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蕩減の真の意味

「償い」ではなく「赦し」

Wikipedia「世界基督教統一神霊協会の関連用語」より

2021年11月14日 | 資料

蕩減(とうげん)

原義
(朝鮮起源の漢字語)

 借金を全部帳消しにすること。借債を悉く免除してやること。remission(ゆるし)。[3][4] 
「蕩」の字義は「すっかり無くする。『蕩尽/掃蕩』」[5]

 韓国では一般に金融用語として「債務の減免」の意味で使われ頻繁にマスコミに登場する。
また韓国語聖書で負債や罪の「ゆるし」の訳に用いられており[6]、キリスト教会の説教の中でも頻繁に用いられる。


原理用語
 統一教会の教義「統一原理」の中核にあたる救済観を「蕩減復帰原理」という。
文鮮明教祖が「蕩減」と言う場合、99%は「蕩減条件」「蕩減復帰」「蕩減復帰原理」の略語で、原義は1%未満。
文教祖の定義は「小さな条件で大きな負債を赦すこと(原義に同じ)」[7][8]であるのに対し、
「原理講論」では「本来の位置と状態を復帰するために必要な条件を立てる(満たす)こと」[9]
英訳を「indemnity(賠償金)」[10][11]と異なる定義をしている。[12]
これを読んだ金東俊神田外語大名誉教授は「これは間違い」と明言している。[13]
この教会自ら陥った誤認によって国内外のキリスト教会からの批判を招いている[14][15]。
 信者達は原理講論の影響により
「罪のつぐない。罪滅ぼし。[16]罪人たる人間が罪を清算すること。そのために立てる条件を『蕩減条件』と言う[17]
と認識している。
 教会内部では無原罪で生まれた再臨のキリストとされる文鮮明(今は否定され妻韓鶴子[18])が生誕した韓国を
最も迫害したとする日本が支払うべき「賠償金(indemnity)」の意味で使われることが多い。[19]

 
<詳細>
 

 

出典

  1. -
  2. -
  3. ^精解「韓日辞典」高麗書林
  4. ^remissionの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書
  5. ^小学館 大辞泉
  6. ^聖書に記載されている箇所 ネヘミヤ10/31、マタイ18/27、マタイ18/32、ルカ7/42、ルカ7/43
  7. ^「蕩減」文鮮明師による定義
  8. ^「蕩減」には複数の意味がある(教祖様のスラング)
  9. ^緒論 (一)蕩減復帰原理
  10. ^Divine Principle
  11. ^プログレッシブ英和中辞典(小学館)「indemnity」の「2 賠償金,補償金;損害賠償」
  12. ^原理講義の間違い例「蕩減」
  13. ^「蕩減」金東俊教授が原理講論を訳す
  14. ^Criticism of the Unification Church concept of indemnity
  15. ^"Indemnity is a Moon Trap"
  16. ^林恵子著「統一原理への架け橋」(広和)
  17. ab 『統一協会の素顔-その洗脳の実態と対策』249。
  18. ^真のお母様の「無原罪性」―「血統転換、私は母胎からなのです」の意味について | 真の父母様宣布文サイト
  19. ^藤田庄市著「日本における統一教会の活動とその問題点」134 
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「蕩減(マタイ伝18章21~35節)の解釈」 韓国キリスト教

2021年09月15日 | 資料

■ 韓国キリスト教系NEWSサイト「NEWS & JOY」より
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<蕩減の比喩について>

私たちが最初に赦された者だから(マ18:21〜35)
ペテロが赦しについて尋ねたとき、イエス様は七度だけではなく、七回ずつ七十回でも赦しなさいと蕩減の比喩を語られた。

1. 蕩減の比喩は何か

罪の赦しの比喩であるが、人間は死刑宣告を受けた罪人であることが聖書の証だ(ローマ1:32)。アダムの堕落に彼の子孫である人間は神の前に出ることができない罪の負債を追った存在だった。律法でも義とされることがない無気力な僕、罪の奴隷であった。

蕩減とは返済できない借金を全部削除してあげることを意味する。傷も垢も無いイエス様の十字架の事件は蕩減の証であり赦しのしるしであり、神様の何の条件もない愛であった。

この真理(イエス•キリスト)に目覚め信じる者が律法の僕、罪の奴隷から解放され真に自由である神の息子として保証の救いを受けた者である(ローマ8:15〜17)。

2. 十字架の蕩減原理はどのような負債をも赦す力がある

何をもっても赦されない罪の負債を蕩減された感激があり、私たちが赦せない罪は無いということだ。神様が私に施して下さるその愛を考えれば七回ではなく、七十回赦しなさいというイエス様の教訓は、真理の名言である。

しかし、神様に赦された私たちが兄弟の罪を赦せない愚かさを犯している。私が犯した罪に対しては、神様に寛容を祈り他人が私に犯した罪に対しては、度量に狭い心で復讐心に燃える利己的な私たちの心構えをイエス様は当時、律法信仰(歯には歯を、この目には目)を、蕩減の例えをもって叱咤改革した。現代でもイエス様の十字架の血の恵みを知らずに他人の罪ばかりを非難する恩知らずな者に呵責を与える赦しの言葉である。

3. イエス•キリストの蕩減の比喩は愛の戒めだった

愛は多くの過ちを遮ってくれる。(箴言10:12)。愛は恐れを追い出し(ヨハネの手紙第一4:8)神様は愛である(ヨハネの手紙第一4:16)。神様の子どもであるなら愛の化身になれるよう努力しなければならない。

子は父の形状に似て、その血脈を継承する。私たちが神の子どもとなったなら、当然、神様の形状になければならないし神の温血を受け継いで、私たちの心にイエス•キリストの愛の暖かい血が流れなければならない。

結局信じなさいと言いながら兄弟を赦せなければ、彼は冷血漢として蛇の末裔である殺人者カインの血代を継承した者であるにちがいない。ヘビは冷血である。兄弟を憎み複数の冷血が心臓に流れたなら神の種子ではなく、ヘビの種子である(マタイ23:33、ヨハネ8:44)。

主の祈りにも私たちが私たちに罪を犯した者を赦した如く、私たちの罪を赦し給え(マタイ6:12)の条件を掛けている。ゆえに私たちが神様から罪の赦しを受けた者であることが確実であれば、何としてでも兄弟の罪を赦さなければならいのが神の愛の法則なのである。
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原理講論「蕩減復帰」の要訂正箇所

2021年09月10日 | 資料
原理講論 [P272] 

(一)蕩 減 復 帰 原 理

[000](1)蕩 減 復 帰

蕩減復帰原理に関する問題を論ずる前に、我々はまず、人間がその堕落によって、神とサタンとの間において、どのような立場におかれるようになったかということを知らなければならない。元来、人間始祖が堕落しないで完成し、神と心情において一体となることができたならば、彼らは神のみに対して生活する立場におかれるはずであった。しかし、彼らは堕落してサタンと血縁関係を結んだので、一方ではまた、サタンとも対応しなければならない立場におかれるようになったのである。したがって堕落直後、まだ原罪だけがあり、他の善行も悪行も行わなかったアダムとエバは、神とも、またサタンとも対応することができる中間位置におかれるようになった。それゆえ、アダムとエバの子孫たちもまた、そのような中間位置におかれるようになったのである。したがって、堕落社会において、イエスを信じなかった人でも、良心的な生活をした人は、このような中間位置にいるわけであるから、サタンは彼を地獄に連れていくことはできない。しかし、いくら良心的な生活をした人でも、その人がイエスを信じない限りは、神もまた、彼を楽園に連れていくことはできないのである。それゆえにこのような霊人は、霊界に行っても、楽園でも地獄でもない中間霊界にとどまるようになるのである。

それでは、このような中間位置にいる堕落人間を、神はどのようにしたらサタンから分立させることができるであろうか。[P273]サタンは元来、血統的な因縁をもって堕落した人間に対応しているのであるから、あくまでも人間自身が、神の前に出ることのできる一つの条件を立てない限り、無条件に彼を天の側に復帰させることはできないのである。一方においてサタンも、これまた人間の創造主が神であることを熟知しているので、堕落人間自身に再びサタンが侵入できる一つの条件が成立しない限りは、かかる人間を無条件に奪っていくことはできないのである。それゆえ、堕落人間は彼自身が善なる条件を立てたときには天の側に、悪なる条件を立てたときにはサタンの側に分立される。

アダムの家庭はこのような中間位置にいたので、神は彼らに供え物をささげるように命じられたのである。その理由は、神が彼らをして、供え物をそのみ意にかなうようにささげさせることによって、復帰摂理をなし得る立場に彼らを立たせようという目的があったからである。しかし、カインがアベルを殺害することによって、かえってサタンが彼らに侵入し得る条件が成立したのであった。神が堕落人間たちにイエスを送られたのも、彼らにイエスを信じさせて、天の側に立つようにさせるためであった。ところが、そのみ旨とは反対に、彼らがイエスを信じなかったので、当然そのままサタンの側にとどまらざるを得なかったのである。イエスが救い主であられると同時に、審判主でもあられる理由は実はここにある。

それでは、[001]「蕩減復帰」というのはどういう意味なのであろうか。[002]どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。[P274] [003] 例を挙げれば、失った名誉、地位、健康などを原状どおりに回復させるためには、必ずそこに、その必要を埋める努力とか財力などの条件を立てなければならない。また、互いに愛しあっていた二人の人間が、何かのはずみで憎みあうようになったとすれば、このような状態から再び、互いに愛しあっていた元の状態に復帰するためには、彼らは必ず、お互いに謝罪しあうなどのある条件を立てなければならないのである。このように、堕落によって創造本然の位置と状態から離れるようになってしまった人間が、再びその本然の位置と状態を復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足るある条件を立てなければならない。堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと再び戻っていくことを「蕩減復帰」といい、蕩減復帰のために立てる条件のことを「蕩減条件」というのである。そして、このように蕩減条件を立て、創造本然の人間に復帰していく摂理のことを「蕩減復帰摂理」というのである。

それでは、蕩減条件はどの程度に立てなければならないのだろうか。この問いに対して、我々は次のような三つの種類のものを取りあげることができる。

[004] その第一は、同一のものをもって蕩減条件を立てることである。これは、失った本然の位置と状態と同一なる価値の条件を立てることによって、原状へと復帰することをいうのである。例えば、報償とか還償と呼ばれるものが、これに属する。出エジプト記二一章23節から25節に、「命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足……をもって償わなければならない」とあるみ言は、とりもなおさずこのような蕩減条件を立てることを意味するのである。

[005]第二は、より小さいものをもって蕩減条件を立てる場合である。これは本然の位置と状態から失われたものよりも、もっと小さい価値の蕩減条件を立てることによって、原状へと復帰することを意味するのである。例を挙げれば、ある債務者が多額の負債を負っているとき、その債権者の好意によって、その中の一部の少額だけを返済することをもって、[P275]負債の全額を清算したと見なすことがある。このような場合が、すなわちこれに該当するのである。この原則によって、[006]我々は十字架の代贖を「信ずる」というごく小さな蕩減条件を立てることにより、イエスと同一の死を経て再び生きたという条件を立てたと見なされて、救いの大いなる恩恵を受けるようになるのである。また、我々は数滴の水を頭の上から注がれ、洗礼を受けたという蕩減条件を立てることにより、イエスと聖霊によって[011]重生したという立場を復帰することができるのである。このほかにも、聖餐式において一切れのパンと、一杯のぶどう酒をとるだけで、我々はイエスの聖体を食べたという、より大きな価値の恩恵を受けるのである。このような例は、みなこれに該当するということができる。

[007] 第三には、より大きなものをもって蕩減条件を立てる場合である。これは、小さい価値をもって蕩減条件を立てるのに失敗したとき、それよりも大きな価値の蕩減条件を再び立てて、原状へと復帰する場合をいう。例えば、アブラハムは鳩と羊と雌牛とをささげる献祭において失敗をしたため、彼の蕩減条件は加重され、一人息子のイサクを供え物として、ささげるようになった。また、モーセのときには、イスラエル民族が四十日の偵察期間を、天のみ意にかなうように立てることができなかったために、その蕩減条件が加重され、彼らは一日を一年として計算した四十年間を、荒野において流浪しなければならなかったのである(民数一四・34)。

それではどうして、蕩減条件を再び立てるときには、より大きい条件を立てなければならないのであろうか。それは、ある摂理的中心人物が蕩減条件を再び立てるときには、彼が立てなければならない元々の蕩減条件と共に、彼以前の人物たちの失敗による蕩減条件までも付け加えて立てなければならないためである。

    → 「蕩減復帰原理」に書かれていないこと
    → 「原理講論に書かれていない」と言われた御言葉
 

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韓国キリスト教説教の中の「蕩減」

2021年09月10日 | 資料

2012 . 10 . 06 15 : 04 : 26
韓国キリスト教系NEWSサイト「NEWS & JOY」より
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<蕩減の比喩について>

私たちが最初に赦された者だから(マ18:21〜35)
ペテロが赦しについて尋ねたとき、イエス様は七度だけではなく、七回ずつ七十回でも赦しなさいと蕩減の比喩を語られた。

1. 蕩減の比喩は何か

罪の赦しの比喩であるが、人間は死刑宣告を受けた罪人であることが聖書の証だ(ローマ1:32)。アダムの堕落に彼の子孫である人間は神の前に出ることができない罪の負債を追った存在だった。律法でも義とされることがない無気力な僕、罪の奴隷であった。

蕩減とは返済できない借金を全部削除してあげることを意味する。傷も垢も無いイエス様の十字架の事件は蕩減の証であり赦しのしるしであり、神様の何の条件もない愛であった。

この真理(イエス•キリスト)に目覚め信じる者が律法の僕、罪の奴隷から解放され真に自由である神の息子として保証の救いを受けた者である(ローマ8:15〜17)。

2. 十字架の蕩減原理はどのような負債をも赦す力がある

何をもっても赦されない罪の負債を蕩減された感激があり、私たちが赦せない罪は無いということだ。神様が私に施して下さるその愛を考えれば七回ではなく、七十回赦しなさいというイエス様の教訓は、真理の名言である。

しかし、神様に赦された私たちが兄弟の罪を赦せない愚かさを犯している。私が犯した罪に対しては、神様に寛容を祈り他人が私に犯した罪に対しては、度量に狭い心で復讐心に燃える利己的な私たちの心構えをイエス様は当時、律法信仰(歯には歯を、この目には目)を、蕩減の例えをもって叱咤改革した。現代でもイエス様の十字架の血の恵みを知らずに他人の罪ばかりを非難する恩知らずな者に呵責を与える赦しの言葉である。

3. イエス•キリストの蕩減の比喩は愛の戒めだった

愛は多くの過ちを遮ってくれる。(箴言10:12)。愛は恐れを追い出し(ヨハネの手紙第一4:8)神様は愛である(ヨハネの手紙第一4:16)。神様の子どもであるなら愛の化身になれるよう努力しなければならない。

子は父の形状に似て、その血脈を継承する。私たちが神の子どもとなったなら、当然、神様の形状になければならないし神の温血を受け継いで、私たちの心にイエス•キリストの愛の暖かい血が流れなければならない。

結語

信じなさいと言いながら兄弟を赦せなければ、彼は冷血漢として蛇の末裔である殺人者カインの血代を継承した者であるにちがいない。ヘビは冷血である。兄弟を憎み複数の冷血が心臓に流れたなら神の種子ではなく、ヘビの種子である(マタイ23:33、ヨハネ8:44)。

主の祈りにも私たちが私たちに罪を犯した者を赦した如く、私たちの罪を赦し給え(マタイ6:12)の条件を掛けている。ゆえに私たちが神様から罪の赦しを受けた者であることが確実であれば、何としてでも兄弟の罪を赦さなければならいのが神の愛の法則なのである。
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En Wikipedia - Tang-gam (탕감 蕩減) 2022.08.24

2021年08月27日 | 資料

Unification Church Tang-gam- Wikipedia

 

Tang-gam (탕감 蕩減)[edit]

The most important word that symbolize the salvation view of the Divine Principle."Forgiveness," which is the main theme of the entire Bible, is translated as "Tang-gam (탕감 jp:蕩減 Sino-Korean vocabulary"[250]) in several places in the Korean version.[251][252][253] It is frequently quoted in the sermons of the Christian Church in Korea.[254] Also, it is often seen in Korean media.[255]

Original meaning
In the Bible it means forgiveness of sins, and in financial terms it means debt reduction or exemption.[256]

「주님은 우리가 죄인이었을 때에, 하나님과 원수 되어서 용서 받을 자격과 능력이 없을 때에 그 크신 사랑으로 우리 믿는 자들의 죄를 탕감(tang-gam) 해 주셨고」[257]
"When we are sinners, enemies of God, and not qualified to be forgiven, he has forgiven our sins with that great love. "

「앞서 정부는 문 대통령 공약대로 1000만원 이하 장기 소액 연체자의 빚을 전액 탕감(tang-gam) 줬다.」[258]
"As promised, President Moon Jae-in forgave all long-term small debts of less than 10 million won."

Definition of Sun Myung Moon
Sun-Myung Moon explained the definition of "tang-gam" as follows.
"The meaning of tang-gam is forgiving a large amount of debt under small conditions".[259]
"God always sets small conditions (less than total debt) so that everyone has the opportunity to receive salvation."[260]
”Tang-gam is to settle on the condition of a certain sacrifice.'Condition of tang-gam(forgiveness)' is a thankful amnesty to us. Because 95% is God's responsibility and 5% is human responsibility."[261]
"Don't assume that the responsibility we have is heavy. We must know that God has already done more than 95% of the hardships for us to share the responsibility of 5%. "[262]
Sang-Hun Lee,[263] the director of the Institute for Unification Thought, wrote in his article[264] that "tang-gam" means "forgiveness" and its origin is in the "Parable of the Unforgiving Servant(Matthew 18: 21–35)" in the Bible.

"그 종의 주인이 불쌍히 여겨 놓아 보내며 그 빚을 탕감(tang-gam)하여 주었다"
"The lord of that servant was moved with compassion, and loosed him, and forgave him the debt."

He wrote, "If a sinner wants to take off his sins and become an innocent person, he must receive the forgiveness of his sins from God. Because humans have made God sad by the fall. A sinner cannot be forgiven by God unless he meets certain conditions." The only record in the Unification Church that accurately says the meaning of "Tang-gam" is Sang-Hun Lee, except for Sun-myung Moon.
Exposition of the Divine Principle
"Tang-gam" is the core word of "Exposition of Divine Principle part Ⅱ" in the Korean version.[265][266][267][268] However, for some reason, the word "forgiveness" does not appear in any place in the English version. The reason is that Hyo-won Yoo[269] did not know the meaning of "tang-gam" and defined it as "atonement", which won-pok Choi[270][271] translated as "indemnity".
Criticism
After reading this, Dong-Jun Kim,[272] Professor Emeritus of Kanda University of International Studies, said, "This is a complete mistake. The meaning of tang-gam is forgiveness, not indemnity."[273][274]
In short, tang-gam has been translated into the opposite sense, from "forgiveness by God" to "indemnity by sinners".It also shows that the author and translator were not familiar with Sino-Korean vocabulary,[275][276] and they have never read the Bible properly and have not attended a Formal Christian church.[277][278]
Due to misidentification and mistranslation, the original meaning of tang-gam, and the concept of forgiveness of God, which Christianity places the highest importance on, has completely disappeared from the "Divine principle ", On the contrary, it became only the concept of indemnity by sinners. Therefore, the Japanese Christian church criticizes it as an "oriental idea" that contradicts Christianity.[279]
Example of use
"Tang-gam" is most often used within the Unification Church to mean "indemnity" that Japan should pay to Korea. The reason is that Korea is the birthplace of the Immaculate Conception of the Second Coming Christ (Sun-Myung Moon, now he is denied and his wife Hak-Ja Han), and Japan is the country that persecuted Korea the most. That's what makes the church members believe.[280][281]
  1.  A new Korean word created from Chinese characters even in Sino-Korean vocabulary
  2. ^ Deuteronomy15:1,2,3,9,31,31/10,Nehemiah10:31, Matthew18:27, Matthew18:32, Luke7:42, Luke7:43
  3. ^ 성경 검색 - 가톨릭정보 - 가톨릭굿뉴스
  4. ^ 다국어 성경 Holy-Bible "탕감"
  5. ^ Google search"그리스도 탕감"
  6. ^ Google search"탕감"
  7. ^ Naver Korean-English Dictionary
  8. ^ Weekly good news / Korea
  9. ^ JoongAng Ilbo / Korea
  10. ^ June 4, 1967 Sermon "The Road to tang-gam"
  11. ^ February 10, 1981 Sermon "History of providence for salvation by tang-gam"
  12. ^ "Rev. Sun-Myung Moon Collection Vol. 29" P.335
  13. ^ "The way of the will (御旨之道)P.158"
  14. ^ Sang-Hun Lee is known to have been entrusted with the writing of "The Principle", which is the final version of the "Divine Principle" systematization by Sun-Myung Moon.
  15. ^ "Unification Nation Historical view "Monthly "Family May 1993" Kogensha version
  16. ^ 原理講論 後編 第1章1節 蕩減復帰原理
  17. ^ Divine Principle Part II Section 1 1.1 Restoration through Indemnity
  18. ^ Kenji Nomura, Adviser of the Institute of Unification Thought, "University and Ideals, April 1983" Kogensha Edition
  19. ^ When Sun-Myung Moon says "tang-gam," 99% is an abbreviation for ① "Principle of Restoration through tang-gam (蕩減復帰原理)",② " Restoration through tang-gam (蕩減復帰)",③ "Condition of tang-gam (蕩減条件)" ,④ "Complete the condition of tang-gam. (蕩減条件 을 세우 는것)".⑤The original meaning of "tang-gam(蕩減)" is less than 1%."Tang-gam has multiple meanings (Rev. Sun-Myung Moon's slang)"
  20. ^ Hyo-won Yoo's Christian background is only eight months of Latin Catholic Bible reading. "Anguish and the Path of Inquiry by Dr. Hyo-won Yoo"
  21. ^ The first English translation of Wolli Kangron was made by Mrs. Won Pok Choi in 1972
  22. ^ Mrs.Choi apologetically reported that her work was accomplished in haste during a 40-day period in which she could work on the project only during the late night hours. The first edition was printed in limited numbers.
  23. ^ Dong-Jun Kim is an authority of Korean language education in Japan.
  24. ^ "We asked Professor Dong-Jun Kim about the meaning of tang-gam."
  25. ^ "Tang-gam: Professor Dong-Jun Kim translates Exposition of the Divine Principle lecture."
  26. ^ The authors and translators of "Exposition of the Divine Principle" lack basic knowledge of Chinese characters and Christianity
  27. ^ Aritsune Toyota, "Why Korea Can't Revive Chinese characters," P3, Lines 8-11
  28. ^ They don’t know the basic words of Christianity. For example,they misidentify "蕩減(forgiveness)" as "indemnity", "受肉(incarnation)" as "血肉化(becoming blood and flesh)," and "体恤(compassion)" as "experience."
  29. ^ Opponent criticism of "tang-gam"
  30. ^ Satoshi Moriyama "From the Unification Church to the True Messiah", Keiko Kawasaki "Concerned about the Principle Movement"
  31. ^ "The doctrine is that Japan has an obligation of'Tang-gam'(atonement) to Korea, which is colonized by Japan, and Japan must make a tribute as an'Eva state'."RIRC (Religious Information Research Center) Shoichi Fujita P.12
  32. ^ BS-TBS "Report 1930" 2022.8.25 "Atonement for Japanese women"

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