



(50代日記と栃木県民日記でがんばっています)
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「ボク兄ちゃん」とは、コッコ姉さんの弟、一番末っ子の本家の”甚六”である。
本家の長兄は、すでにオッサンであり、その子どもたちは私と同年輩である。こういうのは、
何?ハトコとか言うの?よく分からないけどね。
とにかく「ボク兄ちゃん」は、皆から「ボク」と呼ばれていて、私ははじめ「ボク」という
名前なのだと思っていた。しかし、後に、立派過ぎる?本名があるのを知って、非常に驚
いたものである。
私たち家族が、ほんの目と鼻の先に引っ越してきてから、”ボク”にはよく遊んでもらった。
メンコ(パッチ)やビー玉その他。何も知らない私が「どうやるの?」と聞くと、実演入り
で教えてくれた。ビー玉を弾く時の、華麗な身のこなし方。パッチを叩きつける時の、角度
力の入れ具合。補修・改良、強いパッチの作り方。
今までボクは、家族の中で一番の下っ端だったので、新入りの私が来たことにより、自分
の地位が自動昇格したのを、ひそかに喜んでいるふうがあった。
「ヨシッ!オマエには見せてやってもいいぞっ!」と言って、お菓子のブリキ缶に溜め込ん
だ宝物の、特別閲覧を許された。何箱もある。目を丸くして息を呑んでいる私を見て、さら
に得意そうになり、これはな、どこそこの○○から勝ち取ったもの。非常に苦労して手に入
れたものだ。ああ、こっちは、やたらめったにない上物。などと、故事来歴の詳しい説明を
受ける。
どれも異常にデッカクて、歴戦の勇姿を物語っていた。「うん、欲しかったらな、安いヤツ
ならやってもいいぞ」。というわけで、比較的新しくてきれいで、普通サイズの物を幾つか
もらった。
ボクはその頃、近場では敵がいなくなり、よく自転車で遠征に出かけていたものだった。
だいたい、夕ご飯の頃に泥だらけ、汗まみれで帰ってきた。「今日は、どこそこまで行って、
これだけ勝って来たんだぜぃ」などと、戦果を自慢する。負けて帰ってきたときは、意気消
沈している。
そんなボクだが、一朝ことあると、本家の伝令として立派な仕事をしていた。虚弱な私は、
走ったりなどの”戦力”にまったくならないので、相変わらず「パシリ」は、ボクしかいない。
親戚のだれそれさんが入院したとか、危篤だとか、亡くなったとか。そんな緊急連絡は、
並みの家には電話のない時代、体力のある子どもが使いに出されるのだ。
伯母さんや姉さん達に、話すべき言葉を教えられ、復唱し「よしっ、行って来い」となる。
親戚が多いので、何軒もいかなければならない。走りながら、口の中で復唱しつつ、到着
すると用件を伝えて、次にダッシュする。
ボクが息せき切ってうちに来た時、母にこう言ったという。「××の大伯父さんが、目玉を
落としたから、叔母さんにすぐ来てくれって、母ちゃんが言ってます。急いでって」と。
「あの大叔父さんが、目玉を落としたのかい?・・・どこでだい?」あやふやに首をかしげる
ボク。
「。。。どこだか知らないけど、急いでオネガイシマス!」と言って、ボクは走り去った。
むろん、母はもともと天然ボケである。まぁ~、そうは見えなかったけど、あのお爺さんは、
義眼だったのかしら。きっとどこかで、義眼を落として、探したけど見つからず、私が視力
が良いのを見込んで、探してくれというのね。それは、たいへん気の毒な事だわ。急いで
行って、なんとか見つけてやらねば~!
すでに、オチが読めている方もおられると思いますが、いちおう最後まで。。。(笑)
母が本家に駆けつけると、お爺さんは義眼を落としたのではなく、「目を落とした」。つまり
亡くなったということである。それで、ボクの「目玉落とした」伝言マチガイ話は、親戚中の
爆笑のウェーブに呑みこまれてしまったのである。
ボクはお母さんには叱られるし、泣きたい顔で腐りきっていた。まったく、ボク兄ちゃんは不
運で気の毒だった。そしてその後、ボクのイメージは、この伝説で固定してしまったので
ある。ホント、なんて可哀相な・・・ぷぷぷ。


(50代日記と栃木県民日記でがんばっています)
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そうですか?昭和30年代、何ということもなく、過ごしてきましたが、今思い返すと楽しい時代だったかも
特に北海道の田舎の話ですから、東京に較べたら何もかも遅れております。みんな貧しかったけれど、そこそこ、ほどほどに”幸せ”だった気もしますね。
少なくとも、公害と地球温暖はなかった
もっと聞きたいわ!
ついにお帰りになったんですね
こちらは、急速に紅葉に向かっております。8度以下が続くと、あっという間に季節が変わります。
葉っぱが褐色になって散ってしまうのは、「褐葉」というのだそうですね。新聞に、出ていました。むろん、これも「紅葉」なのですが
後ほど、伺わせていただきます
おお、Samyさんも、知りませんか。もしかして、住んでいた周辺でも、うちの一族限定の言い方だったかもしれませんね。う~ん、それはあり得る
皆、元々は本州のどこかの出のはず。しかし、そういった出自の話は、ほとんど誰もしなかった気がします。
うちの先祖が加賀百万石、金沢市の出だというのも、ずっと後年、大人になってから兄から聞いたものです。兄は、別家の長兄から聞いた、と言っていました。家系図もあったと。
「北の零年」という映画を見たとき、北の厳寒の未開の地に、わけあって、来なければならなかった人々の悲しみを感じました。
総領の甚六、もしくは上の総領息子と末の甚六、として憶えています。調べた事はありませんが、甚六は一番末子の男の子をいうのだ、と思っていました。まぁ、どちらもたいしたことはない、という意味でしょうが。これは、よろしいでしょうか?
まぁ~、kiriyaさんって、熱くなる時もあるんですね
なるほど。ギネス級の読書量をこなすkiriyaさんですから、それはそうなのでしょうね。
その発生が僧侶達が使った業界用語から、というのも、深く頷けるものがあります。まさに、目から鱗、ですね
いえいえ、どういたいまして~デス
ほぉ、九州でも聞きませんか。いよいよ、範囲が狭まってきた感じ・・・
こんな話、面白いですか?あはは。参考にさせていただきますぅ
そうですか、関東でも聞きませんか。
そういえば、上京して以降、大人になってからは「目を落とす」という言葉自体、耳にしたことはありませんね。
小さい頃は、周囲の大人の会話でよく聞きましたから、漠然と、一般的な言葉かと思っておりましたが・・・
思い込みというのは、多かれ少なかれ、確かにありますね
きれいに紅葉しないで葉っぱが散ってしまう木も多そうな今年の秋です。
然し是は仕方のない事、北海道は異種県民(?)の集合体です。
様々な言葉・風習から成り立っています。
石川県と福井県は、お隣同士ですからそちらの地方の言葉が残ったのでしょう。
序に「甚六」ですが、本来はトーコさんの使い方が正しいのですが、最近の辞書は第一意に「長男の意味」を持って来てます。
「長男の甚六」からの転意でしょう。
時代と共に、言葉は変わって来ています。
仏教用語は基本的には漢字です。
「目を落とす」なんて和語が
仏教用語であるはずがないのは一目瞭然。
それは仏教とは何の関係もない。
僧侶言葉、言うなれば業界語なんでしょう。
仏教用語という定義には
まったく当てはまりません。
それは考えなくてもわかること。
「ボク兄ちゃん」は未だ続くのでしょうか?
わくわくしながら読んでます。
ちなみに、私は九州ですが「目を落とす」は初めて聞きました。
ほーーっ 勉強になりました!
でも、kenさんのコメント読みました。
おもしろい言い方ですね。
子供が、伝え間違えるのはやむを得ないですよね。
かわいそうに・・・(^^;
そうですか、仏教用語から来ているのですか。
謂われてみると、迂遠な言い方、物理的な見方、あるいは意味深長ともとれる描写。。。なるほどなぁ、と思いました。
お医者さんでも、そういう言い方で、臨終を告げる方がいらっしゃるのですね。なんとなくですけど、極楽に行けそうな気がしますね
福井ですか?うちの父方の先祖は金沢出身だと聞いています。行った事はないけれど。。。
「目を落とす」という言葉は、全国共通かと思っていましたが、そんな訳はないですね。いろいろなのでしょうね。
しかし、親たちが嫁に行かせることを「かたずける」もしくは「かたずく」という言い方をしていたのを思い出すと、女はモノ扱いだったみたいで。。。
時代ですね、そんな時代だったんですね
「目を落とす」は亡くなる瞬間のことを言います。
これって方言でなく仏教用語ですよ。
お医者さんも使う方がいらっしゃいますよ。
臨終の前に目を落とされそうです。って。
嫁に出すことも、「かたづける」と言います。
トーコさんの話は身近に感じます。
へぇ~、そんな言葉は使いませんか?「目を落とす」
少し丁寧に、亡くなったひとの事を言う言葉なんですが。。。
北海道地方の方言だったのかしら
いずれにしても、7才の子どもの記憶ですからねぇ
家族みんなに聞いてみたけど、
誰も知らない。
西日本では通じない言葉では?