どんがばちょ

日常の出来事を鋭い視点、オモロい切り口で綴っていく、オヤジのブログ

「スポーツ」と「道」の違いについて

2010年12月03日 | エッセイ
少年野球や少年サッカーを見ていると、監督が子供がグラウンドを離れる時に一礼をして帰ることを義務付けていることがある。

柔道や剣道などの武道で見られる場面に似ている。

一見教育的にはよいようにみえるが、これは監督の大きな根本的なハチャメチャなミステイクである。

武道が古来日本人のDNAに刻まれていることを考えると違和感はないように見えるのだが、どうやらこのことが根本的に「スポーツ」というもののとらえ方を間違ってしまっているようだ。

そもそも武道の「道」というのは人の生きる道、哲学である。



そこに、明治維新後欧米から色んな競技が輸入され「スポーツ」と呼ばれた。

そもそもこの「スポーツ」は、元々「気晴らし」とかいわゆるレクリエーションという意味合いである。

だから競技性のある楽しいものであればスポーツである。

ダーツやビリヤード、カーリング、TVゲームなどもれっきとしたスポーツである。

日本では長らく今でいう激しいスポーツ的なものは「体育」と称され、レクリエーションとは一線を引いていた。

大学のクラブとかで「体育会系」と称される場合は明らかにレクリエーションではなく、激しく厳しいイメージがあることからも体育という言葉の意味がうなずける。

かつて青春ドラマでもラグビーやサッカーやバレーや野球を明らかに「道」的な意味合いで描かれている。



しかし徐々に、結果的に体を動かすことになる種目が多いスポーツが体育的なものと同じ意味合いで使われるようになってきた。

その結果、サッカー選手にグラウンドに礼をさせるような「道」的な部分を要求したりするヘンテコリンなことになっているのである。

そもそもJリーガーのファッションなどの文化を見ると金髪にしたり、ロン毛にしたり・・・本来の日本人が考える「道」とはかけ離れているが、それはもちろんヨーロッパで発達したサッカーという「スポーツ」の文化の影響である。

それを「あれはどうか」などと眉をひそめることが本来おかしいわけで、サッカーは本当の意味でのレクリエーション「スポーツ」なのである。

ましてや「野球道」のように、哲学である「道」という言葉をレクリエーションに無理やりくっつけるなど愚の骨頂ではないか。

ついでにいうと、「体操競技」はゲーム性があまりないのでスポーツではなく、あくまで「体操競技」らしい。





さてこのような経過で日本人はスポーツという言葉のとらえ方が本来とは違っているという結果になった。

オリンピック競技にPCゲームなんかが入るという議論にJOCが違和感を示しているというが、それは日本人独特の感覚らしい。




卓球の試合などに出ても面白い。

大学の卓球部出身の人は必ず対戦前に相手や審判、応援者などに礼をして始める。

それは彼らには常識なのかもしれないが、明らかに「体育会系」的な要素が刷り込まれている結果だ。

もともと卓球は貴族の遊びが起源であり、本来の意味での「スポーツ」のひとつである。

それは「道」ではない。

大学卓球の応援なんか見ていると皆同じ掛け声、同じように立ち上がる・・・見ていて清々しいほど日本人的だ(笑)



まぁ時代は変わるわけで、いわゆる「道」であった武道が今はスポーツの一員としてオリンピック競技になっていたりする。

ここまで世界的な「スポーツ」が幅を利かせると、スポーツの中で「道」を主張し続ける方が違和感があるというものだ。

柔道のルール改正が日本人に不利だとか、本来の日本人の持っていた心が失われているとかいう人がいるが、これはスポーツに加えられてしまったことであり、日本人だけがひょっとしたら残念な思考を持っていると考えるべきであるのか?



本来のスポーツの概念を日本人が体の芯から理解するにはかなりの時間がかかりそうだ。

そして理解できた時には、武士道的な思想は日本人から失われてしまった時なのか・・・(笑)


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