第八章 日本皇道の失墜
保元の乱はわずか一日で決着がつき、後白河・関白忠通派の完勝。
敗北した崇徳上皇は仁和寺に幽閉されていた。
小室は「保建大記」をたたき台にして先に進む。
保元の乱後の倫理破壊はさらにすすむ。
敗戦後、
崇徳は幽閉
頼長は流れ矢にあたり死亡
源為義、平忠正は自首してきた
後白河派の戦後処理は厳しいものとなった。
清盛は 「叔父」忠正を死刑にした。
これはライバル源義朝を倫理破産させる陰謀であった。
死刑にするほどの事でもない「叔父」忠正を死刑にする事で、平家のけじめをつける。
すると、ライバル源義朝は 「父」為義 を死刑にせざるを得なくなる。
義朝は天皇に「父」の助命嘆願をした。
天皇は許さなかった。
義朝は郎党鎌田正清に命じ、「父」為義を殺させた。
これにより、義朝は父殺しの倫理破産人となった。
それと同時に父殺しを命じた朝廷もまた倫理破産した。
栗山潜鋒は論じていう
義朝が保元の乱において、父と敵味方に別れ戦ったのは、朝廷のためにしかたないことであった(義朝、勤王の日に当たりて、父に抗せざるを得ず・・)
しかし、戦乱が収まり父が自首してきたときに、父を殺すという道はない。
天皇がどうしても殺せといった時、なぜ勅命に抗し自分も共に死刑にならなかったのか
(禍乱既に平らぎ、其の父、我に帰す。なぜその子従りて之を殺すの道有らんや。君命に方い、与に倶に死刑といえども可なり)
小室はこれを受け
鳥羽上皇が「天倫の序」を蹂躙したことで、根本規範が解体した。
皇位継承を乱した事で、皇位という国の根本が揺らいだ。
その結果あらゆる倫理が融解をはじめた。
その現われが「保元の乱」であり、その戦後処理における人倫破壊である。
義朝の父殺しは、すでに骨がらみになっていた急性アノミー(根本規範の融解)の象徴的現象である。
栗山潜鋒は論じていう
国が滅びようとしている時には、正大はしぼみ、人々は道徳を忘れる。義朝が父をかばいきれなかったのも、この理由による(蓋し、邦まさに廃せんとするや、正気萎惰し、人心道をわする。)
北畠親房もその著書「神皇正統記」で論じて
義朝は、先祖代々朝廷に仕えた武士である。保元の乱の戦功もおおきい。
朝廷がその義朝に父の首を斬らした事は大変な誤りである。
今まで、中国にも日本にもこのような例はなかった。
この誤りにより、天下の名行がやぶれた(規範が解体した)。
保元・平治の乱以来、天下が乱れ内乱が盛んになり、皇位は軽くなった。
いまだ太平の世にかえらないのは、この名行が破れたからである。
・・・と
「天倫の序」の乱れにより国の根本規範が揺らいだ。
その結果人倫が融解を始めた・・・
第八章 日本皇道の失墜 はここで終わります。
次ぎは 第九章 摩訶不思議なるもの を読みます
保元の乱はわずか一日で決着がつき、後白河・関白忠通派の完勝。
敗北した崇徳上皇は仁和寺に幽閉されていた。
小室は「保建大記」をたたき台にして先に進む。
保元の乱後の倫理破壊はさらにすすむ。
敗戦後、
崇徳は幽閉
頼長は流れ矢にあたり死亡
源為義、平忠正は自首してきた
後白河派の戦後処理は厳しいものとなった。
清盛は 「叔父」忠正を死刑にした。
これはライバル源義朝を倫理破産させる陰謀であった。
死刑にするほどの事でもない「叔父」忠正を死刑にする事で、平家のけじめをつける。
すると、ライバル源義朝は 「父」為義 を死刑にせざるを得なくなる。
義朝は天皇に「父」の助命嘆願をした。
天皇は許さなかった。
義朝は郎党鎌田正清に命じ、「父」為義を殺させた。
これにより、義朝は父殺しの倫理破産人となった。
それと同時に父殺しを命じた朝廷もまた倫理破産した。
栗山潜鋒は論じていう
義朝が保元の乱において、父と敵味方に別れ戦ったのは、朝廷のためにしかたないことであった(義朝、勤王の日に当たりて、父に抗せざるを得ず・・)
しかし、戦乱が収まり父が自首してきたときに、父を殺すという道はない。
天皇がどうしても殺せといった時、なぜ勅命に抗し自分も共に死刑にならなかったのか
(禍乱既に平らぎ、其の父、我に帰す。なぜその子従りて之を殺すの道有らんや。君命に方い、与に倶に死刑といえども可なり)
小室はこれを受け
鳥羽上皇が「天倫の序」を蹂躙したことで、根本規範が解体した。
皇位継承を乱した事で、皇位という国の根本が揺らいだ。
その結果あらゆる倫理が融解をはじめた。
その現われが「保元の乱」であり、その戦後処理における人倫破壊である。
義朝の父殺しは、すでに骨がらみになっていた急性アノミー(根本規範の融解)の象徴的現象である。
栗山潜鋒は論じていう
国が滅びようとしている時には、正大はしぼみ、人々は道徳を忘れる。義朝が父をかばいきれなかったのも、この理由による(蓋し、邦まさに廃せんとするや、正気萎惰し、人心道をわする。)
北畠親房もその著書「神皇正統記」で論じて
義朝は、先祖代々朝廷に仕えた武士である。保元の乱の戦功もおおきい。
朝廷がその義朝に父の首を斬らした事は大変な誤りである。
今まで、中国にも日本にもこのような例はなかった。
この誤りにより、天下の名行がやぶれた(規範が解体した)。
保元・平治の乱以来、天下が乱れ内乱が盛んになり、皇位は軽くなった。
いまだ太平の世にかえらないのは、この名行が破れたからである。
・・・と
「天倫の序」の乱れにより国の根本規範が揺らいだ。
その結果人倫が融解を始めた・・・
第八章 日本皇道の失墜 はここで終わります。
次ぎは 第九章 摩訶不思議なるもの を読みます