楼門五三桐(ろうもんごさんのきり)
石川五右衛門&真柴久吉
五右衛門
『絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金(あたいせんきん)たあ小せえ(ちいせえ)、小せえ。この五右衛門には値万両、最早(もはや)陽(ひ)も西に傾き、誠に春の夕暮れに花の盛りもまた一入(ひとしお)、はて、うららかな眺めじゃなぁ。ハテ心得ぬ(こころえぬ)、われを忘れずこのところに羽根(はね)を休むるとは‥。なになに、某(それがし)もとは大明十二代神宗皇帝の臣下宋蘇卿(そうそけい)と言いし者、本国に一子(いっし)を残し、この土(ど)に渡り謀叛(むほん)の企て(くわだて)今月ただいま露顕(ろけん)なし、たとえ空しく(むなしく)相果つるとも、かの地に残せし倅(せがれ)、われを慕うて日本へ渡りしとほぼ聞けど、いまだ対面は遂げず形見(かたみ)に与えし蘭麝待(らんじゃたい)という名香を証拠になにとぞ尋ね出し、わが無念を語り、力を合わせ、久吉を討ち取るべきものなり。すりゃ此村大炒之助(このむらおおいのすけ)と言いしは、わが父宋蘇卿にありつるか、父の無念、光秀公の恨み、たとえこの身は油で煮られ、肉はとろけ、骨は微塵(みじん)に砕くるとも、おのれ久吉、今にぞ思い知らせてくれん。』
久吉
『石川や浜の真砂はつくるとも。』
五右衛門
『ナナ、何と。』
久吉
『世に盗人(ぬすびと)の種はつきまじ。』
五右衛門
『エイッ。』
久吉
『巡礼に、ご報謝。』
この芝居は、元々「通し狂言」ではるが、こんにちでは、この「山門」だけを独立させて上演されている。五右衛門は、大百日という蔓で山門の上に座る座頭の貫禄を具えていなければならない。満開の桜のなかに極彩色の山門があり、大道具の「せり上げ」によって迫力満点の一幕が出来上がっている。先々代の実川延若の五右衛門は、顔といい、口跡といい、風格といい、絶品のものであった。大泥棒の五右衛門が派手な衣裳を着け、大煙管を持って、歯切れのいい台詞を言う。なんと長閑な芝居であろうか。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
荒獅子男之助
『アラ怪しやなぁ、今この荒獅子男之助照秀(あらじしおとこのすけ・てるひで)が、侫人(ねいじん)ばらの讒言(ざんげん)によって、君の御前を遠ざけられ、ご寝所(ごしんじょ)間近い(まじかい)床下(ゆかした)に、宿居(とのい)なすともいざ知らず、窺い(うかがい)寄った溝鼠(どぶねずみ)、汝(うぬ)もただの鼠じゃあんめえ。この鉄扇(てっせん)を喰らわぬうち、一巻渡し、キリキリ消えてなくなれえ。』
伊達騒動(だてそうどう)は、実録より講釈のほうが有名である。「伽羅先代萩」は、この騒動を人形浄瑠璃で演じたのは天明五年(1785)であった。江戸でできた浄瑠璃が後に歌舞伎芝居となったのは、珍しいことである。政岡の忠義があって、その御殿の舞台がセリ上がると、「床下」になる。荒獅子男之助は、「荒事」の拵えで、荒事の演出である。そこへ一匹の鼠が出てきて、身軽い演技を見せる。男之助の鉄扇を額に受けて、「すっぽん」の穴へ消える。床下の主役は花道七三の「すっぽん」から煙幕とともに出てくる仁木弾正(にっきだんじょう)であるが、一言の台詞もない役です。貫禄だけの役。仁木の手裏剣を男之助が見事に受ける。最後に『取り逃がしたか、残念な』と、きっぱりと言う。そこでチョーンと幕になる。
仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
早野勘平
『しばらく、しばらくご両所、しばらくお待ちくだされ。亡君尊霊(ぼうくんそんれい)のご恥辱(ごちじょく)とあれば、一通り申し開きつかまつらん。お下に(おしも)に御座って、お聞きくだされ。弥五郎(やごろう)殿、夜前(やぜん)、貴殿にお目にかかり、別れて帰る途(みち)すがら、金の工面(くめん)にとやかくと、心も暗き闇(やみ)まぎれ、山越す猪(しし)に出遭い、二つ玉の強薬(つよぐすり)、切って放てば、あやまたず確かに手応え立ち寄り見れば、猪にあらで旅人。南無三宝(なむさんぼう)薬はなきやと懐中(かいちゅう)を、さぐり見れば、手にあたった金財布(かねざいふ)、道ならぬこととは知りながら、天よりわれに与うる金と押しいただき、なににもせよ、貴殿に追いつきお手渡し仕り、徒党(ととう)の数に入ったりと、喜び勇み立ち帰り、様子をきけば情けなや、金は女房を売った金、打ちとめたるは舅(しゅうと)殿。いかなればこそ勘平は、三左衛門(さんざえもん)の嫡子(ちゃくし)と生まれ、十五の年よりご近習(ごきんじゅう)勤め、百五十石(ひゃくごじゅうこく)頂戴(ちょうだい)いたし、代々塩冶(えんや)のご扶持(ごふち)を受け、束の間(つかのま)ご恩を忘れぬに、色にふけったばっかりに、大事な場所に居合わさず、この天罰(てんばつ)で心を砕き(くだき)、御仇討ち(おんかたきうち)の連判(れんばん)に、加わりたさに調達(ちょうたつ)の、金もかえって石瓦(いしかわら)、交喙(いすか)の嘴(はし)と食い違い、言い訳なさに勘平が、切腹(せっぷく)なしたる身の成りゆき、ご両所方、ご推量(ごすいりょう)くださりませ。』
忠臣蔵の六段目。勘平切腹の場。数右衛門・弥五郎の二人の侍の前で、申し訳なさのため切腹する。この台詞は瀕死の重傷を負っての勘平の台詞である。笛の合方でしんみりとする場面である。
三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
お嬢吉三&お坊吉三&和尚吉三
お嬢
『月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)に篝(かがり)もかすむ春の空、冷てェ風もほろ酔いに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏の只一羽(ただいちわ)、塒(ねぐら)に帰る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟(あわ)、思いがけなく手に入る百両‥(ここで、「御厄払いましょう、厄落とし」という声が聞こえる)ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山に一文の、銭(ぜに)と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ。』
お坊
『もし、姐さん。ちょっと待っておくんなせェ。』
お嬢
『ハイ、何ぞ御用でござりますか。』
お坊
『用があるから呼んだのさ。』
お嬢
『何の御用か存じませぬが、わたしも急な‥。』
お坊
『用もあろうが手間はとらせぬ。待てと言ったら待ちなせェ。』
お嬢
『待てとあるゆえ待ちましたが、してわたしへの御用とは。』
お坊
『用というのは他(ほか)でもねェ。浪人ながら二腰(ふたこし)たばさむ武士が手を下げこなたへ無心、どうぞ貸してもらいたい。』
お嬢
『女子(おなご)をとらえお侍(さむらい)が、貸せとおっしゃるその品は。』
お坊
『濡れ手で粟の百両を。』
お嬢
『エエッ?』
お坊
『見かけて頼む、貸してくだせェ。』
お嬢
『そんなら今の様子をば。』
お坊
『駕籠(かご)にゆられてとろとろと、一杯機嫌の初夢に、金と聞いては見逃せねェ。心は同じ盗人根性(ぬすっとこんじょう)、去年の暮れから間が悪く、五十とまとまる仕事もなく、遊びの金にも困っていたが、なるほど世間はむずかしい。友禅(ゆうぜん)入りの振袖で人柄づくりのお嬢さんが、追い落としとは気がつかねェ。それから見ると俺なんざぁ、五分月代(ごぶさかやき)に着流しで、小長い刀の落とし差し、ちょっと見るから往来の、人も用心する拵え(こしらえ)、金にならねェも、もっともだ。』
お嬢
『それじゃぁ、お前の用というのは、これを貸してくれろとかえ。』
お坊
『取らねェ昔と諦めて、それを俺に貸してくりゃれ。』
お嬢(ここで、娘役の声から、男役の声に変る)
『そりゃぁ、大きな当て違い。犬おどしとも知らねェで、大小差していなさるゆえ、大方新身(あらみ)の胴試し(どうだめし)、命の無心と思いのほか、お安い御用の端た金(はしたがね)、お貸し申してあげたいが、凄味(すごみ)な台詞でおどかされては、お気の毒だが貸しにくい。まぁ、お断り申しやしょう。』
お坊
『貸されぬ金なら借りめェが、形相応(なりそうおう)に下から出て、許してくれと何故言わねェ。木咲(きさき)の梅より愛嬌(あいきょう)の、こぼれる娘の憎まれ口、犬おどしでも大小(でェしょう)を、伊達(だて)に差しちゃぁ歩かねェ。切り取りなすは武士の習い、きりきり金を置いて行け。』
お嬢
『いいや、置いては行かれねェ、欲しい金なら、こちらよりそっちのほうが下から出たがいい。素人衆には大枚(たいまい)の金もただ取る世渡りに、未練(みれん)に惜しみはしねェけれど、こう言いかかった上からは、空吹く風に逆らわぬ。柳に受けちゃぁいられねェ。切り取りなすが習いなら、命とともに取んなせェ。』
お坊
『そりゃぁ、取れと言わねェでも、命もいっしょに取る気だが、お主も定めて名のある盗人、無縁(むえん)にするも不憫(ふびん)ゆえ、今日を立日(たちび)に七七日(なななぬか)、一本花に線香は、殺した俺が手向け(たむけ)てやるから、その俗名(ぞくみょう)を名乗っておけ。』お嬢
『名乗れとあるなら名乗ろうが、まぁ俺よりはそっちから、七本塔婆(とうば)に書き記す、その俗名を名乗るがいい。』
お坊
『こりゃぁ、俺が悪かった。人に名を訊く(きく)そのときは、まぁこっちから名乗るが礼儀、そこが仇名(あだな)のお坊さん、こゆすり騙り(かたり)、ぶったくり、押しのきかねェ悪党(あくとう)も、一年増しに功を積み、お坊吉三と肩書きの、武家お構いのごろつきだ。』
お嬢
『そんならかねて話に聞いた、お坊吉三はお主がことか。』
お坊
『してその方の名は何と。』
お嬢
『問われて名乗るもおこがましいが、きかぬ芥子(からし)と悪党の、凄味のないのは馬鹿げたもの、そこで今度は新しく八百屋お七と名を借りて、振袖姿で稼ぐゆえ、お嬢吉三と名に呼ばれ、世間の狭い食い詰め者さ。』
お坊
『俺が名前に似寄りゆえ、とうから噂に聞いてはいたが、お嬢吉三とあるからは、相手がよけりゃぁ尚更(なおさら)に。』
お嬢
『この百両を取られては、お嬢吉三の名折れとなり。』
お坊
『取らなけりゃぁ、負けとなり、お坊吉三の名の廃り(すたり)。』
お嬢
『互いに名を売る身の上に、引くに引かれぬこの場の出会い。』
お坊
『いまだ彼岸(ひがん)にもならねェに、蛇が見込んだ青蛙。』
お嬢
『取る取らないは命づく。』
お坊
『腹が裂けても呑まにゃぁおかねェ。』
お嬢
『そんならこれをここへかけ。』
お坊
『虫拳(むしけん)ならぬ。』
お嬢
『この場の勝負。』
和尚
『二人ともに、待った待った。』
お嬢
『やぁ、見知らぬそっちがいらぬ留立て(とめだて)。』
お坊
『怪我せぬうちに。』
二人
『退いた(のいた)、退いた。』
和尚
『イイヤ退かれぬ二人の衆。初雷も早すぎる。氷も解けぬ川端に、水にきらめく刀の稲妻、不気味な中へ飛び込むも、まだ近づきにゃぁならねェが、顔は覚えの名うての吉三、いかに血の気が多いとて、大神楽(でえかぐら)じゃぁあるめェし、初春早々剣の舞、どちらに怪我があってもならねェ。丸く収めに仇名さえ、坊主上がりの和尚吉三、幸い今日は節分に、争う心の鬼は外、福は内輪(うちわ)の三人吉三。福茶の豆や梅干の、遺恨(いこん)の種を残さずに、小粒の山椒のこの俺に、厄払いめく台詞だが、さらりと預けておくんなせェ。』
大川端の場は、三人吉三の登場で見物は酔い痴れるのである。
石川五右衛門&真柴久吉
五右衛門
『絶景かな、絶景かな。春の眺めは値千金(あたいせんきん)たあ小せえ(ちいせえ)、小せえ。この五右衛門には値万両、最早(もはや)陽(ひ)も西に傾き、誠に春の夕暮れに花の盛りもまた一入(ひとしお)、はて、うららかな眺めじゃなぁ。ハテ心得ぬ(こころえぬ)、われを忘れずこのところに羽根(はね)を休むるとは‥。なになに、某(それがし)もとは大明十二代神宗皇帝の臣下宋蘇卿(そうそけい)と言いし者、本国に一子(いっし)を残し、この土(ど)に渡り謀叛(むほん)の企て(くわだて)今月ただいま露顕(ろけん)なし、たとえ空しく(むなしく)相果つるとも、かの地に残せし倅(せがれ)、われを慕うて日本へ渡りしとほぼ聞けど、いまだ対面は遂げず形見(かたみ)に与えし蘭麝待(らんじゃたい)という名香を証拠になにとぞ尋ね出し、わが無念を語り、力を合わせ、久吉を討ち取るべきものなり。すりゃ此村大炒之助(このむらおおいのすけ)と言いしは、わが父宋蘇卿にありつるか、父の無念、光秀公の恨み、たとえこの身は油で煮られ、肉はとろけ、骨は微塵(みじん)に砕くるとも、おのれ久吉、今にぞ思い知らせてくれん。』
久吉
『石川や浜の真砂はつくるとも。』
五右衛門
『ナナ、何と。』
久吉
『世に盗人(ぬすびと)の種はつきまじ。』
五右衛門
『エイッ。』
久吉
『巡礼に、ご報謝。』
この芝居は、元々「通し狂言」ではるが、こんにちでは、この「山門」だけを独立させて上演されている。五右衛門は、大百日という蔓で山門の上に座る座頭の貫禄を具えていなければならない。満開の桜のなかに極彩色の山門があり、大道具の「せり上げ」によって迫力満点の一幕が出来上がっている。先々代の実川延若の五右衛門は、顔といい、口跡といい、風格といい、絶品のものであった。大泥棒の五右衛門が派手な衣裳を着け、大煙管を持って、歯切れのいい台詞を言う。なんと長閑な芝居であろうか。
伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
荒獅子男之助
『アラ怪しやなぁ、今この荒獅子男之助照秀(あらじしおとこのすけ・てるひで)が、侫人(ねいじん)ばらの讒言(ざんげん)によって、君の御前を遠ざけられ、ご寝所(ごしんじょ)間近い(まじかい)床下(ゆかした)に、宿居(とのい)なすともいざ知らず、窺い(うかがい)寄った溝鼠(どぶねずみ)、汝(うぬ)もただの鼠じゃあんめえ。この鉄扇(てっせん)を喰らわぬうち、一巻渡し、キリキリ消えてなくなれえ。』
伊達騒動(だてそうどう)は、実録より講釈のほうが有名である。「伽羅先代萩」は、この騒動を人形浄瑠璃で演じたのは天明五年(1785)であった。江戸でできた浄瑠璃が後に歌舞伎芝居となったのは、珍しいことである。政岡の忠義があって、その御殿の舞台がセリ上がると、「床下」になる。荒獅子男之助は、「荒事」の拵えで、荒事の演出である。そこへ一匹の鼠が出てきて、身軽い演技を見せる。男之助の鉄扇を額に受けて、「すっぽん」の穴へ消える。床下の主役は花道七三の「すっぽん」から煙幕とともに出てくる仁木弾正(にっきだんじょう)であるが、一言の台詞もない役です。貫禄だけの役。仁木の手裏剣を男之助が見事に受ける。最後に『取り逃がしたか、残念な』と、きっぱりと言う。そこでチョーンと幕になる。
仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)
早野勘平
『しばらく、しばらくご両所、しばらくお待ちくだされ。亡君尊霊(ぼうくんそんれい)のご恥辱(ごちじょく)とあれば、一通り申し開きつかまつらん。お下に(おしも)に御座って、お聞きくだされ。弥五郎(やごろう)殿、夜前(やぜん)、貴殿にお目にかかり、別れて帰る途(みち)すがら、金の工面(くめん)にとやかくと、心も暗き闇(やみ)まぎれ、山越す猪(しし)に出遭い、二つ玉の強薬(つよぐすり)、切って放てば、あやまたず確かに手応え立ち寄り見れば、猪にあらで旅人。南無三宝(なむさんぼう)薬はなきやと懐中(かいちゅう)を、さぐり見れば、手にあたった金財布(かねざいふ)、道ならぬこととは知りながら、天よりわれに与うる金と押しいただき、なににもせよ、貴殿に追いつきお手渡し仕り、徒党(ととう)の数に入ったりと、喜び勇み立ち帰り、様子をきけば情けなや、金は女房を売った金、打ちとめたるは舅(しゅうと)殿。いかなればこそ勘平は、三左衛門(さんざえもん)の嫡子(ちゃくし)と生まれ、十五の年よりご近習(ごきんじゅう)勤め、百五十石(ひゃくごじゅうこく)頂戴(ちょうだい)いたし、代々塩冶(えんや)のご扶持(ごふち)を受け、束の間(つかのま)ご恩を忘れぬに、色にふけったばっかりに、大事な場所に居合わさず、この天罰(てんばつ)で心を砕き(くだき)、御仇討ち(おんかたきうち)の連判(れんばん)に、加わりたさに調達(ちょうたつ)の、金もかえって石瓦(いしかわら)、交喙(いすか)の嘴(はし)と食い違い、言い訳なさに勘平が、切腹(せっぷく)なしたる身の成りゆき、ご両所方、ご推量(ごすいりょう)くださりませ。』
忠臣蔵の六段目。勘平切腹の場。数右衛門・弥五郎の二人の侍の前で、申し訳なさのため切腹する。この台詞は瀕死の重傷を負っての勘平の台詞である。笛の合方でしんみりとする場面である。
三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
お嬢吉三&お坊吉三&和尚吉三
お嬢
『月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)に篝(かがり)もかすむ春の空、冷てェ風もほろ酔いに、心持ちよくうかうかと、浮かれ烏の只一羽(ただいちわ)、塒(ねぐら)に帰る川端で、棹(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟(あわ)、思いがけなく手に入る百両‥(ここで、「御厄払いましょう、厄落とし」という声が聞こえる)ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落とし、豆沢山に一文の、銭(ぜに)と違って金包み、こいつぁ春から縁起がいいわえ。』
お坊
『もし、姐さん。ちょっと待っておくんなせェ。』
お嬢
『ハイ、何ぞ御用でござりますか。』
お坊
『用があるから呼んだのさ。』
お嬢
『何の御用か存じませぬが、わたしも急な‥。』
お坊
『用もあろうが手間はとらせぬ。待てと言ったら待ちなせェ。』
お嬢
『待てとあるゆえ待ちましたが、してわたしへの御用とは。』
お坊
『用というのは他(ほか)でもねェ。浪人ながら二腰(ふたこし)たばさむ武士が手を下げこなたへ無心、どうぞ貸してもらいたい。』
お嬢
『女子(おなご)をとらえお侍(さむらい)が、貸せとおっしゃるその品は。』
お坊
『濡れ手で粟の百両を。』
お嬢
『エエッ?』
お坊
『見かけて頼む、貸してくだせェ。』
お嬢
『そんなら今の様子をば。』
お坊
『駕籠(かご)にゆられてとろとろと、一杯機嫌の初夢に、金と聞いては見逃せねェ。心は同じ盗人根性(ぬすっとこんじょう)、去年の暮れから間が悪く、五十とまとまる仕事もなく、遊びの金にも困っていたが、なるほど世間はむずかしい。友禅(ゆうぜん)入りの振袖で人柄づくりのお嬢さんが、追い落としとは気がつかねェ。それから見ると俺なんざぁ、五分月代(ごぶさかやき)に着流しで、小長い刀の落とし差し、ちょっと見るから往来の、人も用心する拵え(こしらえ)、金にならねェも、もっともだ。』
お嬢
『それじゃぁ、お前の用というのは、これを貸してくれろとかえ。』
お坊
『取らねェ昔と諦めて、それを俺に貸してくりゃれ。』
お嬢(ここで、娘役の声から、男役の声に変る)
『そりゃぁ、大きな当て違い。犬おどしとも知らねェで、大小差していなさるゆえ、大方新身(あらみ)の胴試し(どうだめし)、命の無心と思いのほか、お安い御用の端た金(はしたがね)、お貸し申してあげたいが、凄味(すごみ)な台詞でおどかされては、お気の毒だが貸しにくい。まぁ、お断り申しやしょう。』
お坊
『貸されぬ金なら借りめェが、形相応(なりそうおう)に下から出て、許してくれと何故言わねェ。木咲(きさき)の梅より愛嬌(あいきょう)の、こぼれる娘の憎まれ口、犬おどしでも大小(でェしょう)を、伊達(だて)に差しちゃぁ歩かねェ。切り取りなすは武士の習い、きりきり金を置いて行け。』
お嬢
『いいや、置いては行かれねェ、欲しい金なら、こちらよりそっちのほうが下から出たがいい。素人衆には大枚(たいまい)の金もただ取る世渡りに、未練(みれん)に惜しみはしねェけれど、こう言いかかった上からは、空吹く風に逆らわぬ。柳に受けちゃぁいられねェ。切り取りなすが習いなら、命とともに取んなせェ。』
お坊
『そりゃぁ、取れと言わねェでも、命もいっしょに取る気だが、お主も定めて名のある盗人、無縁(むえん)にするも不憫(ふびん)ゆえ、今日を立日(たちび)に七七日(なななぬか)、一本花に線香は、殺した俺が手向け(たむけ)てやるから、その俗名(ぞくみょう)を名乗っておけ。』お嬢
『名乗れとあるなら名乗ろうが、まぁ俺よりはそっちから、七本塔婆(とうば)に書き記す、その俗名を名乗るがいい。』
お坊
『こりゃぁ、俺が悪かった。人に名を訊く(きく)そのときは、まぁこっちから名乗るが礼儀、そこが仇名(あだな)のお坊さん、こゆすり騙り(かたり)、ぶったくり、押しのきかねェ悪党(あくとう)も、一年増しに功を積み、お坊吉三と肩書きの、武家お構いのごろつきだ。』
お嬢
『そんならかねて話に聞いた、お坊吉三はお主がことか。』
お坊
『してその方の名は何と。』
お嬢
『問われて名乗るもおこがましいが、きかぬ芥子(からし)と悪党の、凄味のないのは馬鹿げたもの、そこで今度は新しく八百屋お七と名を借りて、振袖姿で稼ぐゆえ、お嬢吉三と名に呼ばれ、世間の狭い食い詰め者さ。』
お坊
『俺が名前に似寄りゆえ、とうから噂に聞いてはいたが、お嬢吉三とあるからは、相手がよけりゃぁ尚更(なおさら)に。』
お嬢
『この百両を取られては、お嬢吉三の名折れとなり。』
お坊
『取らなけりゃぁ、負けとなり、お坊吉三の名の廃り(すたり)。』
お嬢
『互いに名を売る身の上に、引くに引かれぬこの場の出会い。』
お坊
『いまだ彼岸(ひがん)にもならねェに、蛇が見込んだ青蛙。』
お嬢
『取る取らないは命づく。』
お坊
『腹が裂けても呑まにゃぁおかねェ。』
お嬢
『そんならこれをここへかけ。』
お坊
『虫拳(むしけん)ならぬ。』
お嬢
『この場の勝負。』
和尚
『二人ともに、待った待った。』
お嬢
『やぁ、見知らぬそっちがいらぬ留立て(とめだて)。』
お坊
『怪我せぬうちに。』
二人
『退いた(のいた)、退いた。』
和尚
『イイヤ退かれぬ二人の衆。初雷も早すぎる。氷も解けぬ川端に、水にきらめく刀の稲妻、不気味な中へ飛び込むも、まだ近づきにゃぁならねェが、顔は覚えの名うての吉三、いかに血の気が多いとて、大神楽(でえかぐら)じゃぁあるめェし、初春早々剣の舞、どちらに怪我があってもならねェ。丸く収めに仇名さえ、坊主上がりの和尚吉三、幸い今日は節分に、争う心の鬼は外、福は内輪(うちわ)の三人吉三。福茶の豆や梅干の、遺恨(いこん)の種を残さずに、小粒の山椒のこの俺に、厄払いめく台詞だが、さらりと預けておくんなせェ。』
大川端の場は、三人吉三の登場で見物は酔い痴れるのである。