというだけじゃない、かかる高い技術を生み出す「社会組織」にあるのだ、と気付いた。
アメリカインディアンも、銃と馬の扱いは習熟した。しかし、それを製造改良することができる、社会変革はできなかった。
中国、インドも同様である。
その唯一つの例外が日本である。
黒船を造る高い技術水準を支える社会制度がないと、どうしようもないと覚った。
この社会制度のなかで、とくに大切なのが経済制度と政治制度である。
経済制度は近代資本主義でいくことにすんなり決まった。
問題は政治制度である。
あれやこれやと模索し、西欧視察をし、議論した結果「立憲君主制」が日本に一番適しているとされた。
立憲君主制は、憲法政治である。
憲法を定めて、その憲法に基づいて、君主と人民がなかよく政治をしましょう、というのだ。
明治政府は、憲法政治はどうやって作り、これを動かすにはどうすればよいか研究した。
伊藤博文がとくに熱心であった。
伊藤は西欧諸国の憲法を比較検討した。その結果、難問に突き当たった。
憲法政治がまともに動くためには、「機軸」がなければならないのだ。
その「機軸」が日本にはないのだ。
立憲政治は、条文上の「立派な憲法」を作っただけでは作動しないのだ。
第二次大戦後独立したアジア・アフリカの旧植民地諸国は、旧宗主国にならって立派な憲法を作る。これで民主主義国家になれたと思っていたら、いつのまにか国は独裁者の手に・・
たいていこうなっている。
憲法を作動させ、民主主義国家になることは実はなかなか困難なことなのである。
このことに気付いた、明治時代の指導者達は偉大だといわねばならない。
明治の指導者達は、西欧において立憲政治が成功している原因を発見した。
「西欧において立憲政治が成功しているのは、キリスト教という「機軸」があるからだ、と。
では、なぜ近代憲法政治には「キリスト教」という「機軸」が必要なのか・・・・・・
日本は三国干渉により、遼東半島を返還させられたのみならず、ロシアは朝鮮にまで進出してきた・・・
日本は戦わざるを得ない立場となった。
しかし、当時日本中でこの戦いに勝てると思っているものはいなかった。
元老伊藤博文は金子堅太郎に、ロシアがもし日本に上陸したら、自分は一兵卒となって戦うつもりだと、その決意を語った。
日露開戦の報が伝わると、ある退職官吏は息子達を集めこういった「お父さんはロシアが上陸してきたら真っ先に戦死する。おまえ達に先祖から代々伝わる家法の刀をわたすから、これで身の決着をつけろ」
ところが、いざ日本軍がロシア軍と戦ってみると、信じられないほどの好都合があとからあとからと起きて、日本軍は海陸とも連戦連勝。
負けるはずの戦争に圧勝した。
なんでこうも上手くいくのか。
元寇のときに吹いた神風が思い出された。
「日本は神国だから、神は奇蹟によって日本を助ける」という形で再認識された。
天皇こそ、まぎれもなく天照大神の嫡孫であると、実感できるようになった。
明治の初めには、一部の尊王家だけのものであった、尊王思想はここに至って、全国民にゆきわたった。
ナポレオン帝国が、アルコレ、アウステルリッツ、イェナ、フリートラントなどの戦勝で建てられた如く、大日本帝国は、日清、日露両戦役の大勝から生まれた。
明治維新以来わずか40年のあいだに、日本国民をして、元旦や誕生日にまで「陛下にお礼申し上げろ」といわしめた、日本国における天皇。
それは例えて言えばキリスト教における神のごときものである。
※この命題も小室はよく取り上げます。詳しくは 「天皇」の原理 で語られていますが、ここでも繰り返し語られます。
日本が開国した主な理由は国防的要請であった。
それは、このままでは西欧に負ける。開国して西欧の軍事技術を学び輸入しよう。その結果、充分に国力が整ったらまた鎖国しよう。当時の日本はそのつもりであった。
開国して西欧の技術を輸入しようとしてみたが、そう容易な事ではないことも分かった。
ところが、ここが明治の先覚者達の偉いところ。西欧諸国が強いのは、軍事技術が高いというだけじゃない、かかる高い技術を生み出す「社会組織」にあるのだ、と気付いた。
アメリカインディアンも、銃と馬の扱いは習熟した。しかし、それを製造改良することができる、社会変革はできなかった。
中国、インドも同様である。
その唯一つの例外が日本である。
黒船を造る高い技術水準を支える社会制度がないと、どうしようもないと覚った。
この社会制度のなかで、とくに大切なのが経済制度と政治制度である。
経済制度は近代資本主義でいくことにすんなり決まった。
問題は政治制度である。
あれやこれやと模索し、西欧視察をし、議論した結果「立憲君主制」が日本に一番適しているとされた。
立憲君主制は、憲法政治である。
憲法を定めて、その憲法に基づいて、君主と人民がなかよく政治をしましょう、というのだ。
明治政府は、憲法政治はどうやって作り、これを動かすにはどうすればよいか研究した。
伊藤博文がとくに熱心であった。
伊藤は西欧諸国の憲法を比較検討した。その結果、難問に突き当たった。
憲法政治がまともに動くためには、「機軸」がなければならないのだ。
その「機軸」が日本にはないのだ。
立憲政治は、条文上の「立派な憲法」を作っただけでは作動しないのだ。
第二次大戦後独立したアジア・アフリカの旧植民地諸国は、旧宗主国にならって立派な憲法を作る。これで民主主義国家になれたと思っていたら、いつのまにか国は独裁者の手に・・
たいていこうなっている。
憲法を作動させ、民主主義国家になることは実はなかなか困難なことなのである。
このことに気付いた、明治時代の指導者達は偉大だといわねばならない。
明治の指導者達は、西欧において立憲政治が成功している原因を発見した。
「西欧において立憲政治が成功しているのは、キリスト教という「機軸」があるからだ、と。
では、なぜ近代憲法政治には「キリスト教」という「機軸」が必要なのか・・・・・・