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昭和天皇実録 「御一代 鮮明に」 編纂24年 全61冊、編年体  激動87年「ご聖断」など注目

2014-08-22 15:04:59 | 社会
昭和天皇、変わりゆく時代と共に 「実録」天皇の事跡を後世に伝える
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140822004.html へのリンク
2014年8月22日(金)08:03
産経新聞

 宮内庁が21日、天皇、皇后両陛下に奉呈した「昭和天皇実録」。「実録」とは、日々の活動をはじめとする天皇・皇族の事跡をまとめた記録のことで、その事跡を後世の皇室に伝えるのが目的だ。「実録」ではなく「紀」と名付けられた実録もあるが、本質的な違いはなく、呼称の違いは時々の編纂(へんさん)方針や事情によるという。また、天皇・皇族の一代記である場合とそうでない場合があるが、基本的には時系列の「編年体」で記されるのが特徴だ。

 古代中国で、皇帝一代ごとの記録をまとめていたものが日本にも伝わり、奈良時代から平安時代前期にかけて、天皇の動静を中心とした国史が編纂された。

 「日本書紀」「続日本紀」などに続き、文徳天皇の代である嘉祥3(850)年から天安2(858)年の8年間を記録した「日本文徳天皇実録」、清和、陽成、光孝天皇の3代にあたる天安2(858)年から仁和3(887)年までの29年間を記した「日本三代実録」の計6部が編纂され、「六国史(りっこくし)」と総称されている。

 その後、天皇・上皇の命によって政府・国家がつくる実録は途絶えていたものの、明治時代になって再び編纂されるようになり、明治維新直前に在位した孝明天皇の事跡を調査する専門組織が設けられて、「孝明天皇紀」が編纂された。

 「明治天皇紀」もこれに続き、大正3年に編纂の専門組織である「臨時帝室編修局(当初は臨時編修局)」が設けられて編纂が始まった。18年9カ月かけて昭和8年に完成。長らく公開されてこなかったものの、明治百年記念事業で43年から13冊(索引1冊を含む)を順次刊行した。

 一方、11年に完成した大正天皇実録は公刊されず、長年にわたり非開示の状態が続いたが、情報公開請求を契機に、宮内庁は黒塗りの部分を除いて開示した。

昭和天皇実録 評価分かれる2例意識
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2014年8月22日(金)08:03
産経新聞

 ■史料価値高い「明治」/黒塗りある「大正」

 昭和天皇実録の編纂にあたっては、史料価値について評価が大きく分かれる直近2つの実録が強く意識されてきた。

 日本近代史の第一級史料と位置づけられるのが「明治天皇紀」だ。明治天皇在位中から宮内省図書寮(現在の宮内庁書陵部)で編纂の動きがあったが、大正3年に編纂専門組織として、宮内大臣経験者をトップとする「臨時帝室編修局(当初は臨時編修局)」を宮内省内に置き、国家の大事業として編纂が始まった。

 側近らからの聞き取りをまとめた資料「談話記録集成」も作られ、完成した本文は約652万字にも及んだ。当時の政治、社会の重要事件も詳述するなど、歴史学者から高い史料的価値が認められてきた。

 一方、「大正天皇実録」は宮内省図書寮で編纂。完成した本文の分量は約178万字と、明治天皇紀に比べ大きく減少した。研究者の間には「(明治天皇紀と比べて)時代背景の記述が少ないため、単なる『ご動静』に近く、内容の厚みに欠ける」との意見もある。

 また、大正天皇実録は公刊されず、平成に入って情報公開請求を契機に公開された際には「情報公開法で開示が除外される個人識別情報に当たる」などとして、病状など全体の約3%が黒塗りされ、史料としての価値を低くする一因となった。こうした経緯を踏まえ、宮内庁は今回の編纂方針を「従来出せなかったものも出す」「黒塗りはしない」と説明。昭和史研究者の期待が高まっている。

昭和天皇実録 「御一代 鮮明に」 編纂24年 全61冊、編年体
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2014年8月22日(金)08:03
産経新聞

 昭和天皇の87年8カ月余りにわたる生涯を記録した「昭和天皇実録」が21日、天皇、皇后両陛下に奉呈された。膨大な資料を基に時系列の「編年体」で編纂(へんさん)され、全61冊に及ぶ実録は昭和史研究の貴重な史料となり、専門家もその内容に注目している。

 平成2年4月に編纂が始まった昭和天皇実録の完成には、2度の大幅延長を含め24年5カ月もの歳月を要した。「大正天皇実録」の9年5カ月、「明治天皇紀」の18年9カ月と比べ、はるかに長い事業。政治、外交、軍事など、旧憲法下で「統治権の総攬(そうらん)者」とされた昭和天皇が関わった事項、発言の記述をめぐり宮内庁内で議論も起きるなど「激動の昭和」を紡ぐ作業は、困難な道のりの連続だった。

 「御一代(ごいちだい)(生涯)をあらわすとともに、昭和という時代が分かるようなものにしたい。そういう思いで取り組んだ」。編纂を担当した宮内庁書陵部編修課で平成17~23年に課長を務めた岩壁義光氏(63)は、こう振り返る。

 ◆新たな資料発見

 編纂作業は、「まずは人材集めから始まった」(岩壁氏)。皇室関連の古文書や天皇陵などを管理する書陵部には当時、古代史や中世史の専門家は多かったが、近現代史の専攻者は少数だったためだ。大学の近現代史専門家、外務省外交史料館の研究者など多様な顔ぶれが集められ、最多時(4年度)は正職員21人、非常勤職員13人が従事。総勢112人が携わった。

 作業は年代ごとに、明治34年の誕生から即位の礼が行われた昭和3年▽4年から終戦の20年▽21~41年▽42年から64年の崩御-の4チームで分担され、全体を編修課長が統括した。

 編纂のために宮内庁が収集した資料は国内外を合わせて約3千件に上る。収集は庁内の文書の確認、整理から始められた。起床や就寝の時刻から始まり面会者などを侍従らが記録した「侍従日誌」、侍医の「拝診録」、海外要人らとの「外賓接待録」など、多様な記録が庁内にはばらばらに存在。これらを日付ごとに分け、原稿用紙などに書き写した。当初はコピー機があまり普及しておらず、地道な作業が続けられた。

 全国の自治体に残る「行幸啓(ぎょうこうけい)録」の調査も進めた。昭和天皇は戦後の「全国ご巡幸(じゅんこう)」など各地の視察を頻繁にしていたからだ。課員は全都道府県を行脚(あんぎゃ)した。

 外務省外交史料館▽防衛省(防衛庁)防衛研究所▽国立国会図書館憲政資料室▽憲政記念館-の4カ所は政治、外交、軍事の資料収集の柱となった。海外にも足を運び、米国、英国、ベルギーへ計5回出張。昭和天皇の元側近らを訪ね、手帳などを借りたり写したりし、公的記録には出てこない内容も集めた。「焼失したと思われていた資料が発見され、改めて調査が必要になったこともあった」と別の元課長は述懐する。

 ◆記述めぐり議論

 複雑な時代背景や、政治的、軍事的な問題にも言及した発言のうち、公的記録に記載がなく、関係者の手記などで内容に相違がみられるものを、どこまで記すかは、課内でもたびたび議論になった。「昭和天皇個人のご記録であって国史ではない。淡々と書くべきだ」「行動や発言の背景が分からない記述ではご生涯を伝えることにならない」。ある元宮内庁幹部は「実録は日本の『正史』ではないが、対外的にはどんな影響があるか議論があった」と、難しい問題だったことを明かす。

 「昭和天皇のさまざまなお姿やご苦労がどれだけ伝えられるか分からないが、国民の皆さんに少しでも感じていただければ幸いです」。岩壁氏は、こう振り返った。(今村義丈)

宮内庁、昭和天皇実録を両陛下に奉呈 激動87年「ご聖断」など注目
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/snk20140822001.html へのリンク
2014年8月22日(金)08:03
産経新聞

 昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」が完成し、編纂(へんさん)作業を進めてきた宮内庁は21日、天皇、皇后両陛下に奉呈(献上)した。宮内庁は、奉呈した「正本」と同内容の「副本」を情報公開請求の対象とし、9月中旬に公表する予定。来年以降5年かけて順次公刊する。一部を消す黒塗りはしない。24年5カ月かけて編纂された実録は戦前から戦中、戦後の激動期を歩んだ昭和天皇の初の包括的な公式記録。昭和史研究の貴重な史料となる。

 両陛下への奉呈は同日午後2時から、皇居・御所で行われ、宮内庁の風岡典之長官が実録完成までの経緯や奉呈本の概要などを説明。天皇陛下は「実録が完成したことをうれしく思う」という趣旨の言葉を述べ、編纂関係者へのねぎらいの気持ちを伝えられた。

 奉呈本はB5判の和製本で、付属の「目次・凡例」1冊を含め全61冊で、計約1万2千ページ。分量は、天皇の実録(紀)としてはこれまで最長だった明治天皇紀の約1・5倍で、初めて口語体で叙述している。

 昭和天皇実録は、昭和天皇の誕生(明治34年)から崩御(昭和64年)まで87年8カ月余りの事跡を客観的資料に基づき、時系列に記す「編年体」の形式でまとめられた。皇室全般や政治、社会、文化、外交なども昭和天皇との関わりを中心に記述。終戦の「ご聖断」に至る経緯や、連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥との会見内容など、戦前から戦後の占領期にかけての新史料の有無が注目される。

 宮内庁は基となる資料として、未公開のものを含めて約3千件を収集。側近の日誌などのほか、未公開の個人文書や元侍従ら約50人からの聞き取りも参考にした。

 大正天皇実録は平成14~23年に4回に分けて公開されたが、個人情報などを理由に黒塗りされた部分が多く、公開の在り方が問われた。これを踏まえ、今回は黒塗りはしないが、編纂にあたっては、昭和天皇の細かな病歴や学業成績などには触れていないという。

 昭和天皇実録は2年度から16年計画で編纂を開始。神代を除き歴代天皇として最長寿、最長在位だったうえに、新資料が見つかったこともあり、2回で計8年間、計画が延長された。編纂に要した費用は人件費を除き約2億円。公刊本は計19冊(索引1冊を含む)にまとめられ、来年3月にも、明治34~大正9年分の2冊が刊行される予定。




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