世話物の好きだった六世尾上菊五郎の女房役として五十年、女形一筋に生きた尾上多賀之丞が「江戸世話の女」ー役のこころと題して「芸談」を残している。全部というと長くなるので、途中を端折って再現してみたい。
世話物といっても、いろいろありますがね。まあ大きく分ければ「堀川」の「猿回し」だとか、「六段目」だとかいう義太夫のもの。「弁天小僧」や「河内山」など、黙阿弥物に見られるせりふをうたうようにいうもの。「文七元結」などの生世話物(きぜわもの)、これに俗に書き物(新作)といわれる「暗闇の丑松」だとか「一本刀」とかいうようなものに分けられます。義太夫の入ったものは、いわゆる院本物(まるほんもの)という人形浄瑠璃から出たものが多く、世話物といってもたいへん時代なところもあり、また時代物の一部が世話場であるのも多いので、時代世話と呼んでいます。
大体この「時代」という芝居用語は、世話物に対する時代物ということからで、たいへん大まかでせりふも仕草もオーバー、いまの人が見たら馬鹿馬鹿しくさえ思うほどです。が、それに対しての世話物というとその昔の新作でさあ、大体庶民の生活の世界を主に写している。時代物と比べて、ずっとリアルになりますから、テンポも速いし、内容も写実になっています。
われわれはもちろん、芝居の好きな方には、そのせりふをうたったり、合方(あいかた)がはいったり、それでいてリアルになったりする、その妙味がこたえられぬ魅力なのですがねぇ。時代物が楷書(かいしょ)なら時代世話が行書(ぎょうしょ)、生世話が草書(そうしょ)というところでしょう。
義太夫のはいるものでも、ほんの説明的に筋の進行程度にはいる義太夫を、ト書きチョボといいますが、これは節や文章は大したこともありません。まあ世話物といえば黙阿弥物といわれるように、有名なものや傑作が数々ありますし、また鶴屋南北のものには「四谷怪談」などの傑作もあり、黙阿弥とはまた違った面白さのあるものです。こういう世話物は、世話物といってもほとんど時代物と同じで、きまったせりふ廻しは唄のように節をつけ、仕草も踊りに近く、様式美、つまり型のようなものが出来上がっていて、それをそれぞれ踏襲しているようなものです。
六代目の師匠なんかでもここのところはやかしかったもんですよ。もっとも、これは六代目が九代目(團十郎)の薫陶を受けた人だけに、うるさかったわけでしょう。九代目という方がむかしからの形だけの演技から、肚で芝居するリアルな演技ということに重点をおかれ、歌舞伎に新風を吹き込んだ方ですから。それに加えて昔からの型や様式美を重んじた五代目(菊五郎)のよいところを受け継いだ六代目が、いわゆる菊五郎歌舞伎というものをこしらえられたわけで、鬼に金棒というところでしょう。
いくらその役になりきっても、お客にそう見せる、またお客がそう見えるということが肝心ですから、われわれでも乗ってきて、涙でせりふがつまったりすることもありますが、せりふもいえなくなっなっちゃ困りますし、いくら涙が本当に出てもお客からみてそう見えなきゃ、何にもなりませんものね。もっとも六代目のような名人になると、ちょっと違ってきますがね。それはね、道成寺を踊っていて俺は死にたくなったことが二三度ある、といっていました。どういうことかというと、あまりうまく踊れて無我の境に入ってしまい、ああこんなときにこのまま死ねたらと思ったそうです。これなんか特別の人だからこそでしょうが。
肚ができるということは、何も世話物ばかしじゃあありませんよ。時代物でも所作事(しょさごと)でも肚。性根ができていなきゃあ仕様がありませんや。ことにリアルな世話物では、それが重要になってきます。肚とは何かというと、その役をよく理解すること、その役の者がやりそうなことすべてを、表現できるように研究することです。こりゃぁ女形でも立役でも同じことです。たとえば、その役の者が転んだらどう転ぶか、徳利をふいに倒したら、倒されたらどうするか。脚本にあることはもちろん、それ以外にことが起こったらどうするかを研究しておくことです。そのとき、その役として処理できるかどうかが問題です。
うちの師匠なんかよくやりました。わざとやって見てためしたり、本当に突発的になにかが怒ったとき、今いったように、さっとそれがその役で片付けると、褒めてくれたし、それがよいと思うと、すぐ翌日からそれを用いたりしてね。それが間抜けなことをしたり、あわてたり、地(じ)の役者にかえってしまおうものならたいへん、あいつぁダメだと烙印をおされ、当分首が細くなってしまいます。
お銚子をひっくり返したとする。芝居だからお銚子は空ですが、芝居の状況で酒が熱い時も冷たい時もあるでしょう。また持って来たての時もあれば、空に近いときもありう。すると拭き方も変わってくるし、どうしても直ぐあとで飲まなきゃならない場面だったら、「ああ、よかった。まだありますよ」ってなことを言って振ってみせるとか、間を見てその銚子をもって奥へ入り、入れてきた振りもしなけりゃならないですよね。それをとっさにやらなきゃならない。それをうまく仕出かすには、ホラ、よっぽどその芝居やその役を理解して、肚に収めていなきゃできないことですよ。
ただね、よく掘り下げる掘り下げるといってる人がいるけど、掘り下げ方が違うと、掘り下げた穴に自分が落っこってしまうことになりかねない。按摩の役で杖をころがしたらどうやってとるかとか、下駄がぬげたらどうするとか。着物に酒をこぼされたときだっていい。芸者やいい太夫なら平ちゃら顔で、下っぱならいっしょけんめいに拭かなきゃならないとか。仕出しの仲居や芸者が室へ入る時にでも、ものをまたいで入る奴と、ちょっと片寄せて入る奴とじゃ、すぐ性根が知れるというものですよ。
ところが肚ばかりじゃ芝居はできません。表現力がなくちゃお客様は納得しません。涙が出たで、テレビや映画のアップなら泣いていることは分かるけど、舞台、ことに大きな舞台じゃ何をしてるんだか分かりません。その技術は、いわゆる熟練です。どうすればよいかは先人や先輩や、他人からや自分自身の研究です。
肩をなで肩に見せるとか、内輪に歩くとかは、女形の初歩であって、むしろ演技以前ということでしょうか。こうしたことは子役上がりにはもう出来上がっているべきで、いま肩がはっている力を抜かねばとか、歩き方が男になるなどと思っていては、芝居なんか出来やしません。女の仕事もそうです。かりに雑巾(ぞうきん)をしぼるのも、縫い物をするのも、襷(たすき)をかけるのも、女が、いや、その役がしているのでなくてはならないのですよ。分かりますか?ですからふだんが大切だってことです。
座り方にしても、役によっていろいろあります。若い娘なら足の甲を重ねて座り、少し座高を高くして胸をはる。年寄りならば、お尻を落として背をまるめ腹を折るようにして座る。中年なら足のおや指が重なる程度に据わるとか。
女郎の立て膝も、その身分でいろいろとかわります。品よく色気を出すには、立てた膝を股が開かないように内側へ倒すようにする。座った形が細く粋に見えます。それも、惚れている男が左に座れば右膝を立て、右に居れば左を立てることになりますが、そうすると、これは好きなんだなという気持ちが伝わってきます。
逆にいやな男の時は、客のほうの膝を立てる。つまり壁をつくるようなもんでしょうね。いやな客でも、ウソついている間は反対側を立てて惚れたふりをしている。はっきりそれを表明するときは、その立て膝を取り替える。つまり愛想づかしなどに用いられる手法です。これなんか型というより誰がやってもする決まりのようなものですが、別にこうしなけりゃならないというものでもありません。そう見える心理描写のひとつでしょう。また、そうすることで好きな男へしなだれかかり易いし、お酌もしよいし、自然なんですよ。
立っているときでも、容姿よく見せるのには、片方の膝の裏側へ、後ろに引いた足の膝を入れるようにつけると、腰もすわり、いい線が出ます。こりゃ昔の女の風俗の場合ですよ。洋服でやられちゃナンセンスです。裾を引いた着物だと、うっかり踵(かかと)を上げたりすると、裾を引いた流れの線が、踵の出っ張りできたなくなってしまいます。また、膝をつき上げて、人を止めたり見上げたりするとき、足首を立てないで足の甲を下につけるようにすると、ことに裾を引いているときなど、踵のところがとびださず、きれいな線が出て美しく見えます。こういう神経は、師匠もやかましゅうございました。また、逆に言うことで「盲長屋」のお兼などでは、質屋の外で天水桶によりかかっている間、わざと踵を上げて、下品さ、野暮さを出すようにします。
褄(つま)のとり方なんかでもそうです。これも同じく、それぞれ全部違いますから、もし褄のとり方をアップにして写したら、どういう役か分かるはずです。簪(かんざし)で頭を隠しても、そっと二度ほどゆっくりかけば色っぽいけど、きゅきゅきゅとかけば安女郎みたいになってしまう。指でかけばもっとひどいあばずれってことですね。指で歯にはさまったものをとるにいたっては、その中年から先のろくでなし。大奥の中老をやるかと思えば、こんな役もやらねばなりません。だから年がら年中、目をキョロキョロさせて、モデルを泥棒していなくてはいけないのです。
世話女房は、現代のご婦人とは違い、何から何まで亭主関白に仕えねばなりませんからたいへんです。「魚屋宗五郎」の女房なども、三吉と二人で後見みたいなもので、あのうるさい師匠の宗五郎に三吉の伊三さん(尾上松助)と二人、一月に一貫はやせたものでした。次から次への仕事はともかく、その神経は並大抵じゃありませんでした。
女房ばかりでなく、女形というものは立役の仕よいようにと心がけてやらなければいけません。女形に酒豪が多いのも、舞台のうっせきを家へ帰ってはらそうという気がるのかもしれませんね。そんなわけで、相手が変われば、またこちらも変えなければならない。「六段目」のおかやにしても、何人もの方とお付き合いさえてもらいましたが、六代目をはじめ十五代目羽左衛門さん、十一代目團十郎さん、三代目左団次さん、松緑さん、勘三郎さん、それに七代目菊五郎と勘平さんが変わりましたが、みなさんそれぞれ違います。
しかし、それが全部五代目菊五郎の型から出ているのだから面白いもので、六代目がそれを受け継ぎいろいろと変えられましたが、十五代目さん以外はみなこの六代目の型をやっているのに、これがまたその方々によって違うのです。でもそれが良いのであって、六代目とまったく同じだったら六代目の不味いのが出来るだけでしょう。違うところが歌舞伎の良さであり、芝居の面白さがでるのでしょう。違う人がやるのだから、違うのが当たり前で、同じことをしていたら退歩するだけでサア。それを勘違いしている人もいるようですが、型は同じでも肉体も持ち味も意気も違うところに、歌舞伎の場合は一日替わりなどという呼び物が出来るわけです。
私も今年でかぞえで八十八になりましたから、八十四年舞台に出ているわけですが、だんだん舞台がこわくなってきました。せりふもだんだん覚えられなくなってくるし、体力的にもいうことがきかなくなってくる。そんなせいもあるかも知れませんが、責任感とでもいうのでしょうか、自分に厳しくなるんでしょうかね。みっともないことをしたくないと思うからかも知れませんが、初日なんか非情に不安な気持ちです。
私は、昔は何でもやりました。叔父の工左衛門というのが大阪の役者で、それこそ何でも演るのが主義でしたから、若いうちは、あらゆる役をやりました。師匠のところへお世話になってから、六代目の女房だからということで、以来立役をやらず女形に専念して五十三年経ちました。そしてだいたい世話物を得意として過してきました。が、芝居というものは、底の知れないものですねえ。壁などとよくいいますが、ぶつかるところへ行き着きたいものでよ。
世話物といっても、いろいろありますがね。まあ大きく分ければ「堀川」の「猿回し」だとか、「六段目」だとかいう義太夫のもの。「弁天小僧」や「河内山」など、黙阿弥物に見られるせりふをうたうようにいうもの。「文七元結」などの生世話物(きぜわもの)、これに俗に書き物(新作)といわれる「暗闇の丑松」だとか「一本刀」とかいうようなものに分けられます。義太夫の入ったものは、いわゆる院本物(まるほんもの)という人形浄瑠璃から出たものが多く、世話物といってもたいへん時代なところもあり、また時代物の一部が世話場であるのも多いので、時代世話と呼んでいます。
大体この「時代」という芝居用語は、世話物に対する時代物ということからで、たいへん大まかでせりふも仕草もオーバー、いまの人が見たら馬鹿馬鹿しくさえ思うほどです。が、それに対しての世話物というとその昔の新作でさあ、大体庶民の生活の世界を主に写している。時代物と比べて、ずっとリアルになりますから、テンポも速いし、内容も写実になっています。
われわれはもちろん、芝居の好きな方には、そのせりふをうたったり、合方(あいかた)がはいったり、それでいてリアルになったりする、その妙味がこたえられぬ魅力なのですがねぇ。時代物が楷書(かいしょ)なら時代世話が行書(ぎょうしょ)、生世話が草書(そうしょ)というところでしょう。
義太夫のはいるものでも、ほんの説明的に筋の進行程度にはいる義太夫を、ト書きチョボといいますが、これは節や文章は大したこともありません。まあ世話物といえば黙阿弥物といわれるように、有名なものや傑作が数々ありますし、また鶴屋南北のものには「四谷怪談」などの傑作もあり、黙阿弥とはまた違った面白さのあるものです。こういう世話物は、世話物といってもほとんど時代物と同じで、きまったせりふ廻しは唄のように節をつけ、仕草も踊りに近く、様式美、つまり型のようなものが出来上がっていて、それをそれぞれ踏襲しているようなものです。
六代目の師匠なんかでもここのところはやかしかったもんですよ。もっとも、これは六代目が九代目(團十郎)の薫陶を受けた人だけに、うるさかったわけでしょう。九代目という方がむかしからの形だけの演技から、肚で芝居するリアルな演技ということに重点をおかれ、歌舞伎に新風を吹き込んだ方ですから。それに加えて昔からの型や様式美を重んじた五代目(菊五郎)のよいところを受け継いだ六代目が、いわゆる菊五郎歌舞伎というものをこしらえられたわけで、鬼に金棒というところでしょう。
いくらその役になりきっても、お客にそう見せる、またお客がそう見えるということが肝心ですから、われわれでも乗ってきて、涙でせりふがつまったりすることもありますが、せりふもいえなくなっなっちゃ困りますし、いくら涙が本当に出てもお客からみてそう見えなきゃ、何にもなりませんものね。もっとも六代目のような名人になると、ちょっと違ってきますがね。それはね、道成寺を踊っていて俺は死にたくなったことが二三度ある、といっていました。どういうことかというと、あまりうまく踊れて無我の境に入ってしまい、ああこんなときにこのまま死ねたらと思ったそうです。これなんか特別の人だからこそでしょうが。
肚ができるということは、何も世話物ばかしじゃあありませんよ。時代物でも所作事(しょさごと)でも肚。性根ができていなきゃあ仕様がありませんや。ことにリアルな世話物では、それが重要になってきます。肚とは何かというと、その役をよく理解すること、その役の者がやりそうなことすべてを、表現できるように研究することです。こりゃぁ女形でも立役でも同じことです。たとえば、その役の者が転んだらどう転ぶか、徳利をふいに倒したら、倒されたらどうするか。脚本にあることはもちろん、それ以外にことが起こったらどうするかを研究しておくことです。そのとき、その役として処理できるかどうかが問題です。
うちの師匠なんかよくやりました。わざとやって見てためしたり、本当に突発的になにかが怒ったとき、今いったように、さっとそれがその役で片付けると、褒めてくれたし、それがよいと思うと、すぐ翌日からそれを用いたりしてね。それが間抜けなことをしたり、あわてたり、地(じ)の役者にかえってしまおうものならたいへん、あいつぁダメだと烙印をおされ、当分首が細くなってしまいます。
お銚子をひっくり返したとする。芝居だからお銚子は空ですが、芝居の状況で酒が熱い時も冷たい時もあるでしょう。また持って来たての時もあれば、空に近いときもありう。すると拭き方も変わってくるし、どうしても直ぐあとで飲まなきゃならない場面だったら、「ああ、よかった。まだありますよ」ってなことを言って振ってみせるとか、間を見てその銚子をもって奥へ入り、入れてきた振りもしなけりゃならないですよね。それをとっさにやらなきゃならない。それをうまく仕出かすには、ホラ、よっぽどその芝居やその役を理解して、肚に収めていなきゃできないことですよ。
ただね、よく掘り下げる掘り下げるといってる人がいるけど、掘り下げ方が違うと、掘り下げた穴に自分が落っこってしまうことになりかねない。按摩の役で杖をころがしたらどうやってとるかとか、下駄がぬげたらどうするとか。着物に酒をこぼされたときだっていい。芸者やいい太夫なら平ちゃら顔で、下っぱならいっしょけんめいに拭かなきゃならないとか。仕出しの仲居や芸者が室へ入る時にでも、ものをまたいで入る奴と、ちょっと片寄せて入る奴とじゃ、すぐ性根が知れるというものですよ。
ところが肚ばかりじゃ芝居はできません。表現力がなくちゃお客様は納得しません。涙が出たで、テレビや映画のアップなら泣いていることは分かるけど、舞台、ことに大きな舞台じゃ何をしてるんだか分かりません。その技術は、いわゆる熟練です。どうすればよいかは先人や先輩や、他人からや自分自身の研究です。
肩をなで肩に見せるとか、内輪に歩くとかは、女形の初歩であって、むしろ演技以前ということでしょうか。こうしたことは子役上がりにはもう出来上がっているべきで、いま肩がはっている力を抜かねばとか、歩き方が男になるなどと思っていては、芝居なんか出来やしません。女の仕事もそうです。かりに雑巾(ぞうきん)をしぼるのも、縫い物をするのも、襷(たすき)をかけるのも、女が、いや、その役がしているのでなくてはならないのですよ。分かりますか?ですからふだんが大切だってことです。
座り方にしても、役によっていろいろあります。若い娘なら足の甲を重ねて座り、少し座高を高くして胸をはる。年寄りならば、お尻を落として背をまるめ腹を折るようにして座る。中年なら足のおや指が重なる程度に据わるとか。
女郎の立て膝も、その身分でいろいろとかわります。品よく色気を出すには、立てた膝を股が開かないように内側へ倒すようにする。座った形が細く粋に見えます。それも、惚れている男が左に座れば右膝を立て、右に居れば左を立てることになりますが、そうすると、これは好きなんだなという気持ちが伝わってきます。
逆にいやな男の時は、客のほうの膝を立てる。つまり壁をつくるようなもんでしょうね。いやな客でも、ウソついている間は反対側を立てて惚れたふりをしている。はっきりそれを表明するときは、その立て膝を取り替える。つまり愛想づかしなどに用いられる手法です。これなんか型というより誰がやってもする決まりのようなものですが、別にこうしなけりゃならないというものでもありません。そう見える心理描写のひとつでしょう。また、そうすることで好きな男へしなだれかかり易いし、お酌もしよいし、自然なんですよ。
立っているときでも、容姿よく見せるのには、片方の膝の裏側へ、後ろに引いた足の膝を入れるようにつけると、腰もすわり、いい線が出ます。こりゃ昔の女の風俗の場合ですよ。洋服でやられちゃナンセンスです。裾を引いた着物だと、うっかり踵(かかと)を上げたりすると、裾を引いた流れの線が、踵の出っ張りできたなくなってしまいます。また、膝をつき上げて、人を止めたり見上げたりするとき、足首を立てないで足の甲を下につけるようにすると、ことに裾を引いているときなど、踵のところがとびださず、きれいな線が出て美しく見えます。こういう神経は、師匠もやかましゅうございました。また、逆に言うことで「盲長屋」のお兼などでは、質屋の外で天水桶によりかかっている間、わざと踵を上げて、下品さ、野暮さを出すようにします。
褄(つま)のとり方なんかでもそうです。これも同じく、それぞれ全部違いますから、もし褄のとり方をアップにして写したら、どういう役か分かるはずです。簪(かんざし)で頭を隠しても、そっと二度ほどゆっくりかけば色っぽいけど、きゅきゅきゅとかけば安女郎みたいになってしまう。指でかけばもっとひどいあばずれってことですね。指で歯にはさまったものをとるにいたっては、その中年から先のろくでなし。大奥の中老をやるかと思えば、こんな役もやらねばなりません。だから年がら年中、目をキョロキョロさせて、モデルを泥棒していなくてはいけないのです。
世話女房は、現代のご婦人とは違い、何から何まで亭主関白に仕えねばなりませんからたいへんです。「魚屋宗五郎」の女房なども、三吉と二人で後見みたいなもので、あのうるさい師匠の宗五郎に三吉の伊三さん(尾上松助)と二人、一月に一貫はやせたものでした。次から次への仕事はともかく、その神経は並大抵じゃありませんでした。
女房ばかりでなく、女形というものは立役の仕よいようにと心がけてやらなければいけません。女形に酒豪が多いのも、舞台のうっせきを家へ帰ってはらそうという気がるのかもしれませんね。そんなわけで、相手が変われば、またこちらも変えなければならない。「六段目」のおかやにしても、何人もの方とお付き合いさえてもらいましたが、六代目をはじめ十五代目羽左衛門さん、十一代目團十郎さん、三代目左団次さん、松緑さん、勘三郎さん、それに七代目菊五郎と勘平さんが変わりましたが、みなさんそれぞれ違います。
しかし、それが全部五代目菊五郎の型から出ているのだから面白いもので、六代目がそれを受け継ぎいろいろと変えられましたが、十五代目さん以外はみなこの六代目の型をやっているのに、これがまたその方々によって違うのです。でもそれが良いのであって、六代目とまったく同じだったら六代目の不味いのが出来るだけでしょう。違うところが歌舞伎の良さであり、芝居の面白さがでるのでしょう。違う人がやるのだから、違うのが当たり前で、同じことをしていたら退歩するだけでサア。それを勘違いしている人もいるようですが、型は同じでも肉体も持ち味も意気も違うところに、歌舞伎の場合は一日替わりなどという呼び物が出来るわけです。
私も今年でかぞえで八十八になりましたから、八十四年舞台に出ているわけですが、だんだん舞台がこわくなってきました。せりふもだんだん覚えられなくなってくるし、体力的にもいうことがきかなくなってくる。そんなせいもあるかも知れませんが、責任感とでもいうのでしょうか、自分に厳しくなるんでしょうかね。みっともないことをしたくないと思うからかも知れませんが、初日なんか非情に不安な気持ちです。
私は、昔は何でもやりました。叔父の工左衛門というのが大阪の役者で、それこそ何でも演るのが主義でしたから、若いうちは、あらゆる役をやりました。師匠のところへお世話になってから、六代目の女房だからということで、以来立役をやらず女形に専念して五十三年経ちました。そしてだいたい世話物を得意として過してきました。が、芝居というものは、底の知れないものですねえ。壁などとよくいいますが、ぶつかるところへ行き着きたいものでよ。