祈りを、うたにこめて

祈りうた(でくのぼう  灰色人)

灰色人

 

 

善人のなかに善が住むのはあたりまえ

しかし じつは悪も忍び込んでいるのだ

私はオール善人などと思い上がるわけにはいかぬ

 

悪人のなかに悪が棲(す)むのは納得がいく

しかし 善だって住んでいるのかもしれない

子どもを愛するとか花好きとか聞いたことがある

 

善と悪 すっぱりと割り切れない我々

白と黒のどちらももった灰色人

なのかもしれない

 

ちょっと善が多ければ 善人といわれる

少し悪が多いと 悪人と呼ばれる

そんなところなんだろうか われらニンゲンは

 

 

善人の前へ出ると

ぼくだって善人になれるのだろうか

できたら善人になりたいと憧れる

 

意地悪な人の前では卑屈になってしまう

または虚勢を張って横柄な口をきいてしまう

器が小さい そう妻からわらわれてしまうぼくだが

 

ああ善きひとってほんとうにいるんだ この世に

灰色でなく真っ白の

いや真っ白なだけじゃない 透き通っているひと

 

塵芥(ちりあくた)を全部包んでこの汚れた地球へ舞い降りてくる雪のような

ひとの悪も罪も全部くるんで「大丈夫、白くなれるよ」と言って

手も心も優しくぬくめてくれる善きひとが

 

 

★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば ★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。
 テレビに映る、罪を犯した人のことさらワルそうな顔。ああ「悪人」だと、己を度外視して断罪してしまうところがあります。その人たちは相応の刑罰を受けるのですが、われわれの「正義感」は、もっと罰のきつさを求めてしまうこともあります。
 一方、国を操り、争いをしかけている「悪なる政治家」。にこやかに笑ったりする顔を見ると、憤りに加えて人間の哀しさも感じてしまうことがあります。わずかでも「善の心」が残っていはしまいかと、期待しつつ祈っているのです。

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