
先日 ある方のブログで野鳥の絵を見つけた。
元日本野鳥の会会員の私は 今でも“野鳥”に反応してしまう。
今日は「高野伸二」さんに関する 思い出話。
25年以上前の4月末、野鳥の“春の渡り”を観察しにO駅から夜行電車、北九州からフェリーに乗り対馬、港からはさらにバス、最後はかなりの距離を歩いて目的地の海辺の集落(天気のよい日は山から朝鮮半島が見える)に到着した。私たちはその集落の公民館に泊まり、憧れの“ヤマショウビン”http://birdmuromi.cool.ne.jp/zukan/japan/yamashoubin.html
が、約束の日にその集落のあの川の横のあの木のあの枝に止まるのを待っていた。いくら待っても(約1週間)その年は“ヤマショウビン”は現れなかった。私たちは毎日毎日その集落の周辺(海辺・川・山等)を野鳥探して歩きまわっていた。
そんなある日、神社の境内で尾を左右に振るイワミセキレイhttp://birdmuromi.cool.ne.jp/zukan/japan/iwamisekirei.htmlを観察しての帰り、双眼鏡を持った上品な老夫婦に出会った。その紳士にイワミセキレイを観たことを告げると、その紳士は子どものように目を輝かせ神社の方に行こうと小さな小川を飛び越えようとした。でも向こう岸には着いたのだが・・・足元滑り小川に・・・さらに身体のバランス崩し転倒、頭から帽子が・・・帽子の落ちた跡(頭)は・・・その光景を見て我々は失礼ながら笑ってしまった。(彼の子どものような行動に感動した笑いだったと記憶している。)
翌日だったか、野鳥観察の途中でまたその紳士に出会った。その紳士に対し同じ公民館で泊まっていた早稲田や慶応の学生が大変な敬語を使い態度を改めていたのが不思議に思えた。
遅れてやって来た“ヤマショウビン”を観ての帰りのフェリーで我々は苦手な海鳥の観察をしていた。分からない海鳥を調べようと鳥類図鑑の索引を繰ろうとしたら、なんとあの紳士の写真を発見してしまった。当時私が使っていた鳥類図鑑の著者は“高野伸二”さんだったのです。私の会費も彼に納めていたなんて・・・。
「写真;改築前の我が家の瓦 梅に鶯?」
元日本野鳥の会会員の私は 今でも“野鳥”に反応してしまう。
今日は「高野伸二」さんに関する 思い出話。
25年以上前の4月末、野鳥の“春の渡り”を観察しにO駅から夜行電車、北九州からフェリーに乗り対馬、港からはさらにバス、最後はかなりの距離を歩いて目的地の海辺の集落(天気のよい日は山から朝鮮半島が見える)に到着した。私たちはその集落の公民館に泊まり、憧れの“ヤマショウビン”http://birdmuromi.cool.ne.jp/zukan/japan/yamashoubin.html
が、約束の日にその集落のあの川の横のあの木のあの枝に止まるのを待っていた。いくら待っても(約1週間)その年は“ヤマショウビン”は現れなかった。私たちは毎日毎日その集落の周辺(海辺・川・山等)を野鳥探して歩きまわっていた。
そんなある日、神社の境内で尾を左右に振るイワミセキレイhttp://birdmuromi.cool.ne.jp/zukan/japan/iwamisekirei.htmlを観察しての帰り、双眼鏡を持った上品な老夫婦に出会った。その紳士にイワミセキレイを観たことを告げると、その紳士は子どものように目を輝かせ神社の方に行こうと小さな小川を飛び越えようとした。でも向こう岸には着いたのだが・・・足元滑り小川に・・・さらに身体のバランス崩し転倒、頭から帽子が・・・帽子の落ちた跡(頭)は・・・その光景を見て我々は失礼ながら笑ってしまった。(彼の子どものような行動に感動した笑いだったと記憶している。)
翌日だったか、野鳥観察の途中でまたその紳士に出会った。その紳士に対し同じ公民館で泊まっていた早稲田や慶応の学生が大変な敬語を使い態度を改めていたのが不思議に思えた。
遅れてやって来た“ヤマショウビン”を観ての帰りのフェリーで我々は苦手な海鳥の観察をしていた。分からない海鳥を調べようと鳥類図鑑の索引を繰ろうとしたら、なんとあの紳士の写真を発見してしまった。当時私が使っていた鳥類図鑑の著者は“高野伸二”さんだったのです。私の会費も彼に納めていたなんて・・・。
「写真;改築前の我が家の瓦 梅に鶯?」