第三章 将軍は去り、天皇は残った
立憲政治が成立するためには、機軸が必要である。西欧諸国で立憲政治が成功しているのは、キリスト教という「機軸」があるからである。キリスト教の上に乗って初めて作動できるのである。
では、なぜ近代憲法政治には、キリスト教という機軸が必要なのか。
立憲政治とは、憲法を持って根本規範とする政治のことである。
しかも、憲法は、主権者(国政機関も含まれる)と人民のあいだの統治契約でなければならない。
この契約が根本規範であるためには、それは「絶対」でなければならない。
「契約は絶対である」この考え方は「契約とは、本質的には唯一絶対神との契約である」という考え方がなければ出てきようがない。
そのうえ、人間と人間の間の契約も絶対である、という思考が発生しない事には、憲法は根本規範になりえない。
日本には元来「契約」観念がない。(このことについては川島武宣:日本人の法意識 岩波新書 に詳しい)
それゆえ、「契約は絶対」であるという考え方が生まれてくる余地はない。
中国儒教に「聖人との契約」「天との契約」という考え方があるだろうか。
仏教に「仏との契約」という考え方があるだろうか。
立憲政治の根本規範「憲法」は、主権者と人民とのあいだの契約である。
ゆえに、絶対なるものを設定しない以上、憲法はありえない。
しからば、絶対者を設定すれば憲法はありえるか。
そう容易なものでもない。
イスラム教国において、「アラー」は絶対者である。アラーとの契約こそ社会の根本規範である。
イスラム教社会においては、アラーとの契約は絶対である。それでいて、立憲政治の可能性はない。
その理由は何か。
神と人間との間の絶対契約、いわば「タテの契約」の根本原理が、人間と人間との間の、「ヨコの契約」に延長される事がないからである。
イスラム教社会では、アラーと人間の契約は絶対である。しかしこの絶対性は、人間と人間のあいだの「ヨコの契約」に延長される事がなかった。
立憲政治には機軸になる宗教がいるが、儒教不可、仏教不可、イスラム教不可であり、その宗教は「キリスト教」的なものでなければならない。
しかし、元来日本人にはキリスト教的考え方は向かない。
だが明治政府にとって、「近代化」は緊急この上ない要請である。
では、何がなされるべきか。上からの変革である。
「わが国において機軸とすべきは、独り皇室あるのみ。コレを以ってこの憲法草案においてもっぱら意をこの点に用い、君権を尊重してなるべくコレを束縛せさらんことをツトメリ。
すなわち、この草案においては君権を機軸とし・・・・かの欧州の主権分割の精神に拠らす」 帝国憲法制定会議 :丸山真男 「日本の思想」 岩波新書
キリスト教的機軸が必要不可分と知った明治の指導者達は、「天皇」をもって機軸としようとした。
大日本帝国における天皇制。それは、すぐれて作為の所産であった。
昭和二十年第二次世界大戦終了。
ヒトラーも消え、ムッソリーニも消え去った。
大日本帝国も、アメリカに負け、破壊された。
明治の指導者達が苦心して作り上げた、「機軸」としての天皇制も崩壊するかに見えた。
しかし、天皇は残った。そして新たなる立憲政治の「機軸」となった。
将軍達は去ったが、天皇は残ったのである。
これで第三章 将軍は去り、天皇は残った は終わります。
※なぜ残ったかの理由は前章に書かれているので、そちらをどうぞ。
次は、第四章 日本人は「天皇教」だ を読みます。
「天皇」は宗教である・・・と小室は考えています。この章は「天皇教」教徒達の行動を通して、「天皇」は宗教であることを語っていきます。
立憲政治が成立するためには、機軸が必要である。西欧諸国で立憲政治が成功しているのは、キリスト教という「機軸」があるからである。キリスト教の上に乗って初めて作動できるのである。
では、なぜ近代憲法政治には、キリスト教という機軸が必要なのか。
立憲政治とは、憲法を持って根本規範とする政治のことである。
しかも、憲法は、主権者(国政機関も含まれる)と人民のあいだの統治契約でなければならない。
この契約が根本規範であるためには、それは「絶対」でなければならない。
「契約は絶対である」この考え方は「契約とは、本質的には唯一絶対神との契約である」という考え方がなければ出てきようがない。
そのうえ、人間と人間の間の契約も絶対である、という思考が発生しない事には、憲法は根本規範になりえない。
日本には元来「契約」観念がない。(このことについては川島武宣:日本人の法意識 岩波新書 に詳しい)
それゆえ、「契約は絶対」であるという考え方が生まれてくる余地はない。
中国儒教に「聖人との契約」「天との契約」という考え方があるだろうか。
仏教に「仏との契約」という考え方があるだろうか。
立憲政治の根本規範「憲法」は、主権者と人民とのあいだの契約である。
ゆえに、絶対なるものを設定しない以上、憲法はありえない。
しからば、絶対者を設定すれば憲法はありえるか。
そう容易なものでもない。
イスラム教国において、「アラー」は絶対者である。アラーとの契約こそ社会の根本規範である。
イスラム教社会においては、アラーとの契約は絶対である。それでいて、立憲政治の可能性はない。
その理由は何か。
神と人間との間の絶対契約、いわば「タテの契約」の根本原理が、人間と人間との間の、「ヨコの契約」に延長される事がないからである。
イスラム教社会では、アラーと人間の契約は絶対である。しかしこの絶対性は、人間と人間のあいだの「ヨコの契約」に延長される事がなかった。
立憲政治には機軸になる宗教がいるが、儒教不可、仏教不可、イスラム教不可であり、その宗教は「キリスト教」的なものでなければならない。
しかし、元来日本人にはキリスト教的考え方は向かない。
だが明治政府にとって、「近代化」は緊急この上ない要請である。
では、何がなされるべきか。上からの変革である。
「わが国において機軸とすべきは、独り皇室あるのみ。コレを以ってこの憲法草案においてもっぱら意をこの点に用い、君権を尊重してなるべくコレを束縛せさらんことをツトメリ。
すなわち、この草案においては君権を機軸とし・・・・かの欧州の主権分割の精神に拠らす」 帝国憲法制定会議 :丸山真男 「日本の思想」 岩波新書
キリスト教的機軸が必要不可分と知った明治の指導者達は、「天皇」をもって機軸としようとした。
大日本帝国における天皇制。それは、すぐれて作為の所産であった。
昭和二十年第二次世界大戦終了。
ヒトラーも消え、ムッソリーニも消え去った。
大日本帝国も、アメリカに負け、破壊された。
明治の指導者達が苦心して作り上げた、「機軸」としての天皇制も崩壊するかに見えた。
しかし、天皇は残った。そして新たなる立憲政治の「機軸」となった。
将軍達は去ったが、天皇は残ったのである。
これで第三章 将軍は去り、天皇は残った は終わります。
※なぜ残ったかの理由は前章に書かれているので、そちらをどうぞ。
次は、第四章 日本人は「天皇教」だ を読みます。
「天皇」は宗教である・・・と小室は考えています。この章は「天皇教」教徒達の行動を通して、「天皇」は宗教であることを語っていきます。