
【聖ヤコブ】エル・グレコ
さて、今回は十二弟子の三人目の紹介、ヤコブさんとなります。
聖書には、ヤコブやユダやヨハネなど、同じ名前の違う方……というのが結構いらっしゃって、ちょっとややこしいのですが、今回ご紹介するのは、十二弟子の中で一番最初に殉教した大ヤコブさんとなります。
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
(使徒の働き、第12章1~3節より)
この時代、ユダヤ人はヘロデ・アグリッパ王の支配下にあったわけですが、彼は王というよりもローマ帝国に任じられた一領主にすぎず、またいつローマ帝国からその権力や支配力といったものを取り上げられるかと、戦々恐々としていたものと思われます。
つまり、自分が統治を任されている国で騒動などがあったとすれば、今の役職をいつ解かれるかもわからず――そういう意味でユダヤ人内で騒ぎがあるのは非常に都合が悪かったわけですよね。ペテロたち十二弟子は、ペンテコステで聖霊を受けたのち、力強くイエスさまのことを証ししていくわけですが、対して、パリサイ派・サドカイ派といったユダヤ人の有力者たちは彼のことを否定しているわけですから、これらの人々にとってヤコブの死というのは非常に喜ばしいものだったというか。
では、ここから「遠藤周作で読む、イエスと十二人の弟子」より、一部文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
西暦四十三年ごろのことである。その年、過越祭をひかえた人々のあいだには例年にもまして反ローマ熱が高まっていた。
当時のユダヤ王ヘロデ・アグリッパは少年のころローマで教育をうけており、人々は彼を親ローマ派とみなしていた。民衆の怒りが自分にむけられては一大事だ、そう考えた彼はある策をねる。
キリスト教の連中はユダヤ教の一派でありながら律法をまもらない。彼らを反ユダヤの異端にしたてれば民衆の怒りもそこにむかうだろう……。
王の姑息な保身の犠牲になったのが教団の幹部だったヤコブである。首をはねられた。
(『遠藤周作で読む、イエスと十二人の弟子』新潮社より)
四福音書中、ヤコブのエピソードとして他に有名なのが、次の箇所でしょうか(^^;)
さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。
「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います」
イエスは彼らに言われた。
「何をしてほしいのですか」
彼らは言った。
「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください」
しかし、イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは自分で何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか」
彼らは「できます」と言った。
イエスは言われた。
「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです」
十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」
(マルコの福音書、第10章35~45節)
このエピソードは、ヤコブ&ヨハネの兄弟がイエスさまの御側で直接教えを受けていながら、またイエスさまの数多くの偉大な奇跡を目の当たりにしていながら、いかに大きな勘違いをしていたかを示すものだと思います(^^;)
さらには、このことを聞いて他の弟子たちが「腹を立てた」とあることから――ここにもイエスさまの弟子たちに対する非常な忍耐強さを見ることが出来ると思うんですよね。けれどもイエスさまは「道々わたしの行なう奇跡を見、教えを聞いてきたのにいまだにわからないのですか。神の国について悟らないのですか」などと言うでもなく、『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためである』と、戒められるのでした。
他に、(大)ヤコブ氏のエピソードとして有名と思われるのが、彼がイエスさまからボアネルゲ(雷の子)と名づけられたくらい、どうやら気の短い、気性の激しい人物だったらしい……ということでしょうか。
さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。
しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。
「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」
しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
(ルカの福音書、第9章51~55節)
ペテロも使徒としてそそっかしいエピソードが多いですが、ヤコブもまた「え?こんな人が聖人??」といったような、短気で気性の激しい人物だったみたいなんですよね(^^;)
ここからはわたしの想像ですが、でもこの「気が短い」とか「気性が激しい」っていうのは、一般には欠点と見なされる人としての資質ですが、でも今の時代はむしろ、こういう人こそが時代を引っ張るリーダーとして求められてるんじゃないかな……と思ったりもするのです。
わたしの知ってる方にもそうした方がいるのでわかるのですが、こうした短気な人って、意外に周りの人から好かれたりします。つまり、人間として物凄くわかりやすいんですよね。気が短くてすぐ怒るんだけれども、それはその時パッと怒りが弾けるだけで、あとには残らない怒り方だったり、気の短さだったり。あと、「よくよく熟考したのちに自分の考えを話す」というのではなく、その時思ったことをなんの気なしにパッとしゃべってしまう……こういう人って、やっぱり意外に周囲の方から慕われたりするものです。
それと、「気性が激しい」=「性格が熱い」ということでもありますよね。「なんかあいつ、熱くていいな」というか、(大)ヤコブ氏はそのくらいの熱い勢いでとにかくイエスさまの福音宣教に燃えていた。『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子』によれば、>>「この漁師出身のカミナリ男は、頑丈な体をもち、声も大きかった」とあるので、情熱的に大きな声で人々に天国のことやイエスさまの救いのことを宣べ伝えていたのでしょう。
でも、イエスさまが旧約聖書で預言された救い主であるとは認めることの出来ないサドカイ派やパリサイ派の人々などは、そんな目の上のタンコブならぬ、目の上のヤコブが殺されて、非常に喜んだものと思われます。今風にいったとすれば、「あいつ熱すぎてウゼェよ。死んで良かった!」的な。。。
こんなふうにイエスさまを宣べ伝えるのに熱かった男ヤコブのことを、現代のわたしたちはもしかしたらもっと見習うべきなのかもしれません。最後に待っているものが殉教でも死でも、なりふりかまわずイエスさまがどんなに良いことをなしてくださったかを宣べ伝える……わたしも、冷静に色々考えて「変人だと思われたくない
」とか考える前に、ヤコブのように熱く語れる人間だったらいいのになと、つくづくそう思うんですよね(^^;)
では、次回、四人目の聖人はこのヤコブの弟、ヨハネとなります。
それではまた~!!
さて、今回は十二弟子の三人目の紹介、ヤコブさんとなります。
聖書には、ヤコブやユダやヨハネなど、同じ名前の違う方……というのが結構いらっしゃって、ちょっとややこしいのですが、今回ご紹介するのは、十二弟子の中で一番最初に殉教した大ヤコブさんとなります。
そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕えにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。
(使徒の働き、第12章1~3節より)
この時代、ユダヤ人はヘロデ・アグリッパ王の支配下にあったわけですが、彼は王というよりもローマ帝国に任じられた一領主にすぎず、またいつローマ帝国からその権力や支配力といったものを取り上げられるかと、戦々恐々としていたものと思われます。
つまり、自分が統治を任されている国で騒動などがあったとすれば、今の役職をいつ解かれるかもわからず――そういう意味でユダヤ人内で騒ぎがあるのは非常に都合が悪かったわけですよね。ペテロたち十二弟子は、ペンテコステで聖霊を受けたのち、力強くイエスさまのことを証ししていくわけですが、対して、パリサイ派・サドカイ派といったユダヤ人の有力者たちは彼のことを否定しているわけですから、これらの人々にとってヤコブの死というのは非常に喜ばしいものだったというか。
では、ここから「遠藤周作で読む、イエスと十二人の弟子」より、一部文章を抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
西暦四十三年ごろのことである。その年、過越祭をひかえた人々のあいだには例年にもまして反ローマ熱が高まっていた。
当時のユダヤ王ヘロデ・アグリッパは少年のころローマで教育をうけており、人々は彼を親ローマ派とみなしていた。民衆の怒りが自分にむけられては一大事だ、そう考えた彼はある策をねる。
キリスト教の連中はユダヤ教の一派でありながら律法をまもらない。彼らを反ユダヤの異端にしたてれば民衆の怒りもそこにむかうだろう……。
王の姑息な保身の犠牲になったのが教団の幹部だったヤコブである。首をはねられた。
(『遠藤周作で読む、イエスと十二人の弟子』新潮社より)
四福音書中、ヤコブのエピソードとして他に有名なのが、次の箇所でしょうか(^^;)
さて、ゼベダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。
「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います」
イエスは彼らに言われた。
「何をしてほしいのですか」
彼らは言った。
「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください」
しかし、イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは自分で何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか」
彼らは「できます」と言った。
イエスは言われた。
「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。
しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです」
十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。
そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。
「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。
人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」
(マルコの福音書、第10章35~45節)
このエピソードは、ヤコブ&ヨハネの兄弟がイエスさまの御側で直接教えを受けていながら、またイエスさまの数多くの偉大な奇跡を目の当たりにしていながら、いかに大きな勘違いをしていたかを示すものだと思います(^^;)
さらには、このことを聞いて他の弟子たちが「腹を立てた」とあることから――ここにもイエスさまの弟子たちに対する非常な忍耐強さを見ることが出来ると思うんですよね。けれどもイエスさまは「道々わたしの行なう奇跡を見、教えを聞いてきたのにいまだにわからないのですか。神の国について悟らないのですか」などと言うでもなく、『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためである』と、戒められるのでした。
他に、(大)ヤコブ氏のエピソードとして有名と思われるのが、彼がイエスさまからボアネルゲ(雷の子)と名づけられたくらい、どうやら気の短い、気性の激しい人物だったらしい……ということでしょうか。
さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。
しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。
「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」
しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
(ルカの福音書、第9章51~55節)
ペテロも使徒としてそそっかしいエピソードが多いですが、ヤコブもまた「え?こんな人が聖人??」といったような、短気で気性の激しい人物だったみたいなんですよね(^^;)
ここからはわたしの想像ですが、でもこの「気が短い」とか「気性が激しい」っていうのは、一般には欠点と見なされる人としての資質ですが、でも今の時代はむしろ、こういう人こそが時代を引っ張るリーダーとして求められてるんじゃないかな……と思ったりもするのです。
わたしの知ってる方にもそうした方がいるのでわかるのですが、こうした短気な人って、意外に周りの人から好かれたりします。つまり、人間として物凄くわかりやすいんですよね。気が短くてすぐ怒るんだけれども、それはその時パッと怒りが弾けるだけで、あとには残らない怒り方だったり、気の短さだったり。あと、「よくよく熟考したのちに自分の考えを話す」というのではなく、その時思ったことをなんの気なしにパッとしゃべってしまう……こういう人って、やっぱり意外に周囲の方から慕われたりするものです。
それと、「気性が激しい」=「性格が熱い」ということでもありますよね。「なんかあいつ、熱くていいな」というか、(大)ヤコブ氏はそのくらいの熱い勢いでとにかくイエスさまの福音宣教に燃えていた。『遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子』によれば、>>「この漁師出身のカミナリ男は、頑丈な体をもち、声も大きかった」とあるので、情熱的に大きな声で人々に天国のことやイエスさまの救いのことを宣べ伝えていたのでしょう。
でも、イエスさまが旧約聖書で預言された救い主であるとは認めることの出来ないサドカイ派やパリサイ派の人々などは、そんな目の上のタンコブならぬ、目の上のヤコブが殺されて、非常に喜んだものと思われます。今風にいったとすれば、「あいつ熱すぎてウゼェよ。死んで良かった!」的な。。。
こんなふうにイエスさまを宣べ伝えるのに熱かった男ヤコブのことを、現代のわたしたちはもしかしたらもっと見習うべきなのかもしれません。最後に待っているものが殉教でも死でも、なりふりかまわずイエスさまがどんなに良いことをなしてくださったかを宣べ伝える……わたしも、冷静に色々考えて「変人だと思われたくない

では、次回、四人目の聖人はこのヤコブの弟、ヨハネとなります。
それではまた~!!

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