かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

十一世市川團十郎

2005-02-28 16:01:02 | 伝統芸能
明治42年(1909)1月6日、七代目松本幸四郎の長男として生まれる。本名、堀越治雄。弟に八代目松本幸四郎(後の初代白鸚)と二代目尾上松緑。大正4年(1915)1月、帝国劇場で松本金太郎と名のって初舞台(6歳)。昭和4年(1929)4月、帝国劇場で九代目市川高麗蔵<こまぞう>と改名(21歳)。昭和14年(1939)に市川三升(十代目團十郎)の養子となる。

昭和15年(1940)5月、東京歌舞伎座で「外郎売」で九代目市川海老蔵を襲名(32歳)。昭和16年(1941)太平洋戦争始まる。慰問興行などに従う。

戦後の荒廃した歌舞伎界に、十五代目羽左衛門を偲ばせる美男役者として台頭する。昭和21年(1946)6月、東京劇場で助六を演じ、人気が出る(38歳)。昭和26年(1951)3月、歌舞伎座で舟橋聖一訳の『源氏物語』の光君を演じて大好評を得る。

このころから「海老さま」の愛称で満都の子女を魅惑する。(43歳)。仄聞したところでは、新橋の花柳界では芸妓たちが「海老を食べない」(海老蔵に手を出さないという意味)ことを約束したという話まで残っている。

昭和31年(1956)に養父・市川三升が没し、周囲の十代目襲名の期待が高まったが、大きすぎる名跡を継ぐことに本人の逡巡もあり、なかなか実現には至らなかった(48歳)。

昭和37年(1962)4月、歌舞伎座で十一代目團十郎襲名(54歳)。十代目は、亡き義父に追贈し、九代目が没してから59年間にわたって空白だった市川團十郎が誕生した。

十一代目の魅力は、なんといっても並外れた美男ぶりであったが、風姿がよく、おのずから高い気品が備わっていた。また口跡のすばらしさ、音域の高低も他の追従を許さなかった。また、美男のうちに、どことなく翳のある役者だった。文字通り昭和歌舞伎の華を代表する役者であった。

しかし、「佳人薄命」を地でゆくように、わずか二年半で團十郎時代の幕を引き、昭和40年(1965)11月10日(56歳)で、没した。

芸風は不器用と言われながらも誠実な人格を芸に現し、気骨ある風采、華やかな容姿で一世を風靡した。当り役は、古典では助六、盛綱、富樫、与三郎、五郎蔵、清心など。新作では源氏物語、若き日の信長、魔界の道真、築山殿始末などが挙げられる。

歌舞伎用語あれこれ 2

2005-02-26 12:51:43 | 伝統芸能
差し金(さしがね)
黒塗りの棒の先に小動物などをつけ、後見が動かす時に使う棒をいう。「鏡獅子」「保名」の蝶や「先代萩」の雀、「本朝二十四孝」の兜など。

地絣(じがすり)
舞台の床に敷く布、地面を表す灰色または褐色の布を用いる。

時代物(じだいもの)
描かれている世界の題材や、人物の設定が「江戸時代以前のもの」。題材が鎌倉、室町またはそれ以前のもので、登場人物もその時代の人間。

七三(しちさん)
花道のうち、舞台へ三分、揚幕へ七分の距離の個処をいう。登退場の役者が、ここで見得・思いいれなどの演技を見せる。

しゃぎり(シャギリ)
閉幕をしらせるお囃子。太鼓・大太鼓・能管によって打ち囃される。

定式幕(じょうしきまく)
柿色(渋い赤)、萌黄(緑)、黒の3色縦縞の幕で、歌舞伎劇場の独特のもので、この幕を左(上手)から右(下手)引き開けて舞台が始まる。

実悪(じつあく)
「国崩し」(くにくずし)といわれるように、天下や御家を狙う大悪人。仁木弾正・明智光秀・秋月大膳のような、白塗りに立派な目鼻立ち、堂々たる貫禄をそなえ、悪の元凶にふさわしい風姿・芸格の大きさがもとめられる役どころ。

実事(じつごと)
善悪の葛藤の渦巻く世界で、悪の専横を、正義の方に立って耐え、しかも分別を備え、やがて力強く立ち上がる。「実悪」と対比し、それに上回る芸格を求められる役。その局面から、和実(わじつ)・辛抱立役・捌き役などに分化していく。

十八番(じゅうはちばん)
七世團十郎が天保11年(1840)に先祖の得意とした荒事のうち、十八番を選定し、命名したもの。歌舞伎以外でも、得意にする技芸を「十八番」(おはこ)と呼ぶ。

白浪物(しらなみもの)
白浪とは盗賊の異名で、中国の故事からきている。

所作事(しょさごと)
所作とは、動作、身のこなし、といった意味をもつ。そこから、歌舞伎では舞踊、あるいは舞踊劇を所作事という。また所作事には、必ず所作舞台というものを使う。これは普通の舞台(平舞台)の上全面にひのきの台を並べたもので、そのひのきの台一枚ずつを所作台という。

性根(しょうね)
こころね。役の性根をつかむことが大事。「型」という表面的なことと同時に役の持つこころをつかみとることが求められる。
スッポン(すっぽん)
花道の七三に、役者の出現。引っ込みのための「セリ」の機構が設けられている。登場する役者の姿が鼈(すっぽん)が頭を出すのに似ているため、この名称ができた。「将門」の滝夜叉、「床下」の仁木、「吉野山」の忠信など。妖力をもつ人物の出入りに用いられる。

世話物(せわもの)
描かれている世界の題材や、人物の設定が「江戸時代のもの」で江戸時代の観客には現代劇だった。

千両役者(せんりょうやくしゃ)
江戸時代、一年契約の給金が千両の高額に達した者を千両役者といった。

千穐楽(せんしゅうらく)
興行の最後の日のこと。千秋楽とも書く。略して「楽」、「楽日」(らくび)とも。

そそり(そそり)
語源的には「誘い出す」「浮かれさせる」の意味で、芝居の前夜祭とか「楽日」に、女形が敵役になったり、下回りが主役になったり、「楽屋落ち」を劇中に盛り込むなど、「無礼講」のような滑稽な演出をする。

立役(たちやく)
女形に対する男性に役の総称、また男の役を専門にする俳優の総称。

立女形(たておやま)
一座の中で最高位にある女形をいう。

丹前(たんぜん)
江戸初期、堀丹後守の屋敷の門前の風呂に湯女に伊達男が多数通った。その人目を引く風俗や歩き振りを「丹前風」と呼び、それを舞台の「歩く芸」としてとりいれたもの。花道を登場する際の出端(では)の演技などが丹前である。「鞘当」の不破・名古屋など。

だんまり(だんまり)
暗闇という設定でおお税の人が手探りで、あちこちと動き回る。パントマイム。

宙乗り(ちゅうのり)
役者の身体を宙に吊り上げ、空中を移動させる演出技法。猿之助お得意のスペクタクル。

チョボ(ちょぼ)
でんでん物(義太夫狂言)で、舞台上手に上部にある床で、役者の演技に合わせて描写浄瑠璃を演奏する。床本(浄瑠璃)の、節覚えの墨点(チョボ)からきたのか。竹本とも言われる。

つけ(ツケ)
立ち回りや見得・走る時・物を落した音など演技を際立たせるために、舞台の上手で四角い板に拍子木で打つ打ち音を「ツケ」という。打つ人を「ツケ打ち」、板を「ツケ板」という。

つらね(つらね)
まとまった長ぜりふを言うこと。雄弁と耳心地よく力強く語る。内容はあまり気にせず、音楽のような気分で聞くセリフ。

出語り(でがたり)
歌舞伎や舞踊で、舞台の上手か下手で、浄瑠璃連中が、観客に姿を見せて演奏する。

遠見(とうみ)
背景に使われる書割のうち、とくに遠景を画いたもの。また遠くに登場する人物をあらわすため、その人物と同じ扮装した子役を登場させるのを「遠見の子役」という。

常磐津(ときわず)
江戸浄瑠璃の宮古路文字太夫が、延享年間(18世紀)に創流。語り物を重視しながら、艶やかな趣を特徴とした語りをみせる。

緞帳(どんちょう)
豪華な織りや刺繍で目を楽しませてくれる幕。江戸時代には、大芝居は引き幕だけで、引き幕を使えない小芝居が緞帳を用いたため、「緞帳芝居」と賤しめられた。

とんぼ(とんぼ)
歌舞伎における立ち回りの技の一種。主役から投げられたり、切られた時に宙返りする動作。

長唄(ながうた)
元禄期、小唄を集め、アレンジして「長唄」と称した。歌舞伎とともに発展変化して、所作事の唄物、めりやす、大薩摩、下座音楽など、多彩な三味線音楽となる。

奈落(ならく)
向こう揚幕や花道スッポンを使うとき、楽屋の役者は舞台の下から揚幕へ通じる花道下の通路を使う。この暗がりの部分を「奈落」と呼んだ。仏教用語の「地獄=奈落」をあてたのは歌舞伎人の戯れ心であろうか。

生締(なまじめ)
油で棒状に固めた髷(まげ)で時代物の武士の役に使われる。

肉襦袢(にくじばん)
刺青(いれずみ)の肉襦袢は「弁天小僧」、荒事は「梅王の手足」、力士の綿入れ肉は「め組の相撲」、女性は「一の家の老婆」など、役者が特異な肌をあらわにする特殊演出の時に用いる。「河内屋」という、専門の店で調達する。

仁(にん)
「仁に合った」「仁じゃない」とか、役者が演じる役に合っているか、どうかを言うときに用いる。

人形振り(にんぎょうぶり)
義太夫狂言で、役者がある局面だけを人形浄瑠璃の木偶(でく)を真似て演じる、一種のけれん演技。「櫓のお七」「日高川」「金閣寺」などに見られる。

縫いぐるみ(ぬいぐるみ)
「床下」の鼠、「千里ヶ竹」の虎、「組討ち」の馬など、歌舞伎舞台で活躍する動物は、それぞれの色や模様の布で縫い上げ、下回りの役者が、全身にすっぽり着込んで演じる。演者は首のあたりの紗(しゃ)を張った窓から外を覗き、呼吸をして動きまわる。

暖簾口(のれんぐち)
屋台正面にある入り口に「わらび、流水」などの模様を染め抜いた暖簾(のれん)が下がっている。菅秀才の首を討った源蔵、八重が待ちかねる桜丸などの登場に、押し分けられる暖簾口が、その運命感を実に際立たせているのに気づく。

花道(はなみち)
正面に向かって舞台の左端近くから、舞台と同じ高さで、まっすぐに客席の後へ延びている細い道が花道。幅は五尺(約150cm)。花道は歌舞伎独特のもので、演者と観客との交流を容易にするのが目的。

八文字(はちもんじ)
花魁(おいらん)道中で花魁が茶屋と揚屋(あげや)の間を歩くとき、三枚歯の高い下駄をはいてあるく歩き方で爪先を外にまわすのが外八文字で内にまわすのが内八文字。

花四天(はなよてん)
華やかな所作ダテや、時代物の立ちまわりのとき、その様式にふさわしく、軍兵や捕り手が白地に赤の染め模様、裾の左右が割れた四天を着て、花枝や花槍を持ち、主役にからむ。この扮装、演者を「花四天」という。

引き抜き(ひきぬき)
衣裳を粗縫いした太い糸を抜き、舞台上で瞬時に衣裳を変える方法をいう。特に上部の衣装だけを引き抜いて、まったく変わったように見せるのを「ぶっかえり」という。

雛壇(ひなだん)
舞踊や舞踊劇のとき、音楽演奏者(長唄、文楽連中)が乗る台。緋毛氈(ひもうせん)を敷き、雛人形を飾る段に似ているので、この名がある。

老役(ふけやく)
穏健な性格で、若者たちの破綻(はたん)や焦慮(しょうりょ)を取りまとめていく老人の役。「鮓屋」の弥左衛門、「六段目」のお萱、「新口村」の孫右衛門などで、主役同様、重要な役を演じる。

太棹(ふとざお)
三味線は棹(さお)の太さによって、太・中・細に分けられ、独特の流派を形成する。太棹はもっとも大きく、重い音量を出して語りこむのに適しているので、義太夫節に用いられる。

ぽてちん(ぽてちん)
義太夫三味線の弾法をポテチンと弾き、口説きなどの身振りが最高潮に達した舞台の役者が、それに合わせ、一瞬身体をおこつかせ、美しく極まるという印象的な韻律演技をいう。

仏倒れ(ほとけだおれ)
前へばったりと倒れる荒業。義賢最後の場面が有名。

松羽目(まつばめ)
正面に大きく根付の老松を描いた鏡板のこと。歌舞伎では能や狂言に取材した舞踊劇や「勧進帳」などは背景に松羽目を使うため、松羽目物という。

回り舞台(まわりぶたい)
宝暦8年(1758)並木正三が「独楽廻し」から思いつき、本舞台の上に芯棒つきの丸舞台を二重に載せて、舞台両面に飾った道具転換を、芯棒を廻して見せたのが始まり。

見顕し(みあらわし)
隠していた身分や本性を見せること。

見得(みえ)
美しく見せる為に、俳優の演技がきまった瞬間、固定させる型をいう。映画、テレビのストップモーションに似ている。「絵面の見得」「元禄見得」「石投げの見得」「不動の見得」など多数。荒事で見得をきるとき、役者の目にご注目。一歩の目は上を見、他方の目は下を見るといいう、いわゆる「天地眼」という目をする。相当の訓練が必要。

見立て(みたて)
観客がよく知っている形に見立てる。「曽我の対面」の最後に登場人物が「富士山」の形に見立てて見得をして、おめでたさを演出する。

もどり(もどり)
はじめは極悪人と思われていた者が、いまはの際に、実は善人であったことが解き明かされる。その演出や演技をいう。「鮨屋」の権太、「合邦」の玉手、「寺子屋」の松王など。

紋(もん)
市川家の「三升」(みます)、尾上家の「重ね扇」など、役者の家の紋は、それぞれの芸人としての来歴があり、なくてはならぬものである。

厄払い(やくはらい)
節分の夜、「御厄払いましょう」と、門口を訪れる「門付芸人」(かどつきげいにん)の口立てそのままに、幕末の作者・黙阿弥(もくあみ)は、七五調の台詞を多く用いたが、「三人吉三」の川端の場のお嬢吉三の「月も朧(おぼろ)に白魚の‥」のとき、「御厄払いましょう、厄落とし」の声を入れ、「ほんに、今夜は節分か‥」と受けての台詞は、鸚鵡石にも欠かせない台詞になっている。

櫓(やぐら)
劇場表正面の屋根の上に、劇場の定紋を染抜いた幕を覆ったもので、歌舞伎劇場が興行をおこなうことの象徴。

屋号(やごう)
役者の家にちなんでつけられた号のこと。仁左衛門の松嶋屋、菊五郎の音羽屋、團十郎の成田屋など。

やつし事(やつしごと)
「やつす」とは、もともと「貧しい姿になる」という意味。和事でも、昔は上流の暮らしをしていた者が、卑しく貧しくなっても、なお品位と艶やかさを失わない姿を見せるところが性根とされている。
屋台崩し(やたいくずし)
舞台上に設けられた御殿や屋敷が、天変地異や妖異で、崩壊する舞台装置の仕掛け。『将門』など。

山台(やまだい)
清元や常盤津などの浄瑠璃の演奏者がのる台のことで、以前は山の絵が書かれていたことによりこの名がある。

梨園(りえん)
芝居の世界のこと。中国の唐の玄宗皇帝が、梨を植えた庭園で奏樂者の子弟を養成した故事から、江戸期の漢学者が、歌舞伎の世界を指して表した語。

六法(ろっぽう)
荒事から始まった歩き方。歩行の強さを誇張したもの。六方は、普通の人間の歩き方と異なリ、右足を出す時は右腕を、左足の時は左手をだして、踏ん張って、力強くどしんどしんと歩く。弁慶や鳴神上人が、花道を引っ込む細の「片手六法」、不破伴左の登場の「丹前六法」、千本桜の忠信の「狐六法」などがある。

和事(わごと)
坂田藤十郎が創始した芸で、写実で柔らか味のある演技および様式をいう。上方系の芸、『心中天網島』の治兵衛、『廓文章』の伊左衛門などが有名。文字通り、和らいだ芝居のこと。ある局面の、特定の演技、演出を「事」といい、「荒事」「傾城事」「和事」などという。和事は、やわらかさのなかに、色気、ユーモアを身上(しんじょう)とした役柄である。

渡り台詞(わたりぜりふ)
一つ一つの繋がった台詞を、いくつかに区切って、複数の人が順々に言っていく演出。

割り台詞(わりぜりふ)
二人の人物がそれぞれの台詞を一句ずつ口交互にしゃべる演出。

「歌舞伎の用語帳」を、ひとまず終わるが、まだまだ他にもたくさんの用語がある。機会を見て追加していきたいと思う。

歌舞伎用語あれこれ 1

2005-02-24 11:14:02 | 伝統芸能
歌舞伎は日本の伝統的古典芸能である。だから独特の言葉が少なくない。全部を知らないと歌舞伎が分からないというわけではない。でも、知っているにこしたこともない。

揚幕(あげまく)
能舞台では、鏡の間から橋掛りへの出入りにある。歌舞伎では、花道の奥にある幕や舞台上手のチョボ床(義太夫を語る場所)の下を揚幕と呼ぶ。揚幕にはその劇場の紋が染め抜かれているのが普通。揚幕の開閉は揚幕番と呼ばれる人間がやるが、この幕には鉄の輪で吊り下がっているため、開閉の度に「チャリン」と音が聞こえる。狂言によっては、音をさせないで開閉することもある。

浅黄幕(あさぎまく)
舞台前面に吊らされた薄い水色の幕。定式幕や緞帳の奥に吊って、上部から「振り被せ」(一瞬にしてふりかぶせ場面を隠す)たり、また「振り落とし」(瞬時に落として絵面を強調する)たりする。

荒事(あらごと)
初代市川團十郎(1660~1704)が作り上げた演技様式。顔や手足に紅・黒・青などの隈取りをして血管の浮き出た様を表し、装飾的な鬘(かづら)、厚綿衣装、小道具などを用い、動作、台詞とも非常に誇張された演出をしためっぽう強い武士や怪力乱神が登場し、魔術妖術入り乱れた大立ち回りを繰り広げる。江戸歌舞伎の特徴の一つでもある。

家の芸(いえのげい)
市川家の「歌舞伎十八番」、尾上家の「新古演劇十種」など、代表的な役者の家には、長い家系のなかで、それぞれ得意とする役柄を家の芸と定めている。

色悪(いろあく)
歌舞伎の役柄。敵役の一つ。表面は二枚目であるが、色事を演じながら、実は残酷な悪人で女を裏切る悪人の役。

板付(いたつき)
幕が開いた時、俳優がすでに舞台にいることをいう。板とは舞台の床板のこと。

受(うけ)
たとえば歌舞伎十八番「暫」の舞台正面に公家姿で座り、顔に青い隈をとった悪の張本人。主人公の演技の受け手と言う意味でウケという。


馬の足(うまのあし)
芝居の馬はつくり物の馬体を、前足と後ろ足とに入って担ぐ二人の下回りの役者が勤める。「組討」の、熊谷と敦盛を乗せる二頭の輪乗りは、鎧武者が背中に負った母衣(ほろ)を、舞台を引きずらぬよう飛ばしたり、海を泳いだり、その手際を見せるので、乗り手から「飼馬料」という祝儀がでるという。

絵看板(えかんばん)
その月に上演する狂言の登場人物を配した一場面を描き、劇場の正面に掲げてある看板絵で下から仰ぎ見るに適した独特の画風を鳥居派が完成させ、元禄から現在まで受け継がれている。

海老反り(えびぞり)
海老のように背中を反らせて見せる演技。女形の演技(特に舞踊)には、かなりの重労働である。

大薩摩(おおざつま)
享保期に大薩摩主膳太夫が創始した江戸浄瑠璃。荒事や時代だんまりを演じる前に、山台に並んだり、、あるいは浅黄幕の前で、唄い手は立身、弾き手は合引(木製の台)に片足をかけて三味線を弾く。これを出語りという。

鸚鵡石(おおむせき)
歌舞伎の名台詞を抜粋した冊子。伊勢の一の瀬川にある、鸚鵡石になぞらえて、こう命名されたとか。

大向う(おおむこう)
舞台から見た真正面(大向う)、つまり三階席や立見席の観客をいう。ここから役者に掛け声をかける常連も「大向う」と呼ばれている。

女形(おんながた)
女方とも書き、「おやま」とも読む。男が女を演じる。「おやま」の語源は、お山(遊女)で、初期歌舞伎の傾城買狂言のヒロインの名から出ている。老女役の「老女形」(ふけおやま)、一座最高の地位の女形うぃ「立女形」(たておやま)または「太夫」(たいう)という尊称がつく。

書割(かきわり)
大道具用語で、建物・風景などを描いた背景。

片はずし(かたはずし)
奥女中や武家女房の役に用いる鬘(かつら)。この鬘を使う役をいう。

型(かた)
広義では、演技・演出。ある劇内容の思想、感情、情緒を、独創的な演者が演じた典型的な表現・演技・演出・扮装などが次代に継承されていく。例えば九世團十郎の由良之助の型がある。

紙衣(かみこ)
本来は和紙で作った粗末な着物のこと。歌舞伎では紫か黒地に肩や袖に文字刷りの柄の布を継ぎ合せて、落ちぶれた姿を様式的に美化して用いる。助六が母からいただく紙衣は有名。

生世話(きぜわ)
歌舞伎の演目の一種である世話物の中でも特に写実的要素の濃いものをいう。

極付(きわめつけ)
他に比べるものの無いほど、定評があるという意味。

兼ねる(かねる)
役者の役柄の専門化(例えば、立役・女形・敵役など)は、厳格なものであるが、一方で役者が次第に多くの役柄を「兼ねて」演じることが少なくなくなった。六世菊五郎が、「揚巻」と「梅王丸」と「道玄」とを一興行で演じたことから「兼ねる役者」と評された。

上手・下手(かみて・しもて)
客席から見て、舞台右手を「上手」、左側を「下手」という。

柝(き)
芝居で打つ拍子木。歌舞伎の柝は、役者の到着を知らせる「着到止め」(ちゃくとうどめ)、開幕までの進行、幕の開閉、廻りや振り落としの合図、出語りや独吟のきっかけなど、進行を司る合図として打たれる。材料は樫(かし)、蒲鉾型に削る。約26センチ。

清元(きよもと)
文化11年(1814)、二代富本斎宮太夫が同じ豊後浄瑠璃(ぶんごじょうるり)の富本から分かれて創設。

切狂言(きりきょうげん)
「大喜利」(おおぎり)などともいう。幾つか並べた演目の、最後の幕を指して呼ぶが、初期歌舞伎のころ、本狂言の時代物に、添えものとして世話物を切狂言として附けたことに始まる。

髪梳き(かみすき)
恋しい男の髪を女が櫛(くし)で梳きあげる。歌舞伎のラブシーンの描き方の一つ。

口説(くぜつ)
相愛の男女が、痴話喧嘩(ちわげんか)を繰り広げるという、人情の機微(きび)を見せる一種の濡れ場。

口説き(くどき)
女性が日ごろ胸の奥に秘めていた想いを、夫や恋人に掻き口説く局面で、義太夫でもこの件(くだり)は、豊後や祭文(さいもん)などの他流派の曲調を取り入れ、艶麗な節付けをする。他流に「触る」ことから「さわり」と呼んでいる。また、くどくどと同じような節を繰り返して語る部分を「くどき」という。

隈取り(くまどり)
顔や手足に、紅・藍・黒・茶などの筋を入れる歌舞伎(荒事)独特の化粧法。初世團十郎が創作したもの。赤い隈取りは「正義」、藍色の隈は「邪悪」、茶色は「妖怪変化」などがある。

黒衣(くろご)
全身黒ずくめの衣装で、役者の介添えをする人。頭巾(ずきん)の前垂れは「紗」(しゃ)で、外が透けて見える。ときにはプロンプター(台詞をつける人)を務める。

化粧声(けしょうごえ)
荒事の主人公が、超人的な動きの間、舞台に居並ぶ端役たちが「アーリャーコーリャー」と唱和して、その武勇を囃し、終りに「デッケー」と締めくくる。「対面」「暫」で使われる。

外連(けれん)
意表をつく仕掛けや手法を用いてウケをねらう、見世物的要素の強い演出のこと。早替わりや宙乗り、仕掛物などスペクタクルな大衆的演出である。

後見(こうけん)
芝居や踊りの舞台で、演者のかげにいて演技の介添えする役。舞踊では黒紋付袴で着付後見、歌舞伎十八番などでは裃後見、芝居のなかでは「雪後見」「波後見」などもある。

鸚鵡石 御存知鈴ヶ森

2005-02-17 08:23:38 | 伝統芸能
長兵衛「お若えの、お待ちなせぇやし」

権八「待てとお止めなされしは、拙者のことでござるかな」

長兵衛「さようさ、鎌倉方のお屋敷へ、多く出入りのわしが商売、それをかこつけありようは、遊山半分江ノ島から、片瀬をかけて思わぬひま取り、どうで泊まりは品川と、川端からの戻り駕籠、通りかかった鈴ヶ森、お若えお方の御手のうち、あまり見事と感心いたし、思わず見とれておりやした。お気遣いはござりません。まぁ、お刀をお納めなせぇやし」

権八「こぶしも鈍き生兵法(なまびょうほう)、お恥ずかしゅう存じまする」

長兵衛「お見受け申せば、お若えのにお一人旅でござりまするか。して、どれからどれへお通りでござりまする」

権八「ご親切なるそのお言葉、ご覧の通り拙者めは、勝手存ぜぬ東路(あずまじ)へ、中国筋からはるばると、暮れに及んで磯端(いそばた)に、一人旅とあなどって、無礼過言の雲助ども、きゃつらはまさしく追い落とし、命をとるも殺生と存じたなれどつけ上がり、手向かいいたす不敵な奴、刀の穢れと存ずれど、往来(ゆきき)の者のためにもと、よんどころなく、かくの仕合せ、雉子(きじ)も鳴かずば討たれまいに、益なき殺生いたしてござる」

長兵衛「はて、大丈夫、斬られた奴は六七人、あなた様はただお一人、ご若年の御手のうちには、感心致してござりまする。承れば中国からお下りと申すこと、ご生国はいずれにて、何の御用で江戸表へ」

権八「別して用事もござらねど、まましき母の謗り(そしり)により心に思わぬ不孝の汚名、故郷は即ち因州(いんしゅう)生まれ、父の勘気に力なく、お江戸は繁華と承り、武家奉公をいたさんと、仕官の望みに習わぬ旅、見受けますれば、そこ許には、江戸表のお方と見え、ご親切なるそのお言葉、ご覧の通り知るべきたよりもござらぬ拙者、お言葉に甘えお頼み申す。なにとぞお世話くだされば、忝う存じまする」

長兵衛「お身の上の一通り承りまして、ことによったら引き受けて、お世話いたすまいものでもござりませぬが、往来端に犬の餌食、口外はいたしませぬ。お気遣いなされますな」

権八「さすがは江戸気のお言葉、つまずく石も縁の端、力と頼むそこ許の、ご家名(けみょう)聞かぬその先に、名乗る拙者が姓名は因州の産にして、当時浪人白井権八と申す者」

長兵衛「すりゃ、お若いのには権八さまとな」

権八「して、その許のご家名は」

長兵衛「問われて何の某(なにがし)と名乗るような町人でもござりませぬ。しかし、生まれは東路に、身は住み慣れし隅田川、流れ渡りの気散じ(きさんじ)は、江戸で噂の花川戸、幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべい)という、いやもう、けちな野郎でござります」

権八「すりゃそこ許が中国筋まで噂の長兵衛殿」

長兵衛「いや、その中国筋まで噂の高い正真正銘(しょうしんしょうめい)の長兵衛というのは、わしがためには爺さんに当たり、鼻の高い幡随院長兵衛、またその次は目玉の大きいわしが親父、その長兵衛だと思いなさると当てが違う。いや大違いだ、大違いだ。しかし、親の老舗とお得意さまを後ろ盾にした日には気が強い。弱い者なら避けて通し、強い奴なら向こう面、韋駄天(いだてん)が皮羽織(かわばおり)で鬼鹿毛(おにかげ)に乗って来ようとも、びくともするのじゃぁごぜやせん。及ばずながら侠客(たてし)のはしくれ。阿波座烏(あわざがらす)は浪速潟(なにわがた)、藪鶯(やぶうぐいす)は京育ち、吉原雀(よしわらすずめ)を羽がいにつけ、江戸で男と立てられた、男の中の男一匹、いつでも尋ねてごぜぇやす。陰膳(かぜん)すえて待っておりやす」

権八「ご親切なるそのお言葉、しからばお世話くだされ万事よしなに長兵衛殿」

長兵衛「よろしゅうごぜぇやす。こう請合った上からは親船に乗った気で落ち着いてお出でなせぃやし」 

権八「何から何まで、御礼は言葉に」

長兵衛「なに、ちょっとやそっと、お世話したとて恩に着せるのじゃぁねぇ。そこは江戸っ子だ、さぁお出でなせぇ」

(解説) 
四世南北が書き下ろした「浮世柄比翼稲妻」の一部がこんにち「鈴ヶ森」として残っている。歌舞伎の様式美を見るには格好の芝居である。
長兵衛は江戸っ子の総本山みたいな顔をして、とてもいい気なものですが、役者が照れたりしてはもうおしまいである。初代中村吉右衛門が台詞術が巧みな人だけに、彼の長兵衛にはうっとりさせられた。権八は音羽屋の家の芸である。亡くなった梅幸は近代では文句なしの権八だった。
私としては、今なら十二代目團十郎の長兵衛、菊之助の権八で観てみたい。

歌舞伎十八番の内 暫

2005-02-15 13:53:18 | 伝統芸能
「暫」は、元禄10年、初代市川團十郎が初演。代々の團十郎が作り上げた「荒事」(あらごと)の代表作。むろん歌舞伎十八番の一つ。

舞台は鎌倉の鶴岡八幡宮の社頭である。今日は中納言清原武衡(たけひら)が関白の宣下(せんげ)を受けるおめでたい日。武衡の家来たちが祝儀を述べあっている。舞台中央には衣冠束帯(いかんそくたい)に笏(しゃく)を持つ公卿(くげ)姿の清原武衡(受け)。そこへ加茂次郎義綱、同三郎義郷、義綱の許嫁桂の前が武衡の家来たちに取り囲まれ、引っ立てられてくる。

義綱は額堂へ大福帳の額を奉納したが、後から来た武衡が雷丸(いかづちまる)の太刀を奉納しようとして、大福帳の額をおろしたことから争いとなり、義綱ら柔弱な男女は荒くれ武士に捕らえられてしまったのである。武衡の前で詮議となり、双方が言い争う。武衡は増長し、高位高官の冠装束(かんむり・しょうぞく)を着け、天下をわがものにしようと振舞っていることを義綱らに批難される。

腹を立てた武衡は、桂の前をなびかせ、義綱らを自分の家来になれと迫る。義綱らはこれに従わず、抵抗する。武衡の意をうけた成田五郎ら六人の武士(腹出し)、鯰坊主・鹿縞入道震斉(しんさい)、女鯰・那須九郎照葉(てるは)らも加わり、義綱らの首を打とうとする。六人の武士が一斉に刀を振り上げ、あわや危機一髪のそのとき、「しばらく」という大音声がする。武衡をはじめ、腹出しらは震え上がる。成田五郎は「どうやら聞いた初音の一声、暫くという声を聞き、首筋がぞくぞくいたす。流行り風邪でも引かにゃぁいいが」と。荏原八郎は「かく言う手前もありようは、足の裏がむずむずいたし、気味が悪うござるわえ」と。足柄左衛門は「なんにいたせ我々などは、まだ喰いつけぬことなれば」と。垣生五郎は「さようさよう、みどもなどもその通り、いま暫くとの声を聞き」と。武蔵九郎は「下っ腹がぴんと申した」と、口々に慄く。「いま、暫くと声かえたるは、なに奴だえぇ」との声に、一段と大きい声で「暫、暫、暫‥」との大音声がする。

そして、「かかる処へ鎌倉の権五郎景政(かまくらのごんごろうかげまさ)は‥」の大薩摩(おおざつま)で、揚幕から素袍(すおう)の両方を軽く動かしながら、鎌倉権五郎景政が出てくる。「素袍(すおう)の袖も時を得て、今日ぞ昔へ帰り花、名に大江戸の顔見世月、目覚しかりける次第なり」と唄う。権五郎景政は花道を三歩ほど花道を進んだところで、素袍を前に合わせた形でシュッシュッシュッと三度腰を屈めて観客に一礼し、「めざましかりける」で、大股で二つ、中股で二つ、小股で二つ、都合六歩進んで、「次第なり」で、ツケが入り、元禄見得を切る。一番の見所である。

景政は「淮南子(えなんじ)に曰く(いわく)、水余りあって足らざるときは、天地にとって万物に授け‥」と、難しい漢語交じりの「つらね」を花道七三のところで朗々と言う。

十八歳の景政に言い負かされた武衡は、業(ごう)をにやし、鯰坊主、女鯰らに命じて景政を捕らえ引っ立てようと行かせるが、みなまったく歯が立たず、威勢に恐れて逃げ回る。特に女鯰は後刻味方の冠者と分かるが、この時も花道まで来て「もし、成田屋のエビさま」などと呼びかけて観客を笑わせる一幕もあって、ご愛嬌である。危ういところを助けられた義綱らは喜ぶ。景政は武衡に向かい、大福帳の額をおろして奉納した太刀は重宝雷丸ではなく、実は君子(くんし)を呪詛(じゅそ)する邪剣だと決めつける。

そのとき、武衡の供の一人、渡辺小金丸が、ホンモノの雷丸を手に入れたと持参する。また義綱が父から勘気を受ける原因になった国守の印も、すでに照葉(女鯰)のもとに戻っていたことが知れる。これまで敵方と見えていた照葉は、実は景政の従弟女(いとこ)で、身許を偽って武衡の館に入りこみ、謀叛(むほん)の企て(くわだて)を逐一、景政のもとに知らせていたのである。さらに、武衡方の家来と見えた小金丸も、実は義家の家来で、武衡から雷丸を奪い返したのであることも明らかになる。

二種の重宝が戻り、義綱は無事に帰参(きさん)がかなう。口惜しがる武衡とその家来たちを尻目に、景政は義綱たちを帰らせる。なおも奴や仕丁が取り囲むと、景政は豪快に大太刀で一振りして、彼らの首が斬り落とされる。景政は、その大太刀を担いで意気揚揚と引き揚げていく。片しゃぎり(下座音楽)となり、幕外で大太刀をかつぎ、きっと見得。「さらし」という下座音楽(太鼓・大太鼓・大鼓・小鼓で荒事の立ち回りや幕切れに使う)で「やっとことっちゃうんとこな」を繰り返しながら、「跡しゃぎり」(テンポの早い下座音楽)で揚幕の方へ向かう。実に単純明快と言おうか、観ていて胸のすくような一幕である。

尾上多賀之丞 芸談

2005-02-10 08:36:24 | 伝統芸能
世話物の好きだった六世尾上菊五郎の女房役として五十年、女形一筋に生きた尾上多賀之丞が「江戸世話の女」ー役のこころと題して「芸談」を残している。全部というと長くなるので、途中を端折って再現してみたい。

世話物といっても、いろいろありますがね。まあ大きく分ければ「堀川」の「猿回し」だとか、「六段目」だとかいう義太夫のもの。「弁天小僧」や「河内山」など、黙阿弥物に見られるせりふをうたうようにいうもの。「文七元結」などの生世話物(きぜわもの)、これに俗に書き物(新作)といわれる「暗闇の丑松」だとか「一本刀」とかいうようなものに分けられます。義太夫の入ったものは、いわゆる院本物(まるほんもの)という人形浄瑠璃から出たものが多く、世話物といってもたいへん時代なところもあり、また時代物の一部が世話場であるのも多いので、時代世話と呼んでいます。

大体この「時代」という芝居用語は、世話物に対する時代物ということからで、たいへん大まかでせりふも仕草もオーバー、いまの人が見たら馬鹿馬鹿しくさえ思うほどです。が、それに対しての世話物というとその昔の新作でさあ、大体庶民の生活の世界を主に写している。時代物と比べて、ずっとリアルになりますから、テンポも速いし、内容も写実になっています。

われわれはもちろん、芝居の好きな方には、そのせりふをうたったり、合方(あいかた)がはいったり、それでいてリアルになったりする、その妙味がこたえられぬ魅力なのですがねぇ。時代物が楷書(かいしょ)なら時代世話が行書(ぎょうしょ)、生世話が草書(そうしょ)というところでしょう。
義太夫のはいるものでも、ほんの説明的に筋の進行程度にはいる義太夫を、ト書きチョボといいますが、これは節や文章は大したこともありません。まあ世話物といえば黙阿弥物といわれるように、有名なものや傑作が数々ありますし、また鶴屋南北のものには「四谷怪談」などの傑作もあり、黙阿弥とはまた違った面白さのあるものです。こういう世話物は、世話物といってもほとんど時代物と同じで、きまったせりふ廻しは唄のように節をつけ、仕草も踊りに近く、様式美、つまり型のようなものが出来上がっていて、それをそれぞれ踏襲しているようなものです。

六代目の師匠なんかでもここのところはやかしかったもんですよ。もっとも、これは六代目が九代目(團十郎)の薫陶を受けた人だけに、うるさかったわけでしょう。九代目という方がむかしからの形だけの演技から、肚で芝居するリアルな演技ということに重点をおかれ、歌舞伎に新風を吹き込んだ方ですから。それに加えて昔からの型や様式美を重んじた五代目(菊五郎)のよいところを受け継いだ六代目が、いわゆる菊五郎歌舞伎というものをこしらえられたわけで、鬼に金棒というところでしょう。

いくらその役になりきっても、お客にそう見せる、またお客がそう見えるということが肝心ですから、われわれでも乗ってきて、涙でせりふがつまったりすることもありますが、せりふもいえなくなっなっちゃ困りますし、いくら涙が本当に出てもお客からみてそう見えなきゃ、何にもなりませんものね。もっとも六代目のような名人になると、ちょっと違ってきますがね。それはね、道成寺を踊っていて俺は死にたくなったことが二三度ある、といっていました。どういうことかというと、あまりうまく踊れて無我の境に入ってしまい、ああこんなときにこのまま死ねたらと思ったそうです。これなんか特別の人だからこそでしょうが。

肚ができるということは、何も世話物ばかしじゃあありませんよ。時代物でも所作事(しょさごと)でも肚。性根ができていなきゃあ仕様がありませんや。ことにリアルな世話物では、それが重要になってきます。肚とは何かというと、その役をよく理解すること、その役の者がやりそうなことすべてを、表現できるように研究することです。こりゃぁ女形でも立役でも同じことです。たとえば、その役の者が転んだらどう転ぶか、徳利をふいに倒したら、倒されたらどうするか。脚本にあることはもちろん、それ以外にことが起こったらどうするかを研究しておくことです。そのとき、その役として処理できるかどうかが問題です。

うちの師匠なんかよくやりました。わざとやって見てためしたり、本当に突発的になにかが怒ったとき、今いったように、さっとそれがその役で片付けると、褒めてくれたし、それがよいと思うと、すぐ翌日からそれを用いたりしてね。それが間抜けなことをしたり、あわてたり、地(じ)の役者にかえってしまおうものならたいへん、あいつぁダメだと烙印をおされ、当分首が細くなってしまいます。

お銚子をひっくり返したとする。芝居だからお銚子は空ですが、芝居の状況で酒が熱い時も冷たい時もあるでしょう。また持って来たての時もあれば、空に近いときもありう。すると拭き方も変わってくるし、どうしても直ぐあとで飲まなきゃならない場面だったら、「ああ、よかった。まだありますよ」ってなことを言って振ってみせるとか、間を見てその銚子をもって奥へ入り、入れてきた振りもしなけりゃならないですよね。それをとっさにやらなきゃならない。それをうまく仕出かすには、ホラ、よっぽどその芝居やその役を理解して、肚に収めていなきゃできないことですよ。

ただね、よく掘り下げる掘り下げるといってる人がいるけど、掘り下げ方が違うと、掘り下げた穴に自分が落っこってしまうことになりかねない。按摩の役で杖をころがしたらどうやってとるかとか、下駄がぬげたらどうするとか。着物に酒をこぼされたときだっていい。芸者やいい太夫なら平ちゃら顔で、下っぱならいっしょけんめいに拭かなきゃならないとか。仕出しの仲居や芸者が室へ入る時にでも、ものをまたいで入る奴と、ちょっと片寄せて入る奴とじゃ、すぐ性根が知れるというものですよ。

ところが肚ばかりじゃ芝居はできません。表現力がなくちゃお客様は納得しません。涙が出たで、テレビや映画のアップなら泣いていることは分かるけど、舞台、ことに大きな舞台じゃ何をしてるんだか分かりません。その技術は、いわゆる熟練です。どうすればよいかは先人や先輩や、他人からや自分自身の研究です。

肩をなで肩に見せるとか、内輪に歩くとかは、女形の初歩であって、むしろ演技以前ということでしょうか。こうしたことは子役上がりにはもう出来上がっているべきで、いま肩がはっている力を抜かねばとか、歩き方が男になるなどと思っていては、芝居なんか出来やしません。女の仕事もそうです。かりに雑巾(ぞうきん)をしぼるのも、縫い物をするのも、襷(たすき)をかけるのも、女が、いや、その役がしているのでなくてはならないのですよ。分かりますか?ですからふだんが大切だってことです。

座り方にしても、役によっていろいろあります。若い娘なら足の甲を重ねて座り、少し座高を高くして胸をはる。年寄りならば、お尻を落として背をまるめ腹を折るようにして座る。中年なら足のおや指が重なる程度に据わるとか。

女郎の立て膝も、その身分でいろいろとかわります。品よく色気を出すには、立てた膝を股が開かないように内側へ倒すようにする。座った形が細く粋に見えます。それも、惚れている男が左に座れば右膝を立て、右に居れば左を立てることになりますが、そうすると、これは好きなんだなという気持ちが伝わってきます。

逆にいやな男の時は、客のほうの膝を立てる。つまり壁をつくるようなもんでしょうね。いやな客でも、ウソついている間は反対側を立てて惚れたふりをしている。はっきりそれを表明するときは、その立て膝を取り替える。つまり愛想づかしなどに用いられる手法です。これなんか型というより誰がやってもする決まりのようなものですが、別にこうしなけりゃならないというものでもありません。そう見える心理描写のひとつでしょう。また、そうすることで好きな男へしなだれかかり易いし、お酌もしよいし、自然なんですよ。

立っているときでも、容姿よく見せるのには、片方の膝の裏側へ、後ろに引いた足の膝を入れるようにつけると、腰もすわり、いい線が出ます。こりゃ昔の女の風俗の場合ですよ。洋服でやられちゃナンセンスです。裾を引いた着物だと、うっかり踵(かかと)を上げたりすると、裾を引いた流れの線が、踵の出っ張りできたなくなってしまいます。また、膝をつき上げて、人を止めたり見上げたりするとき、足首を立てないで足の甲を下につけるようにすると、ことに裾を引いているときなど、踵のところがとびださず、きれいな線が出て美しく見えます。こういう神経は、師匠もやかましゅうございました。また、逆に言うことで「盲長屋」のお兼などでは、質屋の外で天水桶によりかかっている間、わざと踵を上げて、下品さ、野暮さを出すようにします。

褄(つま)のとり方なんかでもそうです。これも同じく、それぞれ全部違いますから、もし褄のとり方をアップにして写したら、どういう役か分かるはずです。簪(かんざし)で頭を隠しても、そっと二度ほどゆっくりかけば色っぽいけど、きゅきゅきゅとかけば安女郎みたいになってしまう。指でかけばもっとひどいあばずれってことですね。指で歯にはさまったものをとるにいたっては、その中年から先のろくでなし。大奥の中老をやるかと思えば、こんな役もやらねばなりません。だから年がら年中、目をキョロキョロさせて、モデルを泥棒していなくてはいけないのです。

世話女房は、現代のご婦人とは違い、何から何まで亭主関白に仕えねばなりませんからたいへんです。「魚屋宗五郎」の女房なども、三吉と二人で後見みたいなもので、あのうるさい師匠の宗五郎に三吉の伊三さん(尾上松助)と二人、一月に一貫はやせたものでした。次から次への仕事はともかく、その神経は並大抵じゃありませんでした。

女房ばかりでなく、女形というものは立役の仕よいようにと心がけてやらなければいけません。女形に酒豪が多いのも、舞台のうっせきを家へ帰ってはらそうという気がるのかもしれませんね。そんなわけで、相手が変われば、またこちらも変えなければならない。「六段目」のおかやにしても、何人もの方とお付き合いさえてもらいましたが、六代目をはじめ十五代目羽左衛門さん、十一代目團十郎さん、三代目左団次さん、松緑さん、勘三郎さん、それに七代目菊五郎と勘平さんが変わりましたが、みなさんそれぞれ違います。

しかし、それが全部五代目菊五郎の型から出ているのだから面白いもので、六代目がそれを受け継ぎいろいろと変えられましたが、十五代目さん以外はみなこの六代目の型をやっているのに、これがまたその方々によって違うのです。でもそれが良いのであって、六代目とまったく同じだったら六代目の不味いのが出来るだけでしょう。違うところが歌舞伎の良さであり、芝居の面白さがでるのでしょう。違う人がやるのだから、違うのが当たり前で、同じことをしていたら退歩するだけでサア。それを勘違いしている人もいるようですが、型は同じでも肉体も持ち味も意気も違うところに、歌舞伎の場合は一日替わりなどという呼び物が出来るわけです。

私も今年でかぞえで八十八になりましたから、八十四年舞台に出ているわけですが、だんだん舞台がこわくなってきました。せりふもだんだん覚えられなくなってくるし、体力的にもいうことがきかなくなってくる。そんなせいもあるかも知れませんが、責任感とでもいうのでしょうか、自分に厳しくなるんでしょうかね。みっともないことをしたくないと思うからかも知れませんが、初日なんか非情に不安な気持ちです。

私は、昔は何でもやりました。叔父の工左衛門というのが大阪の役者で、それこそ何でも演るのが主義でしたから、若いうちは、あらゆる役をやりました。師匠のところへお世話になってから、六代目の女房だからということで、以来立役をやらず女形に専念して五十三年経ちました。そしてだいたい世話物を得意として過してきました。が、芝居というものは、底の知れないものですねえ。壁などとよくいいますが、ぶつかるところへ行き着きたいものでよ。

日本舞踊 いろいろ

2005-02-09 12:25:53 | 伝統芸能
歌舞伎の狂言に欠かすことのできないのは舞踊である。数ある舞踊のなかから、私の好みのものをいくつか挙げたい。

お祭(おまつり)         清元
江戸っ子が徳川様の前でも大威張りで騒げることができる「天下祭」は、二つある。その一つは神田明神の「神田祭り」であり、今一つは山王様の「山王祭り」であるといわれている。この「天下祭」は隔年交替で行われた。神田祭のほうは「〆能色相図」(しめろやれいろのかけごえ)であり、今一つは、この「お祭」である。「お祭」は、金棒引(かなぼうびき)の鳶頭(とびかしら)で、すこぶる威勢がいい。「じたい去年の山帰り‥」のくどきが眼目だが、一人踊りではあるが、江戸の平和な祭礼気分、女房を質に入れても晴れ着を買うというような頃の雰囲気を醸し出されている。

傀儡師(かいらいし)     清元
傀儡師とは、平安時代から各地にいた一種のジプシーだったが、これが首へ箱をかけ、中から人形を出して躍らせ、銭を乞うようになったのは、室町から徳川初期といわれている。獅子地に人形模様の着付・袖なしを着て、浅黄の頭巾、首から人形箱をかけたのが傀儡師のユニフォームだ。傀儡師には付物の「小倉の野辺」や「三人持ちし子宝」が終わり、自分でその人形になって、お七吉三のくどき、弁長のチョボクレを見せ、最後に知盛の幽霊になって、「どうだ、義公」とくだけるあたりが頽廃気分である。七世坂東三津五郎(当代の曾祖父)のが実に軽妙洒脱でよかった。

かっぽれ       常磐津
つい最近にも上演された「かっぽれ」は、住吉踊りから変化した江戸の街頭芸能ともいえる踊りで、古くは幇間(たいこもち)などが得意とした座興でもある。明治19年ごろ、かの黙阿弥の原作とされているが、こんにちでは役者のお遊び風になっている。出演者全員が願人坊主になり、浴衣がけでおもしろおかしく踊る。

黒塚(くろづか)   長唄・筝曲
二世市川猿之助(猿翁)の十八番。謡曲「安達原」に拠った能取りものである。阿闍梨(あじゃり)祐慶と従僧が奥州安達ヶ原の一軒の家に宿を求める。あばら家に住む老女は、薪を取りにゆくが、留守のうちに一間を見るべからずと言い残す。しかし、二人は好奇心から一間を覗くと、中は屍骸の山。老女は実は鬼女だったが、昔の罪を悔い、今夜こそは祐慶上人の法力によって仏果を得られると、芒ヶ原(すすきがはら)で月に浮かれて無心に舞う。そこへ強力(ごうりき)が現れので、鬼女は約束が破られたことを知り、怒って元の鬼女の姿と変じて打ちかかるが、念力によって消えうせる。現猿之助も得意の一つにしている。

高坏(たかつき)       長唄
狂言仕立の所作事。花見に来た大名が、盃をのせる高坏を忘れたことに気づき、太郎冠者(たろうかじゃ)に求めにやらせる。太郎冠者は、高坏を知らないために、来かかった足袋売りの呼び声が似ていたことから、高足の下駄を押し売りされ、挙句は二人で酒宴が始まる。太郎冠者が酔いつぶれているところへ、大名と次郎冠者が探しに来る。太郎冠者は酔いにまぎれて高下駄を履いて、タップダンスを踊るのが見せ場。中村勘九郎が得意にしている。お父さん譲りである。

乗合船(のりあいぶね)   常磐津
初春の隅田川に、渡し舟へ乗り合わせた万歳と才蔵、通人と大工、巫女と白酒売りがそれぞれが踊る。いかにも江戸の昔をしのばせる特異な踊りである。眼目は万歳と才蔵の柱建てであるが、通人の性格、大工のイナセなところなど、江戸の空気を感じさせる踊りである。役者の都合で人物を増減は自在であるが、元々は「七福神」に見立てて、七人である。理屈なく楽しめる踊りである。

羽根の禿(はねのかむろ)     長唄
禿(かむろ)とは、遊女の小間使いをする少女のこと。この踊りは初春の吉原(妓楼)、籬(まがき)の前で禿が羽根をつく姿をうつしたもの。短い平易な曲なので、子どもの踊りの手ほどきに、よく使われる。短いので、たいてい何か入れごとをするが、要するに「かわいらしさ」が身上である。踊りの神様とまでいわれた六世尾上菊五郎が手を加え、こんにちの舞踊とした。

藤娘(ふじむすめ)     長唄
大津絵の藤の枝をかたげた美しい娘の姿を舞踊化した変化物の一つである。こんにちでは、六世菊五郎が考案したといわれる「松の大木と藤の大房」という背景が定着している。形がいい、踊りがやさしいときているので、「おさらい」では入門したての子どもがよく出す踊りである。眼目は「男心の憎いのは」というくどきと、踊り地の「松を植えよなら」である。幕開きを真っ暗にして、パッと照明をするところなど、憎いほどの演出である。

「茨木」(いばらき)        長唄
五世尾上菊五郎が設定した「新古演劇十種」の一である。すなわち、音羽屋の家の芸の一である。
茨木童子が叔母に化けて、渡辺綱に斬られた片腕を取り返す物語を能写しの松羽目物(まつばめもの)仕立ての所作事(しょさごと)である。老女に化けた茨木は、渡辺綱ならずとも門を開けざるをえないほどの哀れさがいる。そして、曲舞は片腕だけで踊るところが見所である。そして、櫃(ひつ)の中を覗き込み、自分の片腕を取る瞬間の凄味は、この踊りのクライマックスである。
そして、後ジテになってからの所作は、老婆の哀れさと違い、勇猛であり、幕外の「雲に乗る」引っ込みは、鬼気迫るものがある。

「落人」(おちゅうど)     清元
本題は「道行旅路花聟」(みちゆきたびじのはなむこ)である。仮名手本忠臣蔵四段目と五段目の間に演じられる舞踊である。

判官が刃傷に及んだ時、早野勘平は主君塩冶判官のお供で登城しておきながらお家の一大事に居合わせなかった。顔世御前の文使いで登城した腰元のお軽と恋仲の勘平は密かに逢瀬を楽しんでいたのである。その責任を感じ切腹しようとする勘平をお軽は必死に止めて、お軽の郷里へ二人で落ちのびて折りをみて大星へ詫びをいれたらと勧める。そして二人はお軽の郷里の摂津の山崎を目指して旅の人となっている。そこに師直家来の鷺坂伴内が追ってくる。本来は三段目の裏なのであるが,四段目の後に上演される事が多い。俗に落人と呼ばれる。曲も振りも傑出しているため、単独で上演されることも多い。哀切なお軽のクドキ、伴内相手の勘平の所作ダテなど美しく堪能できる舞踊。

「鏡獅子」(かがみじし)      長唄
本題は「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)。劇聖・九代目市川團十郎が、福地桜痴に「枕獅子」を改訂させ、卑賤な廓情緒を嫌って、千代田城大奥に場面を借りたという歌舞伎舞踊の大曲である。新歌舞伎十八番の一つである。

大奥で鏡開きの余興に女小姓の舞をという趣向である。舞台上手(かみて)に八足(はっそく)机に真菰(まごも)を敷き、雌雄の獅子頭を飾り、鏡餅を供える。老けたお広敷用人の裃(かみしも)の武士と老若の御殿女中のやりとりがあり、白髪片はずしの鬢に赤地の着付けの老女と水色の着付けの中ろうに手を取られた小姓・弥生が、上手の襖(ふすま)より連れ出され、いったん逃げて入るのを、再び押し出され、独り残される。

弥生は紫地御殿模様の振袖に、矢の字結びの赤地錦の帯。鬢は文金高島田。「しのぶたよりも長廊下」で、正面でお辞儀をする。本調子の「川崎音頭」になり、「道理御殿の勤めじゃと」で、袱紗(ふくさ)さばきを見せ、三下りの「春は花見に」になって、塗骨の扇子をつかった振り、「朧月夜や時鳥」で、目で時鳥の声を追う。「時しも今は牡丹の花の」は、牡丹の花を見る眼の高さが難しいといわれる。

合方になうと、上手に飾ってある獅子頭ととる。後見(こうけん)が二本の差し金(さしがね)を使って、左右の蝶に獅子頭が気をとられる。獅子頭が蝶に狂っているのに驚き、袂(たもと)で獅子頭を押える。獅子頭に引かれて弥生は花道へ行き、転ぶ。獅子頭が、弥生の体より先に首をあげ、起き上がり、獅子頭に引かれて揚幕に入る。弥生の体と獅子頭とが反対に動くという難しさが見所である。

二人の胡蝶(こちょう)の踊りとなる。正面の出囃子の雛壇が左右に割れて、二畳台が出て、二人の胡蝶が、鼓唄(つづみうた)、鞨鼓(かっこ)の踊り、鈴太鼓(すずたいこ)の踊りとなる。

後見が二畳台に紅白の牡丹の作り枝を挿す。「それ清涼山(せいりょうざん)の石橋(しゃっきょう)は」と、大薩摩(おおさつま)があり、獅子の出となる。花道を一度出て、七三で毛を振り、後ろ向きのまま、揚幕へ入る。「打ち出し」の囃子で、二度目の出となる。
本舞台の二畳台にあがり、高く飛びあがり、右足を出して、腰を落とし、眠りにつく。左右の襖から胡蝶が出て、獅子を起こし、獅子とからんで踊る。

「獅子は勇んで」で、首を左右に振り分けながら、片膝をつき、片足で拍子をとって前へ進む。二畳台にあがり、牡丹に戯れ、花道へ行って手を振る。「髪洗い」の形に振って舞台へ戻り、胡蝶を追う。二畳台にあがり、「巴」「菖蒲打ち」に毛を振り、「獅子の座にこそ、なおりけれ」で、胡蝶は下手(しもて)で両袖を振り、獅子は激しい毛振りの後、息が上がるのが普通だが、決まりの姿は、右足をあげたまま、幕となる。 

盲長屋梅加賀鳶

2005-02-06 14:11:48 | 伝統芸能
「盲長屋梅加賀鳶」(めくらながやうめのかがとび)を取り上げたい。差別語ということで「盲」の字を使うのかどうかと案じていたが、取り越し苦労であった。しかし、トラブルをさけてか、この演目を、単に「加賀鳶」とよぶ場合が少なくない。

黙阿弥の七五調の台詞が世話物に味を添えている。たいてい四幕六場にまとめられているが、原作には、序幕「湯島天神茶屋の場」「お茶ノ水土手際の場」があり、第二幕目「本郷通町木戸勢揃の場」「天神町梅吉内の場」。三幕目「菊坂盲長屋の場」「竹町質屋伊勢屋の場」。四幕目「小日向町関口宅の場」「梅吉内の場」「西念寺墓場外の場」「松蔵内の場」。大詰「菊坂盲長屋の場」「道玄内の場」「加賀候表門の場」「本材木町番屋の場」となっている。

初代尾上松緑は梅吉と道玄という正反対のキャラクターを一人で演るというのが、見所の一つであった。日蔭町の松蔵は十一世團十郎、女按摩・お兼を多賀之丞が絶品だった。

「お茶の水土手際の場」寂しい夜、一人の百姓が疝気(せんき)がつのり往来端にうずくまる。そこへ按摩笛が聞こえ、上手から黒の山岡頭巾、松坂木綿の着付、素足に吉原下駄という拵えの按摩道玄が出てくる。百姓に躓いた道玄は苦しむ百姓を介抱するうち、その手が懐中の財布にふれる。「旦那、そりゃあ金でございまっすねえ‥ナニ、ご心配なさいますな。私は正直按摩といわれるくらいで、大丈夫でございますよ」と道玄。そして、さらに宿先で鍼を打ってあげましょうと、連れ立って行こうとして、石に躓いて生爪をはがす。「盲はこれがかなしい」と、足をおさえて蹲る。百姓はさっきの親切に報いようと介抱するが、その隙に道玄は懐中の財布を引っ張り出す。

驚いた百姓は脇差を抜いて切ってかかるが、道玄は無造作に太刀を奪い、百姓の肩先を斬る。虚空を掴んで倒れる。その瞬間、頭巾が取れて、坊主頭が露わになる。道玄がバタッバタッバタッと刀を提げて付け際で見込むと、ボーンと鐘の音。
目をカッと見開き、闇夜を透かし人気のないのを見ると、舞台に戻り、百姓にとどめを刺す。そのとき、足音に気づき、慌てて頭巾を懐へねじ込み、石置き場の陰へ隠れる。向こうから革羽織、着流し、加賀鳶の拵えの松蔵が足早に出てくる。

道玄は、その横をすり抜けるように花道へ。道玄は、そっと振り返る。一方、松蔵は百姓の屍骸に躓き、驚く。花道では道玄が按摩笛を吹き、「按摩ァ、鍼ィ」と。松蔵は、じっと闇を見透かす。「今のは按摩か」と呟く。その足に道玄の煙草入れがさわる。それを取り上げ、闇夜にすかす。それとは知らず道玄は笛を吹きながら花道を入る。この場がサスペンスになっている。今月の場合、猿之助はどうして、この二役を演じているのか‥。

湯島天神の境内で定火消しと加賀鳶の間に争いが起こり、両派の喧嘩となり、本郷辺りは大騒ぎとなる。加賀鳶の押えとして、相手方と最後の話をつけに行った梅吉が、なかなか帰らないので苛立った加賀鳶一同は、本郷通町木戸まで押し出してくる。

威勢のいい屋台囃しで花道から出てくる先頭は、喧嘩の張本人、巳之吉(みのきち)だ。続いて昼っ子・子之吉(ねのきち)、磐石(ばんじゃく)の石松、魁(さきがけ)伊太郎、その他大勢の鳶の者たちである。髪は加賀鳶を象徴する鉞(まさかり)の刷毛先、同じく鉞のついた革羽織、ぱっちに足袋はだし、磨きあげた鳶口(とびぐち)を小脇に抱えている。しんがりは、日蔭町の松蔵が押えて出てくる。

松蔵は「向こうの様子を見てくると出かけて行った梅吉が、いまだに帰ってこねえのを、案じて一統押し出すなら、留めやァしねえが、ドジをふみ、屋敷の恥じにならねえよう、喧嘩の当人巳之吉から、順を正して名乗りかけ、命のきりにやっつけろ」と言う。

巳之吉は「そりゃァ頭(かしら)が言わねえでも、血の気の多いこちとらに、元より命は投げ出して、今日の喧嘩の纏(まとい)持ち、太鼓の笠は降りかかる火の子に焦げてしまっても、こちらで狙った消し口は、脇へ取らせぬ我慢者‥」。続いて「その二番手へ続いたは、ほんの喧嘩の頭数(あたまかず)生な奴だと言われるとも、百も承知の盲蛇、物におじねえ性分(しょうぶん)を、取り得で押し出す向こう見ず‥」と。

木遣りくずしの合方にのって、子之吉、石松、伊太郎‥と、次から次へと勇ましく名乗りのツラネが渡っていく。最後に、松蔵が「そんなら一統気をそろえ、向こうの木戸から打ちやぶれ」とけしかける。それに答えて一統が町木戸を壊そうとした、そのとき、飛び出した梅吉が「待った!」と一同を止める。条理を尽して「ここはひとまず引いてくれ」と頼む梅吉の頼みも、いきり立っている一行の耳には入らない。

梅吉「それじゃァ俺を殺して行け」と、手鉤を投げ出して木戸の入り口へ座り込む。松蔵の口利きもあって、やっと一同が得心する。
「やあ、しめろやれ‥」と、威勢のいい木遣りの声に、賑やかな屋台囃子の鳴り物がからむ。梅吉を先頭に、松蔵をしんがりにして、一行は列を揃えて勇ましく引き揚げていく。

湯島天神前の梅吉の家。昨日の喧嘩の後始末のため、梅吉は朝から留守。井戸端で洗濯をしていた女房・おすがは、近所の小僧に水をかけられたと、濡れた帯を解いて衣紋竹にかけている。
とたんに春雷が遠く聞こえる。喧嘩の後始末で組中の者と挨拶回りをしていた巳之吉は、生憎の雷嫌いで、途中一人で急いで帰ってくる。女房おすがも、同様の雷嫌いである。

巳之吉は、あわてて質屋へ曲げてある蚊帳(かや)を出しに走る。次第に早まる雨足、雷鳴の音も近づく。おすがは巳之吉が持ち帰った蚊帳を吊り、急いで中へ身を隠す。巳之吉も耳をおさえて、しばらくは堪えていたが、だんだん雷鳴がひどくなり、やがてドンと近くに落雷して、蚊帳の中へ飛び込む。

「薩摩さァ‥」と、賑やかな唄になって、梅吉が五郎次と石松を連れて傘をさして帰ってくる。春雷は季節のいたずらか、もう薄日がさしてきている。みなが家に入ると、おすがが蚊帳の中から、細帯姿で出てくる。つづいて巳之吉がきまり悪そうに出てくる。

三人の目が光る。若い男女が人気のない部屋で、一つ蚊帳の中にいたからである。五郎次は二人をとがめる。帯が洗濯水で濡れたので細帯姿であったと言うおすが‥恩人の姉御(あねご)に手を出すような犬畜生(いぬちくしょう)でねえと言い張る巳之助。必死で言い訳をする二人の言葉に一同はいっそう猜疑の目を光らせる。

五郎次は「その帯の濡れたより、落ちれば深い高台の、底の知れねえ井戸端と、いうのはほんの表向き、縁を結ぶの雷が、鳴って嬉しい蚊帳のうち、振り出す雨を幸いに、しっぽり濡れたに違いねえ」と、梅吉に焚き付ける。

梅吉は「いくらとやこう言い訳しても、亭主の留守に帯を解き、若え男に若え女が、一つ蚊帳へ入っていりゃァ、どんな間抜けなお心よしの、亭主が見ても密夫だと気がつかねえでどうなるものか。俺も十年若けりゃァ、二人の面へ瑕をつけ、血まむれ仕事もしかねねえが‥」と、二人の言い分を承知せず、家を出て行けと言う。いつにない強面の夫の態度に、おすがは泣き崩れ、幼児・お梅を連れて出て行く。巳之吉も思い足取りで共に出てゆく。

その時、花道より日蔭町の松蔵が、羽織着流し、中下駄で出てくる。泣く泣くやって来たおすがに様子を聞き、松蔵は梅吉に「濡れ衣」であることを説くが梅吉は承知しない。梅吉はおすがと巳之吉が密通していたという証拠の手紙を見せて、どうしても離縁せざるを得ないという。しかし、だんだん話をしているうちに、それがみな五郎次の謀事(はかりごと)だったことを松蔵は悟ったが、「証拠なければ晴れぬ濡れ衣」と言い切る梅吉の言葉にその疑いを、胸に押し隠し、他日を期して梅吉の家を辞して行く。

三幕目は「菊坂盲長屋の場」である。本郷の台地に四方を囲まれ、すり鉢の底のような菊坂の盲長屋である。九尺つづきの棟割長屋(むねわりながや)の一番どんつまりが按摩道玄の住居である。
道玄は表向きには『鍼按摩』ではるが、ぼろ儲けがあったらしく、酒にばくちに明け暮れるまいにちである。女房・おせつも盲目である。そこへ、竹町の質屋伊勢屋の奥勤めをしている姪のお朝が叔母の切ない境遇に同情した主人がくれたと、五両の金を持ってくる。

思わぬ大金に驚き、おせつは姪を問い質す。そこへ酔っ払った道玄が帰宅し、その話を聞き、おせつに伊勢屋へ様子を訊ねに出し、猫なで声でお朝に言う。「今も聞けば、旦那の肩を毎晩たたくということだが、そりゃ手前と旦那の二人きりか」「あい、ご飯炊きや中働きは、朝が早いから先へ寝ます」「子供といえど、もう十四、旦那と一緒に寝たろうな」と。

お朝はびっくりして否定するが、道玄は承知しない。旦那と寝たと白状しろと、声高に威す。そこへ女按摩・お兼がやってくる。道玄の女房気取りの悪党仲間である。二人がかりで、お朝を責める。道玄は薪ざっぱを振り上げて威す。入れ替わって、お兼は猫なで声で、旦那と寝たというお朝の言質(げんち)をとる。

二人の仲間・お爪と三人が、お朝を売り飛ばすことになり、お爪が外へ連れ出す。お朝が持ってきた五両をネタにお朝のにせ手紙をでっち上げ、伊勢屋へ強請り(ゆすり)に行こうという相談がまとまる。勧善懲悪の逆の芝居が展開していく。悪党たちの遣り取りも、お朝を威すことばにも、黙阿弥独特の流れるような七五調の台詞が筋道とは逆の心地よさを感じさせる。

次の場は、竹町質店 伊勢屋の場である。四間間口の正面に伊勢屋と書いた紺暖簾(こんのれん)が見える。壁に質物帳をずらりと描けた帳場格子(ちょうばごうし)の前で、番頭が丁稚(でっち)と質物の読み合わせをしている。

そこへ、精一杯の追従笑いを浮かべて道玄が入ってきて、主人の与兵衛に面会を申し込む。道玄は与兵衛がお朝に五両恵んだことを確かめる。そして、「この道玄に改めて、百両恵んでおくんなさい。桂川という先例があるからしたか知らねえが、こちらの旦那は長右衛門、家名が伊勢屋で身上の、堅い石部の旅籠屋(はたごや)か、下手な口上茶番だが、今年お半と同年の、お朝を毎晩自由にして、夢を結んだ帯屋の主‥」と、「お半長右衛門」の芝居になぞらえて、ネチネチと強請る。煙管(きせる)を斜(しゃ)に構えて、ふてぶてしくたばこを燻らせる。

そこへ、かねて言い合わせたお兼が「いまお朝が、私に旦那との情交を白状したうえ、こんな書置きを置いてどこかへ家出してしまった」と、にせ手紙を披露する。道玄は、それを種に、いよいよ図太く居直った。言いがかりとは知りながら、信用第一の商家の店先に二人の按摩に強請られて、番頭が心得顔で中に入り、五十両でまとめようとした、そのときに、近くに住む加賀鳶の松蔵が「その金、やるにゃァ及ばねえ」と、門口から声をかけて入ってきた。

店先へ大の字になっていた道玄は、嫌な奴が舞込んだという顔で、しぶしぶ起き上がる。松蔵は頓着(とんちゃく)なく、店の奥へ通り、証拠のお朝の手紙を検べる。見れば、梅吉の家にあった、おすが・巳之吉の密通を知らせた投書と同じ筆跡である。松蔵は、奥からお朝の清書草紙(せいしょぞうし)を取り寄せ、似ても似つかぬにせ筆の証拠と突きつける。

道玄はギクリとする。松蔵は「一蝶斎の蝶々が、生きもののように働くは、種の知れねえ上手な業、同じ頭は坊主だが、手品も下手な食わせ物。証拠といって持ち出した、文は三社の当物より、初手からにせと知れている。種を見られた上からは、ここらでハネにしたらよかろう」と、黙阿弥一流の厄払い口調である。

道元は「元より話の根無し草、ウソを誠に拵えて、金を強請りにきた道玄、怪談話をまくらにして、百と思ったその金も、わずか五十で四分六(しぶろく)の、割りの立たねえ仕事だが半札にして帰る気も、気障な(きざな)文句を言われちゃァ、高座へつける隠し灯台、この身に暗い疑いがかかったからは切り穴へ、掛け煙硝(かけえんしょう)でドロドロと、前座のお化けを見るように、ただこのままじゃァ消えられねえ‥」と、小気味よい「寄席づくし」の強面で応える。

松蔵は「ほかの者なら知らねえこと、この松蔵が突き出したら、再び娑婆(しゃば)へ出られめえ。さっき、こちらの小僧どんから、道玄という按摩坊主が強請りにきたと聞いたゆえ、それじゃァいつか出逢った奴と、悪い性根(しょうね)を知って来たのだ」道玄「こちらに覚えのねえことだが、この道玄に出逢ったとは?」「あれは、正月十五日、月はあれども雨雲に、空も朧(おぼろ)の御茶ノ水‥」というと、道玄は「ヤッ」と驚き、吸いかけた煙管を取り落とし、顔を見合わせた二人がキッと大見得をきる。世話物の芝居も、この場面は大時代となる。バッタリとツケの音、太調子の誂えの合方となる。道玄は、キセルを取り落としたその手を、ニューッと膝へ下げて畏まる。

黙阿弥の芝居には「聞かせ台詞」がふんだんにある。「三人吉三」「弁天小僧」「御所五郎蔵」など、昔から「おおむ石」には欠かせない。この芝居にも、道玄、梅吉、松蔵はもとより、それぞれ、一人前の七五調で、見物客の耳を楽しませる。

亡くなった尾上松緑の芸談に「御茶ノ水の場」の「だんまり」で、松蔵に尻尾を掴まえられたと知らぬ道玄が、この場の「だんまりもどき」に出会うわけですが、道玄にとっては、この件が役の大事な眼目になっています。松蔵の『空も朧の御茶ノ水‥』で、道玄がポロリと煙管を落とし、その手を、肘、掌(たなごころ)ぐるみグーッと上向きから下向きに返すように動かしながら、膝のほうへゆっくりと下ろす‥、このグーッと廻す肘の動きと、その味わいに「だんまりもどき」の演技のコツがあるのです。以前、「道玄はこれさえできりゃァいいんだ。ここの肘に道玄が出りゃァいいんだが、お前にはまだそうはいくめえ」と、六代目さんに言われましたが、ほんとに、ここは難しいのです」と言っています。

四幕目は「小日向町関口宅の場」である。舞台は小日向金剛坂あたり、組屋敷の関口藤右衛門宅。藤右衛門の病気見舞いに来た近所の女房が帰ったあと、嫡子・新太郎が、加賀鳶の杉蔵と連れ立って帰宅。松蔵のところで預かっているおすがが、今朝方から行方知れずなので、もしやと、親の家を訪ねてきたというのである。

鳶の梅吉と夫婦になったため、絶縁同様になったものの、初孫をもうけたというので老夫婦の心も和んだようである。杉蔵が帰ったあと、人目をしのぶようにおすがが来る。武士気質の父親が刀へ手をかけて怒るのを母親が必死で止める。「足らぬながら私も、武家の生まれでござりますれば、直に死のうと存じましたが、今死ぬ時は覚えなき身のぬれぎぬが誠となり、死後まで恥になりますゆえ、この証しの立ちますまで、人のそしりを堪えまして、生き長らえておりまする」と、血を吐くような言葉を遺して、夕闇の中をお梅の手をひいて消えて行く。

松蔵の家を出て、いままた親の家へも入り得ず、おすが親子はどこへ身を寄せるのであろうか。もとより、娘の潔白を信じる両親は、幸薄い娘親子の後姿を見送り、そっと涙を拭う。遠く鐘の音の響くうちに、舞台は次の場へ廻っていく。

梅吉内の場である。女主人のいない梅頭の家は火の消えたような寂しさである。忠義者だが気の利かぬ子守り女・お民が、おすががお梅を連れて松蔵の家から出たまま行方知れずと知らせる。梅吉の心はふたたび陰る。

不義でなかった証しさえ立てば、透き合って一緒になったおすがである。失踪したおすがを想う梅吉の心は千々に乱れる。夕闇が迫った梅基地の家に、そっと訊ねてきたのは、やつれた顔を頭巾で包み、幼い娘の手を引いたおすがである。お民を呼び出し、夫・梅吉の様子を尋ねる‥。

梅吉も、それと気づくが、世間の手前、おすがを入れるわけにはゆかない。男を立てる鳶の者の辛さである。おすがの頼みは、娘のお梅の身柄である。父恋しで毎晩泣き寝入りする娘が不憫(ふびん)さにせめてお梅だけは家へ戻してほしいと、格子にすがって頼むおすがである。

数百人の火消し人足(にんそく)を叱咤(しった)する梅吉も、女房子への情に波打つ心を納めかねるのだが、やはり男を立てて生きる世間の壁は破り難い。心を鬼に面を背ける。機転を利かしたお民が、独断で格子戸を開ける。おすがはお梅をお民に預けて、そのまま急ぎ足で立ち去る。

懐かしさ一杯に、父親に抱きつくお梅の体に、おすがの書き置きが結わいつけられている。「松蔵方へ引き取られ憂き月日を送り候も、覚えなき身の証し立てたく存じ候えども、いつという限りもなく人に笑われ候も、実々口惜しく存じ候ゆえ‥」と、死を覚悟したおすがの遺言に、梅吉はいまさのように狼狽する。お民はおすがの後を追いかけて行く‥。

五幕目 小石川水道端の場となる。水戸様上屋敷前の高い崖の上、ずっと下のほうから神田川の流れの音が聞こえる。真っ暗な空、雨もよいの風に枝垂れ柳が泳ぐのも、なにか不気味である。商用で夜道を帰る伊勢屋与兵衛は、川端で元雇人・お朝に出会う。叔父道玄の手で体を売るよう、日夜責められていたが、ようようここまで抜け出してきて、与兵衛と逢ったのだ。

哀れなお朝の窮状に同情し、日蔭町の松蔵のところへ置こうと連れ立ち、帰ってゆく。再び、人気の絶えた川端へ、コーンと遠寺の鐘の音‥ここで、清元の出語りとなる。「無常を告ぐる市ヶ谷の、鐘の音沈む雨空に月は隠れて朦朧(もうろう)と、人影見えぬ川岸へ‥」と。

しょんぼりと腕組みした五郎次が花道に姿を現す‥。と、その後ろから、ぼんやりとした人影がついてくる。死相に隈取られた顔へ、同じ薄青い蓬髪(ほうはつ)がふりかかり、同じく青ねずみ色に透けた荒布の衣、縄帯を巻きつけた異相の人‥これは死神である。

五郎次に付き添うように、離れるようにぼんやりと付きまとう。五郎次は、おすがと巳之吉に、密通という無実の罪をきせて追い出したが、誰言うとなく彼の企みと噂がたつようになったので、加賀の屋敷を追い出されたのである。五郎次の行く途に立ちふさがった死神は、五郎次を手招きする。そして、しきりに崖下の水流を指差す。さらに死神はあたりの石を拾って、五郎次に手渡す。五郎次は合掌して念仏を唱えると、川へ身を躍らせる。キキ‥と死神は、さびしいものすごい笑いを聞かせると、青白い光の中に吸い込まれるように消えていく。

再び、薄い水音と題目唄になって、おすががしょんぼりと花道を出る。これも死神に取り付かれ様子である。川端へ差し掛かり、おすがは覚悟を決めて石を拾い袂(たもと)へ入れ、まさに飛び込もうとしたとき、お民がバタバタと駆けつけ、おすがの後ろ帯びへ手をかけ、遮二無二(しゃにむに)引き止める。そこへ加賀鳶の石松もやってきて、交々(こもごも)おすがの短気を意見する。おすがは自分の短気を悔やみ詫びる。再び松蔵のうちへ連れて行く。

日蔭町松蔵内の場となる。遠くを流す納豆売りの声が、穏やかな朝の訪れを伝えている。失踪したおすが親子が立ち戻ったというので、家中がようやく落ち着いた。そこへ石松が床見世占いの九郎兵衛を連れてくる。本職の手間に、人の手紙や証文の代書をしている九郎兵衛が、五郎次から何度か筋の悪い手紙を頼まれたことを探り出して連れて来たのであった。

思わぬ証人の出現に松蔵が愁眉(しゅうび)を開くところへ、しおしおと訪れたのは五郎次だった。死神に取り付かれ川へ飛び込んだものの生き返って前非(ぜんぴ)を悔い、坊主頭になって、にせ手紙の一件を白状した。

そこへ、兼五郎に連れられた巳之助・お花も帰ってきて、おすがと出会い、ともども無実の汚名(おめい)が晴れたと喜び合う。早速、梅吉も駆けつけて、おすがは梅吉の許に復縁、巳之助も勘当を赦され、松蔵が仲に入ってお花との夫婦約束が出来上がる。五郎次の白状から、ふたたび二組の夫婦が縁を固めるというめでたし、めでたしで終わる。賑やかな木遣り唄のうちに幕となる。

大詰は「菊坂盲長屋の場」である。本郷菊坂の盲長屋は、朝から大騒ぎである。犬が長屋の床下からくわえ出した古布子、それにべっとりと血がついていたのである。按摩仲間の一人が「その古布子は見覚えのある道玄さんの着料だ」と言うので、思わずみなが顔を見合す。そこへ手先の長次が来て、この様子を聞き、急ぎ足で立ち去る。家主の喜兵衛は、騒ぎ立てる長屋の連中を嗜めて引き取らせる。そして、舞台は同じ長屋内の道玄内へと廻っていく。

道玄内の場。お朝が行方知れずになったのは、おせつの仕業だと女房を折檻している。なかなか口を割らないので、縛り上げ、土間へ転がしたまま、情婦のお兼と酒を飲んでいる。そこへ家主・喜兵衛がやってきて、血染めの古布子に見覚えがないかと訊ねる。

御茶ノ水で太次右衛門を殺したとき、返り血を浴びた衣類を、わが家の床下へ埋めておいたのだから、道玄はギクッとするが、あくまでも知らぬ存ぜぬで押し通す。喜兵衛は、おせつが縛られているのに驚き、道玄が止めるのも振り切り、わが家へ連れて帰る。

家主が帰った後、道玄はお兼に、御茶ノ水の殺しを打ち明ける。二人は慌てて逃げ支度にかかるが、その時、表戸が激しく叩かれる。早くも手が廻って、手先の長次を先に、捕方多数が表戸を蹴破り踊りこんでくる。道玄はすばやく行灯の火を吹き消し、混乱のうちに表へ逃げ出す。お兼は、あっさりと捕らえられる。

舞台は加賀藩御守殿門前の広場となる。道玄は、ここで捕方多数に取り巻かれ、按摩笛・門附の合方で、闇の中で探りあいの立ち回りとなる。悪才にたけた道玄だけに、必死に捕手のなかをかいくぐるが、衆寡(しゅうか)敵せず、多勢に無勢、ついに天命つきて捕らえられる。

本材木町番屋まで引き立てられてきた道玄は、役人坂田貝助の取り調べを受けることになる。血染めの布子を証拠に突きつけられても、道玄はふてぶてしく否認するが、引き出されてきたお兼は他愛もなく白状してしまう。妻や子にさえ唾を引っ掛ける、この悪党に手先が「エエ、行かねえかい」と引っ立てると、道玄は「ええ、(と体を振るわせる。チョーンと柝(き)がはいる)知っていらァね」と、道玄が入っていくうち、新内の合方、鉄砲打ち合せを被せた鳴り物で巻くとなる。

加賀候表門の場での立ち廻りを「可笑味」(おかしみ)の立ち廻りという。この赤門前のも、世話物の立ち廻りのなかでも一番代表的なものである。殺陣師・坂東八重之助は「芝の旦那(六世菊五郎)は、動くのはお前たちだぜと言われて、ご自身は捕手と鉢合わせしてあわてて、動くなと捕手の真似をする可笑味など、動きよりも芝居の味を見せるというやり方でした。自然、動きまわるのは、かかる捕手となるわけで、いわゆる十手の先を目玉にして立ち回りを演じるという皮肉な殺陣になるわけで、そこが、この場を評判にしてきた理由でしょう」と語っている。

助六の出端と揚巻の悪態の初音

2005-02-05 09:11:22 | 伝統芸能
「助六由縁江戸桜」には、いくつかの見せ場がある。揚巻の「悪態の初音」も、その一つである。

舞台は桜満開の江戸いちばんの廓(くるわ)、吉原の三浦屋の前である。「闇の夜も吉原ばかりは月夜かな」と詠われるように、不夜城の遊郭、吉原に数人の傾城(けいせい)が並び、太夫(たいゆ)揚巻の登場を待つ。格子の御簾(みす)越しに灯りが入り、河東節の演奏が始まる。

  「春霞(はるがすみ)たてるやいづこ三芳野(みよしの」の、
   山口三浦うらうらと、うら若草や初花(はつはな)に、
    和らぐ土手を誰がいうて、日本めでたき国の名の、
     豊芦原や吉原に、根ごして植えし江戸桜、
       匂う夕べの風につれ、鐘は上野か浅草か」

いよいよ、揚巻の道中である。若い者の肩に手をおき、ゆらりゆらりと八の字を踏む。伊達兵庫(だてひょうご)という鬢(びん)、18本の簪(かんざし)、3枚の櫛(くし)。衣裳は黒繻子(くろじゅす)へ松竹梅や注連飾り(しめかざり)など正月模様を金糸銀糸で彩り、前に垂れた帯は鯉の滝登りを現わす図柄。黒塗りの高下駄で八文字を踏む。

出迎えの傾城たちが「揚巻さんの道中は、どうやら船に揺らるるようじゃぞえ。さっき松屋で逢うた時から、よほどめれん(ひどく酔う)に見えたぞえ。どこでそんなに酔わんしたぞえ」と聞くと、「これはこれは、お歴々、お揃いなされてお待ち受けとは、ありがたい。どこでそのように酔ったと思し召す。恥ずかしながら、仲ノ町の門並みで、あそこからもここからも揚巻さん、揚巻さんとさあ、呼びかけられて、お盃(さかずき)の数々‥いかな上戸(じょうご)も私を見ては、御免御免(ごめんごめん)と逃げて行くじゃ、ホホ‥‥‥。慮外(りょがい)ながら三浦屋の揚巻は酔わぬじゃて」と揚巻は答える。

ここは揚巻役の役者の見せどころである。亡くなった中村歌右衛門丈の揚巻はそれはそれは見事な揚巻であった。口ではきっぱりと言うが足元が危うい。それを見た禿(かむろ)が「花魁、危のうござんす」と言う。揚巻は「これは大きな奴(やっこ)さんのご意見。近ごろありがたい。誓文酔わぬぞえ(神に誓って酔いません)」と答える。禿は「酒のさめる薬」を勧める。「なんじゃ、袖の梅じゃ。誰が袖(たがそで)ふれし袖の梅、とはよう詠んだ歌じゃのお」と、実際に流行っていた薬の名をあげる。今でいうならコマーシャルである。こうして、揚巻は本舞台に進む。

     「おちこち人の呼子鳥(よぶこどり)
        いなにはあらぬ逢瀬より、
         ここを浮世の仲ノ町‥」

コーンと鐘の音が入り、傾城白玉(しらたま)と意休(いきゅう)の出となる。白玉は禿・新造・遣り手・若い者を従え、髭(ひげ)の意休は子分の男伊達に刀・座布団・煙草盆・香道具などを持たせ、左手を懐に、右手に鳩杖を引きずるように突いて出てくる。意休は揚巻をめぐって助六のライバルであり、長い白髭を蓄えたお大尽(おだいじん)である。意休は本舞台に進む。

そこで揚巻とのやり取りがある。意休は助六のことを「盗人」とののしるに及んで、揚巻は悪態(あくたい)をつく。「慮外ながら揚巻でござんす。男を立てる助六が深間(ふかま)、鬼の女房にゃ鬼神(きじん)とか。さあ、これからは揚巻の悪態の初音(はつね)」と、清掻き(すががき)の合方(あいかた)にのって名台詞が始まる。

「もし、意休さん、お前と助六さん、こう並べて見るときは、こっちは立派な男振り、こっちは意地の悪そうな、たとえて言わば雪と墨(すみ)、硯(すずり)の海も鳴門(なると)の海も、海という字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、暗がりで見ても、お前と助六さん、取り違えてよいのもかいなあ。ホホ、ホホ、、、、」と、実に小気味のいい啖呵をまくし立てる。揚巻はキセルと指をうまく使って、両者の良し悪しをたとえる。これが『揚巻の悪態の初音』である。

遠くから尺八の音が聞こえる。並んだ花魁衆(おいらんしゅう)が、「あれ、虚無僧(こむそう)が来やんした」「ありゃ、虚無僧じゃござんせぬ。地回り(じまわり)の若い衆じゃわいなぁ」「どれどれ」「ほんになぁ」と噂をしているところへ、河東節連中の粋な唄が聞こえる。

 『思い出見せやすががきの 
   音〆(ねじめ)の撥(ばち)にまねかれて
   それといわねど顔世鳥(かおよどり) 
    間夫(まぶ)の名取りの草の花』

この唄の後の合方途中でいよいよ助六の出となる。傘を半分すぼめ揚幕(あげまく)から数歩進み、中腰に極まる。満場息をのむ瞬間である。大向こうから「成田屋!」の声がかかる。

   『思い初(そ)めたる五つ所紋日待つ日のよすがさえ 
     子供が便り待合いの辻うら茶屋に
     濡れてぬる雨の蓑輪(みのわ)の冴(さ)えかえる』

「思い初めたる」で半開きだった傘を開き、「子供が便り」で花道の七三へ。
花魁衆「助六さん、その鉢巻きはえぇ」の問いに、助六は「この鉢巻きのご不審か」と答える。「雨の箕輪の冴えかえる」で傘を片手に極まる。

  『この鉢巻きは過ぎし頃 
   ゆかりの筋の紫も君が許しの色見えて
   移り変わらで常葉木(ときわぎ)の
   松の刷毛先(はけさき)透(す)き額(びたい)』

ここのところは、河東節の最も難しいところであり、聞かせどころでもある。「松の刷毛先透き額」で、傘を振り上げ裏見得に極まる。ここは高いところで“透きびたい”は “び”を汚く発音されがちなので“透きみたい”と唄うといわれている。

 『堤八丁風誘う 目当ての柳花の雪 
   傘に積もりし山間(やまあい)は
    富士と筑波(つくば)をかざし草
    草に音せぬ塗り鼻緒(ばなお) 
    一つ印籠(いんろう)一つ前』

ここから気分が変わって唄も振りも荒事風になる。「目当ての柳花の雪」で、傘を置き左の肘をかけて頬杖で見得になり、ツケが入る。「富士と筑波をかざし草」で、両手で傘を上に持ち、ジリジリと揚げ幕方面へ向かい、また元に戻る。

 『せくな、せきゃるな、さよえ。浮世はな、車さよ、え』

と、三下がりになって、また気分が柔らかくなり、傘を回して月日の移ろいを暗示する。

  『巡(めぐ)る日並みの約束に 
    籬(まがき)へたちて訪れも
    果ては口説(くぜつ)かありふれた
    手管(てくだ)に落ちて睦言(むつごと)と
    なりふりゆかし君ゆかし』

と、すぐ本調子にもどり「巡る日並み」から終局にはいる。「約束に」は、むずかしいところで♪ヤークソォクゥーニ と高く保つのがなかなか出来ないといわれている。ここで「君なら、君なら」のセリフが入る。

  『しんぞ 命を揚巻(あげまき)の
    これ助六が前渡り(まえわたり) 
     風情(ふぜい)なりける次第なり』

「しんぞ」で、傘をつぼめ、左手に保ち、丹前六法(たんぜんろっぽう)の振りになり、「前渡り 風情なりける」で、六法で舞台へ。「次第なり」で右手に持ち替え、片手でパンと開いて、そのまま振り上げて極まる。御簾の前には黒布がおり、河東節もここでお役目終了となる。

以上、助六の出端と河東節のすばらしさを味わっていただきたい。
(小山観翁風に)



河内弁

2005-02-03 09:53:49 | 方言
大阪弁といっても、大きく分けてみると、大阪府のほぼ東半分で話されている方言を「河内弁」と呼ぶ。大阪市以北の「摂津弁」、堺市以南の「和泉弁」の三つであろう。なかでも、河内弁は「きたない」「喧嘩腰」というイメージがある。しかし、一見粗暴そうであるけれども、相手や状況によって、様々な「使い分け」があることを知ってもらいたい。私自身、河内弁を完全にマスターしているわけではないので、やや怪しいところもあるので、ご了承いただきたい。

「あい」は、暇、あいだの意。「あいさに」は、たまにの意。

「あかんたれ」は、弱虫の意。

「あいた」は、明日の意。

「あほんだら」は、馬鹿野郎の意。「あんだら」とも。

「あらくたい」は、粗暴な、荒っぽいの意。

「あるけぇ」は、ないよの意。例:「そんなもん、あるけぇ」(そのようなものはないよ)。「あらへん」「あらひん」とも。

「あわいさ」は、物と物との間の意。

「あんじょう」は、よろしく、よいようにの意。例:「わいら、なんも知らんよってに、あんじょう頼むわ」(私ら何も知らないから、よろしく頼みます)。「あんじょう言うといて」(よろしく言うておいてください)。

「あんにゃん」は、兄、親しい間柄で目上の人を指す。

「いけすかん」は、生意気で嫌な奴の意。

「あんてき」は、あいつの意。単に「てきゃ」とも。

「いちびる」は、悪ふざけの意。「いちびり」は、いたずら好きな人の意。

「いぬ」は、帰るの意。例:「ほたら、わし、いぬわ」(そうしたら、私は帰ります)。「いね」は、帰れの意。「いんだ」は、もう帰ったの意。

「いっこった」は、行ったの意。「いんだ」は、帰ったの意。

「いなす」は、帰らせるの意。「いにしな」は、帰り際の意。

「いわす」は、やっつける、負かすの意。例:「あんてき、生意気やから、いわしたった」(彼は生意気だから、やっつけてやった)。「いわしたろうか」(やっつけてやろうか)。

「うとい」は、愚かなの意。「うとい」は、詳しくないの意。

「えぐい」は、残酷な、いがらっぽい、ひどいの意。

「えげつない」は、ひどい、人情味がないの意。例:「えげつないことぬかしよる」(ひどいこと言う)。「えっげつなぁ」(ひどい!)。

「えろまんがな」は、大変なことですねの意。

「ええかげん」は、ほどほどに、だらしないの意。例:「ええかげんせぇ」(ほどほどにしなさい)。「あいつ、ええかげんなやっちゃなぁ」(彼はだらしないやつだなぁ)。

「「おいとく」は、中止(中断)するの意。例:「このへんで、おいとこ」(この辺でやめておこう)。「おいときなぁれ」(やめておきなさい)。

「おかん」は、お母さんの意。「おとん」「おとったん」は、父親の意。「おじやん」は、祖父。「おっじゃん」は、伯父。

「おっかし」は、おもしろいの意。

「おせる」は、教えるの意。例:「おせたろか」(教えてやろうか)。「おせて」(教えて)。

「おとろしい」は、恐ろしいの意。

「おとんぼ」は、末っ子の意。

「おひと」は、来客の意。

「おちょくる」は、馬鹿にする、からかうの意。例:「おんどれ、何おちょくとんねん」(お前、何を馬鹿にしているのだ)。

「おのれ」は、お前の意。「おんどれ」とも。

「おまん」は、饅頭の意。

「おもろい」は、面白いの意。

「がさ」は、落ち着きのない者。「がさっぱち」は、お転婆の意。

「かす」は、ばか者の意。

「かぶる」は、噛み付くの意。

「かまう」は、干渉するの意。

「かまひん」は、構わないの意。「かまんといて」は、構わないでくださいの意。「かめへん」は、大阪弁。

「から」は、身体、体格の意。例:「大きなからして」(大きい体、大人なのに)。

「かんとだき」は、おでんの意。関東煮。

「かんこくさ」は、焦げくさいの意。

「きしょくわる」は、気持ちが悪いの意。

「ぎょうさん」は、たくさん、大層の意。例:「ぎょうさんなこと言うて」(たいそうなことを言って)。

「きさんじ」は、気持ちのさっぱりしていること、手のかからない幼児の意。

「きてんきかん」は、気がきかないの意。

「ぎゃらし」は、いやらしいの意。

「きよった」は、来たの意。

「きんお」は、昨日の意。

「ぐいち」は、ちぐはぐ、互い違いの意。

「くっさい」は、臭いの意。

「ぐさぐさ」は、緩いこと。例:痩せたよって、ズボンぐさぐさや」(痩せたので、ズボンが緩くなった)。

「くわい」は、怖いの意。例:「あぁ、くわ」(あぁ、こわい)。

「ぐるり」は、周囲の意。例:「家のぐるり、掃除しとけ」(家の周りを掃除しておきなさい)。

「ぐる」は、仲間の意。

「けぇる」は、消えるの意。「けやす」は、消すの意。

「げすい」は、卑しい、下品の意。例:「げすいこと言うな」(下品なことを言うな)。

「けっかる」は、しているの意。例:「何してけっかるねん」(何をしているのだ)。

「げっつい」は、大きいの意。「げらい」とも。

「こぉこ」は、沢庵の意。「こんこ」とも。

「こうてくる」は、買ってくるの意。

「こしらえ」は、準備、支度の意。

「こち」は、自分の家の意。

「こそばい」は、くすぐったいの意。「こちょぼる」は、くすぐる」の意。

「ごっつい」は、大きい、スゴイ、力強いの意。

「こないだ」は、先日、先般の意。

「こまこい」は、小さい、節約、つつましいの意。

「ごんぼ」は、牛蒡の意。

「ごろた」は、石ころの意。

「ごんた」は、文句を言う人、手におえない子供の意。

「さいぜん」は、先刻、いまさっきの意。昔、河内の人が「さいれん」と言っていたのを聞いたことがある。「ざじずぜぞ」が「らりるれろ」になるのか。この点、和歌山弁との共通点か。

「さいなら」は、さようならの意。

「さきんちょ」は、先端の意。

「さぶいぼ」は、鳥肌の意。例:「さぶいぼたった」(鳥肌がたった)。

「さし」は、物差し、定規の意。

「さってる」は、‥しているの意。

「しばく」は、叩く、どつく、殴るの意。「しばきあげる」とも。

「じきに」は、すぐにの意。「じっきに」とも。例:「おかん、じきに戻ってきまっさかい」(お母さんがすぐに戻ってきますから)。

「じぶん」は、あなたの意。自分(第一人称)が、第二人称になるので要注意。

「じぶん」は、時分で、「じぶんどき」は、お食事時を指す。例:「えらい、じぶんどきに出まして‥」(ちょうどお食事時に参りまして)。

「しもとく」は、しまっておくの意。例:「ええもんやさかい、しもときや」(いい物だから、しまっておきなさい)。

「しもた」は、しまった(失敗した)、してしまったの意。花札遊びのとき、まずい手をして「しもた」と言うと、「しもたら、風呂いけ」(仕舞うたら、風呂へ行け)という。

「しゃぁけど」は、だけどの意。「しゃぁけんど」とも。

「じゃかぁし」は、やかましいの意。「じゃっかぁし」「じゃぁし」とも。例:「じゃかぁし、わかっとるるがな」(やかしい、わかっているよ)。

「しやしや」は、そうだそうだの意。

「しゃんとけ」は、するなの意。例:「いややったら、しゃんとけ」(いやなら、するな)。

「しゅむ」は、沁みるの意。

「じゅるい」は、道路などがぬかるんでいる様子。

「じょうり」は、草履の意。

「しょっぱな」は、最初の意。

「しょんねん」は、しているの意。

「すかたん」は、失敗。例:「あいつ、すかたんばっかりしよる」(彼は失敗ばかりしている)。

「すかん」は、好きではないの意。例:「すかんやっちゃ」(好きではない奴である)。

「すかべ」は、音のないおならの意。転じて、黙って騙すことをいう。また、約束などをすっぽかすの意。例:「あいつ、すかべかまっしゃがった」(あいつ、黙ってだました)。

「すっからかん」は、無一文の意。

「すこい」は、悪賢いの意。

「ずっこい」は、ずるいの意。

「ずつない」は、息苦しい、具合が悪い、苦しいの意。

「せぇがない」は、病気などで力が落ちるの意。「せぇおとす」は、落胆するの意。「せぇない」は、張りあいがないの意。

「せぇだい」は、大いにの意。例:「嫁はんもろて、せぇだいきばりや」(嫁さんもらったんだから、大いにがんばりなさい)。

「せぇつぎ」は、踏み台の意。

「せせこましい」は、狭いの意。

「せせくる」は、弄る(いじる)、もてあそぶの意。

「せせる」は、魚の身を解すの意。爪楊枝で歯をつつく?のも「せせる」という。

「せんち」は、便所の意。

「せんど」は、何度も、多いこと、飽きるの意。

「そぉれん」は、お葬式の意。

「そげ」は、棘(とげ)の意。

「そこへさいて」は、そこのところへの意。例:「わいら立って話してたら、そこへさいて突っ込んできやがんねん」(私たちが立ち話をしていた、そこのところへ突っ込んできやがった)。

「そやけんど」は、そうだけれどもの意。

「そないに」は、そんなにの意。

「そんなん」は、そのようなこと、またはもの意。

「ちっとま」は、しばらく、チョットの間の意。

「ちみたい」は、冷たいの意。

「ちょか」は、おっちょこちょいの意。

「ちゃう」は、違うの意。

「ちゃぁしばく」は、お茶を飲みに行くの意。例:「よぉ、ねぇちゃん、ちゃぁしばきにいけへんけ」(そのこの娘さん、お茶でも飲みに行きましょうか)。

「ちょろこい」は、弱々しいの意。

「つずくる」は、服などの破れたのを修繕するの意。

「つついっぱい」は、ぎりぎりの意。例:「もうこれ以上はかまりまへん。つついっぱいだ」(もうこれ以上はまけられません、ぎりぎりのところです)。

「つめ」は、栓(せん)の意。

「つらくる」は、吊り下げるの意。

「つれ」は、友人、仲間の意。

「つれもていこか」は、ごいっしょに行きましょうの意。和歌山弁では、「つれもっていこら」となる。

「てぇする」は、手を加える、手段を講じるの意。

「てご」は、手伝いの意。

「てんご」は、いたずらの意。

「てんば」は、おしゃべりで、騒がしい娘の意。「おてんば」とも。

「でんぼ」は、出来物、おできの意。

「ど」は、強調するときに遣う接頭語。例:「どけち」、「どアホ」、「どぶた」(太っている人)、「どこんじょなし」(根性なし)。「どんがら」(体、なり、図体)。

「どない」は、いかがの意。例:「どないしてはりまっか?」(どうしていらっしゃるのか)。「どや」は、どうですか?の意。

「とぉど」は、ついにの意。

「どんだけ」は、どれだけ、どれほどの意。

「なんぼ」は、How much? または何度の意。例:「これ、はんぼ?」(これ、いくら?」。「なんぼ言うてもあかんわ」(何度言ってもだめだ」。

「なおす」は、直す、しまうの意。例:「つぶれかけた椅子、なおしてんか」(壊れかけている椅子を修繕してくれないか)。「大事なもんやよって、すぐなおしとけや」(大事なものだから、すぐにしまっておきなさい)。

「なげる」は、捨てるの意。

「なぶる」は、触る、いじる、ばかにするの意。例」「おんどれ、なぶってたら、どたま、かちまぁっせ」(貴様、馬鹿にしていると頭を殴るぞ)。

「にくそい」は、にくたらしいの意。

「にちりんさん」は、お天道様(太陽)の意。

「にんにゃか」は、賑やかの意。

「にぬき」は、ゆで卵の意。

「ぬかす」は、言うの意。例:「なんぬかす」(何を言う)。さらに「なんかす」とも。

「ねぶたい」は、眠いの意。

「ねぶる」は、舐めるの意。

「のんの」は、帰るの幼児語。

「はしかい」は、賢い、素早いの意。

「はたかる」は、またがるの意。

「ばったもん」は、贋物の意。例:「どない見ても、あら、ばったもんやんけ」(どう見ても、あれは贋物だ)。「ばった屋」は、大量に現金で仕入れて激安で売る店。現金問屋の意。

「ばっち」は、ものひきの意。「ぱっち」とも。

「ひがくれ」は、夕方の意。

「ひっぱり」は、仕事着の意。「うわっぱり」とも。

「ひね」は、古い、たけていることの意。

「ひょこたん」は、おどけ者の意。

「ひろーす」は、がんもどきの意。

「ぶっさいく」は、不細工の意。

「ぶっちゃける」は、洗いざらいの意。例:「ぶっちゃけた話」(ほんとうのことを語る)。

「べたこい」は、平べたいの意。「べちゃこい」とも。

「へぇこいてねたろ」は、別に屁をしなくても、大阪の人は、よくこう言う。「うどんくて(食って)、へぇこいて寝たろ」。

「へてから」は、それからの意。

「へたる」は、疲れ果てるの意。

「へちゃ」は、不美人、鼻の低い人の意。「へちゃげる」は、押しつぶすの意。

「べった」は、最後の意。

「べったり」は、べったり、始終の意。

「ほかす」は、捨てるの意。「ほる」は、放す、捨てるの意。

「ほたえる」は、ふさける、騒ぐの意。

「ほっちらかす」は、投げやりにするの意。

「ぼちぼち」は、徐々にの意。

「ぼっかぶり」は、ゴキブリの意。

「ぼったくり」は、ぼられる(法外な金を取られる)の意。

「ほな」は、それではの意。「ほんなら」とも。

「まいげ」は、眉毛の意。

「まかる」は、値段を安くするの意。例:「もう、まからんか」(これ以上、値引きしないか)。

「みぃさん」は、蛇の意。

「みみっちい」は、けちくさいの意。

「むいた話」は、ほんとうのところの意。「ぶっちゃけたところ」と同意。

「めぇて」は、見せての意。

「めめくそ」は、耳クソの意。転じて、ほんの少しの意。

「もみない」は、不味いの意。「もむない」とも。

「ものごっつい」は、ものすごいの意。

「やぁこ」は、赤ちゃんの意。「やや」とも。

「ややこし」は、面倒な、複雑なの意。

「やたけた」は、乱暴、考えなしの意。

「やるくい」は、柔らかいの意。

「ゆぅれん」は、幽霊の意。

「よぉ」は、軽い返事のことば。イントネーションなどが変ると、怒りを発したときの言葉になる。

「よぉさん」は、沢山の意。

「よして」は、仲間に入れての意。「よせて」とも。

「よさり」は、夜間の意。

「よんべ」は、昨夜の意。「よんべ」とも。

「よばれる」は、ご馳走になるの意。

「われ」は、お前の意。「わが」は、自分の意。大阪のシャレ言葉に「樽屋の職人」(輪が(自分が)悪い」。

「わや」は、ダメニなるの意。「さっぱり、わやや」と遣う。

今東光(こんとうこう)は、僧侶であり作家でもある。河内物と言われる一連の作品を残している。第一に挙げられるのは「悪名」シリーズであろう。今は亡き勝新太郎と田宮ニ郎の名コンビの演じる二人のヤクザが遣う「河内弁」はすばらしかった。
今東光は、昭和52年(1977)79歳 9月19日に死去。戒名は大文頴心院大僧正東光春聴大和尚(だいぶんえいしんいんだいそうじょうとうこうしゅんちょうだいかしょう)。