どんがばちょ

日常の出来事を鋭い視点、オモロい切り口で綴っていく、オヤジのブログ

宗教問題

2010年06月21日 | エッセイ
信教の自由が認められた国、日本。

さまざまな宗教があり、色んな信者がいる。

しかし、日本人の大枠は「無宗教」だと言っていい。

冠婚葬祭には宗教を用いるが、普段の生活で信心深い人はあまりいない。

そのこと自体がいいことか悪いことかわからないが、とにかく現代人はあまり宗教にしがみつかない。

それは日本が戦後豊かになったからかもしれない。

戦後、天皇が象徴となったことで、神様という基本的な構造が崩れたのかもしれない。

また、急激な発展の中で、工業化や都会化といった近代化こそが心の拠り所となったからかもしれない。

実際、企業戦士などと外国から揶揄されるくらい、企業勤めが日本人の価値観の中心となった。

そしてその「企業」は神話となるくらい成長していった。

これはある種、信じる対象が変わっただけで、心の拠り所となるという意味では宗教と同じである。

しかし、その信じるべき企業が今は揺らいでいる。

そうして今、日本人は「個人」という能力を今生かさねばならない時を迎えた。

しかし、その個人という教育をされていなかったために自立できていない大人が多い。

自分のことを自分で決めることができないのだ。

自殺率が高いのもそのためなのか。

日照時間が短い国に自殺が多いというのは統計的にもそうだが、日本は異常ではないのか?

それは何を隠そう、「信じるもの」を見つけていないからだ。

経済が衰退すれば、何を拠り所に動いていいのかわからないのだ。

それを表すかのように、新興宗教に入る人も増えている。

また宗教には入信しなくても、「スピリチュアル」にはまる人も増えている。

そのような本も売れている。

神や特定の崇拝する人物がいないだけで、内容は殆ど宗教書と同じだ。

もちろん内容は、愛や思いやり、自分を信じることなど、素晴らしい内容のものである。

宗教の種類を問わず教えは素晴らしいと思う。



しかし、内容はともあれ、「排他的」な宗教が存在するのも事実である。

・・・この宗教を信仰しないと、不幸になる。

変な死に方をする。

他の宗教を信じることは邪悪である。

無宗教も同様に邪悪である。

こういった信仰は周囲の人に摩擦を引き起こし、人間関係にトラブルを起こす。

しかし信仰している人は、本気なのでひるむこともなければ、それが正義だと思っているのだから悪いとも言い切れない。

恋愛や結婚相手にこういうことが絡むと、これは二人だけの問題ではなく、家同士などの大きな問題になる。

本当に難しいことだ。



私は無宗教だが、クリスチャンの経営者を始め、新興宗教にも知人が多い。

皆人間的に素晴らしいと思える人ばかりだが、宗教活動に自分の時間を裂こうとは今のところ考えていない。

それよりもむしろ普遍的な人間としての教えがあるというところをが勉強できて素晴らしいなと思う。

たとえば聖書は難しいが、聖書を解説した本は読みやすい。

聖書はまさに人生の指南書であろう。



話があちこち向いたが、いいたいことはこうだ。

とにかく今は日本人は「自立」を急がないといけない。

ニュースではいつも政治家が悪者だ。

誰かのせいにする生き方ではなく、自分がどう生きるかということにもっと目を向けなければならない。

それなのに、多くの人はいつも批判ばかりだ。

「本当に政治家が変わったら日本はよくなるの?」

・・・政治家だけが経済を動かしているのではない。むしろ政策は経済の決定的要因ではない。

「このビジネスは本当にうまくいくの?」

・・・うまくいくかどうかの他力本願ではなく、自分がうまくいかせようと思っているのかどうかだ。誰もうまくいかなかったことでも、自分がうまくやればいいのだ。また既に先人がうまくいったことでも、乗っかっているだけではうまくいかないのだ。

「私は幸せになれるの?」

・・・ここまでくれば重症患者だろう。幸せは他人が運んできてくれると20歳を過ぎた大人が本気で思っているところが怖い。
幸せは自分が決めるものであり、幸せだと思うゾーンに自分で向かえばいい。
それができた人のことを「成幸者(≠成功者)」という。






いつも正解を求め、パターン化されたマニュアルを好み、




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