お気楽ご夫婦日記

ええかげんなダンナと天然のカミサンの心温まる?日々の記録です。

秋旅3

2008-11-23 | Weblog
このあたりは都のアダシノ、すなわち葬送の地だそうであります。

それがいつのまにか、ヒトビトが寄り付き家を作り田畑を起こし、山に分け入り薪や炭焼きの為の道をこしらえ、

おそらく昭和の中ごろには、絵に描いたような里山の景色がここにはあったはずです。

同時に野辺おくりされた魂を鎮めるべく、いくつかの寺院が興され、
遠方の山々に古よりおわす神々のための社が設けられ、

また、その山のはるか向こうからは
日本海から、都人のために数限りない干し魚を運ぶ人たちの道が続いていました。

京の西のはずれには(ざっと辿っただけでも)このような事々があり、それらの一つ一つが幾重にも折り重なり、この地の景色の向こう側に、目に見えぬ値打ちをつけたしてくれております。

思えば、わかりやすい“古都の風景”というよーな場所の事じゃなくても、そんな奥行きはあるはずで、
きちんと勉強をすれば、日々の暮らしのなかには本当はもっと価値あるものが満ちているのですから、

勉強
というのは、本来そういう楽しいものであります。


んで、
勉強をしないので道を間違えたこのふーふ

たどり着いたのはどうやら清滝というところらしーと、

これは後になって判ったのですが。


新しい、車の走れる道路を嵐山の手前からずーっと北に上って行くと、
徐々に道は細くなり

やがてぽっかりとトンネルが現われます。

もとは嵐山から愛宕山に続く鉄道の単線のトンネルのようであります。

一方通行の長い信号待ちを経て、徒歩で行かれる方もあり慎重に抜けると、
小さい広場、バス停のようで

そこから山肌と清流の間を車一台がやっとの道を「ここは通ってもいいのかしらん?」と不安な気持ちで走っていくと、下った先には見事な京の山里の風景が待っていました。


橋の袂に観光客用に設えた広い土の駐車場、
そこにひとまず車を置いて、

そのときは、いったいここはどこじゃろ?となんにも知らないまま、

帰ってようやくこのあたりが紅葉狩りの山歩きのメッカであると、
また
かつては、清滝遊園地、愛宕遊園、愛宕山ホテル、愛宕スキー場など

一大観光地として整備され、それがいまではすべてが元に戻ってしまっていることなどをしりましたが、

そのときは
ぼくらにすれば、あたりまえの山間の田舎のとびきりステキな風景と、
そこに集結したハイキング仕様のおっちゃんおばちゃんの群れがひしめく異様な光景に

ただただ目を丸くしていたのであります。












秋旅2

2008-11-18 | Weblog
さて、
その嵯峨野ですが、

ミナサンは知ってはりますか?サガノを?

ダンナは「あ~サガノねサガノ」、という程度にしか知らない。
つまり
なんにも知らん、と言うことでし。

そこで前日にヤフー地図をスクロって、道だけは調べておいた。

つまり東のインターを出て、南禅寺から白川通りに出るいつものコースの
どこ(1)
を左折して、それからどんどん西に進んで次に
どこ(2)
を右に曲がったらよいか、と。

それさえ間違えなけりゃ、その辺がなんか嵯峨野だろうということで、
なぜなら
その辺には、大覚寺とか二尊院とか常寂光寺とか化野念仏寺とかが

あるのであるからしてそれはもぅサガノだろうと、そゆことです。

んなエエカゲンな、とお思いの方も見えるかもしれんが、ダンナとすればこれくらいの調査で出かけるのは、十分高精度の“しっかり”感があるのですねコレで。


んで、予定通りの道を、すなわち白川通りが太くなるところを曲がって西進、

そのままずんずんずんと、京都の町を東から西に横切って、

花園から少し郊外っぽくなって嵐山か?という山並みが見えてくるといよいよその方面か、
というあたりで、ここいらじゃろ!と右折の北進、

でずりずり車のまま走らせておりますが、

右手に「大覚寺」の看板、
でも
「なんかまだ住宅地っぽいしもすこしかな?」とさらに進んで

そろそろどっか駐車場がないかいな?とぶろぶろまた走らせておりますと、、、

嵯峨野のチュウシンチを通り過ぎておりましたとさ^^;


秋旅

2008-11-17 | Weblog
このまえまたまたまたまた京都にいってきますた。

とはいえ、ずいぶん久しぶりなのだコレでも。

実は
カミサンが、京都に行くという知り合いの子に頼まれて、秋の京都お勧めコースを作れと言うので、夜な夜ないっしょにコース設定をしていたのですね
するとウチのカミサンはもぅ、自分が行きたくて行きたくて京都に、
それで、こっちは最近腰痛が大変なのに連れてってくれないと離婚しちゃうぞくらいの勢いで迫ってくるので^^;

しょうーがなしに連れてったのです。


実はこれ以前、数回の休みの日に行く先のあても定めず、新名神でそっち方面にでて、カミサンが例によってグースカ寝てるうちに、

琵琶湖のウエのほうまで連れてって、ダンナの道楽のフナ寿司を買うだけ買って、丸一日走りっぱなしのさっさかさのすーいすい^^;と言うことが、

一度ならず二度もありーの、で
(この顛末も書きたいと思いますがいずれ)

この日ばかりは、明日はきっとキョートと、

硬く硬く念を押されていたと言う日なのであります。


さてさて当日は秋晴れのいい天気で、
朝9時に出る。久々の早出これでも。

で、
行く先ですが、これも実に久方ぶりに決めてあった。

嵯峨野
であります。

なんせ紅葉、ですからこれはもー今の時季ならば100%当然でしょう。

ただ、これも今の時季の京都なので、

紅葉を見に行ったのか、
人ごみ、を見に行ったのか

わからんかったーー!ということが心配ではありましたが、アエテ強行しますた。






固い決意

2008-11-16 | Weblog
今日は固い決意をしますた。

そりはなにかと申しますと、

「毎月更新するのだ」(炎∇炎)ドーン!!

ということ、であります。


昨日一昨日、一ヶ月ぶりにぽろっっと更新したならば、
そりまで一日十人二十人であったギャラリーさまが、いっきにスウ千人^^;
(炎∇炎)ドーン!!

と。

こりはエコデス終結後とはいえ、放って置くわけにはいきゃん!と、皆様のありがたさが身にしみたからであります(ρ_; )頑張る・・・

というわけで、今日はこのお知らせと言うか決意表明と言うか、でしつれーします



(゜∀゜ )\(--;) 内容はないのか!おい!





詩仙堂4

2008-11-15 | Weblog
なんせ夏のことですからねーモハヤ、
覚えてるほうがおかしー、のでありますが

でも

覚えてることは覚えてるものだなぁ、と

逆にそんなことに気がつく、人の感覚というものにオドロク

そー
実は、そのために敢てこんだけ間を空けたのであるアエテ ← うそ


小さな門をくぐって、境内へ。

詩仙の間、
というのははて?どれじゃろ、と思ってたら、これが入って直ぐの小部屋、ほんの三畳か四畳半の続きの間みたいなとこで、

どーということもない。
いやウチらは、ってーことで、これがおおっ!という方々も多いのであろう(たぶん)

でも“詩仙堂”って言う響きがすごい。

ここは元来、江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡で、現在は曹洞宗永平寺派の寺でもあり丈山寺という。

でもやはり“しせんどぅ”って言う響きがすごい
だから「詩仙堂」になった、といわれりゃ納得してしまう。

なおかつ、
このあと行った曼殊院(まんじゅいん・まんしゅいん)も綺麗、響きが。

この“詩仙堂”と“曼殊院”という、見事なネーミングの両寺がならびあってこの一乗寺の山麓に有る、というのが偶然だとは到底思えない
から、

きっとなんかあるのかしれん。


若い学生風の男子二人連れと一緒に、お庭を見晴らすお座敷に座り込んでしばし

ぼーーっとする。(・∇・)~゜ぼー…


向こうのほうで、かっこーーん、と鹿おどしの音。

釣られて庭に出てみると、ここはさらにもう一つ別称があり、その「凹凸窠(おうとつか)」の名のとおり築山のような凸凹(でこぼこ)を越えて下ってゆくと、それはあったのですが、

ただ、あまりにもあっけなく山肌の草むらの脇手に、
ちょうど去年設えました、

みたいに置いてあるよーな在りように、少々度肝を抜かれる。

これ
実は、丈山自らしつらえたと言うから、そのさりげないセンスに舌を巻く。( ̄" ̄)ウーム

しばし散策。


やがてお暇。すかさずこんどは曼殊院へ。

比叡を望む北白川一乗寺の長閑な畑道。
いやふつーの民家やふつーの畑ですから。

ただ、先回の“風情の公式”にあてはめるならば、かなりの高得点をたたき出していたわけであります。


この日二つ目のお寺さんは結構大振りで、もうかなり忘れてますから印象に残っているのは、襖絵と、

あとこのお寺、中心になる仏堂がなくご本尊が大書院の一角に安置されている
ので、
なんか田舎のでっかい家のよう。

こういう感想を持つ人におそらく通人はいない、
のであって
だから(なんか判った風なことを書いてますが^^;)うちは二人とも凡人の凡人なのでありますねやはり。


帰り道、ここまででかなりハラホロ(((。o)))ヒレハレ
だったのでしが、がんばって探し当てたのが一乗寺下り松

いわずと知れた宮元武蔵が大暴れしたその地で、住宅地のまんまん中イチオウ武蔵のポーズで記念写真を撮ってもらって^^;

季節を跨いだ詩仙堂の巻き、おしまいになります。




ペースが

2008-11-14 | Weblog
ツキイチ

になってしまったイヨイヨ^^;

詩仙堂3

2008-11-14 | Weblog
詩仙の間

というそのちっちゃな部屋より、その前のお庭の奥のどこから響いてくるのかしらん、ときょろきょろ探していた鹿おどし

が、印象的だった詩仙堂に行く前に、もう一つのお楽しみ、

それはエイデンの「いちじょうじ」から、そのお寺の向かう途中にキットあるはずの史跡。

そうきっとあるはず、なのですが
ぽくぽく歩いていったら通り過ごしてしまったので後に書きます^^;


いきなしたどり着いてしまった詩仙堂、でしがカミサン曰く「あーあの竹の門が綺麗やったとこ」という

いきなしクライマックスなんですこのお寺。

“「小有洞」という門をくぐり、竹林の中の道を行くと、石段の上に「老梅関」という門があり、その先に詩仙堂の玄関が”(Wikipedia)ありますが、ここが一等ステキでした。


夏の京都は暑い暑いにもかかわらず、バカンスを当て込んで人の入りが多いこと、
で、
外人さんも多いし日本人も多い。

このまえの龍安寺などはキット英語のパンフレット最上位に載ってるに違いなく、外人さんが多かったのですが、このお寺はまだ比較的通好み系なんでしょーな、

おじさんおばさん、一人旅の方、若い同姓の二人連れのお客、といったところ。

ぼくらのまえに数組のこんな先客が、庭を眺める座敷とお庭のほうに散らばっておりました。


そんなに大人数じゃないのだが、うざい^^;

まー、ひとんちにお邪魔してるのだから文句は言えんのだが、
シーズンオフに人気の薄いコースばかり選んでると、こーゆー風に感じちゃうので。

その場の風景、景観から得られる風情など、この“他人”の存在と、その向こうに広がる借りる景色と書いて、借景、そしてその日の天気、気温、風の按配などなど

ありとあらゆるものに大いに影響を受ける。

したがって、その観照は一期一会のもの、良いときもワリー時もそれはそれで

結構だ
と、こー思えるようになれば、毎回が楽しみに終わるのであります。







詩仙堂2

2008-10-07 | Weblog
あれよあれよ というまに
10月になってしまったヽ(□ ̄ヽ)(ノ ̄□)ノあぅあぅ

のですが、

さて、
詩仙堂以降の活動状況はじゃーどーなのかと

思い出しておきますこの際、まー今後のネタのこともあるので。
が、
順不同になりますねやはりモハヤ。

で、
かなり最近でしが、
琵琶湖を一周してきますた。

これは文字通り見事に一周で、
大津から時計回りに坂本比叡の山ろくを経て、

高島マキノから北のテッペン、まさにそこの波打ち際が琵琶湖の北の始まりの縁という場所を、
8号線で余呉の湖賎ガ岳からは木之本インターで高速に逃げてしまいましたが、

長浜米原彦根八日市で下に戻って横っちょにかわして、
日野水口を経て

新名神には久々土山から合流して伊勢まで、この間

下車時間はたったの30分

カミサンはプンスカ(○`へ´○)プンプン!!だったのでしが^^;

ダンナのほうはその30分でお目当てのフナ寿司のお茶漬けを買って、ご満悦だったという

そゆのとかね

あと
京都は京都でも近鉄でびゅっと行って、駅周辺のつまらんお寺をふらふらして
くだらん大寺よりよっぽどオモムキのある旧参道の裏通りを歩ってから何を思ったのか

きょーとタワーにずりずり登って帰ってきたり、
先週は

こりも近鉄で大阪までしゅっと行って、地下鉄で南港まで、そして海遊館というところでジンベイザメをじーーっと見て帰ってきたり、

これはダンナの疲れ及び腰の状況を鑑みての新航路の開拓とも言うべき、カッキテキな試みであったわけですが

そんなのとか、がありますたね(゜◇゜(。_。(゜◇゜(。_。 )ウンウン



こんかいちっとも詩仙堂2じゃねーし^^;






詩仙堂界隈

2008-09-24 | Weblog
詩仙堂界隈にはどー行くかと申しますと、

ウチは専らエイデンでありまして、

それが家電を見に行くのではナイということは以前にお知らせしたとおりであります。

このお寺は、実は東のインターを下りて山科を抜け、蹴上から市内に入り南禅寺からずーっと、白川の通りを北大路も越していくとたどり着くところにありますが、

やはりウチは専らエイデンであります。


それが何故かとつらつらと考えてみる、するとそこに賀茂川が涼やかに流れているということがあるわけです。


それはたとえば今日9月24日は鮮やかな秋空の、それは爽快な一日で「暑さ寒さも」の言葉の通りの一日になりまして、

ここ伊勢でも、
五十鈴川越しの山並みが恐ろしいほど際立つ虹彩を放っておりますから、思わず仕事中に

「帰ったろかいな」

と思っちゃうよーな秋晴れの最初の一日になったのでありますが、
それでも京のシモガモの二本の河川の交わるその地から眺める北山の風景には及ばないと、


そゆことから

やはりウチは専らエイデンになる、のでありますね。


ここから見る山々の美しさは、実は

川面の緑と遥か彼方の山並みの緑がシンクロしてるせいだと思われます。

川が川らしい顔をしている。
すなわち、中州の作りかたが上手、この川。

アシだかヨシだかをつつついっと生やした川縁から、太く細くたなびく如く幾筋もに勿体をつけて、水路が絡み合うそのあわさには、川サギだか白鷺だかが片足で器用に小魚やら川エビをつっついているのですから

真夏の京に、さーっと一陣の風が渡るよーな気にもなる。


鴨の床なんてのも、実際は三十何度でも、こゆのがニッポンの涼と

この川ならば思い当たる風情なのでありますねやはり。


いつもの地下駐車場に車を止めて、地上に出るとこの景色

なので

やはりウチは専らエイデンになる、のであります。












夏の思い出

2008-09-23 | Weblog
7月1日から今日までで

5Kg

痩せますた。


ただこれにはカラクリがあって、お店を閉めてから7月1日までに

3Kg

太っていたのでありますね。





まーそゆことでし^^;


で、


夏の間はほぼどこにも遊びに行かず、仕事をしまくっていたかとゆーとそうでもない、と。


地元の川海山方面に行ったの以外にも実は
京都の詩仙堂にも行っておりますねコイツラは。

そろそろ大概でキョート以外の遊び場を探さないといけない。


で、詩仙堂ですね。

しかしもー覚えているわけがない^^;

でもまーイチオウ、ということで


次回に






はっ!

2008-09-23 | Weblog
ブログというものは本来、

まーこの

ぐずぐずダラダラしげしげ、と

文字の羅列をば、書き連ねるものではないと

この期に及んでようやく気づきますた実は。


なので今後は、

こゆのを

挿んでゆきますので。

いいっすね?




2008-09-22 | Weblog
またもや
書き手が死んでしまったかのように間が空いてしまった^^;

やはりシューショクなぞすると、自営業者よりも閑があるようで実はない、のでありまして、

どっちがどーとは、イヤほんとーに言えん。

サラリーマンなど、仕事をしてもしなくても給料日になりゃあ銀行にお金が振り込まれてのん気だなぁなどと、

自営業者だった時には考えたりもするのでありますが、

確かにそりゃー一銭も実入りのない月もありましょーが、そして

それで「あーもぅだめだ」と自らの命を絶つよーなこともあるのでしょうが自営業者は

サラリーマンは銀行にお金が振り込まれたその日に、積もり積もったストレスから自ら命を絶つ方もみえる

と、このよーに

どっちがどーとは、イヤほんとーに言えん、と

イチオウどっちの側にもいたダンナなどは考えるわけであります。

だからこそ、死を向かえるにあたって、

「あーあのときにこーしておけばよかったなぁ」と

思うことのないような人生をおくりたいと、

(そんなことはヒャクパー無理だが)思ったりするわけですね。


なので

こんだけ間も空いてしまうわけであります^^;





夏の風景

2008-08-26 | Weblog
夏の間は忙しく、近場の水辺、櫛田川と宿田曽にフラフラといってきたという話。


ある日は櫛田の流れを国道沿いに遡り、ころあいのところでちょーど沈み橋。
飯高の道の駅の少し先あたりです。

おりれそうや!と二人でずりずり細い道を下り、橋のたもとから水辺に転げ落ち、
砂利の川原でたおやかな流れに足を浸しておりました。

まだ上流というにはおこがましい、さほど冷たくもないたっぷりとした流れ。

小一時間の川遊び
といっても何にもしない、ただぼーっとしている。


そして
ある日は南勢町から五ヶ所湾沿いを宿浦田曽浦にドライブ。

歩き足りなさそうな顔をしてカミサンが隣でごそごそしているので、田曽の海のほうに下りてみる。

遠洋漁業の大きな港を守る巨大な堰堤、
そのむこうは絵に描いたような波打ち寄せる岩場。

親子連れが磯遊び。夫婦連れも磯遊び^^;

ぼちぼち帰ろうとしたが、今度はダンナがむずむずしてくる。

えいや!とアロハとジーンズを脱ぎ捨てパンツいっちょで飛び込むいきなり。

「やると思ったよ」とカミサン。

平泳ぎでブリブリ泳いだあとは、シートぐじゅぐじゅお肌ひりひりの帰り道。



お盆も終わって秋の風の今日、

イチオウここんところも押さえておかなくっちゃね
夏が終わらない。



磯田さんの大徳寺納豆と鰻と枯山水

2008-08-26 | Weblog
ちょーど1ヶ月の空白が空きましたが何事もなかったかのよーに続きますので^^;


大徳寺
の門前にダンナは3年間住んでいますた実は。
だからこのあたりの通りはもちろん、広い境内の隅々まで(すこし)知っている。

お寺の駐車場で近所のガキ連とウチの下宿屋チームとでたまに野球なぞして、国宝重文がごろごろしてるお寺の土塀に平気で速球をぶち込んだものであります^^;


その下宿屋もいまは広々と月極駐車場になってしまった。
野球のできた駐車場も立派なパーキングになっている。

しかし京都というのはありがたいところで、お寺の中はまったく替わらないまま置いてくれていますから、当時の心持に直ぐ戻れる。


ここはカミサンにとっては二度目の場所で、結婚する前に一度二人で来たことがある。

そんとき大仙院に行ったかどうか思えてないが、源か平のナントカのお墓があってその前で、
19歳のカミサンの写真を撮ってあげたのを覚えている

ので、
それから20年後の今日も同じアングルで一枚押さえておく。
帰ってくらべてみよー やめてやめて


いよいよ有名な枯山水を見にいくことにする。

ここも外人さん多し。かつ賑やか^^;

ここのお庭は龍安寺のソレとは趣がまったく異なっておりまして、あんまし枯れてない。

かつストーリーが至極具体的で、水の流れの表現がひどく具象的
つまり面白くない。

いやワタシじゃないっすよ言ったのは、いえ(・_・ 三・_・)いえ
カミサンがそー言うの。

ウチのカミサンが言うのだからこれはもーしょうがない。
龍安寺の勝ち^^;


ここ大徳寺、広大な境内に21もの塔頭が並び、うち大仙院、龍源院、瑞峯院、高桐院の4塔頭が公開されております。

ほかもフラフラ歩くと、枯山水の後なので夏の青葉がものすごく綺麗。

日ごろ見慣れて麻痺している、日常のタイセツなものの価値をもう一度しっかり認識せよ、と
一休和尚が空の上から言っている。


お寺をぐるっと一周してもとの通りに戻って、もう一つの目的地に。

磯田さんち。
ここで大徳寺納豆を作っている、300年前から。

十年ほど前に一度お邪魔しました。中も見せてもらって若主人(オレよか年下)と色々話した。

もののカタチはウサギの糞のような惨めな、粗末なものであります。
いわゆる大豆の発酵食品で、お寺の保存食精進料理系の古臭い食べ物です。

結局そのときはバイヤーとして仕事にはしなかった。つまりお付き合いはないのですが、ボクの中ではここの商品の“日本一”度はかなりたかい。

昔の下宿屋の実は2軒隣。むろん当時は知る由もなし。


小さな小さな入り口にかわいい暖簾がスックとかかって、脇の違い棚の様なウィンドウに見本が慎ましやかに置かれたその風情は20年変わらない。

入るとおばあちゃんが出てきてくださる。
話し込んだりしません、迷うことなくその品を買ってすぐおいとまする。

老舗の馴染みというのはこういう買い方をするのだと思いますよ。

色々食い方はあろうと思いますがダンナは専らお茶漬け。
美味いうえに香りがよい風味が良い。

本質は美味い不味い以前に、ありがたいもったいないという、そゆクイモンです。
かつ美味いのだから言うことがない。
まぁ一度食ってみなさい。


ようやく帰り道、鰻を仕入れてボウズのところに向かう。

元気で、部屋もきれいにしてました。(オレんときと全然違うわ^^;)

少し色々話す。
聞けば大学院に行くのだという。

「言ってなかったっけ?」と彼。
(どうりで就職の話をしてこないと思ったそーいえば)

聞いてないけどそれでいいよ。キミとは、もうそういう間柄は卒業したのだし。
行く道はまったく示したこともないけれど、いき方は背中を見てるから判ってるはず、と

不遜な父はそんな生意気も思うのであります。


夏の青葉と枯山水

鰻の蒲焼と大徳寺納豆

そして
子供だった息子と、今目の前にいる一人の青年と、

時の流れに事象の経験をはさんで人生と言うやつは、行きつ戻りつすすんでいきます。














大徳寺納豆と鰻と枯山水

2008-08-26 | Weblog
のろけるわけではございませんが、うちのカミサンのように

(・ ・。)え?なにこれ?
から、すっと入れる人はすごいと思う。

ダンナなんかぜったい『うーむすばらしぃー』と知ったかから入ったに違いない極めてやらしー人種だと、自覚しているからであります。


このお寺、南側には大きなお池、その周りを歩ける。
その境内北側に方丈(本堂)、石庭はその方丈南側の土塀で囲まれた中にあるのですが、ここだけが突出して有名なので、こんなおっきなお池があるという印象がなかった。

帰り際、このまわりをテコテコ歩っているときにカミサンが、
「さっきのお庭見た後こっち見ると一段といいなー」てなことを言っておりますたが、

そー言われるとタシカニそのよーな気がするのでありまして、
きっと枯山水というのはそーいうモンじゃなかったか?と、

不思議に納得してしまうダンナでありますた。


いっかい枯山水のお庭を離れて、方丈の周りをぐるりと巡ってまた
もいっかいその白砂のお庭に出る。

ちょうど上手い具合に人波が途切れて、お庭の正面
縁側の真ん中に出来た空白のエリアに

カミサンを座らせて、自分も腰掛けてしばらく
せっかく来たんだからと、もう少しこの場所で時間を使うことにしますた。


歩き回ってきたからだのほてりが徐々に収まって、周囲の喧騒にそれでも少しは慣れてくると、

やはりモノゴトはそーいう状態でないと判らないということなのでしょうか?
カミサンが
「う~ん、ええなーここ」

と、突然つき物が落ちたようにポソリと言い放ったのであります。

それは結構確信に満ちた言いように、少なくともダンナには聞こえて、ただそれが
ダンナが長年連れ添った相方だからそーいう風に思ったのか、或いはカミサンが
せっかく連れてきてくれたダンナに報いるために自然にそう言ったのかはワカラナイ。

ただお互いの間の空気が、そのときだけ一瞬
すーっと
晴れたような気がしました。


しょせんヒトは、社会や歴史という目に見えない圧力に翻弄されまくって、日々の生をただ押し流しているだけの存在なのではあるまいか?

などと^^;

やはりこーゆートコロにもたまには来なくっちゃいけない
そして
あらぬ悟りモドキを得たような気にならなくっちゃいけない

一回二回人生を過ごしたくらいでは、人生の何たるかなど判らん、
このくらいでちょーどいいのであります。

で、
その後

仁和寺に行く予定を、せっかく枯山水日和になったので大徳寺の大仙院に行くことにして、

これでようやく大徳寺納豆
であります。