虐(しいた)げる親たちⅠ
1
虐待のいたましい報道が続いている。飛び込んでくる。愛人あるいは義理の父によるもの、夫婦での虐待、その様子を撮影する者まで現れる。逮捕されると、いじめなどしていない、しつけのつもりだったとの言い張り。また、気にもかけ努力もしたが及びませんでしたと、児童相談所などの弁明。なぜこんなに似た形の「子殺し」が続くのか。
2
虐待のニュースに一瞬息が止まる。奥歯に力が入る。唾(つば)をごくりとのむ。気づくと拳(こぶし)を握っている。
わたしも、幼児期から父との葛藤で苦しんできた。「父子関係」といえる関係が築けないまま、わたしは十九で家を出た。いや、「恐怖の父から逃れるために、そして憎しみをいだいた子であることから逃れるために」家を出た、というのが正確である。
親となったとき、我が子へのひどい態度をとってしまったことが幾度もある。「奥歯に力が入る、唾をのむ、拳を握る」わたしは、虐待者に憤り、裁きたい者ではないのだ。わたし自身の子育ての歪みが記憶の泥沼からプツプツ湧いてくることへの歯噛みなのだ。
親となったとき、我が子へのひどい態度をとってしまったことが幾度もある。「奥歯に力が入る、唾をのむ、拳を握る」わたしは、虐待者に憤り、裁きたい者ではないのだ。わたし自身の子育ての歪みが記憶の泥沼からプツプツ湧いてくることへの歯噛みなのだ。
「虐待」は他人事ではない。
★「子殺しの唄」をきいたか いま流行(はやり)
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