エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

2/21 また来た大地震・・・

2019年02月22日 | 日記
【2月22日(金)】

今日は、後片付けで一日バタバタしていた。
昨日の大地震でわが街、わが家はまた被災し、昨年9月の悪夢が蘇る・・・
私は、昨夜仕事で留守をしていたが安否が心配で連絡したら無事を知り安堵した。


胆振東部地震から5ヵ月半・・・
また来た大地震・・・胆振中東部地震


2月22日付 北海道新聞朝刊から


わが町は、震源地に近く「震度5強」だった・・・

★ 留守での災害・・・
忘れもしない鮮明な記憶の残る昨年9月6日の胆振東部地震。
午前3時過ぎ、これまで経験のない突然の揺れに飛び起きる。
とんでもない大きな揺れにどうする事も出来ず、寝室の隅に移動するのが精一杯だった。
寝ている足元に大きなタンスがありこれが倒れたら命が無いと常々の思いがあった。
幸いタンスは倒れずに済んだが、揺れている間部屋の向こう側ではガチャガチャと物が
落ちて割れる音が凄まじかった。

長く感じた揺れはどれ程だったか?・・・
一旦治まった揺れに興奮して怖がる妻の顔を見て、大丈夫だから・・と落ち着かせた。
音のした方向は、台所・・・すぐに見に行くと足の踏み場もない状況だった。
すぐに写真を撮ったが、自分も動揺していたのかブレてピンボケだった。
その後すぐに停電となり、ランタンを用意する・・・

あの時は、母が入院中で留守だったことが不幸中の幸いだった。
そして、私自身もたまたま休みで家にいた事も惨事ではあったが、対応出来て良かった
と安堵している。

家の被害は、日に日に見え始めるも自治体や国の対応もあり何よりアウトドアグッツに
困らない生活だから停電や断水に見舞われながらもなんとかなるものである。

あれから約5ヵ月半しか経っていない・・・
2月21日午後9時22分頃、悪夢が蘇る大きな揺れに見舞われた。

この時、私は仕事中で留守だった。
自宅には妻と退院した母親が一階の部屋で就寝中だったと後で聞く。
すぐに電話を入れて安否の確認すると二人ともケガ無く無事と知り安堵した。



地震直後に妻が撮影したわが家の台所・・・


その2


貼り換えたばかりの浴室の脱衣場壁紙にも多くのひび割れが・・・


3階のロフトもメチャメチャだった(22日撮影)

★ 他人事だった災害・・・
日本を含め世界中で発生している自然災害・・・
その度に大きく報道され映像で見る被害を目の当りにする。「酷いねぇ~」「かわいそう」
「どうするんだろう」「住めないよね」等など・・・やじ馬的感想も皆他人事だった。

ここは大丈夫、家も大丈夫・・・
だってあんな事起こる訳ないし・・・と、映像で見る被害は冷ややかに他人事でしかない。

しかし、まさかの出来事は他人事ではない自分に襲い掛かって来たのだ。


★ それでも・・・
昨年の震災でもそうだったが、同じ街に住んで居て震度が同じでも
全壊する家があったり、ほとんど被害が無いような家もあった。
ケガをする人も居れば、土砂崩れで命を落とす方も居る。
いっそ世の中の人が全員死んでしまえば不公平は無いのに・・・と
変な理屈で災害を恨んだりする事もあったが、実際自分や家族に影響がないと
本当の意味で被災者の苦悩や苦しみ、悲しみなど分かる訳もないのだ。

備えあれば憂いなしとか、災害は忘れた頃にやって来る・・・

まさに他で起きた災害だからと言ってもう他人事では済まされない事に気が付かないと
いつか自分がそうなった時に誰からも助けてもらえない人間になってしまうのだ。
自分だけならまだしも家族全員がそう見られてしまったら他人事なんて言ってはいられ
ないのだ。

人は、一人では生きられないもの。
困った時は助け合いながら、苦楽を共にし生きる事こそ充実した人生となるのでは
ないだろうか。

それでも・・・
人間だから、他人の不幸をやっぱり他人事とやり過ごす事もあるかも知れない・・・。