
【窓辺の人】サルバドール・ダリ
わたしの住んでいるのは北海道なので、大体どこの家も当然、当たり前のように二重サッシの窓だったりします(^^;)
でも時々、一重の窓というか、本当に一枚の窓だけで構成されている家やアパートなどを見かけることがあり……その時に思うのはとにかく「えっ!?冬はどーすんの??
」っていうことだったり。。。
これ、かなり昔の話ではあるんですけど、不動産会社さんにマンションの内覧をさせていただいた時に、窓が一重だったもので、何気に「なんでこういう窓があるんですかねえ。だってこれじゃ冬に寒いし、結露とか大変ですよね
」みたいに聞いたら、「あーそうっスねえ。たとえば、マンションとか建てた人が東京とか本州の人だと、そのあたりのことがわかんなくてこういう窓にしちゃうらしいんですよ
」……ということでした。
北海道における一重窓の謎(?)の理由はこれだけではないでしょうけれども、つい最近、窓は窓でも色んな種類の窓があるということを知りました。
たとえば、ペアガラス。この窓だと、断熱効果により、外の寒い空気などは普通の窓に比べてシャットアウトしてくれる率が高いそうです。今わたしの住んでる場所の窓もそうなんですけど、他のおうちの窓で一重だったりする場合、こういう種類の窓を採用してると二重サッシじゃなくても結露の問題などは緩和してくれるのかな~と思ったりました(^^;)
なんにしても、ここからは信仰についてのお話。。。
神さまに祈ったりしていると、悪魔(サタン)・悪霊のような存在が、祈っているわたし(信仰者)の心の窓を覗くことがある……ということは、前回書きました。
そして、悪魔(サタン)・悪霊といった存在が黒板に爪でも立てるみたいにその窓に「キィィィィッ!!」というような音とか立てたりして、祈りを妨害してくるわけですよ。こうした敵の攻撃を受け続けていると、そのうち窓にヒビが入るとか、その一部を自分でガムテープ(笑)などで補強しなくちゃいけなかったりとか、まあわたしの信仰はいい格好になるわけですけど、これはなんていうか、わたしがキリスト教徒になって比較的最初の頃の話でした。
悪魔(サタン)・悪霊といった存在はこうしたことを繰り返すことでわたしたちの心の弱味などを見つけ、そうした綻んだところから内側へ入りこみ、あわよくば破滅させようとしてきます。
>>「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」
(ヨハネの福音書、第16章33節)
>>なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
(ヨハネの手紙第一、第5章4節)
けれども、わたしたちにはイエスさまがいますから、神さま、イエスさまに聖霊さまを通して心から祈り、感謝し賛美し続けていると……自分の心に弱いところがあって悪魔(サタン)・悪霊がガラスを割って中に入りこんできた時でさえも、必ず助けてくださいます。
というより、悪魔(サタン)・悪霊との戦いというのは、この信仰の窓が割れてからこそが本当の勝負といっていいでしょう。
何故なら、このわたしたちの心の窓が綻び、割れた時こそ、神さま、イエスさまが真に助けてくださるその瞬間だからです。
もしかしたら多くの方が、「神はあなたが祈る間、そのような悪魔(サタン)や悪霊といったものをよせつけないでおかないのか」、「何故窓ガラスが割れる前にあなたを助けないのだ」と思われるかもしれません。
けれども、むしろ悪魔(サタン)・悪霊に信仰の窓を割られる瞬間こそが、わたしたちがそれまでどれほど敵の攻撃を受けようとも忍耐して祈ったか、そのことで神さまに感謝し誉め称えたかが問われるその瞬間ともいえると思います。
さて、わたしの場合、これまでに軽く二十枚以上は悪魔(サタン)・悪霊といった存在によってこの信仰の窓が割られてきました。
でも、そのたびに神さまはわたしを助けてくださいましたし、敵を退け、まったく新しい窓を心に付け替えてもくださいました。
わたしが思うに、むしろこの信仰の窓というものは、割られないと新しくならない、さらに強く強化されたものとはしていただけないようです(^^;)
以前、アメリカの映画で、こういうシーンを見たことがあります。どっかのマフィアのボスが乗る高級車に、彼の命を狙う別の犯罪組織が攻撃を仕掛けてきました。けれども、こういう時に備えてその高級車には銃弾をも弾くほどの強い防弾ガラスが備えてあったという話……それと、これもまたアメリカのドラマで、強化ガラスの中でも特に強いものは、まったく同じ場所に八発くらい銃弾を加えないと割れないといった種類のものがあるとか。
いえ、わたしの今の信仰が、悪魔(サタン)・悪霊から割られることを繰り返し、神さまがそのたびに新しくしてくださったことで、今ではそのくらいまで強まっている……とまでは言えなかったにしても、信仰の道を清く正しく歩んでいこうという志しがあるなら、最終的に神さまは必ずそれ以上のことをなしてくださるということでした。
「だから、信仰の窓を悪魔(サタン)・悪霊に割られても、オイラもう平気さ!
」というより……これもまた、再び割られるまでの間、どのくらい祈ったり、神さまに感謝したり、礼拝を心から守ったかなど、実行の度合いに応じておそらく変わってくるものだろうと自分的には思っています(^^;)
そうじゃないと、窓ガラスが割れた時に、イエスさまは最終的に助けてはくださったけれども、ガラスが割れた時に自分も怪我をしたとか、そうしたことは十分にありますので、信仰の道といったものは日々よくよく注意して歩んでいかなくてはならないものなのではないでしょうか。
それではまた~!!
わたしの住んでいるのは北海道なので、大体どこの家も当然、当たり前のように二重サッシの窓だったりします(^^;)
でも時々、一重の窓というか、本当に一枚の窓だけで構成されている家やアパートなどを見かけることがあり……その時に思うのはとにかく「えっ!?冬はどーすんの??

これ、かなり昔の話ではあるんですけど、不動産会社さんにマンションの内覧をさせていただいた時に、窓が一重だったもので、何気に「なんでこういう窓があるんですかねえ。だってこれじゃ冬に寒いし、結露とか大変ですよね



北海道における一重窓の謎(?)の理由はこれだけではないでしょうけれども、つい最近、窓は窓でも色んな種類の窓があるということを知りました。
たとえば、ペアガラス。この窓だと、断熱効果により、外の寒い空気などは普通の窓に比べてシャットアウトしてくれる率が高いそうです。今わたしの住んでる場所の窓もそうなんですけど、他のおうちの窓で一重だったりする場合、こういう種類の窓を採用してると二重サッシじゃなくても結露の問題などは緩和してくれるのかな~と思ったりました(^^;)
なんにしても、ここからは信仰についてのお話。。。
神さまに祈ったりしていると、悪魔(サタン)・悪霊のような存在が、祈っているわたし(信仰者)の心の窓を覗くことがある……ということは、前回書きました。
そして、悪魔(サタン)・悪霊といった存在が黒板に爪でも立てるみたいにその窓に「キィィィィッ!!」というような音とか立てたりして、祈りを妨害してくるわけですよ。こうした敵の攻撃を受け続けていると、そのうち窓にヒビが入るとか、その一部を自分でガムテープ(笑)などで補強しなくちゃいけなかったりとか、まあわたしの信仰はいい格好になるわけですけど、これはなんていうか、わたしがキリスト教徒になって比較的最初の頃の話でした。
悪魔(サタン)・悪霊といった存在はこうしたことを繰り返すことでわたしたちの心の弱味などを見つけ、そうした綻んだところから内側へ入りこみ、あわよくば破滅させようとしてきます。
>>「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」
(ヨハネの福音書、第16章33節)
>>なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
(ヨハネの手紙第一、第5章4節)
けれども、わたしたちにはイエスさまがいますから、神さま、イエスさまに聖霊さまを通して心から祈り、感謝し賛美し続けていると……自分の心に弱いところがあって悪魔(サタン)・悪霊がガラスを割って中に入りこんできた時でさえも、必ず助けてくださいます。
というより、悪魔(サタン)・悪霊との戦いというのは、この信仰の窓が割れてからこそが本当の勝負といっていいでしょう。
何故なら、このわたしたちの心の窓が綻び、割れた時こそ、神さま、イエスさまが真に助けてくださるその瞬間だからです。
もしかしたら多くの方が、「神はあなたが祈る間、そのような悪魔(サタン)や悪霊といったものをよせつけないでおかないのか」、「何故窓ガラスが割れる前にあなたを助けないのだ」と思われるかもしれません。
けれども、むしろ悪魔(サタン)・悪霊に信仰の窓を割られる瞬間こそが、わたしたちがそれまでどれほど敵の攻撃を受けようとも忍耐して祈ったか、そのことで神さまに感謝し誉め称えたかが問われるその瞬間ともいえると思います。
さて、わたしの場合、これまでに軽く二十枚以上は悪魔(サタン)・悪霊といった存在によってこの信仰の窓が割られてきました。
でも、そのたびに神さまはわたしを助けてくださいましたし、敵を退け、まったく新しい窓を心に付け替えてもくださいました。
わたしが思うに、むしろこの信仰の窓というものは、割られないと新しくならない、さらに強く強化されたものとはしていただけないようです(^^;)
以前、アメリカの映画で、こういうシーンを見たことがあります。どっかのマフィアのボスが乗る高級車に、彼の命を狙う別の犯罪組織が攻撃を仕掛けてきました。けれども、こういう時に備えてその高級車には銃弾をも弾くほどの強い防弾ガラスが備えてあったという話……それと、これもまたアメリカのドラマで、強化ガラスの中でも特に強いものは、まったく同じ場所に八発くらい銃弾を加えないと割れないといった種類のものがあるとか。
いえ、わたしの今の信仰が、悪魔(サタン)・悪霊から割られることを繰り返し、神さまがそのたびに新しくしてくださったことで、今ではそのくらいまで強まっている……とまでは言えなかったにしても、信仰の道を清く正しく歩んでいこうという志しがあるなら、最終的に神さまは必ずそれ以上のことをなしてくださるということでした。
「だから、信仰の窓を悪魔(サタン)・悪霊に割られても、オイラもう平気さ!


そうじゃないと、窓ガラスが割れた時に、イエスさまは最終的に助けてはくださったけれども、ガラスが割れた時に自分も怪我をしたとか、そうしたことは十分にありますので、信仰の道といったものは日々よくよく注意して歩んでいかなくてはならないものなのではないでしょうか。
それではまた~!!

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