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渋沢栄一について

2021年01月09日 | 人間学
2024年の新1万円札の肖像画に渋沢栄一が決まった。今春の大河ドラマも渋沢栄一のお話である。
 渋沢栄一は、その著書である「論語と算盤」でも名高いが、現在の埼玉県深谷市の生まれで、庄屋の息子として家業の藍玉の商売を継ぐ形で、精を出し、のちに武士になっている。尾高惇忠という人物の塾で7歳のころから勉学にも励み、儒教や大日本史まで学んだという。その後、長州藩と組んで、倒幕に参加しようとしたが、断念。逆に、徳川慶喜に仕えることになる。慶喜の腹違いの弟のパリ行きに随行する形で、留学することができた。
 しかし、幕府が倒れ、慶喜は謹慎、江戸城の無血開城から、彰義隊の上野での戦い、さらに同志が中枢にいた振武隊の飯能での戦いも終了し、帰国する。
 慶喜のもとで、働いたが、慶喜からこれからはお前の自由にして良いという言葉をもらうも、大隈重信からの新政府への出仕の要請は断り続けた。
 しかし、慶喜が人材を出し惜しみしていると誤解される、との説得に、出仕を決意。大隈重信、井上馨、伊藤博文らと、大いに働いた。旧幕臣ということで、反感を持つものもいたが、その目覚ましい活躍ぶりに次第に納得していったという。
 目覚ましい活躍をしたのち、井上とともに退官し、民間で活躍。第一銀行や証券取引所など500社もの会社の設立にかかわった。
 群馬の富岡製紙場の設立にも関わり、初代工場長は、7歳の時からの師である、尾高惇忠が就いている。多難なことがたくさんあったようだが尾高は、明治5年に無事開業にこごつけ、一大産業に育っていく。の
尾高は、陽明学者でもあり、工場に「至誠神の如し」という言葉を貼っていたそうだ。

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