EBBRO・ebbro・エブロ!!~K-CUSTOM別館~

日本を代表するミニチュアカー・ブランド「EBBRO(エブロ)」
魅力あふれる「EBBRO(エブロ)」を紹介!

エブロ「PRINCE SKYLINE GTB RACING」

2007-08-10 18:17:59 | EBBRO-RACING
創世記は市販車を改造した車のレースであった「日本グランプリ」。

記念すべき第1回は1963年に開催され、「ロータス23コスワース」を駆るピーター・ウォーが優勝しました。
1964年開催の「第2回日本グランプリ」は式場壮吉選手の「ポルシェ904」を生沢徹選手の「スカイラインGT」が1周だけ抜いた伝説のレースとなります。
1966年開催の「第3回日本グランプリ」からは「富士スピードウェイ」に舞台を移します。
その後はスポーツカーで「日本グランプリ」は競われました。
1968年の「日本グランプリ」は「TNT対決」と呼ばれ、「トヨタ」「ニッサン」そしてプライベートチームの「滝レーシング」の三つ巴の対決となり、大きな注目を集めたました。
しかし、1970年には日産自動車が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。
トヨタ自動車もそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の「日本グランプリ開催」を断念。
スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎えました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「PRINCE SKYLINE GTB RACING 1964 JAPAN GP #41」です。
製品番号は43395。BOXは「RACING(青)」。
総生産数は2880pcsです。

第一回日本グランプリの反省から、第二回日本グランプリには「プリンス自動車」が総力を上げて取り組み、生み出されました。
ドライバーは後にヨーロッパでも大活躍する生沢徹選手。

この年、式場壮吉選手のドライブするポルシェカレラ904と対決し、一般市販車スカイラインとは圧倒的な性能差のあるポルシェをヘヤピンでパス!
半周ほどトップを走行し、コレが現在まで続くスカイライン伝説の始まりとなりました。

「鉄チン」ホイールや、大径の「ウッドステア」などが時代を感じさせます。
「アイボリー」等の白系の塗装は「ダルく」なり易いですが、このモデルはシャープに仕上げられています。

ボンネットからテールに向かって引かれたストライプが印象的です。
フロントマスクにはメッキパーツが多用されています。
見えにくいですが、ライトに施された飛散防止用のテーピングも再現されています。

この角度から見ると、「ノーマル」の雰囲気が強く感じられます。
テールライトも細かく塗り分けられています。
資料が少ない同マシーンを細かい部分まで再現しています。

「RACING」としても「Oldies」のモデルとしても魅力的です。
こちらもエブロならではの1台です。

8月27日 画像更新。

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エブロ「CASTROL MUGEN NSX GT500チャンピオン」

2007-08-01 19:09:57 | EBBRO-RACING
NSXは、1996年から「全日本GT選手権」に参戦開始。
2000年にはGT500クラス。
2004年にはGT300クラスで、チャンピオンを獲得しています。
ミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされれることが多く、なかなか結果を残せていませんでしたが、「童夢」の絶え間ない開発により進化を続けています。

「無限×童夢プロジェクト」
ドライバーは、F3デビュー戦で優勝するなど天才的なテクニックを持つ道上龍選手。
パートナーには第4戦までは、全日本ツーリングカー選手権でチャンピオンを獲得した経験を持つ中子修選手が担当。
第5戦から最終戦までは、光貞秀俊選手が担当しました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「CASTROL MUGEN NSX JGTC 2000」です。
製品番号は43128。BOXは「EBBRO 紺」です。

メインスポンサーである「Castrol」と「無限」のコーポレートカラーが、絶妙なバランスで配色されています。
ボンネットルーバーがメッキ処理されており、マシーンのアクセントになっています。

細かなフィン形状を持つホイールもしっかり再現されています。
但し、このタイプの台座を使用しているモデルは台座とタイヤが干渉してしまいます。
そのため「ゴム」タイヤか「プラスティック」台座のどちらかが溶けてしまう事があるので要注意です。固定しているビスを緩めるなどの対策が必要です。

モデルはドライバーネームが「中子修/道上龍」で、ウェイトハンデステッカーが貼られていないということは「開幕戦仕様」となります。

2000年リザルトは、

開幕戦 もてぎ2位
第二戦 富士8位
第三戦 菅生2位
第四戦 富士10位
第五戦 岡山2位
第六戦 MINE4位
最終戦 鈴鹿2位

道上選手が見事GT500クラスチャンピオンを獲得。
中子選手がランキング10位。
光貞選手がランキング7位となりました。

エアロが過激でなかった頃の「あっさり」したマシーンの特徴をよく捉えているモデルです。
現行のNSXを見慣れた人は、リアハッチに「ちょんまげ」が無いため逆に新鮮に見えるかもしれません。

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エブロ「CASTROL MUGEN DALLARA F302」

2007-07-31 17:57:02 | EBBRO-RACING
フォーミュラ3(Formula 3、F3)
GP2及びフォーミュラ・ニッポン(旧F3000)の下に位置付けられた国際フォーミュラレースです。
現在も各国・地域を舞台に選手権シリーズが開催されています。
中でも、イギリスF3(1951年~)・全日本F3(1979年~)・ユーロF3(2003年にドイツ・フランス・イタリアの国内選手権を統合。その後ドイツ・イタリアでは独自の選手権が復活)は、最新のマシンとエンジンと技術が投入されている有力シリーズです。
またシャシー、エンジンは参戦チームがシャシーメーカー及びエンジンチューナーから購入し、組み合わせて参戦しています。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「F3 '02 CASTROL MUGEN DALLARA F302 #1」です。
製品番号は43380。BOXは「RACING 青」。
総生産数は2400pcsです。

ドライバーは小暮卓史選手。
業界的にも珍しい、ミドルフォーミュラーモデルです。

唯一残念な点は、フォーミュラ・ニッポンモデルにも言える事なのですがフロントがシャフト止めな点です。
MMPの技術力であれば、センターロックの再現も可能な筈ですが・・・

リストリクターを装着した巨大なインテークボックスやコンパクトなモノコックなど「F3」の特徴を精密にモデル化しています。

2002年のリザルトは、

開幕戦 筑波4位    第2戦 筑波7位
第3戦 鈴鹿 優勝   第4戦 鈴鹿 優勝
第5戦 富士 リタイヤ 第6戦 富士 リタイヤ
第7戦 MINE2位    第8戦 MINE 優勝
第9戦 もてぎ 優勝  第10戦 もてぎ 優勝
第11戦 もてぎ 優勝  第12戦 もてぎ2位
第13戦 菅生 優勝   第14戦 菅生 優勝
第15戦 仙台 優勝   第16戦 仙台 優勝
第17戦 TI リタイヤ  第18戦 TI2位
第19戦 もてぎ 優勝  最終戦 もてぎ2位

11勝を挙げ、年間チャンピオンを獲得しました。

F3モデルは「ミニチャンプス」からも製品化されているので、両メーカーの完成度を比較するのもおもしろいです。
同じ「ダラーラ F302」のモデルも発売されていますが、実は全車の仕様が細かく異なります。要チェックです

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エブロ「MAZDA RX-7 DAYTONA No.7」

2007-07-30 18:22:45 | EBBRO-RACING
RX-7とは、1978年3月サバンナ(輸出名RX-3)の後継として「SA22C型 サバンナ RX-7」が登場しました。

エンジンは水冷2ローターエンジン「2ANA」(自然吸気)仕様を搭載。
1983年のマイナーチェンジの際に日本仕様のみ「12Aターボ」に変更されました。
「ロータリーターボエンジン」の搭載は世界初搭載の「ルーチェ/コスモ」から1年後でした。
日本以外では、1984年~1985年に「13BEGI」自然吸気エンジン搭載仕様車が販売されました(こちらの仕様は日本では未発売)

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「MAZDA RX-7 DAYTONA 1979」です。
製品番号は43238。BOXは「RACING 青」です。

1979年デイトナ24時間レースに参戦したモデルです。
片山義美選手、寺田陽次郎選手、従野孝司選手がドライブ。
初挑戦で、見事GTUクラス優勝を飾りました。

ノーマルのボディに後付されたエアロが迫力です。
巨大な「湾岸羽」がシルエットに特徴を持たせています。

右サイドウィンドウは閉じられていますが、反対側のウィンドウはキャッチネットが再現され、開口された状態になっています。
<
スポンサーがほとんど無く、「コーポレートカラー」で彩られたマシーンが時代を感じさせてくれます。
24時間レースの特色でもある追加された識別灯、フロントライトが素敵です。

リアに設置された追加の給油バルブも精密に再現されています。
数多くのメーカーからモデル化されている同マシーンですが、やはりエブロの完成度が一番だと思います。

9月5日 画像更新。

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エブロ「PORSCHE 917 SHORT TAIL」

2007-07-27 19:40:36 | EBBRO-RACING
創世記は市販車を改造した車のレースであった「日本グランプリ」。

記念すべき第1回は1963年に開催され、「ロータス23コスワース」を駆るピーター・ウォーが優勝しました。
1964年開催の「第2回日本グランプリ」は式場壮吉選手の「ポルシェ904」を生沢徹選手の「スカイラインGT」が1周だけ抜いた伝説のレースとなります。
1966年開催の「第3回日本グランプリ」からは「富士スピードウェイ」に舞台を移します。
その後はスポーツカーで「日本グランプリ」は競われました。
1968年の「日本グランプリ」は「TNT対決」と呼ばれ、「トヨタ」「ニッサン」そしてプライベートチームの「滝レーシング」の三つ巴の対決となり、大きな注目を集めたました。
しかし、1970年には日産自動車が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。
トヨタ自動車もそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の「日本グランプリ開催」を断念。
スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎えました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「PORSCHE 917 SHORT TAIL JAPAN GP 1969」です。
製品番号は43748。BOXは「EBBRO(黒)」です。

「シャーシNo.917010」のマシーンをドライブするのはポルシェ・ワークスのジョー・シファート。
パートナーはこのマシーンのオーナーでもあるデイヴィット・パイパーが勤めました。
来日後、わずか1時間半の事前走行が出来なかったものの総合6位を獲得しました。

エントリーは、「滝進太郎氏」率いる「タキ・レーシングチーム」。
監督はポルシェ・ワークスの「リコ・シュタイネマン」。
実質的なポルシェ・ワークスでの日本グランプリ参戦でした。

マシーンの最大の特徴である「可変ウィング」。
レースでの使用は禁止されてしまいましたが、存在感抜群です。

ボンネット上に並ぶ細かい「カラーバー」は車検証。
フロントに装着されたカナード等、現代レーシングマシーンに通じるエアロパーツにポルシェの先進性を感じます。

シンプルで流麗なクラシックレーシングマシーンの特徴がよく出ています。
他のポルシェシリーズに比べ、非常に「ワイド」になっています。

特徴的な可変ウィングは細かくパーツ化されており、非常に立体的で実際に可動しそうなほどです。
クリアーのエンジンフードから覗く「空冷水平対向12気筒エンジン」も細かく再現されています。

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エブロ「FAIRLADY Z GT PROTOTYPE」

2007-07-26 18:45:55 | EBBRO-RACING
フェアレディZは、Z33が2002年からJGTC(現:SUPER GT)のGT300クラスに、S15型シルビアと入れ替わる形で参戦を開始。
参戦初年度の2003年度、見事ドライバーズチャンピオンを獲得しました。

翌2004年からGT500クラスにR34型スカイラインGT-Rと入れ替わる形で参戦を開始。
こちらも参戦初年度の2004年にドライバーズのタイトル獲得。
更にチームタイトルも獲得しダブルタイトルホルダーとなります。
そして2005年度はチームタイトルを獲得しました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「FAIRLADY Z GT PROTOTYPE」です。
製品番号は43483。BOXは「RACING 青」。
総生産数は3792pcsです。

「GT PROTOTYPE」として発表されたマシーンのモデルとなります。
発表当時は
「ポルシェのように購入した状態でレースへの参戦が可能」
を、目指し「FIA GT」規格で開発されました。
そのため、このようにノーマルのイメージが色濃く残っています。

「PROTOTYPE」のため、昔のレーシングカーの様にスポンサー等のマーキングも必要最小限のものだけになっています。
「TEST CAR」とは、また違うイメージに仕上がっています。

グラデーションの細かい、日産のコーポレートカラーを精密に再現しています。
リアウィンドウに開けられた「NASAダクト」が素敵です。

コクピットの中も精密に再現されています。
フロントに沿って設置されたピラーバーホールも一つ一つ見事に「開口」されており、リアリティをUPさせています。
ヘッドライトの中の細かいライトパーツのメッキパーツ等を使い分けることにより表現されています。

このマシーンをベースに2003年のJGTCへ参戦しました。
全てのZ33型レーシングカーの「ベース」となったこのモデル。
ぜひ、手元においておきたい一台です。

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エブロ「DENSO SARD SUPRA JGTC 1995」

2007-07-17 19:22:06 | EBBRO-RACING
「トヨタ スープラ」
かつて日本国内では「セリカXX(ダブルエックス)」という名称で販売されていました。「スープラ」は「セリカXX」の海外での名称でした。
そのため日本国内での「スープラ」としての歴史は3代目からとなります。
1986年から2002年までの累計生産台数は28万5280台。
最後の1年(2002年)に生産されたのは、僅か340台でした。
国産車初の6速ミッションを装備するなど、時代の最先端を走り続けました。
因みに、「スープラ」という名前は、ラテン語で「至上かつ最高」「上へ」「超えて」(スーパー)と言った意味を持ちます。

「DENSO SaRD」
ドライバーはジェフ・クロスノフ選手。
1988年に来日し全日本F3000、全日本GT選手権等に参戦。
しかし、 1996年7月14日CART第11戦トロントでのクラッシュで帰らぬ人となりました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「DENSO SARD SUPRA JGTC 1995」です。
製品番号は43832。BOXは「RACING 黒」です。

現在のカリカリのレーシーングマシーンと違い、まだ「市販車」をメチャ改造しました感があります。
この年、4チームがスープラで参戦。
先日行われた「第46回静岡ホビーショー」で既にバリエーションが発表されています。

メッキ処理が施されたRAYS製2ピースホイールが再現されています。深リムはいつ見ても素敵です。
鍛造ワンピースホイールもイイですが、2ピースにも趣があります。

過激なエアロパーツを装着しておらず、リアウィングもノーマルの大型版のようなものを装着しています。

1995年のリザルトは、

開幕戦 鈴鹿3位
第二戦 富士16位
第三戦 仙台5位
第四戦 富士18位
第五戦 菅生3位
最終戦 MINE15位

年間ランキング8位となりました。
当時はカテゴリー創設2年目。
一人のドライバーでの参戦が許され、クラスも「GT1」「GT2」と呼ばれていた頃でした。

コレまでは、「ボンネットピン」や「ボンネットフック」はタンポ印刷による「マーキング」で再現されていましたが、このモデルは「エッチングパーツ」が貼り付けられており質感が大幅UPしています。
しかし、脱落してしまっているモデルもあるので購入の際は要注意です。

ルーフ上の「J・KROSNOOF」の文字を見るたびに、クロスノフ選手を思い出します。
クロスノフ選手の生涯戦績等に関してはこちらをご覧下さい。

「Stay Hungry」

エブロ「TOYOTA 7 JAPAN GP 1969 #3」

2007-07-11 18:53:27 | EBBRO-RACING
創世記は市販車を改造した車のレースであった「日本グランプリ」。

記念すべき第1回は1963年に開催され、「ロータス23コスワース」を駆るピーター・ウォーが優勝しました。
1964年開催の「第2回日本グランプリ」は式場壮吉選手の「ポルシェ904」を生沢徹選手の「スカイラインGT」が1周だけ抜いた伝説のレースとなります。
1966年開催の「第3回日本グランプリ」からは「富士スピードウェイ」に舞台を移します。
その後はスポーツカーで「日本グランプリ」は競われました。
1968年の「日本グランプリ」は「TNT対決」と呼ばれ、「トヨタ」「ニッサン」そしてプライベートチームの「滝レーシング」の三つ巴の対決となり、大きな注目を集めたました。
しかし、1970年には日産自動車が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。
トヨタ自動車もそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の「日本グランプリ開催」を断念。
スポーツカーによる日本グランプリは終焉を迎えました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「TOYOTA 7 JAPAN GP 1969 No.3」です。
製品番号は43664。BOXは「EBBRO(黒)」です。

「トヨタ7」は、アメリカで当時大人気であった「CAN-AMシリーズ」のレギュレーションである排気量無制限の「グループ7」規約に沿って製作されたため、「7」と名づけられました。
この「No.3」は後に、トヨタ7ターボのテスト中の事故で帰らぬ人となった川合稔選手のドライブで、1969年に開催された第6回日本グランプリで3位を獲得しました。

左右でスピンナーのカラーが異なります。
右は「ブルー」左は「レッド」となっています。

現代レーシングマシーンのようなゴテゴテとしたエアロパーツが無いので、非常にすっきりとしたイメージで仕上がっています。
この角度から見るリアの「5000cc DOHC V8エンジン」が迫力です。

ボンネット上に並ぶ細かい「カラーバー」は車検証になります。
実車写真を検索したところ、各検査にパスした際に張られていたようです。

サイドから見ると華奢なイメージがする「Firestone」タイヤですが、この角度から見ると、そのワイドさに驚かされます。
「5000cc DOHC V8」の生み出すパワーを、このタイヤが路面に伝えていました。

このようなヒストリックレーシングマシーンも製品化する。
エブロの魅力の一つとなっています。

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エブロ「TAISAN ADVAN PORSCHE 911 GT3R JGTC」

2007-07-10 18:58:08 | EBBRO-RACING
「ポルシェ911」はポルシェ社のスポーツカーです。
開発コード「901」にて発表されたポルシェ356の後継車種。
当初は「901」と名乗っていましたが、プジョーが3桁数字の真ん中に「0」の入った商標をすべて登録しており、ポルシェへクレーム。
そのため「911」と改めた事はあまりにも有名です。
RR(リアエンジン・リア駆動)方式を取り、現代に至るまでポルシェ社のみならずスポーツカーを代表する名車とされています。

「TEAM TAISAN Jr. with ADVAN」
ドライバーは北野武氏の義弟としても知られ、インディ500に参戦するなど世界的にも活躍する松田秀士選手。
パートナーには日産ワークスチームに籍を置き、数々の全日本タイトルを獲得してきた実力者、福山英朗選手。
強力な体制でシーズンを迎えました。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「TAISAN ADVAN PORSCHE 911 GT3R JGTC '00 #26」です。
製品番号は43183。BOXは「RACING 青」。
総生産数は3120pcsです。

後に多くのバリエーションを発売する事となった「911 GT3R」の第1作です。
ブラックベースにレッドのラインが走るADVANカラーが映えます。

メッキ処理が施されたBBS製2ピースホイールが再現されています。
深リムが素敵です。

コノ角度から見ると、大きなブリスターフェンダーの形状を見ることが出来ます。
マーキング類は現在のモデルと違い、デカールですがヨレなどは出ていません。

2000年のリザルトは、

開幕戦 もてぎで見事優勝!!
第二戦 富士も見事優勝!!
第三戦 菅生9位
Special Round セパン5位
第四戦 富士7位
第五戦 岡山7位
第六戦 MINEも見事優勝!!
最終戦 鈴鹿2位

見事3勝を上げ、福山選手がシリーズチャンピオンを獲得。
松田選手は第三戦を欠場しているため、福山選手と2ポイント差のランキング2位となりました。

比較的初期に生産されたモデルですが、シャープなボディライン、細部のディテールなども見事に表現されています。
現在のような大量生産ではなかった為か、製品に「丁寧さ」の様なものを感じます。
今後もコノ様なモデルを世に送り出して欲しいと思います。

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エブロ「Mobil 1 NSX JGTC 2002 1400pcs」

2007-07-09 19:17:30 | EBBRO-RACING
NSXは、1996年から「全日本GT選手権」に参戦開始。
2000年にはGT500クラス。
2004年にはGT300クラスで、チャンピオンを獲得しています。
ミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされれることが多く、なかなか結果を残せていませんでしたが、「童夢」の絶え間ない開発により進化を続けています。

「Mobil 1 NAKAJIMA RACING」
ドライバーは、後にF1にステップアップするラルフ・ファーマン選手。
パートナーには中嶋企画の若手、松田次生選手。
フォーミュラーニッポンでも中嶋企画のステアリングを握る二人での参戦。

本日紹介するのはEBBRO1/43ミニカー「Mobil 1 NSX JGTC 2002」です。
製品番号は43283。BOXは「RACING 青」です。

99年仕様以来、久々のMobil1モデルとなります。
2003年6月に発売。
他の2002年モデルに遅れること数ヶ月。
発売が一番遅かったにも関わらず、なぜか品番が一番古いです。
ルーフのアンテナが省略されています。

因み2002型NSXは、

43329 HONDA NSX TEST CAR JGTC 2002 3000pcs
43330 MUGEN NSX JGTC 2002 2016pcs
43331 TAKATA DOME NSX JGTC 2002 1200pcs
43332 RAYBRIG NSX JGTC 2002 3000pcs
43355 MUGEN NSX JGTC 2002 (LATE VERSION) 3000pcs
43356 TAKATA DOME NSX JGTC 2002 (LATE VERSION) 1800pcs

が、製品化されました。
実車がシーズン途中に通称「ちょんまげ」といわれる「AIR SCOOP」を装備した事により、「前期」と「後期」に分けることが出来ます。
そのため「MUGEN」と「TAKATA DOME」に限り2タイプ存在します。

各チームの総生産台数は3000台を越えています。
しかし、「Mobil 1 NSX JGTC 2002」だけは僅か1400pcsとなっています。

2002年のリザルトは、

開幕戦 岡山は見事優勝!!
第二戦 富士11位
第三戦 菅生はリタイヤ
第四戦 セパンも見事優勝!!
第五戦 富士12位
第六戦 もてぎ17位
第七戦 MINE6位
最終戦 鈴鹿も見事優勝!!

見事3勝を上げシリーズランキング2位となりました。

コノ年のNSXはエキゾーストが右のみの1本出しとなっています。
ですが、遮熱処理は左右に施されているので
「左のエキゾーストがナイ!不良品は!?」
と、慌てて実車の写真を確認した記憶があります。

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