いろんな状況を斬りまくった「ナンシー関」という、異色の「消しゴム版画家」を、
皆さんは覚えておられるだろうか。1962年、青森県生まれですが、すでにして故人です。
この方が、平成3年から平成6年にかけて書いた「信仰の現場」という、ルポ・エッセイ
を(特に意味はありませんが)、今回、取り上げてみました。
では、目次から抜粋を。
Big!Great!永ちゃんライブ /平成3年10月4日 山梨県民文化ホール「矢沢永吉コンサート」
「笑っていいとも!」お昼休みの魔術 /平成4年3月6日正午 スタジオアルタ
「笑っていいとも!」公開生放送
NHKの守り神は誰だ /平成4年8月3日午後1時50分 渋谷区神南・NHK見学者コース
非一流大学入試合格者発表 /平成5年3月9日 某私立大学体育館
ドッグショー。トップブリーダーの謎 /平成5年4月30日 東京晴海見本市会場
「アジアインターナショナルドッグショー」
テレフォンショッピング・ショールーム探訪 /平成5年10月7日
二光ショールーム&日本文化センター
高級花「らん」の夢と現(うつつ) /平成6年2月27日 東京ドーム
「世界らん展日本大賞’94」
彼女はこのような(当時人気の)現場を観察・取材しに行き、コレは「信仰の現場」だろう
と位置づけている。
本の「あとがき」にはこうある。
毎月、日常社会の価値基準とはズレたところに、「幸せ」を見る、言っちゃあナンだが、
特殊な人たちが群れ集う「別天地(パラダイス)」を捜し求めて来たワケである。(中略)
取材をして原稿を書くことはこれがほぼ初めてで、「取材」なんて言ったら怒られそうな
くらいフシ穴だらけの観察眼である。私は何も見ちゃいなかった。でもその「現場」を、
「別天地」とする人たちの、えもいわれぬ”すっとこどっこい”ぶりだけは見えたと思う。
実際、彼女が女性だったということにも驚いたが、その巨体にも驚いた。文庫本で数冊読ん
だと思うが、感動こそないが、その観察眼に感心はした。ジャーナリストの眼だったと思う。
彼女が青森から上京してタマゲタのは、作った料理がことごとく腐る、ということだった。
彼女なりにツラツラ考えるに、東京が高温多湿という事情はあるが、作った物に世話を焼く
という発想がなかったためである。実家では、母親が作ったカレーは、ず~っと食べられた。
それは、母親の気働きで、しょっちゅう火を入れていたからである。ということに気づき、
あらためて母を見直す。
これでもかというほど、核心を突いた皮肉を飛ばした人だったが、容貌容姿については、ツ
ッコミをいれていない。さすがに、自分に返ってきそうな話題は避けたと思える。カワイイ
というべきか、賢明というべきか。
解説はタレントの「松尾貴志」。
ところで、私の周りには、彼女に「斬られた」芸能人が多数いる。砂上に楼閣を築き、イメ
ージという虚像で商売をしている我々にとって、「王様は裸だっ!」と叫ぶ少年であるナン
シー女史は、恐るべき存在なのだ。
彼女に対して、ある者は戦々恐々とし、ある者は恨みを抱き、ある者はその存在をまったく
知らない振りをする。
「なんで人の悪口書くのかしらネェ」という論調には、私は「あれは芸なんだけどなぁ」と
思うけれど、私も大の大人なので反論はせず、「ホントですよね~、まったくですよね~」
と言う事にしている。(ここ、笑うところです@トーコ)
今読むと、ネタはさすがに少し古い感じがするが、ちょっとズレた異世界を信奉する、愛す
べき”すっとこどっこい”達の小世界に潜入し、その謎を追い求めたジャーナリスト魂は、
さすがといえる。ナンシー女史が旅立ってからも、「信仰の現場」は増殖し続けているのだ。
皆さんは覚えておられるだろうか。1962年、青森県生まれですが、すでにして故人です。
この方が、平成3年から平成6年にかけて書いた「信仰の現場」という、ルポ・エッセイ
を(特に意味はありませんが)、今回、取り上げてみました。
では、目次から抜粋を。
Big!Great!永ちゃんライブ /平成3年10月4日 山梨県民文化ホール「矢沢永吉コンサート」
「笑っていいとも!」お昼休みの魔術 /平成4年3月6日正午 スタジオアルタ
「笑っていいとも!」公開生放送
NHKの守り神は誰だ /平成4年8月3日午後1時50分 渋谷区神南・NHK見学者コース
非一流大学入試合格者発表 /平成5年3月9日 某私立大学体育館
ドッグショー。トップブリーダーの謎 /平成5年4月30日 東京晴海見本市会場
「アジアインターナショナルドッグショー」
テレフォンショッピング・ショールーム探訪 /平成5年10月7日
二光ショールーム&日本文化センター
高級花「らん」の夢と現(うつつ) /平成6年2月27日 東京ドーム
「世界らん展日本大賞’94」
彼女はこのような(当時人気の)現場を観察・取材しに行き、コレは「信仰の現場」だろう
と位置づけている。
本の「あとがき」にはこうある。
毎月、日常社会の価値基準とはズレたところに、「幸せ」を見る、言っちゃあナンだが、
特殊な人たちが群れ集う「別天地(パラダイス)」を捜し求めて来たワケである。(中略)
取材をして原稿を書くことはこれがほぼ初めてで、「取材」なんて言ったら怒られそうな
くらいフシ穴だらけの観察眼である。私は何も見ちゃいなかった。でもその「現場」を、
「別天地」とする人たちの、えもいわれぬ”すっとこどっこい”ぶりだけは見えたと思う。
実際、彼女が女性だったということにも驚いたが、その巨体にも驚いた。文庫本で数冊読ん
だと思うが、感動こそないが、その観察眼に感心はした。ジャーナリストの眼だったと思う。
彼女が青森から上京してタマゲタのは、作った料理がことごとく腐る、ということだった。
彼女なりにツラツラ考えるに、東京が高温多湿という事情はあるが、作った物に世話を焼く
という発想がなかったためである。実家では、母親が作ったカレーは、ず~っと食べられた。
それは、母親の気働きで、しょっちゅう火を入れていたからである。ということに気づき、
あらためて母を見直す。
これでもかというほど、核心を突いた皮肉を飛ばした人だったが、容貌容姿については、ツ
ッコミをいれていない。さすがに、自分に返ってきそうな話題は避けたと思える。カワイイ
というべきか、賢明というべきか。
解説はタレントの「松尾貴志」。
ところで、私の周りには、彼女に「斬られた」芸能人が多数いる。砂上に楼閣を築き、イメ
ージという虚像で商売をしている我々にとって、「王様は裸だっ!」と叫ぶ少年であるナン
シー女史は、恐るべき存在なのだ。
彼女に対して、ある者は戦々恐々とし、ある者は恨みを抱き、ある者はその存在をまったく
知らない振りをする。
「なんで人の悪口書くのかしらネェ」という論調には、私は「あれは芸なんだけどなぁ」と
思うけれど、私も大の大人なので反論はせず、「ホントですよね~、まったくですよね~」
と言う事にしている。(ここ、笑うところです@トーコ)
今読むと、ネタはさすがに少し古い感じがするが、ちょっとズレた異世界を信奉する、愛す
べき”すっとこどっこい”達の小世界に潜入し、その謎を追い求めたジャーナリスト魂は、
さすがといえる。ナンシー女史が旅立ってからも、「信仰の現場」は増殖し続けているのだ。
およそ人間が集まるところ、どこにでも「信仰の現場」は出現するかも。
”発熱する現場”は悪いことばかりではありませんが、それが誰かの意図で心理操作されているとしたら、確かにちょっと考えものですね