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小室直樹を読む  奇蹟の今上天皇 を読む

2010-04-21 14:29:13 | 日記
第一章 なぜ、奇蹟なのか

日本は第二次大戦の戦勝国である、と「小室」分析をしましたが、彼は英仏こそ敗戦国であるといいます。


英国とフランスが1939年昭和14年9月3日ドイツに宣戦布告した。その理由はポーランドにドイツが侵入したからである。
より根本的には、東欧諸国をドイツから守り、デモクラシーを生き延びさせる事であった。

で、この東欧諸国、大戦後どうなった。デモクラシー国家になったか?
ソ連圧制下、呻いているではないか。

さらにおまけがつく。植民地帝国であった英国とフランスは大戦の結果、その植民地をほとんど失った。

おまけは、グリコと違って一つではなかった。
かの国の経済力は日本と桁違いに大きかった。大戦の結果どうなった。
「あとの者さきにならん」贅言を要しまい。

蒋介石はどうなった。

中国に三民主義を成立させる事が彼の政治目的であった。
彼の戦争目的は中国に三民主義を実現させることである。

対日戦争の結果どうなった。日本軍と戦って百戦百敗。国民党の権威は失墜し共産勢力に本国をとられ、台湾に逃げるはめとなった。


最後にアメリカはどうなった。

アメリカの戦争目的は、中国を日本の支配から守り、中国をアメリカの与国にしておくことであった。
アメリカは中国を日本の支配から守ったが、戦後共産化してしまいとんだ思惑はずれであった。

唯一の収穫はアメリカ最大の脅威であった日本をゆるぎなき同盟国にしたことである。
まあ引き分けか。


「本土決戦」はついに行われず、神風も吹かなかったが、神風は戦後まとめてふいた。
真の意味での決戦は、いわゆる戦後に行われた。日本は「神風」に支えられてこの決戦に勝ったのである。


なぜかくも奇蹟が起きたのか。
根本理由は、終戦時における天皇の「聖断」であった。

昭和20年八月。
日本はB29の猛爆にあい息も絶え絶え。そこへ原爆を落とされ、ソ連も参戦。軍部は本土決戦を叫び、国民は一億総玉砕を覚悟。
アメリカは日本屈服まで、数百万人のアメリカ青年の血が必要だと考えていた。

一億玉砕か降伏か
議論は紛糾に紛糾を重ね果てしない。

争点は、降伏したとき国体(天皇が元首として統治権を総攬する、という日本の国柄)は護持できるか出来ないか、であった。

日本降伏によって天皇の地位がどうなるか、まったく予測できない日本首脳はその機能を失い収拾がつかなくなった。

日本政府は統治能力を失った。


ここに天皇の聖断

「国がらをただ守らんといばら道 すすみゆくともいくさとめけり」(今上天皇御製)

天皇は国体護持できようが、できまいがこれ以上国民を殺すべきではないと決断した。

ポツダム宣言は受諾され、戦争はおわった。


そして日本政府と軍部は天皇の意をくみ、整然と降伏。
これは奇蹟である。

政治権力の断末魔において、世界史を見れば判るが、誰もかつての権力者の言う事を聞かなくなる。
不服従、裏切り、反乱・・後から後から起こって混乱に拍車をかける。

イタリア独裁者ムッソリーニはその末期、突然罷免され幽閉。「ファシスト大会」も彼の意のままにならなくなっていた。
ドイツ独裁者ヒットラーもその末期、暗殺計画や暗殺未遂が相次ぎ、軍隊は彼の命令を聞かず勝手に降伏。最後の局面ではナチストップリーダーたるゲーリングやヒムラーまでもそむいた。

ムッソリーニやヒットラーだけではない。政権末期における権力者への反抗は有史以来、古今東西を問わず歴史の鉄則である。

ロマノフ王家の最後の悲惨さは言うに及ばず。
中国の明王朝の皇帝毅宗の場合、明軍主力が清軍に備え山海関方面に行っている隙をついて
暴民李自成が北京に迫った。このとき皇帝は自ら非常鐘をならし抵抗しようとしたが一人も来ない。
毅宗皇帝は泣き、ああ天子の家なんぞに生まれてくるのではなかったと嘆き、皇女を殺して自殺した。政府高官は李自成に土下座して迎え、万歳と歓呼。

こんなもんである。

歴史上の例で鑑みると、今上天皇の「聖断」は奇蹟である。

天皇の権威が最後まで失われず、政府と軍がこれに従う奇蹟。そして、そのことが戦後の経済発展という、もう一つの奇蹟を生み出したのである。

何故にかくのごとき奇蹟が起こりえたか。
その理由を解明し、その過程を論じていく事にしよう。


これで第一章は終了します。
次は
第二章 地方巡幸 天皇人気の証明  を読みます。