エバ夫婦の山紀行ログ

道産子60代、四季を通じて主に夫婦で登った北海道の山を中心に紀行文を載せています。アウトドア大好き夫婦。

老々介護の予備軍

2021年12月31日 | 在宅介護
大晦日もネタ切れ投稿・・・.
まさか  老々介護 予備軍へ
現在住む家で両親と同居する二世帯住宅の生活が始まったのは、もう25年前の1996年(平成
8)4月の事だった。
念願の一戸建て住宅を建てるため実家へ報告に行った時に、同居を懇願され二世帯住宅に切り替
えて建てる事になった。当時親も比較的大きな家に住んでいたので二世帯同居となると同じよう
な間取りで用意する財力は私には無かった。それを承知でわずか二間の一階スペースで我慢して
もらう結果で落ち着いたが、はやりその後の不満は少しずつこぼれるのは母親だった。

当時、母親は64歳、父親は70歳だったので母親の年齢は今の私たちと同じと言う事になる。
同居して10年目に父が急病で他界し、母は一人となったが食事を含めて身の回りの事は何でも
出来ていたので、互いに大きな干渉も無くそれぞれの生活を楽しんていた。

そのお陰もあって随分と夫婦登山が楽しめたのは今も感謝しているところだ。

それでも次第に歳を取ると体の調子も悪くなり、定期的な病院通いは母の日課になっていた。
3年前の胆振東部地震の時は、わが家も被災したが、たまたま膝の人工関節の手術をして入院中
だった母親は、怪我も無く無事だった事が、唯一幸いだったと当時、私たち夫婦の会話である。

最近は時々腰が痛い、疲れるを連呼しつつ定期的な通院もしていたので、大して心配する事も無
く、言わば放ったらかし状態だった。ある時、通院していた病院から連絡があり「お話があるの
で一度一緒に来て欲しい・・」と来院したことがある。母親の定期通院に合わせて行った時、主
治医は、「異常な貧血状態になる低い数値が出ているので、危ない!」「当院では処置出来ない
ので、緊急搬送の要請をします。」と言うのだ。主治医のお話を聞かずの緊急搬送だった。

それは、丁度一年ほど前の話で搬送された総合病院での結果は「胃潰瘍」だったのだが、患部か
ら出血しているために緊急手術をして出血と潰瘍は治まった。しかし、大腸にも小さなポリープ
が発見され、心臓も不整脈があって、春には再検査をしてみましょう・・。だったのである。

それをすっかり忘れていたのか、そのお話すら覚えていないまま春を過ぎて秋になった・・。

10月のある日、いつもの病院に通院する前の日 (休日) に「具合が悪い」と訴える母親の顔は真
っ白でぐったりしていた。「これはヤバイ」と思いすぐに休日の救急病院へ連れて行った。次の
日、通院する病院へ行き検査をする予定だったが、ここでも体調が急変し、また救急搬送と言う
事態で総合病院への入院となったのである。

その時は、輸血をして持ち応えたが、その後の検査で大きな問題にぶち当たる・・。


話がまた長くなりそうなのと個人的情報が網羅し過ぎるので「中略」させて頂くが、手術が出来
ない状況と介護が必要となる病になった事はお知らせしたい。
10月の入院から約2ヶ月半で一応の退院となったが、介護認定2の状態はやはり以前の母親と
は大きく違って帰宅する事になった。

覚悟はしていたが、年の暮れになって自宅介護の生活となり、これまでの生活を大きく変える生
活になる事は間違えない。来年65歳を迎えたらいわゆる老々介護となり、どれだけ好きな山登
りが出来るのかまったく分からなくなった。

まさかの老々介護、いまその予備軍として新年を迎えようとしている・・。

大晦日の今日だが、すでに孫たちが来ている中で親たちも帰省する。
介護が必要と言っても、見た目は元気な祖母だから孫やひ孫たちとのお正月は楽しんで貰いたい
と思う。



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