治療不可乃會

この宇宙のBGMにはタンジェリン・ドリーム(初期)しかありません。
ポツリポツリと更新させてもらってます。

ビーストがやって来る!

2009年07月18日 | 心の叫び
先日、
邦楽が好きでバンド活動ではギター担当という高校生と
会話をしていました。
 

「どんなジャンル演ってるの?」
「ハードロック!」

平成生まれだとB’Zとかになるのかな…(百歩譲って)
いやいや、最近のバンドもなにがしかあるんだろう。

もちろんここで引き下がる私ではありません。

「具体的なバンドで言うと?」
「グレイ!」


その瞬間、私の脳の神経回路がプスプス…
ショートしたように思いました。


回復に3日かかりました。(本日全快しました)


↑のように、近年音楽ジャンルのカテゴリーが
曖昧化してきてるように思います。

iPod世代は
アルバム間もシャッフルして聴いてしまうから、
ジャンルのみならず
アルバムという形態も無意味化しているようです。

その流れか、新旧含めたアーティストも
彼らにとっては存在の重みがない気がします。
「記号化」と言ったほうが適切かもしれません。

グレイが好きな高校生も
毎月のように自分のライブ活動は行っているのに、
いわゆるプロのアーティストのライブは
観たことがないそうです。

死に筋系アーティストのライブだけが生きる糧の
私などには、とうてい信じられません。


アーティストは記号にすぎないから
ナマで観る必要もないし、
アルバムをありったけ聴いて
その全体像を捉える必要もない。
iPodのネタとしてザッピング(ツマミ食い)が繰り返されるわけです。

聴いてきた音楽の全体量は多くはないけれど、
ツェッペリンだけは、ジミヘンだけは、YMOだけは、
しっかり聴き続けている…
そういうリスナーが我々の世代には少なからずいます。

iPod世代を責めているわけではありません。
ただ、音楽を受容する上での自分の価値観と
あまりにかけ離れていると感じずにはおれないのです。
社会(技術)の変化と人間精神の変化が
絡み合った結果なんでしょうか…。


そんな中でジューダス・プリーストの
「ブリティッシュ・スティール」全曲演奏は、
アーティストの持つ威厳と偉大な作品が放つオーラ
(W.ベンヤミン言うところの「アウラ」)
を取り戻す試みといえるでしょう。

こういう動きがヘヴィー・メタルという
どちらかといえば亜流扱いを受けてきたジャンルから出てきたのは、
特筆すべきことだと思います。
(ファンとのつながりが特別濃いから?)

音楽に必要以上に身も心も捧げてしまった世代の、
価値観を共有できる場になることを切に願って…



あ、ポール・ディアノのメイデン1st&2ndほぼ全曲演奏は、
ただ単にそれ以降の活動の知名度が低いからで
壮大な試みでもなんでもありません。
(そこがディアノらしくてイイ!


 わーい、Running Free が聴けるぞ~♪