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おいしいコーヒーが飲みたい

北の大地がどうのこうの

2018年11月25日 | 日記
明治日本の北海道開拓。

「屯田兵」というのが北海道に渡って開拓にいそしんだ。そう教わった。屯田兵とは周知のとおり、「土着して平時は農業に従事している兵」(大辞泉)のこと。

ふと思ったのだが、なぜ「兵」でなければならなかったのだろう。「そりゃ、ロシアの南下に対抗するためでしょうよ。何言ってるの」と言われそうだが、当時北海道をめぐってロシアとにらみ合う状況だったのか?本当に??

もしそうだったとしても、例えばロシアの軍艦がやってきたとき対抗できるほどの装備やら指揮系統やらを、北海道の屯田兵たちはもっていたのかしらん。明治政府はそこまで手当するつもりだったのか。

失業した士族たちを開拓団に仕立てるときに、彼らのプライドを慮って、あるいは彼らを言いくるめるために、「北方防衛任務」を持ち出しただけだったりして。

もうひとつ言えば、彼らの武装は実はアイヌを威嚇したり撃退したりするためのものだったのではないのか。事典には「北海道の治安維持」(マイペディア)とか「現地警備力の増強」(ブリタニカ国際百科事典)とかあるが、その相手はロシアだったのだろうか。いや、生活の場を奪われるアイヌでしょう。

「屯田兵が開拓に従事しました」じゃなくて、「明治政府は武装開拓団を組織的に送り込んで先住民の土地を収奪しました」というのが正しいのではないのか?え、どうなのよ?

ニュース二題

2018年11月23日 | 日記
その1:大谷選手帰国。

メジャーではモノにならず、格闘家に転身して大みそかに日馬富士と対戦…という私の予想を裏切って、新人王を獲得して帰ってきました。それはいい。それはいいのだけれど、ニュースが「二刀流で新人王」とかいうのはおかしいでしょう?

二刀流はシーズン途中で挫折したが、打者として22ホームランの大活躍! と、こう言うべきでしょうよ。


その2:「慰安婦財団」の解散やらなんやら。

「国と国との約束が守れないなら云々」と言って、韓国政府に非難ごうごう。

それはそうかもしれないが、ひとのこと言えるのかどうかは、ちょっと気にした方がいい。ポツダム宣言を呑んでおいて、南千島をどこやらの国が不法に占拠と言い続けてきたことはどう思う?

今頃知ったのかとか言わないで

2018年11月18日 | 日記
ある有名なSF小説を読み終えたところです。驚いたのは、石森章太郎「サイボーグ009」に出てくる「加速装置」にそっくりなアイディアが出てきたこと。この小説が元ネタだったんですかね!? 口の中にあるスイッチを操作するところまで同じ。いえ、別にパクリだとかなんとか文句をつけるつもりは毛頭なく、ただ驚いただけなんですが。

この「加速」のアイディアについてさらに言えば、筒井康隆のデビュー作「お助け」はどうだろうか。これが最初に同人誌(NULL)で世に出たときには、その小説の邦訳はまだでしたが、原書は数年前に世に出ています。第13章の末尾と「お助け」の結末は似ていると思うけれど。

デイジー、デイジー

2018年11月14日 | 日記
映画「2001年宇宙の旅」で、コンピューター「HAL9000」の声を演じた俳優が亡くなったそうです。いい声でしたね。

例えばこちらを → http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1811/12/news089.html

映画を見たときは分からなかったHALの行動の意味は、クラークの原作を読んで理解できました。
その後、映画「2010年」で、HALたちに(つまりHAL以外に人間の登場人物一人にも)再会できたのはうれしいことでしたが、二つの映画はかけたお金の額に相当の開きがあったみたいで、久しぶりのディスカバリー号が見劣りしたのは残念でした。

原作の訳本は、「2001年」も「2010年」も最近の版ではクラーク自身による長文の序がついていて、映画を含めた作品世界が頭に入りやすくなっています。ありがたいことです。

原作はさらに「2061年」「3001年」と続いて終わりますが、「3001年」では、今度はあの人に再会できて私は感激しました。最初に「2001年」の映画を見たときから、あの人はどうなったのかが気になっていたもので。

筒井康隆と映画(少々ネタバレあり)

2018年11月03日 | 日記
『モナドの領域』は、映画「オー、ゴッド」を思い出させる。どちらも「神」が登場し、裁判のシーンが重要なパートを占めている。この映画がひとつの踏み台になったのではなかろうか。

『虚構船団』からは、私はフェリーニの映画「そして船は行く」を思い出すのだが、この二作品に、少なくとも影響関係はなさそう。それでも、終盤に作者が顔を出す/撮影現場をわざと映しこむとか、世界史を凝縮してみせるとか(『虚構船団』第二章がそうであることは一読して分かるが、だれかが教えてくれたところでは「そして船は行く」もそうらしい)、「船」が舞台になっているとか、比べてみるのも一興。

いやーん、ハズカシイ(笑)

2018年10月30日 | 日記
講談社学術文庫の「天皇の歴史」シリーズから、『明治天皇の大日本帝国』を読んでいます。

まだ読み終えていませんが、はじめの方での水戸学と平田神道との概説がとても分かりやすい。私にとっては、この部分がたいへんありがたい。

半分ほど読んだところでの感想ですが、明治天皇のパーソナリティと、大日本帝国の形成過程との記述のバランスがよくとれていて、しかも両者がばらばらになっていない。なかなか良い本だなと、生意気にも感じています。

それはともかく。天皇の私生活にかかわる記述のなかには、ナイトライフ関係のものもあり、そこには4~5名の側女の本名と源氏名までが記されているではありませぬか。なんかもう、たまらん(笑)

原爆とマンボウ

2018年10月29日 | 日記
隣国キム王朝の核兵器を前に、右往左往するニッポン。

ヨーロッパ諸国がソ連の核弾頭を睨みながら数十年間経験した緊張感を、遅ればせに味わっているわけか。わが身に迫ってくるまで、何も学べなかったということですな…。

『どくとるマンボウ航海記』のうろ覚えの記憶では、にわか船医となった若いマンボウ氏、50年代のたしかドイツで、本屋に入ってヤスパースの『原子爆弾と人類の未来』を買った(その気はなかったのに買う羽目になったように書いてあるけれど、きっと照れ隠し)。しかし、帰りの航海中、この分厚い本をとても読む気にならず、船員のだれかに借りた「世界中のオンナノコのハダカの写真」の本を眺めていたそうだ。

なんだかこのエピソード、日本の戦後数十年間を象徴しているような気がしませんか(笑)?

世田谷文学館というところ

2018年10月26日 | 日記
開催中の筒井康隆展を見てきました。ほんとうのごくわずかではあっても、筒井氏の蔵書が展示されていて、ファンには生唾ものでした。

生原稿が大量に出ているのですが、「バブリング創世記」の全文、手書きの原稿で見ると、もうすごい! ほかにも、風呂の栓を抜いて、その上に腰をおろして…という、昔のファンにはたまらないあの小説の生原稿にも、お目にかかれます(笑)。


ところで、会場の売店で、未読だった『旅のラゴス』の文庫本を買ったのですが、施川ユウキ『バーナード嬢曰く』で神林しおりが言ったセリフ、私も声を大にして言いたい!

「なぜ裏表紙のあらすじは豪快にネタバレしてくるのか?」

202X年のニッポンより

2018年10月25日 | 日記
アキヒト天皇の退位テロは、だれもが予想もしなかった方向にニッポンを動かした。

退位宣言があって、ニッポン人は天皇が「象徴としての務め」をおこなっていることを知ったのだが、当然こんな疑問を大勢がもった。「象徴、ホワット?

そして、考えるほどに、知るほどに、大勢がこう思った。「象徴、なくても困らなくない?」

大勢がこれに「いいね」を押した。ここから、百数十年におよぶニッポンの立憲君主制崩壊まではすぐだった。憲法をちょいちょいっといじればすむことだ。そのころまでに、ニッポン国憲法を変えやすくする道筋はついていたのである。改憲を目指して頑張っていた人たちの思惑は、なにかほかのところにあって、彼らは天皇を温存してうまい汁をずっと吸っていたかったらしいのだが、まあ世の中は思い通りにいかないものである。

この事態は、中華人民共和国で起きたことに似ている。中国では、支配階級がうまい汁を吸うために、ウイグル族やチベット族の土地まで資源略奪目的の鉄道を引いていた。しかしそれが結局は、先年の北京総攻撃のルートに利用されることになったのだ。

BSプレミアム

2018年09月04日 | 日記
イタリア製の戦争映画「エル・アラメイン」を見ました。第二次大戦の北アフリカ戦線のイタリア軍の話。

北アフリカ戦線と言えば、ロンメルとかパットンとかが派手に活躍したイメージでした。しかしこの映画は、前線から離れ、補給も絶え絶えで、戦う相手は渇きと赤痢という部隊の物語です。志願兵の若者がこの部隊に配属されますが、映画の前半はなんとなく、ブッツァーティの小説『タタール人の砂漠』を思い出させます(そういえばブッツァーティもイタリア人)。いや、いろいろ違うことは分かっているのですが、それでもなんとなく似ているのです。

この小説、岩波文庫で読めますが、若い将校が最初の配属先として国境の砦に赴任するところから始まります。そして…、まあ、興味のある方は自分で読んでみてください。すごい小説です(笑)。『バーナード嬢曰く』にも取り上げられてました(このマンガでネタになった本にはまずハズレがない)。

映画は全編を通じて砂漠が舞台で、昼間のまぶしい陽光と白い砂が延々と映し出されます。「アラビアのロレンス」を見ると、砂漠がとても美しいことに感じ入りますが、この映画の砂漠はただただ白い地面が味気なく広がるだけ。ところが、ついに英軍と間近で戦火を交える短めのシーンは一転して夜で、闇の中に銃火が明滅し、人物が影絵のように見えるのが印象的でした。