e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

アンネのバラ

2011年01月24日 | 趣味の園芸
先日,とある施設で見かけた「アンネのバラ(Souvenir de Anne Frank)」。
その名前のバラがあることを初めて知りました。
@アンネのバラ
「アンネのバラ」とは、第2次世界大戦中の強制収容所で、15歳という短い生涯を終えた少女「アンネ・フランク」の形見のバラです。
戦後、彼女の日記が「アンネの日記」として出版されると、自由と平和の大切さを願う言動が多くの人々に感動を与え、世界的ベストセラーとなります。
アンネの父オットー・フランクさんは、娘の平和を願う心をこのバラに託し、世界中の人々に贈ります。
その後、アンネのバラに託された思いに共感した多くの人々の手によって、更に世界中に広がっていきました。
アンネのバラが最初に日本にやってきたのは1972年です。
その前年、1971年に日本とイスラエルの文化交流のために合唱団がイスラエルを訪問しました。(「アンネ・フランクのバラ」の本の編著者は聖イエス会の方々ですので、合唱団というのは聖歌隊に近いのかもしれません。)
合唱団の方々は、イスラエルのレストランで偶然アンネ・フランクの父オットー・フランク氏に出会います。
「アンネの日記」のことはもちろん合唱団の方々も知っていましたので、その時から合唱団の方々とオットー氏との交流が始まりました。
そして1年後にはオットー氏の好意によりアンネのバラ10株が日本に送られました。
アンネのバラは正式な名前を「Souvenir de Anne Frank」といい「アンネ・フランクの形見」と訳されています。
輸送事情の悪さから苗木の到着までに1ヶ月もかかってしまい、10株のうち9株が枯れ、1株だけが合唱団の一員で聖イエス会の創設者でもある大槻さんの庭に根付きました。
この1株がアンネのバラと日本を結びつける最初の1本となりました。

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