「松の内」は七日正月まで(関東圏)とするところと、十五日まで(関西圏)のところとあるようです。実は・・それは門松が飾り付けられている間なのですって。ん~当たり前でしたか?(笑)
そもそも「門松」は、お正月の”神様の祭りの場”ということを示すために立てられたものであり、この門松を拠り所にして「歳の神様」がおいでになる、と考えられていたのです。
犬の子やかくれんぼする門の松 小林一茶
かつては、子犬がかくれんぼをするくらい大きな門松があったのですね。代表的な門松としては、それぞれ長さの違う三本の竹の、上の端を斜めにそいで松を添え、根元を割り木で囲んだものだそうです。
その昔江戸城のお正月では、それぞれの城門に門松が立てられていたということです。
皆さんの所でも「どんど(どんどん)焼き」があるかと思いますが、地方によって呼び方は違うかも知れませんね。
門松やお正月の飾り物などを、田んぼに集めて積み上げ燃やす行事のことです。火で清めて浄化するのでしょう。その火で焼いた餅を食べれば、一年を無病息災でいられるという言い伝えがあるとか。
米粉を練って、食紅を使って紅白にした繭玉餅を木の枝に刺し、子供たちがそれぞれ火にかざして焼くのですが、爆ぜた火の粉が飛んでけっこう大騒ぎします(笑)
冬景色の田んぼの中
どんど焼きの最後には大きい荘厳な火柱が上がり、その見事な火のエネルギーは、まるで神様にでも変化するかのようです。万一のために?いえ、きちんと消防法などで決められているのでしょうね、必ず消防車も来て待機しています。
こちらの地域では(用意のいい集落では)、クリスマス前から田んぼに準備万端がされていました。もういつだって「どんど」来い!って感じでしょうか(笑)昨日見かけたのですが、数本の竹も伐り出されて積み上げられていました。
しかし、以前は数ヶ所で見られた櫓も、家の近くでは一ヶ所しかありません。数年前まではどんど焼きが近くなると、子供たちがお正月の飾り物を、一軒一軒廻って集めに来てくれていました。
プラスチックは燃やせないとか、あれこれ分別が煩く言われるようになったので、いっそ手をひいたのでしょうか。今はもう集めに来ることはなくなりました。
確か、明日か明後日あたりに開催されるのだと思いますが、通常は日が暮れて暗くなってから始まっていたのが、今年からはお昼間に変更になったようです。夜空に映える”火柱”の醍醐味が少し薄れますね。
写真のお餅↓は知り合いの処で、昔ながらの杵と臼でついたものを、うちの分は娘が造形しました(笑)そこの90歳を越えたおばあさんに、手さばきを教わって作ったとか。初めてにしては、鏡餅などサマになっていました。

厚くてでーっかい伸し餅 冷まし中
このおばあさんはひ孫らが小学生になっていますが、未だかくしゃくとして、季節の行事のたびに一族郎党を召集して、いろいろ取り仕切っています。縁側に腰掛けながら、ゆうゆうと煙草をふかしている様は、余裕の超大物です。
今時こんな風に威風堂々と生きているお年寄りは、そうは見かけませんし、何となくウッカリでも死なないような気がします。私などうろうろしていると、頭上からカミナリ様が落ちそうなので、用心のためあまり近づかないようにしておりますデス~(ξ^∇^ξ) オホホ
水分の抜けたガマズミと冬山

毎度おなじみ 日光の山々 寒気が入っているところです

そもそも「門松」は、お正月の”神様の祭りの場”ということを示すために立てられたものであり、この門松を拠り所にして「歳の神様」がおいでになる、と考えられていたのです。
犬の子やかくれんぼする門の松 小林一茶
かつては、子犬がかくれんぼをするくらい大きな門松があったのですね。代表的な門松としては、それぞれ長さの違う三本の竹の、上の端を斜めにそいで松を添え、根元を割り木で囲んだものだそうです。
その昔江戸城のお正月では、それぞれの城門に門松が立てられていたということです。
皆さんの所でも「どんど(どんどん)焼き」があるかと思いますが、地方によって呼び方は違うかも知れませんね。
門松やお正月の飾り物などを、田んぼに集めて積み上げ燃やす行事のことです。火で清めて浄化するのでしょう。その火で焼いた餅を食べれば、一年を無病息災でいられるという言い伝えがあるとか。
米粉を練って、食紅を使って紅白にした繭玉餅を木の枝に刺し、子供たちがそれぞれ火にかざして焼くのですが、爆ぜた火の粉が飛んでけっこう大騒ぎします(笑)

どんど焼きの最後には大きい荘厳な火柱が上がり、その見事な火のエネルギーは、まるで神様にでも変化するかのようです。万一のために?いえ、きちんと消防法などで決められているのでしょうね、必ず消防車も来て待機しています。
こちらの地域では(用意のいい集落では)、クリスマス前から田んぼに準備万端がされていました。もういつだって「どんど」来い!って感じでしょうか(笑)昨日見かけたのですが、数本の竹も伐り出されて積み上げられていました。
しかし、以前は数ヶ所で見られた櫓も、家の近くでは一ヶ所しかありません。数年前まではどんど焼きが近くなると、子供たちがお正月の飾り物を、一軒一軒廻って集めに来てくれていました。
プラスチックは燃やせないとか、あれこれ分別が煩く言われるようになったので、いっそ手をひいたのでしょうか。今はもう集めに来ることはなくなりました。
確か、明日か明後日あたりに開催されるのだと思いますが、通常は日が暮れて暗くなってから始まっていたのが、今年からはお昼間に変更になったようです。夜空に映える”火柱”の醍醐味が少し薄れますね。
写真のお餅↓は知り合いの処で、昔ながらの杵と臼でついたものを、うちの分は娘が造形しました(笑)そこの90歳を越えたおばあさんに、手さばきを教わって作ったとか。初めてにしては、鏡餅などサマになっていました。


このおばあさんはひ孫らが小学生になっていますが、未だかくしゃくとして、季節の行事のたびに一族郎党を召集して、いろいろ取り仕切っています。縁側に腰掛けながら、ゆうゆうと煙草をふかしている様は、余裕の超大物です。
今時こんな風に威風堂々と生きているお年寄りは、そうは見かけませんし、何となくウッカリでも死なないような気がします。私などうろうろしていると、頭上からカミナリ様が落ちそうなので、用心のためあまり近づかないようにしておりますデス~(ξ^∇^ξ) オホホ


毎度おなじみ 日光の山々 寒気が入っているところです

風習としての「どんど焼き」も、きっと届けを出したうえでやるのでしょうか。窮屈ですね。
山の風景が美しいです。
だんだんさんのご縁ですね
「だんだん」
日光の山も雪化粧ですね
こちら山陰も昨日から平野部でも積雪です
これからもよろしくお願いします。
小正月(15日)の夕方、燃やします。
「とうどや」と呼んでいました。
「♪とうどや、さぎちょ!」と歌を歌います。
餅はのし餅を四角に切ったものを竹に刺して焼きます。
持って帰って、家族みんなで食べました。
これを食べれば1年中健康でいられるといわれていました。
紅白の繭玉は木の枝に刺して神棚に飾ります。
これは春先まで飾り、硬くなった餅をカナヅチで砕いて細かくし、アラレにしました。
この「のし餅」は空見さんが作ったのですか?
お尻の跡がクッキリと残っていました。(笑)
>犬の子やかくれんぼする門の松 小林一茶
凄い句ですねぇ。しびれました!
私も一茶の句集が欲しいです。
空見さんは日光ですか?
観光地なくらいで、美しい街なのでしょうねぇ。空見さん、良い句が詠めるわけだ!
どんど焼、解説をありがとうございます。日本の風習、伝統はいいですねぇ。
「犯す」より「侵す」、なっとく! ありがとうございます♪♪
山々が寒そうにそびえてますねー。
実家の庭には、使わなくなった臼が二つも転がってます!
何でも転がしたままで、行くたびにヒヤヒヤするワタシ。
前は蔵の長持ちを薪にしちゃったし
このお婆さんのような人、文化財に指定すればいい!?
エコ山陰さんにいってくださったのね♪
つても洒脱な文章で、爽快になりますよ!
僕は寒いのが嫌いだから、どんど焼きで焼いたお餅を食べてコタツで寝たい♪(笑)
他でも聞いてみたのですが、今はやっているところは少ないようです。こちらでの「どんど焼き」は池のそばなので、万一の時に水がすぐ使えるから許可になっているとか。
規則づくめで窮屈な世の中になりましたね。こういう古くからの行事の時くらいは、融通を利かせて欲しいものだと思います
社会派だんだんさん^^のご縁で、これからもヨロシクお願いします。初めて来られたのに、当方ちょっとトラブルがあって、夜まで出かけておりました。
しばらく忙しくしていますが、落ち着いたら足繁く訪問させていただきます(笑)
今日は雪が降らない分、寒さが一段と厳しくなってきました。コメントをありがとうございました~
繭玉は。。同じようにしていましたネ、子供の頃のわが家も。
山小屋さんには、聞けばいろいろなお話が出てきますね。たいへんタメになります。
のし餅にお尻のあとが?(≧ω≦。)プププ
大事な食料にそんな失礼なことはいたしません。あぁ~
俳句も奥が深いですね、私なんか世間知らずの”知らぬが仏”で、勝手なことばかり言っています。あまり相手にしない方が・・(ξ^∇^ξ) オホホ
これから牛歩で勉強しようと思います。流星さんのお陰で、また気持ち新たに精進できるかな。。なんて、知り合えて感謝です。縁があったのかな?
日光は確実に廃れてきています。観光に来るのは外人さんばかりのようです~