かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

歌舞伎十八番のうち 助六由縁江戸桜 その2

2005-04-07 18:27:02 | 伝統芸能
兄弟が廓の真中で次から次へと喧嘩をしかける。「股くぐり」で、場内爆笑の渦が続く‥。と、暖簾の奥から「お危のうござんす」と客を気遣う揚巻の声がする。助六は「あいつは、今夜は、身揚り(みあがり=遊女が自分で揚げ代(費用)を払って休むこと)でいるから来いといってよこしたが、客を送るとは。こいつァ一番、言わざあなるまい」と腹を立てる。

そこへ編笠(あみがさ)を冠った侍客が揚巻に送り出されてくる。「やい、侍。この広い往来でなぜ足を踏んだ。鼻紙(はながみ)を出して拭(ふ)いていけ」と助六が因縁をつける。新兵衛も「拭かせろ、拭かせろ、今拭かざあ拭きえまい」とけしかける。しかし、揚巻は「これ、粗相(そそう)言うて、後で謝らしゃんすなえ」とたしなめるが、助六は「うぬが知ったことじゃあねえ。黙っていやがれ、売女(ばいた)め」と罵る。

助六はなおも追いかぶせるように「なぜ物を言わねえ、聾(おし)か唖(つんぼ)か」と言うと、新兵衛は続けて「のっぺらぼうか」と、二人が騒ぐ。助六は「第一、その蓮っ葉(はすっぱ)を取れ」と、編笠を取ろうとして、顔を覗きこみ驚き慌てる。
すごすごとさがる助六を見て、新兵衛は「どうした、どうした。祭りが支えた(つかえた)な。(喧嘩の勢いがそれたかという意)よし、おれが出よう」と、助六がとめるのを振り払ってしゃしゃり出る。

「ことも愚かや(おろかや)揚巻の助六が兄分、襟巻き(えりまき)のぬけ六とも、白酒の粕兵衛(かすべい)ともいう者だ。こりゃ、こっちの足が住吉の反り足(そりあし)、こちらの足が難波(なにわ)のあし‥。抜けば玉散る(たまちる)天秤棒(てんびんぼう)、坊様(ぼさま)山道、破れた衣(ころも)、ころも愚かや揚巻の前立ち。家に伝わる握り拳のさざえがら、うぬが目と目の間を‥」と、相手の顔を覗き込んで、助六同様うろたえて逃げていく。新兵衛は「ああ、死んだ」と下手(しもて)の床机の下へ首を突っ込む。

二人が慌てるのも道理、この侍客は、二人の母・満江(まんこう)なのである。母は助六の喧嘩をたしなめる。そして、赤い毛氈(もうせん)に包まっている新兵衛を引っ張り出してみると、なんとこれが兄・祐成(すけなり)である。満江は亡夫への言い訳に死ぬと言い出す。兄弟はあわてて押し留め、喧嘩は友切丸詮議のための苦肉の策と説明する。

母は助六の体を心配して、紙衣(かみこ)を取り出し、「手荒うすると破れるぞ。じっと堪忍して、紙衣のやぶれぬよう。これを破ると母の身に傷をつけるも同然じゃ」と。早速、助六は紙衣に着替える。小豆色(あずきいろ)に黒の切継ぎの紙衣姿が、この伊達男に艶やかな二枚目の趣(おもむき)を添える。

友切丸詮議のため、なお廓にとどまる助六を残し、「松にふじなみ‥」の、しんみりとした下座音楽のうち、心残る風情で満江親子は、後を揚巻に託して夜の廓を立ち家路につく。それを見送る揚巻は、そっと右手を胸に当てて、満江の無言の頼みに応える。その傍に紙衣姿の助六が座っている。ここのところは、私の好きなシーンである。母・満江の依頼を引き受ける太夫・揚巻の心意気を見せる仕草になぜか泣けてくる。

少し赴きは違うが、忠臣蔵の四段目「判官切腹の場」は、「通さん場」ともいわれ、判官の切腹が言い渡された以降は大星登場まで客席への出入りが禁じられる。大星は切腹に間に合わない。到着した時には「遅かりし、由良之助」である。「か・た・み」と言いつつ、九寸五分の短刀を手渡す。「仇」(か・た・き)の遺志と受け止めた由良之助は、物を言わず、ポンと胸をたたく。無言のうちに主従の心が通じる名場面である。これと匹敵するほどの揚巻の演技である。

そこへ「揚巻、揚巻」と呼ぶ意休の声がする。きりりと身構える助六に、揚巻は紙衣のことをたしなめ、助六を自分の裲襠(うちかけ)の裾(すそ)に隠れるようにいう。「恋の夜桜‥」の唄になり、禿(かむろ)たちに香炉台と刀を持たせて意休が出てくる。豪奢(ごうしゃ)な蝦夷錦の衣裳に着替えている。この衣装の色使いはエルメスも及ばないと私は思う。

「こう並んだところを助六が見たら、さぞ気をもむであろう、のう、揚巻」と言うと意休の脛(すね)をつねる者がある。後ろに隠れた助六の仕業である。揚巻は、それを禿たちの所為(せい)にしたり、鼠(ねずみ)のいたずらにしたりする。「なるほど、鼠だ。しかも、溝を走る溝鼠が、それ、そこに」と、刀で床机の陰の助六を突き出す。助六はきっとなるが、揚巻が間に入り、「これ、紙衣を忘れさんすな」とたしなめる。

意休は「助六、わりゃあなぜ盗み食いをする。そのような根性で、大願成就なるものか、ここな時致(ときむね)の腰抜けめ」と、本名を挙げて罵り、扇(おうぎ)をもって助六を打ち据える。
助六は打擲(ちょうちゃく)する意休の手をとって、下から静かに見上げ、「意休、わりゃァあやかり者だなァ。われわれ兄弟十八年来、付けねらえど今においても敵(かたき)も討てれず。それに引き替えこの助六は、そちがためには恋の敵。その敵を目前に扇の笞(しもと)、さあ、討つという字がうらやましい。あやかりたい。われに教訓の扇といい、母の紙衣に手向かいならぬこの時致(ときむね)、さあ、打て、叩け(たたけ)、打って腹だにいるならば、いくらも打てよ、髭の意休」と、首をうなだれて、愁いの体である。

意休は頷き(うなずき)、香炉台を助六の前に据え、その三本の足に譬え、曽我十郎・五郎・祐俊(すけとし)の三人兄弟が、力を合わせれば、この三本の足はびくともしないといい、逆に三人がばらばらでは、この通りと、刀を抜き、香炉台を切る。このとき、助六は手早く刀の寸法を測り、友切丸であることを確認する。

意休はすばやく刀を納め、揚巻は仲に入って両手を広げて押しとめる。三人キッパリと見得、ツケとなる。意休は「人多き人の中にも人ぞなき、人になれ人、人となせ人。人目を忍んで時節を待て。助六、さらば」と奥へ引っ込む。

助六は「この紙衣を破るまいと、じっと無念を堪えていたが‥。こりゃ揚巻、いま意休が抜いたる一腰(ひとこし)こそ、かねて尋ねる友切丸」と、勇んで奥へ踏み込もうとするのを抑え、揚巻は助六に耳打ちをする。助六は「うむ、そんなら今宵、帰りを待ちうけ‥」と頷いて、助六は右足を踏み出し、両裾(りょうすそ)をとり、揚幕を睨み、きまる。揚巻は、後ろ向きに裲襠の背を大きく見せて、助六を見送る形にきまる。そこにチョーンと柝(き)が入る。

急調子の「曲撥の合方」で、助六は大股で花道を入る。

幕間(まくあい)で、天水桶に水が張られる。五石六斗余(およそ1,000リットル?)の水が汲み入れられるというのだから、どうしても5分間はかかる。その間「繋ぎ幕」で、通り神楽の鳴り物で繋ぐ。

清掻き(すががき)の早目の合方で幕が開くと、舞台は夜10時ごろ、廓の出店は大戸を立てて店を閉めている。三浦屋も暖簾の木地の大戸がおりている。入り口の右手、千本格子の前には「たそや行灯」(あんどん)にぼんやりと灯りが点り、暗い往来を照らしている。左手の天水桶が少し前に出され、なみなみと水が張ってある。見廻りの者が二人、張提灯(はりちょうちん)を持って左右から出てきて舞台中央で入れ替わって、再び左右へ入る。

清掻きを消して、風音になり、揚幕から助六が抜身をさげて出る。舞台へかかり、右足を踏み出し、刀を逆に背にまわし、左手を出してキッと見得をきる。コーンと本釣(ほんつり)が入る。

助六は、刀をひらりと返すと、大格子に近づき、内らを窺い、天水桶に気付き、思い入れがあって、その後ろに隠れる。

「ふけて‥」の合方になって、大戸の潜りから意休が、仙平の提灯を先立て、懐手(ふところで)をして出てくる。振袖新造(ふりそでしんぞ)や若い者が見送りに出る。どうやら、今宵も揚巻に振られたらしい。新造たちが意休に挨拶して引っ込む。

意休が帰りかけると、天水桶の後ろから助六が飛び出し、仙平の提灯を切って落とす。あたりは真っ暗。仙平は驚いて後ろへ退り、青眼(せいがん)に構えた助六は、懐手をしたまま、それを透かし見る意休が見合った形できまる。「八千代獅子」の合方になる。

助六は意休に「本姓を名乗れ」と迫る。意休は羽織、着物を脱ぐと、白い四天(よてん)姿となり、「かねて汝ら兄弟を味方となし、頼朝(よりとも)に一太刀恨まんと、友切丸を盗み取りし某(それがし)こそ、髭の意休とは仮(かり)の名、まこと伊賀の平内左衛門(へいないざえもん)とは、俺のことだ」と前結びの帯に両手をかけ、正面に見得をきる。

意休と仙平を相手に助六が立ち回わる。まず助六が仙平の首を刎ねる。首は仕掛けで飛び、右手のたそや行灯の屋根の上に正面向きでとまる。そして意休と助六との立ち回りとなる。助六は裏向き、意休は表向きの真影(しんかげ)の見得。双方が鍔ゼリの見得となり、それを解くとき、意休は一太刀を受け、白四天に細く血がにじむ。二人は左右に別れて座って見得。脇腹に肘づきを受けた助六は倒れる。意休は花道の際まで行き、足を割って刀を突き出してきまる。そのとき「八千代獅子」のゆったりとしたつき直しとなる。

肩の傷を抑えながら舞台に戻る意休は助六に股がり、大上段に振りかぶる。とその一瞬、下から助六の刀が突き出され、意休の腹に突き刺さる。意休は虚空(こくう)を掴みながらも最後の足掻き(あがき)を見せるが、息絶える。助六は「こりゃこそ尋る友切丸、シェエー忝い(かたじけない)」と押しいただく。

このとき、花道と下手から、捕り手の三つ太鼓と「人殺し」という大勢の声がする。助六は驚き、逃げ道を思案するが、追い詰められて、天水桶の上の手桶を後へ払い落とし、身を躍らせて、手桶の底を抜き、それをかぶって天水の中に身を潜める。ドッと中から水が流れ出る。現團十郎がこれを演じたのは、春先のまだ寒い頃であった。それだけに、この水入りには迫力があった。

三つ太鼓がひときわ激しくなり、舞台の左右、花道の方から、手に手に長提灯、棒、梯子などを持った若い者が出てきて方々を探すが、探しあぐねて引っ込む。ここで三つ太鼓が消え、コーンと本釣の鐘の音になる。

水の中から助六が首を出す。だが再び大勢の声に、また身を沈める。また、ざあっと水があふれる。本釣が、また一つ響く。ちょっと間があって、助六はそっと顔を出す。助六は手桶を後ろへ投げ捨て、右手を天水桶の縁(ふち)にかけ、刀を提げたまま半身を現して、四方を窺う。そして、用水桶から飛び降り、舞台中央に進む。 濡れ絞った白四天、捌いた黒髪、江戸紫の鉢巻に、むきみの隈取りが白い顔に似合う。凄烈なまでの美しさに観客は酔う。だが助六は力尽き、気を失って倒れ伏す。再び三つ太鼓になり、左右から大勢が出てくる。助六を見つけ、取り囲む。このとき、大戸から揚巻が駆け出て、裲襠(うちかけ)の裾で助六を被い、多勢を止める。

若者たちが「花魁、退いてください」と言うが、揚巻は「待ちゃ、待ちゃ。この揚巻が嘘をつくと思いやるか。これお前方、棒を振り上げ、その棒の端がちょっとでも体へさわるが最後、この五丁町は暗闇じゃぞや」と言い放つ。大勢の者を相手にしても、びくともしないのは、吉原を背負って立つ太夫(たいゆ)の権勢である。

ホッとした揚巻は、みなが立ち去ったのを確認し、天水桶へ走りより、惜しげもなく、豪華なあんこ帯の垂れを桶につけ、水を含ませて助六を抱えて、その水を吸わせる。助六は正気になり、「揚巻、友切丸は手に入ったぞ」と言う。揚巻は「そんなら私は、西川岸のほうへ廻っている。田圃(たんぼ)のほうへ降りて来やんせ」と再会を約す。助六は、三浦屋の大屋根に、かけ放してある竹梯子に上り、揚巻と見合す。

右手の刀を返して、突き出した助六。錦地のあんこ帯の両端を持ち、助六を見上げる揚巻。二人の見得がきまるうち、新内の名調子の前弾きで幕となる。

歌舞伎十八番のうち 助六由縁江戸桜 その1

2005-04-07 18:16:46 | 伝統芸能
歌舞伎十八番の内「助六由縁江戸櫻」(すけろくゆかりのえどざくら)、この狂言は、十八番のうちでも珍しい世話物の要素をもつ。「江戸」という名はついているが、上方の味が残っているという不思議なものでもある。助六の母からもらう「紙衣」(かみこ)でも、また、揚巻が裲襠(うちかけ)のなかに助六を隠すというようなところは、どう見ても世話物である。

二代目團十郎(1688~1758)は、初代から継承した芸を洗練させたほか、『助六』『矢の根』『毛抜』など、のちの歌舞伎十八番に含まれることになる新しい荒事芸も創始、いわゆる家の芸を確立した。その後、幾多の変遷を経て、「助六」はこんにち上演されている台本が定本となっていく。

さて、いよいよ「助六由縁江戸櫻」(以下「助六」)の幕開きとなる。忠臣蔵の『口上人形』と助六の口上は歌舞伎狂言でも貴重なものである。下手(しもて)から、口上役の役者が、鉞銀杏(まさかりいちょう)の髷(まげ)に、市川家の家の紋(三升)をつけた柿裃(かきのかみしも)といういでたちで出てきて、助六劇の由来を述べる。「なにぶん古風な狂言でござりますので、ゆるゆるとご見物のほどを‥」と口上を述べた後、舞台正面の格子内に居並ぶ河東節(かとうぶし)連中に向かって「河東節ご連中様、どうぞお始めくださりましょう」と挨拶をして引っ込む。始まる前からドキドキさせる憎い演出である。十八番の助六ならではである。

舞台は桜満開の江戸いちばんの廓(くるわ)、吉原(よしわら)の三浦屋の前である。「闇の夜も吉原ばかりの月夜かな」と詠われるように、不夜城の遊郭、三浦屋の前に数人の傾城(けいせい)が並び、太夫(たいゆ)揚巻の登場を待つ。格子の御簾(みす)越しに灯りが入り、河東節の演奏が始まる。

「春霞(はるがすみ)たてるやいづこ三芳野(みよしの」の、山口三浦うらうらと、うら若草や初花(はつはな)に、和らぐ土手を誰がいうて、日本めでたき国の名の、豊芦原や吉原に、根ごして植えし江戸桜、匂う夕べの風につれ、鐘は上野か浅草か」 

江戸日本橋の魚屋の息子十寸見河東が始めた浄瑠璃節だけに上方出の他流と異なり、一名江戸節といわれる。市川宗家が「助六」を演じる際、無くてはならぬ伴奏音楽で、京の宮古路豊後掾の流れを汲む常磐津、新内等、市民へ浸透した節とちがい、上流階級に広まった。

それ故武家の次・三男坊や、旦那衆の遊芸となり、「助六」上演中、口上が「河東節御連中様」と敬称をつけて礼をつくす辺りに名残を見る。市川家以外では尾上家は清元だったり、他の伴奏を使う。

揚幕の方と上手から、金棒引き(かなぼうびき)のデン・ジャランという音が聞こえ、二人の金棒引きが登場。舞台中央辺りで互いに一礼してそれぞれが進む。廓の雰囲気が出る一場面である。着飾った花魁が若い者の肩に手を置いて八文字を踏んで登場。舞台に並べてある緋毛氈(ひもうせん)の床机(しょうぎ)に腰をかける。いわゆる「並び傾城」である。

揚幕が「シャリーン」と開き、いよいよ揚巻(あげまき)の道中(どうちゅう)である。若い者の肩に手をおき、ゆらりゆらりと八の字を踏む。伊達兵庫(だてひょうご)という鬢(びん)、18本の簪(かんざし)、3枚の櫛(くし)。衣裳は黒繻子(くろじゅす)へ松竹梅や注連飾り(しめかざり)など正月模様を金糸銀糸で彩り、前に垂れた帯は鯉の滝登りを現わす図柄。黒塗りの高下駄で八文字を踏む。

出迎えの傾城たちが「揚巻さんの道中は、どうやら船に揺らるるようじゃぞえ。さっき松屋で逢うた時から、よほどめれん(ひどく酔う)に見えたぞえ。どこでそんなに酔わんしたぞえ」と聞くと、「これはこれは、お歴々、お揃いなされてお待ち受けとは、ありがたい。どこでそのように酔ったと思し召す。恥ずかしながら、仲ノ町の門並みで、あそこからもここからも揚巻さん、揚巻さんとさあ、呼びかけられて、お盃(さかずき)の数々‥いかな上戸(じょうご)も私を見ては、御免御免(ごめんごめん)と逃げて行くじゃ、ホホ‥‥‥。慮外(りょがい)ながら三浦屋の揚巻は酔わぬじゃて」と揚巻は答える。

ここは揚巻役の役者の見せどころである。亡くなった中村歌右衛門丈の揚巻はそれはそれは見事な揚巻であった。口ではきっぱりと言うが足元が危うい。それを見た禿(かむろ)が「花魁(おいらん)危のうござんす」と言う。揚巻は「これは大きな奴(やっこ)さんのご意見。近ごろありがたい。誓文酔わぬぞえ(神に誓って酔いません)」と答える。禿は「酒のさめる薬」を勧める。「なんじゃ、袖の梅じゃ。誰が袖(たがそで)ふれし袖の梅、とはよう詠んだ歌じゃのお」と、実際に流行っていた薬の名をあげる。今でいうならコマーシャルである。こうして、揚巻は本舞台に進む。

河東節「おちこち人の呼子鳥(よぶこどり)いなにはあらぬ逢瀬より、ここを浮世の仲ノ町‥」コーンと鐘の音が入り、今度は傾城白玉(しらたま)と意休(いきゅう)の出となる。白玉は禿・新造・遣り手・若い者を従え、髭(ひげ)の意休は子分の男伊達(おとこだて)に刀・座布団・煙草盆・香道具などを持たせ、左手を懐に、右手に鳩杖を引きずるように突いて出てくる。意休は揚巻をめぐって助六のライバルであり、長い白髭(はくぜん)を蓄えたお大尽(おだいじん)である。意休は本舞台に進む。

そこで揚巻とのやり取りが始まる。意休は助六のことを「盗人」とののしるに及んで、揚巻は悪態(あくたい)をつく。一つの見せ場である。「慮外(りょがい)ながら揚巻でござんす。男を立てる助六が深間(ふかま)、鬼の女房にゃ鬼神(きじん)とか。さあ、これからは揚巻の悪態の初音(はつね)」と、清掻き(すががき)の合方(あいかた)にのって名台詞が始まる。

「もし、意休さん、お前と助六さん、こう並べて見るときは、こっちは立派な男振り、こっちは意地の悪そうな、たとえて言わば雪と墨(すみ)、硯(すずり)の海も鳴門(なると)の海も、海という字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ)、暗がりで見ても、お前と助六さん、取り違えてよいのもかいなあ。ホホ、ホホ、、、、」と、実に小気味のいい啖呵をまくし立てる。揚巻はキセルと指をうまく使って、両者の良し悪しをたとえる。これが『揚巻の悪態の初音』である。

ここで意休は「助六のところへ、失(う)しゃあがれ」と言い放つ。待ってましたとばかりに揚巻は立ち上がり、禿を連れて花道を揚幕のほうへ行こうとする。そこで、朋輩(ほうばい)の白玉がこれを止める。仲良しの白玉の言葉を聞き入れて揚巻は戻るが「お前には、もう逢わぬぞえ」と愛想づかしを言って、白玉と共に引っ込む。すると、揚幕のほうから尺八(しゃくはち)の音が聞こえる。並び傾城が「アレ虚無僧が来やんした」「いや、虚無僧じゃない、地回りの衆じゃわいなあ」と噂話をかわし揚幕のほうを見る。一瞬、舞台は静寂になる。いよぴよ、われらが助六の出である。

河東節の「思い出みせや清掻き(すががき)の、音〆(ねじめ)の撥(ばち)に招かれて、それと言わねど顔世鳥(かおよどり)‥」で、揚幕がシャリーンと開くと、蛇の目傘をつぼめて顔を隠した江戸随一のいい男、助六の出である。前かがみで花道を出て、七三に来る。

「思い染めたる五つ所(いつどころ)、紋日(もんぴ)待つ日のよすがさえ、子供が便り待合の、辻うら茶屋に濡(ぬ)れて濡る、雨の箕輪(みのわ)のさえかえる」と、傘を開き、左手で持ち替えると、右袖を返し、正面を向いてきまる。白い顔、目を紅の「むきみ」に隈どり、紫の鉢巻に色気が漂う。杏葉牡丹(ぎょようぼたん)の五つ紋、黒羽ニ重(くろ・はぶたい)の着付、その紅葉裏(もみじうら)が浅黄(あさぎ)の下着に映える。浅黄地に三升(みます)・寿海老・牡丹を金糸で織り出した博多帯(はかたおび)、背には尺八(しゃくはち)、腰には印籠(いんろう)、玉子色の足袋(たび)に桐柾(きりまさ)両ぐりの下駄という、色男の拵え(こしらえ)である。吉原の花の雨をよける心で蛇の目傘を使って、頬杖(ほほづえ)の形、着物の紋を見入って立つ形など、数々の美しい形を見せる。

舞台の並び傾城たちが「助六さん、その鉢巻は、ええ」と問い掛けると、「この鉢巻のご不審か」と。そこで「この鉢巻は、過ぎしころ‥」との河東節で、右手でいただき、軽く頭を下げるのは、贈り主の魚河岸への礼儀である。

「松の刷毛先‥」で、右足を大きく踏み出し、重心を右足にかけ、右手をいっぱいに伸ばして、開いた傘の縁(ふち)を持って見上げた形が、ご存知の「透き額」(すきびたい)の形である。そして「富士と筑波の‥」は、その形のまま、右左と、ジリジリと摺り足(すりあし)で寄り、「かざし草‥」できまる。

「浮世はえ、車‥」からは、ぐっと和事味(わごとみ)を出して、「形(なり)ふりゆかし、君ゆかし‥」と、色めきを見せる踊りとなり、助六が「君なら、君なら」と言う。「新造(しんぞ)命のあげまきの、これ助六の前渡り(まえわたり)、風情(ふぜい)なりける次第なり」で、花道から舞台下手に出て、右手の傘を広げ、左は軽く握って懐(ふところ)から覗かせてきまる。舞台の傾城たちが「ヤンヤ、ヤンヤ」と褒める。

助六は「そんなら、一番割り込みましょうか。冷え者(ひえもん)でえす。御免なせえ」と、左手で会釈(えしゃく)をしながら、下手寄りの床机(しょうぎ)に腰をかける。女郎(じょろう)たちが「吸いつけ煙草}の煙管(きせる)を持って助六のまわりに押し寄せる。「このように、めいめいご馳走にあずかっちゃ、しんぞ火の用心が悪うごんしょう」と言う助六。

上手に座っている意休が「君たちの吸いつけ煙草、一服もらおうか」と請求するが、傾城たちは、もう煙管がないと断る。「そこにそれほどあるではないか」と言う意休に「それには主が‥」「して、その主は」とたたみ込むと「ワシでごんす」と助六が答える。

「誰だか知らねえが、一本貸して進んぜやしょう」と、足の指に一本の煙管を挟んで、床机に寝転んだまま意休に差し出す。楽の音(がくのね)がはたと止み、みなが思わず息をのむ。意休は手をのばしかけるが、助六のやり方にこみ上げる怒りをおさえ、笑いとばす。「見かけは立派な男だが、可哀や(かわいや)こやつてんぼう(手がない)そうな。足のよく利く麩屋(ふや)の男か、蒟蒻屋(こんにゃくや)の手間取りか‥」と皮肉たっぷりにけなす。そして、「ままよ、蚊やりに伽羅(きゃら)でも焚こうか(たこうか)」と嘯く(うそぶく)。

すると助六は「変動(へんどう)常ならず、敵によって変化すとは三略(さんりゃく)のことば。相手によってあしれえようが違う。きたって是非(ぜひ)を説く人は、これ是非の人。大きな面をする奴は足であしらう。無礼咎め(ぶれいとがめ)をする奴は下駄でぶつ。ぶたれてぎしゃばると、引っこ抜いてたたっ切る。これが男伊達(おとこだて)の極意(ごくい)だ。習いも伝授もないわ。ひっこ抜いて唐竹割り(からたけわり)にブッ放すが男伊達の極意だ。誰だと思う、ええ、つがもねえ」と啖呵(たんか)を切る。

さらに、「女郎衆(じょろうしゅ)、この頃、この吉原に大きい蛇(へび)が出るとよう」「おお怖(こわ)」「何も怖い蛇じゃねえ。面は力んで(りきんで)総白髪(そうしらが)、髭(ひげ)がって、とんと×××(意休役の役者の名前をいう)に、よく似た蛇だ。‥こいつが髭にしらみがたかる。伽羅はしらみの大禁物(だいきんもつ)。人目に至りと見ようとは、伽羅くせえ奴だ」と、意休をからかう。 

助六の魅力は、颯爽とした出端(では)に尽きると申しても過言ではない。九代目團十郎は、「助六の出端は、踊りではない。語りだ」と言ったということが伝えられている。あの比較的ゆったりとした河東節のリズムにのって演じられる所作は、踊りではなく、まさに語りなのである。

正面の暖簾口(のれんぐち)から「いやだ、いやだ」と大声が聞こえ、やがて、浴衣(ゆかた)がけの湯上り姿で頭へ濡れ手拭(ぬれてぬぐい)をおいた「かんぺら門兵衛(もんべい)」が遣り手(やりて)のお辰の首筋をとらえて出てくる。門兵衛は意休の子分の一人である。風呂に入って女郎(じょろう)たちに背を流させようとしたが、だれも来ないので湯にのぼせたと怒っている。

その騒ぎの最中、下座の音楽が急調子となり、花道から、うどん屋・福山の担ぎ(かつぎ・出前持ち)が登場。往来に立ちはだかって因縁(いんねん)をつけている門兵衛に、うどんを入れた箱をぶっつけてしまう。平身低頭(へいしんていとう)謝る担ぎに門兵衛は八つ当たりし、怒鳴りちらす。下手(したで)に出ていた担ぎは、居丈高(いだけだか)の門兵衛に対し「どうでも勝手にしろ」と地べたにあぐらをかいて、居座る。

「廓(くるわ)で通った福山の、暖簾(のれん)にかかわることだから、けんどん箱の角(かど)だって、言わにゃあならねえ喧嘩好き、出前(でめえ)も早え(はええ)が気も早え、担ぎが自慢の伸びねえうち、水道(すいど)の水で洗い上げた、胆(きも)の太打ち(ふとうち)細打ちの、手際(てぎわ)はここで見せてやらァ。憚り(はばかり)ながら、コウ、緋縮緬(ひじりめん)の大巾(おおはば)だァ」と、小気味よく啖呵をきり、両手で縮緬の下がりをひろげて反り返る。新進気鋭の若手の役者か、助六役の後継ぎ役者が演じる慣わしになっている。

これを聞いて、門兵衛は収まらない。「耳の穴をかっぽじって、よく聞けよ。これにござるが俺(おら)が親分、通俗三国志(つうぞくさんごくし)の利者(きけもの)、関羽(かんう)、字(あざな)は雲長(うんちょう)、髭(ひげ)から思いついて、髭の意休殿。その烏帽子(えぼしご)に、関羽の関をとって、かんぺら門兵衛、ぜぜ持ち様だぞ」と威をはるが、助六は「ゆわれを聞きゃァ有り難い(ありがてえ)が、こんたの長台詞(ながぜりふ)のでうどんがのびる。早く行け、早く行け」と、うどん屋を促す(うながす)。門兵衛は頑(がん)として聞き入れない。

助六は「ははあ、貴様、ひだるいな(腹が減っているの意)。ちょうどよい時分に担ぎが来たので、一杯してやろうというのだな。はて遠慮深い男だ。俺が振る舞ってやろう」と、担ぎからうどんを受け取り門兵衛の鼻先へつきだすが、「俺(おらあ)いやだ」と駄々をこねる。助六とやりとりがあるが、とうとう「どうとも勝手にしやがれ」と門兵衛の頭へうどんをぶっかける。

担ぎは、それを見て「ざまあ見やがれ」と捨て台詞(すてぜりふ)を浴びせて退場。そこへ、「親分、親分」と言いながら、門兵衛の子分・朝顔仙平(あさがおせんぺい)が出てくる。うどんをかけられた門兵衛は斬られたと早合点(はやがてん)している。仙平が調べても、どこにも怪我はない。門兵衛が着替えに奥へ入った後、仙平は助六に向かって名乗りをあげる。

「やい、青二歳め、三歳野郎め、仔細(しさい)らしいやつだ。およそ親分に刃向かう奴は覚えがねえ‥。この上はこの奴が料簡(りょうけん)ならぬ。おれが名を聞いて閻魔(えんま)の小遣い帳にくっつけろ。ことも愚かやこの糸鬢(いとびん)は、さとうせんべいが孫、薄雪(うすゆき)せんべいはあらが姉、木の葉せんべいとはゆきあい兄弟。塩煎餅が親分に、朝顔仙平という色奴さまだ」と名乗り、助六に向かうが、手もなくやられてしまう。揚巻の道中のときと同様、ここでも実在の煎餅屋の名前を挙げる。一種のコマーシャルである。

門兵衛も出てきて「重ね重ねの曲手毬(きょうでまり)、ウヌはまあ、何という野郎だええ」と詰め寄ると、じっと目を瞑る(つむる)助六は、カッと大目玉を剥き、「いかさまなあ、この五丁町へ脛(すね)を踏込む(ふんごむ)野郎めら、俺が名を聞いておけ。まず第一におこり(マラリア性の熱病)が落ちる。まだいいことがある、大門をずっとくぐるとき、俺が名を手の平へ三遍(さんべん)書えて嘗めろ(けえてなめろ)、一生女郎に振られるということがねえ。

見かけは小さな男だが肝(きも)は大きい。遠くは八王子の炭焼き売炭(すみやき・ばいたん)の歯っ欠け爺(はっかけじじい)、近くは山谷(さんや)の古やり手(ふるやりて)、梅干婆(うめぼしばばあ)にいたるまで、茶飲み話の喧嘩沙汰(けんかざた)、男伊達(おとこだて)の無尽(むじん)の掛け捨て、ついに引けをとったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪(かみ)は生締め(なまじめ)、そうれ刷毛先の間(ええだ)から覗いてみろ。安房上総(あわかずさ)が浮絵のように見えるわ。

相手が増えれば竜に水、金竜山(きんりゅうざん)の客殿(きゃくでん)から、目黒不動の尊像までご存知の大江戸八百八町(おおえどはっぴゃくやちょう)に隠れのねえ、杏葉牡丹(ぎょようぼたん)の紋付(もんつき)も、桜に匂う仲ノ町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若え者、ま近く寄って、面像(めんぞう)拝み奉れぇ」と朗々のつらねをあげる。この名調子の台詞は「おおむ石」に必須である。このつらねは、市川家独特の雄弁術である。初演のニ世團十郎が「外郎売」(ういろううり)を勤めたとき、上方の客が意地悪く、外郎売のつらねを先取りしてしゃべったとき、ニ世は直ちにその長台詞を逆から言って、上方の客を沸かしたというエピソードがある。

この助六のつらねは、劇中もっとも観客が酔い痴れるところである。最後の「面像拝み」で、右足を踏み出し(ここで、門兵衛と仙平の二人が左右に尻餅をつく)助六は拳(こぶし)を握り、顎(あご)の下から「カッ、カッ、カッ」と拳をこきあげ、息を吸う荒事特有のこなしから、「奉れぇ、べー」と、叫んで、ツケを入れた大見得となる。

二人は白刃を抜いて斬りかかるが、助六の相手ではない。たちまち刀の長さを測られて、峯打ちにされてしまう。「寄りゃあがると、叩っき殺すぞ」と白刃を振り上げ、左で褄(つま)をとって見得をきる。傾城たちが「助六さん、大当たり。ヤンヤ、ヤンヤ」と囃す。

助六は、子分がやられているのを見ていた意休に「そこな、撫付けどん(なでつけどん)、此方(こんた)の子分という奴は、みんなあの通りだ。定めて、此方料簡(りょうけん)なるめえ。斬らっせえ、どうでんすな。なぜものを言わねえ、(ここで「差別語」があるが、現在では言わないようにしているようである)はて、張り合いのねえ、猫に追われた鼠同然、チュウの音(ね)も出ねえな」とけしかける。

しかし、何故か意休は黙殺している。助六は「可哀や(かわいや)こいつ、死んだそうな。どれ俺が引導(いんどう)を渡してやろう」と、下駄を脱いで、意休の頭上にのせ、「如是畜生菩提心往生安楽(にょうぜちくしょうぼだいしんおうじょうあんらく)いよお、乞食(こじき)の閻魔様(えんまさま)め」とけしかける。意休は頭の下駄を投げ捨て、たまりかねて刀の柄に手をかける。助六は、ここぞとばかり「さあ、抜け、抜け、抜け、抜かねえか」と詰め寄るが、意休は「抜くまい」と刀を納める。意休は「鶏(にわとり)を裂くに、なんぞ牛の刀を用いんや」などと、わざと平気を装うて、子分どもを引き連れて意休は奥へ入る。

入れ替えに若い衆が助六にかかるが、みな花道へ逃げてしまう。そこに一人の男が座っている。助六は「口ほどにもねえ、弱い奴らだ。どりゃ、揚巻の布団の上で一杯やろうか」と、暖簾口へ行こうとすると、その男が「兄さん、兄さん」と呼ぶ。

「兄さん、ちょっと待ってもらいましょう」「何だ、兄さんだ。しゃれた奴だわええ、ここへ出やがれ、男伊達の総本寺(そうほんじ)、揚巻の助六だぞ、エエ、つがもねえ」と、足をポンと蹴り上げて花道のほうへ行く。「もし、男伊達の総本寺さま、ちょっと待ってください」「こいつ、俺をバカにするな。悪く傍へよると(そばいやがると)大ドブへ浚い(さらい)こんで、鼻の穴へ屋形船(やかたぶね)蹴こむぞ、コリャまた、なんのことったい」という。

花道に座り込んでいる新兵衛を発見し、襟を掴んで舞台のなかに連れ出す。浅黄の頭巾(ずきん)、浅黄の石持ち、大和柿色(やまとがきいろ)の袖なしを着た優男(やさおとこ)が「わしでごんす」と言うのを見て、「こりゃ、兄じゃ人ではござらぬか」と、助六は驚く。それは兄・白酒売りの新兵衛である。

「助六」の芝居は「曽我兄弟」をモチーフにしている。二人の兄弟は父・河津三郎(かわずのさぶろう)が不慮の死を遂げた後、源家の重宝・友切丸(ともきりまる)を奪われた。そこで友切丸を見出し、父の仇を討つことに努める。だから、弟・助六の噂を聞いた兄・新兵衛は意見をする。

新兵衛、すなわち、兄・祐成(すけなり)は「こなたはどう心得ている。このほどより、この廓に入りこみ、毎日毎日喧嘩ばかりをしやるげな。竹町で竹割にしたのは誰じゃ、助六。砂利場(じゃりば)で砂利へ蹴こんだは誰じゃ、助六。馬道で跳ね倒したは誰じゃ、助六。雷門で臍(へそ)をとったのは誰じゃ、ありゃ助六とまあ、烏の鳴かぬ日はあれど、そなたの喧嘩の噂を聞かぬ日とてはないわいなあ‥」と畳み掛けての意見をする。

しかし、この喧嘩は親孝行のためと言う助六は「紛失(ふんじつ)の友切丸を一日も早く詮議(せんぎ)し、敵祐経(かたき・すけつね)を討ちたいと、千々(ちじ)に心を砕くも今日まで行方はしれず。幸い廓は人の入りこむところ、無理に喧嘩をしかけ、抜かねばならぬようにして、あれかこれかと詮議しているのでございます。訳もお聞きなされずに、今のようなお言葉。ああ、いややの喧嘩、許させ給え、諸仏諸菩薩(しゅぶつしょぼさつ)、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、喧嘩をやめて坊主になると言い出す。

事情が分かり、誤解をしていた新兵衛は助六に許しを乞う。しかし、助六はそっぽを向いている。「これはどうじゃ。田圃(たんぼ)から拝む観音様、後ろ向きとは曲がない」との言葉に、やっと機嫌を直し、「ならば、喧嘩をしても大事ござりませぬか」「大事ないとも。喧嘩はお前によく似合うておる」と持ち上げ、やがてはともに喧嘩をしようと言い出す。

助六は新兵衛に「喧嘩の仕様」を教えることになる。「喧嘩はまず足が肝心(かんじん)。肘(ひじ)をはって、足をこう踏んばって、野郎め、まぜ突き当たった、鼻の穴へ屋形船を蹴こみ、大溝へ浚いこむぞ、こりゃまたなんのこった、と、こうせねば先の相手が怒りませぬ」と、何度も練習をする二人の遣り取りが、また絶妙である。

「そうこういううち、風吹烏(かざふきがらす)が来るわ、来るわ」と、二人が顔を合わせて、うなづきあう。唄入り、通り神楽(かぐら)の華やかな合方につれて、上手から廓通いの遊び人たちがやって来る。国侍が伴を連れてやって来る。助六は往来の真中に仁王立ちして「股をくぐれ」と言う。国侍は見上げると、いかにも強そうな助六に仕方なく、刀を草履(ぞうり)にとおして、股をくぐる。伴奴も同じようにくぐる。やっと済んだかと思うと、新兵衛が「股をくぐれ」と立ちはだかる。しぶしぶ、同じようにくぐる。花道へ来て、二人が悔しさを仕草で表して去る。

次に通人(つうじん)と呼ばれる遊び人が来る。構わず、助六は「股をくぐれ」と両足を広げる。「吉原の真中で、股をくぐれとは、乙(おつ)なものでげすな、と申して、くぐらぬのもまた野暮(やぼ)でげす」とか、なんとか言って、おどけた芝居をする。ここは「なんでもアリ」の場であり、いわば「息抜き」の場面である。通人は当世流行の歌を歌ったり、香水を振り掛けたり、シャレや冗談をさんざん見せつける、いわばちょっとした気休めなのである。この通人は、亡くなった権十郎のが逸品であった。これからは、松助あたりが、この役をうまくやってくれそうだ。通人が花道へ引っ込むとき、ふざけたことを言いながら、センスをパッと開き、「おお恥ずかし」と言って揚幕に入る。