石巻市から大規模な余震の影響で千葉の自宅に帰宅しました。
今回の災害支援の総括です。
今回行った石巻市では地震の被害と言うよりも津波で大きな被害が出ていました。
内陸の方はガラスが割れていたりするもののイオンなどのショッピングモールもやっていて物資も手に入る。
水も食料もあるのに海に近づくと景色は一変。
かなり海から遠いお店も津波に破壊されて海水が数日溜まっていたのであろう水の跡は背丈程もあります。
未だに海水で水没している地域もそこら中にあります。
僕らは今回石巻専修大学内にステイしました。
ここでは基本テント生活です。車泊の方も何人か居ましたがテントが大多数です。
グラウンドの方にはピースボートやめ組ジャパンやJENと言った大きな団体もたくさんキャンプインしていました。
そういえば須藤元気さん率いる団体もいました!
食事はもちろん自炊。簡易トイレなども設置されています。水なども他の支援団体がユニック車に積んだタンクを置いてくれていました。飲料水に使えるかどうかは解りませんでしたが少し使わせてもらいました。しかし基本自分の水は自分で用意する事が鉄則です。
テント生活はキャンプみたいでなかなか楽しいですよ!
重苦しく考えないでキャンプして居る位の気持ちで楽しんだ方が良いと思いました。
僕らはマッドバスターズに所属して基本ヘドロや流れ着いた魚や材木などの撤去がメインの仕事。
湊中学校を80人体制で二日間掛けて復旧させました。
ここでも水の跡は有に3メーターは超えていました。実際の津波はこれを遥かに超えていたそうです。
避難所の様子も見せてもらいました。体育館と教室に分かれてたくさんの人が避難していました。物資は比較的充実しているようでした。俺も個人的な知り合いに少量の支援物資を持って行ったのですが受付の方に「体育館に避難している方達は皆平等に分けようと決めているので直接本人に渡しても受け取り辛いですよ」っとアドバイスを頂き今回の直接の差し入れは控えました。
避難者は避難者同士を思いやり秩序を作り争いが起きない様に生活しているのを感じました。
次に向かったのが南浜町。
ここは港があり特に海に面している為に津波の被害がとてつも無く大きかったようです。
見渡す限り被災者の方の家の残骸などが溢れていました。
裏にある日和山の高台に上がってみると被害の大きさがよく解ります。
階段を駆け上がりこの高台まで避難出来た人は助かったそうです。
たくさんの方が犠牲になりました。
そのまま川沿いの門脇町の方へ行き歩いていると呆然と元気無く歩いているのでおばさんに話しかけてみました。
おばあさんは「ここには水の配給も来ないし、自転車も泥に埋まり買いに行く事も出来ない。もう家中へ泥が溜まりどこからてをつけたら良いか解らない」と途方に暮れていました。
洗濯は家の前の川の水でしているそうだ。
この赤い洋服はおばさんが「いつか着たいと思っていたけれど赤は派手で恥ずかしいからなかなか着れないでいたら津波でドロドロになってしまった、こんな事になるんなら着ておけばよかった」っと。
僕らは居ても立っても居られませんでした。
「復興すればまだまだ着れる機会はあるよ!」とおばちゃんに声を掛けて作業開始。
まずは自転車を掘り出し
西田崇君のブログを見て持ち合わせていた自転車修理キットで自転車を修理。
するとおばさんの表情はドンドン明るくなり元気も出て一緒に庭や台所のヘドロ出しや使えない家具出しをしました。
台所や
ダイニングはこんな有様だったけれど
床が見えた時のおばさんの喜びようは忘れられません。
「あんた達は神様だよ!ありがとう!」
おばさんには笑顔が戻り気持ちが前向きになっていました。
きっとこういう高齢の方はまだまだたくさん居ると思う。
自分の力ではどこから手を付けたら良いかが解らない。
でもそのキッカケを作ってあげるだけでとても元気になり一筋の希望が見えた時に人は前向きになれるのだとその瞬間を目の当たりにして思いました。
ボランティアとはそのキッカケ作りが大切なんだと。
滞在中には大きな地震もありました。
石巻市が震源がそれは大きな地震でした。
「ゴオオオー」っとトラックでも近づいて来るかの様な地響きと共に大きな縦揺れ。
あんな地震はじめてでした。
すぐに大学校舎内の一番高い所へ避難。
たくさんのボランティアや地域住民が避難してきました。
子供は津波の恐怖がフラッシュバックして泣きじゃくっていた。
ホント住民やボランティア達は疲れ切っていました。
他の避難所の学校校舎では周囲の住民がパニックを起こし学校の窓ガラスをブロックで叩き割り屋上に避難しようとしたり、慌てて逃げ出そうとして車の事故や人身事故が多発していました。
冷静さを取り戻しつつある様に見えていた住民の方達の心には深い深い傷跡はまだまだ残って居る事を痛感しました。
この地震の影響で海水面上昇による浸水などの影響で安全が確認されるまでボランティア活動は全体で中断になり予定より早く帰る事になりました。
そして帰り道、地震の影響で一部高速道路が通行止め。しかたなく下道を走っていると大きな溝が無数に掘られた場所に通りかかった。
最初はなんだか解らなかったけれど花を手向ける弔問者を見てそこが集団土葬場だと言う事に気がついた。
千葉に居る時にニュースで死者が1万人を超えている事は知っていたけれどどこか実感出来なかった。
でも、その大きな溝を目の当たりにして実感が湧きました。
そして気がつきました。
この災害は日本史上最大の災害だという事に。
現地の様子を見て大袈裟ではなく完全に復興するには10年では利かないと思った。
本当に息の長い復興活動が必要になると思った。
しかし現地で頑張る人達を見たり、支援物資を目の前にして自分の必要なものを必要な分だけしか取らない被災者の方々を見て日本は大丈夫だと思った。
それは子供達もそうだ。
欲しいおもちゃやお菓子があってもみんなで分け合う。
欲張らずに必要な分だけ。
そんな子供達を見てこの子達が大人になる頃の日本はとても素晴らしい国になっている事を確信した。
間違い無く今以上に素晴らしい日本になって生まれ変わるだろう。
しかし、現時点ではたくさんの支援が必要なのは事実だ。
物資や義援金なども重要だが現時点ではとにかく人の力を必要としている。
今すぐ役に立つのはレスポンス良く動けるボランティアのマンパワーだ。
一日でも二日でも良いと思う。
人生の中の一日や二日でイイ。
その一日や二日でたくさんの人の人生を明るく出来るのだから人生の中の一日や二日を休んでボランティアしてもいいのではないだろうか?
ガソリン、移動手段、食料、宿泊さえ用意出来れば誰でも出来る。
そんなに難しく考えなくても高速道路も通ったし内陸に数キロ入ればガソリンや食料も手に入る様になった。
是非、時間を作ってでも一度足を運んでみて下さい。
あなたの一歩踏み出す勇気がたくさんの人の人生を救うと思います。
その勇気が被災者の復興への勇気やキッカケになるんですから。
現時点で現地で必要とされていたもの
•賞味期限が長い駄菓子などのお菓子
•サイズ100cm以上の新品の子供服
•ウィンドブレーカーなどの薄手でビニールで出来た羽織れるもの(防寒目的では無くヘドロ出しや瓦礫撤去作業で使う濡れたり汚れても良い様なモノ)
•ゴム手袋やゴム軍手
•新品のスウェットなどののズボン
•ベルト(ズボンは送られて来るのにベルトはほとんど送られて来ない為)
•電気を使わない子供の遊び道具
なぜ新品が良いのかというボロボロの中古のモノを着ていると心が荒むんです。新品のものや新しいものを身につける事が出来て食事のグレードも上がる事で被災者の方々が復興し始めている事を実感出来るからです。
ある被災者の方は「お風呂に入れる様になった事で希望の光が射した様な気がした」と語っていました。
風呂に入れる様になりキレイな服を身につける事が出来る様になり食べられるものも良くなって来たりする事で一歩一歩元の生活に近づいている事が実感出来てドンドン前向きになって行くんです。
そしてモノをただ送るのではなく出来れば手渡してあげて下さい。
そうすれば必要としている人に必要としている物が行き届くはずです。
今回の災害支援の総括です。
今回行った石巻市では地震の被害と言うよりも津波で大きな被害が出ていました。
内陸の方はガラスが割れていたりするもののイオンなどのショッピングモールもやっていて物資も手に入る。
水も食料もあるのに海に近づくと景色は一変。
かなり海から遠いお店も津波に破壊されて海水が数日溜まっていたのであろう水の跡は背丈程もあります。
未だに海水で水没している地域もそこら中にあります。
僕らは今回石巻専修大学内にステイしました。
ここでは基本テント生活です。車泊の方も何人か居ましたがテントが大多数です。
グラウンドの方にはピースボートやめ組ジャパンやJENと言った大きな団体もたくさんキャンプインしていました。
そういえば須藤元気さん率いる団体もいました!
食事はもちろん自炊。簡易トイレなども設置されています。水なども他の支援団体がユニック車に積んだタンクを置いてくれていました。飲料水に使えるかどうかは解りませんでしたが少し使わせてもらいました。しかし基本自分の水は自分で用意する事が鉄則です。
テント生活はキャンプみたいでなかなか楽しいですよ!
重苦しく考えないでキャンプして居る位の気持ちで楽しんだ方が良いと思いました。
僕らはマッドバスターズに所属して基本ヘドロや流れ着いた魚や材木などの撤去がメインの仕事。
湊中学校を80人体制で二日間掛けて復旧させました。
ここでも水の跡は有に3メーターは超えていました。実際の津波はこれを遥かに超えていたそうです。
避難所の様子も見せてもらいました。体育館と教室に分かれてたくさんの人が避難していました。物資は比較的充実しているようでした。俺も個人的な知り合いに少量の支援物資を持って行ったのですが受付の方に「体育館に避難している方達は皆平等に分けようと決めているので直接本人に渡しても受け取り辛いですよ」っとアドバイスを頂き今回の直接の差し入れは控えました。
避難者は避難者同士を思いやり秩序を作り争いが起きない様に生活しているのを感じました。
次に向かったのが南浜町。
ここは港があり特に海に面している為に津波の被害がとてつも無く大きかったようです。
見渡す限り被災者の方の家の残骸などが溢れていました。
裏にある日和山の高台に上がってみると被害の大きさがよく解ります。
階段を駆け上がりこの高台まで避難出来た人は助かったそうです。
たくさんの方が犠牲になりました。
そのまま川沿いの門脇町の方へ行き歩いていると呆然と元気無く歩いているのでおばさんに話しかけてみました。
おばあさんは「ここには水の配給も来ないし、自転車も泥に埋まり買いに行く事も出来ない。もう家中へ泥が溜まりどこからてをつけたら良いか解らない」と途方に暮れていました。
洗濯は家の前の川の水でしているそうだ。
この赤い洋服はおばさんが「いつか着たいと思っていたけれど赤は派手で恥ずかしいからなかなか着れないでいたら津波でドロドロになってしまった、こんな事になるんなら着ておけばよかった」っと。
僕らは居ても立っても居られませんでした。
「復興すればまだまだ着れる機会はあるよ!」とおばちゃんに声を掛けて作業開始。
まずは自転車を掘り出し
西田崇君のブログを見て持ち合わせていた自転車修理キットで自転車を修理。
するとおばさんの表情はドンドン明るくなり元気も出て一緒に庭や台所のヘドロ出しや使えない家具出しをしました。
台所や
ダイニングはこんな有様だったけれど
床が見えた時のおばさんの喜びようは忘れられません。
「あんた達は神様だよ!ありがとう!」
おばさんには笑顔が戻り気持ちが前向きになっていました。
きっとこういう高齢の方はまだまだたくさん居ると思う。
自分の力ではどこから手を付けたら良いかが解らない。
でもそのキッカケを作ってあげるだけでとても元気になり一筋の希望が見えた時に人は前向きになれるのだとその瞬間を目の当たりにして思いました。
ボランティアとはそのキッカケ作りが大切なんだと。
滞在中には大きな地震もありました。
石巻市が震源がそれは大きな地震でした。
「ゴオオオー」っとトラックでも近づいて来るかの様な地響きと共に大きな縦揺れ。
あんな地震はじめてでした。
すぐに大学校舎内の一番高い所へ避難。
たくさんのボランティアや地域住民が避難してきました。
子供は津波の恐怖がフラッシュバックして泣きじゃくっていた。
ホント住民やボランティア達は疲れ切っていました。
他の避難所の学校校舎では周囲の住民がパニックを起こし学校の窓ガラスをブロックで叩き割り屋上に避難しようとしたり、慌てて逃げ出そうとして車の事故や人身事故が多発していました。
冷静さを取り戻しつつある様に見えていた住民の方達の心には深い深い傷跡はまだまだ残って居る事を痛感しました。
この地震の影響で海水面上昇による浸水などの影響で安全が確認されるまでボランティア活動は全体で中断になり予定より早く帰る事になりました。
そして帰り道、地震の影響で一部高速道路が通行止め。しかたなく下道を走っていると大きな溝が無数に掘られた場所に通りかかった。
最初はなんだか解らなかったけれど花を手向ける弔問者を見てそこが集団土葬場だと言う事に気がついた。
千葉に居る時にニュースで死者が1万人を超えている事は知っていたけれどどこか実感出来なかった。
でも、その大きな溝を目の当たりにして実感が湧きました。
そして気がつきました。
この災害は日本史上最大の災害だという事に。
現地の様子を見て大袈裟ではなく完全に復興するには10年では利かないと思った。
本当に息の長い復興活動が必要になると思った。
しかし現地で頑張る人達を見たり、支援物資を目の前にして自分の必要なものを必要な分だけしか取らない被災者の方々を見て日本は大丈夫だと思った。
それは子供達もそうだ。
欲しいおもちゃやお菓子があってもみんなで分け合う。
欲張らずに必要な分だけ。
そんな子供達を見てこの子達が大人になる頃の日本はとても素晴らしい国になっている事を確信した。
間違い無く今以上に素晴らしい日本になって生まれ変わるだろう。
しかし、現時点ではたくさんの支援が必要なのは事実だ。
物資や義援金なども重要だが現時点ではとにかく人の力を必要としている。
今すぐ役に立つのはレスポンス良く動けるボランティアのマンパワーだ。
一日でも二日でも良いと思う。
人生の中の一日や二日でイイ。
その一日や二日でたくさんの人の人生を明るく出来るのだから人生の中の一日や二日を休んでボランティアしてもいいのではないだろうか?
ガソリン、移動手段、食料、宿泊さえ用意出来れば誰でも出来る。
そんなに難しく考えなくても高速道路も通ったし内陸に数キロ入ればガソリンや食料も手に入る様になった。
是非、時間を作ってでも一度足を運んでみて下さい。
あなたの一歩踏み出す勇気がたくさんの人の人生を救うと思います。
その勇気が被災者の復興への勇気やキッカケになるんですから。
現時点で現地で必要とされていたもの
•賞味期限が長い駄菓子などのお菓子
•サイズ100cm以上の新品の子供服
•ウィンドブレーカーなどの薄手でビニールで出来た羽織れるもの(防寒目的では無くヘドロ出しや瓦礫撤去作業で使う濡れたり汚れても良い様なモノ)
•ゴム手袋やゴム軍手
•新品のスウェットなどののズボン
•ベルト(ズボンは送られて来るのにベルトはほとんど送られて来ない為)
•電気を使わない子供の遊び道具
なぜ新品が良いのかというボロボロの中古のモノを着ていると心が荒むんです。新品のものや新しいものを身につける事が出来て食事のグレードも上がる事で被災者の方々が復興し始めている事を実感出来るからです。
ある被災者の方は「お風呂に入れる様になった事で希望の光が射した様な気がした」と語っていました。
風呂に入れる様になりキレイな服を身につける事が出来る様になり食べられるものも良くなって来たりする事で一歩一歩元の生活に近づいている事が実感出来てドンドン前向きになって行くんです。
そしてモノをただ送るのではなく出来れば手渡してあげて下さい。
そうすれば必要としている人に必要としている物が行き届くはずです。
まずは休んでください。
お疲れ様です!これからも自分に出来る事を出来るだけやって行こうと思います。コメントありがとうございます!
子供の見てたら、自分のするべき事は、何のか何が出来るのか?複雑な…気持ちになった。
まぁ 無事に帰って来れてよかったよ。
お疲れ様でした。
大変な有様でした。
帰り時に会ったのおばさんはdazeさんが本当に神様に思えたことでしょう。
お疲れ様でした。
飛んでいきたい気持ちも体もあるけれど、宿泊用意が出来ません。登山はいっつも山小屋泊だったので・・・。
現時点のボランティアは自身でテント・シュラフの用意が必要ですよね?そこがなかなかネックになってると思います。車も無いので車泊も出来ません。
何かいい方法があれば教えて下さい!!
どこかでレンタルしてるとか、大量に自衛隊がテント張ってますとか・・・。ないですかね?
(バーナー・コッヘル等はあります)
震災前は若い人が老人を騙したニュースなどばかり目立っていましたが、震災後は若い人たちがこんなにも協力して被災地の人たちの為に尽くしてあげていることがわかり嬉しく思います。今は若い男性の力が一番助けになると思うのでdazeさんの様な人が多くいてくださることを願います。ご自身の負担になり過ぎない様に気をつけて活動してくださいね。
ホント色々用意してもらっちゃってありがとうございました!おかげさまでばっちり支援して来れました!今度ゆっくりお話しします!
>さかえ
ホント凄い有様ですが、あの写真もホンの一部なんです。
みんなで力を併せる事が非常に大切になってくると思います!みんなで頑張りましょう!
>Y
今現在はテントが無いと厳しいですが現地に宿泊施設が出来る可能性は無くもないです。今はとにかく人が必要です。
もし時間があればボランティア説明会などに参加してみて話を聞いてみるだけでも良いと思います。ボランティア説明会は各地で行われていてインターネットでたくさん出てきます。まだまだ現地は寒いです。無理無く自分に出来る範囲で支援しましょう。
>都
俺は大丈夫です!常に全力疾走している位がちょうど良いので。俺の出来る事は道を切り開き、道を作る事だと思っています!もちろん自分に出来る範囲でやっているので大丈夫です!たくさんのマンパワーが集まればと思っています。
余震の影響で、せっかくのボランティア活動が全体で中断ということは、石巻の被災者はどうなるのでしょう。心が激痛です。
私もゴールデンウィークに長い休みがとれそうなのでボランティアに行こうと思っています。
登山するのでテント生活は大丈夫です。
が、女の私が役に立てることはあるのでしょうか?
実際、現場を見てこられたdazeさんの意見が聞きたいです。
石巻の安全は確認されて既にボランティア活動は再開されています!でも、またライフラインがダメになってしまった地域もあるらしく振り出しとは言わないけれどまた逆戻りだそうです。まだまだ息の長いボランティアが必要になりそうですね。
>りん
女性に出来る事はたくさんあります!実際に泥だし作業をしていた時にも女性の方は居ましたし、力仕事ではなくても女性の丁寧さが役立つ作業はたくさんあります!まずは一日二日でも行ってみると良いと思います!いきなり長い期間行ってもしんどいと思いますよ!そしてあくまでボランティアと言う事で気負い過ぎずに作業も自分のペースで休み休みやった方が良いですよ!