かまわぬ

成田屋贔屓が「思いつくまま」の落書き。

花道考

2005-05-30 16:38:12 | 伝統芸能
歌舞伎という日本独特の伝統芸能には、諸外国の演劇には見られない独特のものがある。それが「花道」である。昨年10月、パリ・シャイヨー宮劇場で十一代目市川海老蔵襲名披露興行が行われたが、花道の設置が問題となった。シャイヨー宮劇場がいかにフランスの誇る劇場であっても花道はない。そこで苦心して造られたのが「く」の字に折れ曲がった特設花道であった。

古い話で恐縮だが、明治時代に井上外相のお屋敷を舞台にして、日本の歴史上初めての天覧歌舞伎が上演された。そのときの演目の一つに十八番物の「勧進帳」が選ばれた。弁慶役の九代目團十郎が「あれじゃ、飛び六法が、二法半だ」と嘆いたという逸話が残っている。それは仮設舞台の下手(しもて)に申し訳のような花道を設けたからである。パリ・シャイヨー宮劇場の場合も、同じく短い、しかも折れ曲がった花道だった。弁慶を演じた当代團十郎も「二法半」だったらしい。

花道のもっとも卓越した演出は「両花道」である。「妹背山」の山の段なら、花道と花道との間は吉野川である。「鞘当」なら、客席は花の吉原中之町である。観客は花道に挟まれた空間で劇中の世界に溶け込み、同化されるのである。

「沼津」の道中や「与話情浮名横櫛」の木更津の見染めでは、十兵衛や与三郎が仮花道から客席に降りてきて客席の中を通る。まさに観客と役者が一体化して劇場全体を芝居に同化させる憎い演出である。再び客席から本花道から、さらに本舞台へと戻るという趣向は観ている客を引きずり込まずにおかないものがある。

花道のもう一つの効用は、役者のズームアップである。その昔はわざわざ「名乗り台」まで特設して、花道での名乗りをしたという。「暫」のツラネなどは最たる例である。「忠臣蔵」四段目の判官切腹の場の由良之助の登場、城明渡しの場の引込みなども、劇中、由良之助にスポットを当ててズームアップする手法が用いられる。

数年前、玉三郎が「娘道成寺」の白拍子花子を演じたとき、花道で口紅を拭いた懐紙をポイと落とすと、ご贔屓の客が奪い合うという場面を見た。また花道では、弁天小僧と南郷力丸との引っ込みのところで「坊主持ち」をする場面や、五人男の勢揃いのツラネなど、花道を使うにふさわしい場面が少なくない。

「勧進帳」や「熊谷陣屋」の引込みに代表される「幕外」の演出も、花道の効用を生かしている。そのほか「スッポン」と呼ばれる、花道の七三の穴は、妖怪変化の類(仁木弾正、狐忠信、滝夜叉姫など)の出没に使われる。

花道の由来は、観客の代表が客席から舞台の役者に「纏頭」(はな)すなわちご祝儀を贈った道のことだといわれている。いまは、それが「掛け声」になっているのではなかろうか。花道で見得を切る役者に「成田屋!」とか「待ってました!」
などと声をかける‥すなわち「纏頭」(はな)を贈るというわけである。