かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

日本舞踊 いろいろ

2005-02-09 12:25:53 | 伝統芸能
歌舞伎の狂言に欠かすことのできないのは舞踊である。数ある舞踊のなかから、私の好みのものをいくつか挙げたい。

お祭(おまつり)         清元
江戸っ子が徳川様の前でも大威張りで騒げることができる「天下祭」は、二つある。その一つは神田明神の「神田祭り」であり、今一つは山王様の「山王祭り」であるといわれている。この「天下祭」は隔年交替で行われた。神田祭のほうは「〆能色相図」(しめろやれいろのかけごえ)であり、今一つは、この「お祭」である。「お祭」は、金棒引(かなぼうびき)の鳶頭(とびかしら)で、すこぶる威勢がいい。「じたい去年の山帰り‥」のくどきが眼目だが、一人踊りではあるが、江戸の平和な祭礼気分、女房を質に入れても晴れ着を買うというような頃の雰囲気を醸し出されている。

傀儡師(かいらいし)     清元
傀儡師とは、平安時代から各地にいた一種のジプシーだったが、これが首へ箱をかけ、中から人形を出して躍らせ、銭を乞うようになったのは、室町から徳川初期といわれている。獅子地に人形模様の着付・袖なしを着て、浅黄の頭巾、首から人形箱をかけたのが傀儡師のユニフォームだ。傀儡師には付物の「小倉の野辺」や「三人持ちし子宝」が終わり、自分でその人形になって、お七吉三のくどき、弁長のチョボクレを見せ、最後に知盛の幽霊になって、「どうだ、義公」とくだけるあたりが頽廃気分である。七世坂東三津五郎(当代の曾祖父)のが実に軽妙洒脱でよかった。

かっぽれ       常磐津
つい最近にも上演された「かっぽれ」は、住吉踊りから変化した江戸の街頭芸能ともいえる踊りで、古くは幇間(たいこもち)などが得意とした座興でもある。明治19年ごろ、かの黙阿弥の原作とされているが、こんにちでは役者のお遊び風になっている。出演者全員が願人坊主になり、浴衣がけでおもしろおかしく踊る。

黒塚(くろづか)   長唄・筝曲
二世市川猿之助(猿翁)の十八番。謡曲「安達原」に拠った能取りものである。阿闍梨(あじゃり)祐慶と従僧が奥州安達ヶ原の一軒の家に宿を求める。あばら家に住む老女は、薪を取りにゆくが、留守のうちに一間を見るべからずと言い残す。しかし、二人は好奇心から一間を覗くと、中は屍骸の山。老女は実は鬼女だったが、昔の罪を悔い、今夜こそは祐慶上人の法力によって仏果を得られると、芒ヶ原(すすきがはら)で月に浮かれて無心に舞う。そこへ強力(ごうりき)が現れので、鬼女は約束が破られたことを知り、怒って元の鬼女の姿と変じて打ちかかるが、念力によって消えうせる。現猿之助も得意の一つにしている。

高坏(たかつき)       長唄
狂言仕立の所作事。花見に来た大名が、盃をのせる高坏を忘れたことに気づき、太郎冠者(たろうかじゃ)に求めにやらせる。太郎冠者は、高坏を知らないために、来かかった足袋売りの呼び声が似ていたことから、高足の下駄を押し売りされ、挙句は二人で酒宴が始まる。太郎冠者が酔いつぶれているところへ、大名と次郎冠者が探しに来る。太郎冠者は酔いにまぎれて高下駄を履いて、タップダンスを踊るのが見せ場。中村勘九郎が得意にしている。お父さん譲りである。

乗合船(のりあいぶね)   常磐津
初春の隅田川に、渡し舟へ乗り合わせた万歳と才蔵、通人と大工、巫女と白酒売りがそれぞれが踊る。いかにも江戸の昔をしのばせる特異な踊りである。眼目は万歳と才蔵の柱建てであるが、通人の性格、大工のイナセなところなど、江戸の空気を感じさせる踊りである。役者の都合で人物を増減は自在であるが、元々は「七福神」に見立てて、七人である。理屈なく楽しめる踊りである。

羽根の禿(はねのかむろ)     長唄
禿(かむろ)とは、遊女の小間使いをする少女のこと。この踊りは初春の吉原(妓楼)、籬(まがき)の前で禿が羽根をつく姿をうつしたもの。短い平易な曲なので、子どもの踊りの手ほどきに、よく使われる。短いので、たいてい何か入れごとをするが、要するに「かわいらしさ」が身上である。踊りの神様とまでいわれた六世尾上菊五郎が手を加え、こんにちの舞踊とした。

藤娘(ふじむすめ)     長唄
大津絵の藤の枝をかたげた美しい娘の姿を舞踊化した変化物の一つである。こんにちでは、六世菊五郎が考案したといわれる「松の大木と藤の大房」という背景が定着している。形がいい、踊りがやさしいときているので、「おさらい」では入門したての子どもがよく出す踊りである。眼目は「男心の憎いのは」というくどきと、踊り地の「松を植えよなら」である。幕開きを真っ暗にして、パッと照明をするところなど、憎いほどの演出である。

「茨木」(いばらき)        長唄
五世尾上菊五郎が設定した「新古演劇十種」の一である。すなわち、音羽屋の家の芸の一である。
茨木童子が叔母に化けて、渡辺綱に斬られた片腕を取り返す物語を能写しの松羽目物(まつばめもの)仕立ての所作事(しょさごと)である。老女に化けた茨木は、渡辺綱ならずとも門を開けざるをえないほどの哀れさがいる。そして、曲舞は片腕だけで踊るところが見所である。そして、櫃(ひつ)の中を覗き込み、自分の片腕を取る瞬間の凄味は、この踊りのクライマックスである。
そして、後ジテになってからの所作は、老婆の哀れさと違い、勇猛であり、幕外の「雲に乗る」引っ込みは、鬼気迫るものがある。

「落人」(おちゅうど)     清元
本題は「道行旅路花聟」(みちゆきたびじのはなむこ)である。仮名手本忠臣蔵四段目と五段目の間に演じられる舞踊である。

判官が刃傷に及んだ時、早野勘平は主君塩冶判官のお供で登城しておきながらお家の一大事に居合わせなかった。顔世御前の文使いで登城した腰元のお軽と恋仲の勘平は密かに逢瀬を楽しんでいたのである。その責任を感じ切腹しようとする勘平をお軽は必死に止めて、お軽の郷里へ二人で落ちのびて折りをみて大星へ詫びをいれたらと勧める。そして二人はお軽の郷里の摂津の山崎を目指して旅の人となっている。そこに師直家来の鷺坂伴内が追ってくる。本来は三段目の裏なのであるが,四段目の後に上演される事が多い。俗に落人と呼ばれる。曲も振りも傑出しているため、単独で上演されることも多い。哀切なお軽のクドキ、伴内相手の勘平の所作ダテなど美しく堪能できる舞踊。

「鏡獅子」(かがみじし)      長唄
本題は「春興鏡獅子」(しゅんきょうかがみじし)。劇聖・九代目市川團十郎が、福地桜痴に「枕獅子」を改訂させ、卑賤な廓情緒を嫌って、千代田城大奥に場面を借りたという歌舞伎舞踊の大曲である。新歌舞伎十八番の一つである。

大奥で鏡開きの余興に女小姓の舞をという趣向である。舞台上手(かみて)に八足(はっそく)机に真菰(まごも)を敷き、雌雄の獅子頭を飾り、鏡餅を供える。老けたお広敷用人の裃(かみしも)の武士と老若の御殿女中のやりとりがあり、白髪片はずしの鬢に赤地の着付けの老女と水色の着付けの中ろうに手を取られた小姓・弥生が、上手の襖(ふすま)より連れ出され、いったん逃げて入るのを、再び押し出され、独り残される。

弥生は紫地御殿模様の振袖に、矢の字結びの赤地錦の帯。鬢は文金高島田。「しのぶたよりも長廊下」で、正面でお辞儀をする。本調子の「川崎音頭」になり、「道理御殿の勤めじゃと」で、袱紗(ふくさ)さばきを見せ、三下りの「春は花見に」になって、塗骨の扇子をつかった振り、「朧月夜や時鳥」で、目で時鳥の声を追う。「時しも今は牡丹の花の」は、牡丹の花を見る眼の高さが難しいといわれる。

合方になうと、上手に飾ってある獅子頭ととる。後見(こうけん)が二本の差し金(さしがね)を使って、左右の蝶に獅子頭が気をとられる。獅子頭が蝶に狂っているのに驚き、袂(たもと)で獅子頭を押える。獅子頭に引かれて弥生は花道へ行き、転ぶ。獅子頭が、弥生の体より先に首をあげ、起き上がり、獅子頭に引かれて揚幕に入る。弥生の体と獅子頭とが反対に動くという難しさが見所である。

二人の胡蝶(こちょう)の踊りとなる。正面の出囃子の雛壇が左右に割れて、二畳台が出て、二人の胡蝶が、鼓唄(つづみうた)、鞨鼓(かっこ)の踊り、鈴太鼓(すずたいこ)の踊りとなる。

後見が二畳台に紅白の牡丹の作り枝を挿す。「それ清涼山(せいりょうざん)の石橋(しゃっきょう)は」と、大薩摩(おおさつま)があり、獅子の出となる。花道を一度出て、七三で毛を振り、後ろ向きのまま、揚幕へ入る。「打ち出し」の囃子で、二度目の出となる。
本舞台の二畳台にあがり、高く飛びあがり、右足を出して、腰を落とし、眠りにつく。左右の襖から胡蝶が出て、獅子を起こし、獅子とからんで踊る。

「獅子は勇んで」で、首を左右に振り分けながら、片膝をつき、片足で拍子をとって前へ進む。二畳台にあがり、牡丹に戯れ、花道へ行って手を振る。「髪洗い」の形に振って舞台へ戻り、胡蝶を追う。二畳台にあがり、「巴」「菖蒲打ち」に毛を振り、「獅子の座にこそ、なおりけれ」で、胡蝶は下手(しもて)で両袖を振り、獅子は激しい毛振りの後、息が上がるのが普通だが、決まりの姿は、右足をあげたまま、幕となる。