「春兆記」に纏わる”ヘナヘナ編集後記”

2008-07-24 16:02:42 | こんなンで委員会
 
フウセンアサガオの仲間かな?^^



昨夜は、そろそろ寝支度をしようかという時間に地震がありました。

「岩手北部地震」。最近は大きな地震が世界各国でも、日本各地でも頻発しています。今回は大事に至らなければ良いのですが・・。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * *


春兆さんにお会いできたのも、上司からの仕事の指示によりです。

私は俳句のハの字も知らなくて、当然のように?花田春兆氏のことも知りませんでした。

事前にある程度の資料は読みましたが、ほとんどぶっつけ本番です。会社の社員である、カメラマンMさんと一緒に出かけました。写真撮影の必要があるときなどは、Mさんが同行してくれるのです。

考えてみるとMさんには、多くの場合に同行してもらっていたのでしたが、ほとんど記憶にありません。

目的地まで一緒に電車に乗るなり、歩くなりしていたはずですが、特に会話をした記憶も無く、それだけ私が緊張の糸を張って神経をピリピリさせていた、ということでしょうか。

その日は珍しくお天気が良くて、やっと春兆さんのお宅が見え始めた頃、Mさんと二人ホッとして笑みを交わしたことは覚えています。

しかしこの取材時ばかりは、彼の存在が私の記憶に鮮明にあるのです。

脳性マヒの方と、間近でお話をしたのは初めての経験でした。言葉がよく聞き取れず、失礼ながら何度も訊き直したかと思います。

お暇(いとま)する頃、春兆さんが「東風つのるな松籟にふと兵馬の声」という句を示してくださった時も、「東風」を「こち」と読めなかったのです。「とうふう」、と思いましたので声にそう出しました。

その時、どこからか微かに「こち」という声が聞こえてきたのです。初めは空耳だと思い、聞き流しました。

次に、また耳元で「こち」と聞こえたのです。チラとMさんを振り返ると、彼は後ろを向いていました。

さらに3度目の「こち」が、私の横に半身を寄せてきたMさんから発せられました。

・・この人は何?何なの?さっきから「コチ、コチ」なんて、ヘンな人だわ!と五月蝿(うるさ)がっていた位です。

そしてまた、春兆さんも不審気な面持ちをしているのでした。この女の子はこういう仕事をしているのだったら、大学を出て間ナシとしても年は22、3才くらいだろう。。。「東風」も読めないのか、と。

私の外見は少し大人っぽく見えるのでしたが、実は高卒の小娘でしたので、その場の3人が揃いも揃って曖昧な、お互いに戸惑いの笑顔を見交わすという、妙にちぐはぐな雰囲気でした。

お礼を言って帰るときも、まだ「こち」の意味に気付いていませんでしたから。。。(苦笑)

ただ私は帰る道すがら、脳性マヒの現実というものに甚だ打ちのめされていたのです。

私の落ち込みぶりを、「こち」を読めなくて、恥かしかったせいだと勘違いしたらしいMさんが、ランチを奢ってくれるというのです。

「よ~し、今日は美味しいお鮨を、この(常日頃節約家の)僕がドーンと奢ってあげよう!さぁ元気を出しなさい、ハハハ」と。

確かにお昼時でしたが、私は全く食欲も無く、はやく独りになって色々考えたかった訳で、実はアリガタ迷惑でしたが、Mさんは久々にテンションが上がっていました。

お鮨屋のカウンター席に座らされ、さぁ何でも好きな物を注文しなさい~!と言われたものの、意気消沈している私はお鮨の味も分からぬまま、周囲の気温を下げただけだったようです。

会社に帰るまでの電車の中でも、自分の靴先ばかりに目を落としていました。春兆さんの、身障者の現実というものに衝撃を受け、茫然自失となっていたようです。

これほどにショックを受ける気弱なわが精神力のことなど、他の誰にも言えませんでした。こんな情けなさで、海千山千の世界で私はこれからやっていけるのだろうか?・・そんな苦い思いを噛みしめた”忘れられない事件”なのでした。




薄紫の朝顔に似た花で、風船のような小さな袋をつけていました^^




人気ブログランキング 今日は何位?


コメント (8)    この記事についてブログを書く
« 花色の不思議。。ブレ~~ク... | トップ | ”元気の気”の行き先は何処? »
最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
花の名前 (山小屋)
2008-07-24 17:27:34
花はアサガオ或いはヒルガオの仲間のようです。
正確な名前はこれだけではわかりません。
種があったならその画像も欲しいですね。

実がフウセンのようになるのはフウセンカズラ、またはフウセンアサガオなどというのもあります。
この仲間もたくさんあるので、紛らわしいです。
返信する
山小屋さんへ (トーコ)
2008-07-24 18:46:17
山小屋さん、お忙しいところ申し訳ありません^^

花の径は4cm位で小さい朝顔のようですが、フウセンカズラに似た小さい袋もありました。

あまり撮る気もなくて撮ったもので、他の画像はありません。

「フウセンアサガオ」の仲間のような気がします。ありがとうございました
返信する
同じような体験 (山裾の人)
2008-07-24 23:04:16
こんばんわ
若い頃に良い体験しましたね。
私も学生時代にボランティア(当時は奉仕)で施設へ行きました。
食事をみんなと一緒にするときに、彼は自分で食べられるんです。
会話をしながら食べ物の話など・・・・
ところが、私は食事どころではありません。
彼が自分の手で口に運ぶ苦労は大変な物でした。
そのとき私は見て見ぬ振りをしたことが未だに鮮明に思いだします。
今では同じような施設に行くのも食事中に会話をするのもできるようになりました。
初めての彼のお陰と思っています。
返信する
山裾の人さんへ (トーコ)
2008-07-25 15:03:34
山裾の人さん、ありがとうございます

お若い頃から、ボランティアをなさっていたのですね。スゴイですね。

私など、不慣れで経験の無いことには”意気消沈”してしまうのです。

今、当時は興味がなかった「富田木歩」。春兆さんが、一生懸命に語っていた俳人のことを、遅ればせながら調べています。関東大震災の折、27才で亡くなったようです。

また”はたた神”が鳴り出してきました^^コメントをありがとうございました~
返信する
従姉のこと (スエツグ)
2008-07-25 18:06:28
父の兄の子供達は全員一回り以上年上で、
一番上の従姉は脳性マヒでした。
盆、正月に遊びに行くと、従姉は僕を
Tちゃん、Tちゃんと呼びます。
皆の喋っている事はすべて理解してました。
が、僕は従姉の喋っていることは理解できませんでした。
でも優しくしてくれてお年玉やお小遣いをくれるのです。
従兄弟の中で最も優しかったと思います。
返信する
スエツグさんへ (トーコ)
2008-07-25 20:14:36
スエツグさん、こんばんは~

脳性マヒといっても、様々のようですね。

今調べている、夭折の俳人・富田木歩は、2才の時の高熱が原因で両足に麻痺が出たようです。そのため小学校にも通えなかったそうです。

障害のある人は、きっと神様に近いのじゃないかなぁ・・なんてひとりごちています^^優しい気持ちの人が多いように思います。

私も、死線を越えた経験があります。その時、ほんの少しの何らかの差で生き残った。稀有の偶然で、たまたま五体満足で居られるのだと思っています

コメント☆、ありがとうございます
返信する
人の運命 (nakapa)
2008-07-26 19:32:44
今日、藻岩山に行ってきました。病気で命が短いと
思われる
人と一緒でした。元気なときは毎日のように藻岩山に登って
いた人ですが、今はロープウウエイに乗って行きます。
入退院を繰り返しているので、今回は「7月15日の出所」
と、ふざけて言ってました。みんな(6人)と一緒に
いるとき
が一番楽しい。と言ってました。このブログを読んで思い出した
ことです。
返信する
nakapaさんへ (トーコ)
2008-07-26 22:28:17
nakapaさん、ようこそ~~

藻岩山にいらしたのですか。なんとまぁ、懐かしい響きの山です^^

ご病気の方も、楽しい時間を過ごせたのでしょうね。仲間とは、良いものですね。私も”楽しい仲間”が欲しいデスヨ~

富田木歩にも、親友が居ました。句友の荒井声風という人です。”走れメロス”に出てくるような「生涯の親友」でした。でも、関東大震災で死別したのです。

セツナイ話ですが、私もこんな友だちを作りたいものだ、と心から思いました

コメントをありがとうございました
返信する

コメントを投稿

こんなンで委員会」カテゴリの最新記事