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谷口雅春さんについて

2013年11月27日 | 人間学
谷口雅春さんについて
谷口雅春さんは、「生長の家」の初代総裁だ。わたしは、ここの団体の信者ではないのであるが、ひょんなきっかけで読み始めた谷口雅春さんのご著書を引き込まれるように結構な冊数を読んでいる。谷口雅春さんのご著書の特徴は、なんといってもその、光明思想、「光一元の思想」である。
  闇というのは、光が射せば明るくなる、「本来闇なし」「本来地獄なし」「本来病なし」という明るい側面に目を向けた思想であり、本来の光の側面から見た見地から一貫して物事を論じているのだ。
 宗教団体の総裁だからと最初から色眼鏡で見てしまう人もいるかもしれない。その気持ちがわからないではないが、この人の思想は、通常の観点からの新宗教の教えとは、少し違うように感じている。従来の宗教の枠を超えた「万教帰一」理論が説かれており、そういう宗教の立場を超えて、一思想家として、著作を読んでも一向に差し支えないと思う。
  そしてまた、この人の特徴であるが、翻訳書も多いのだ。それもアメリカのエマーソンなどのニューソートの系譜を引いているような人や精神科学系統の人の本が多い。谷口さんの思想の内容と一致しているところが多い本が多い。
トラインという人の「幸福はあなたの心で」とか、デーヴィスという人の「心の力の秘密」「人間とは何か」など、あるいは、「青年の書」など何回も読み直すような大変引き込まれた翻訳書がたくさんある。

 「生命の実相」の40冊は、すでに古典と言っていい程、発刊から時間が経っているが、谷口雅春さんの代表的著作とも言えるだろう。この40冊も1回だけだが通読したことがある。そのほかにも著作と翻訳書を含めると、一体何冊出版されたのかは、わからない。絶版になっているものもあるから、百冊をゆうに超え、数百冊の単位であるのではないだろうか。教育論や女性論などもあって、大変深く有益な思想が多いのだ。
 
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王 陽明について

2013年11月02日 | 人間学
王陽明について

 王陽明は、中国明時代の人だ。確か28歳くらいで科挙の試験合格して、官吏になっている。28歳の科挙合格は、早くはない。王陽明の五溺といって、さまざまな紆余曲折というか、経験を経て学問を大成した人なのだ。
 五溺というものを経て、無用の用のような経験の蓄積があったといえるし、大器晩成型であったともいえる。現代で言えば、単なる受験秀才とは違ったのだ。

 官吏になってからも、宦官であった劉僅の専横を批判する上奏文を書いたが容れられず、逆に劉僅の恨みを買って、地方に左遷させられたりしている。それも、15~16世紀にあって、横穴式住居のような家も多い地方だったそうだ。
 王陽明は、後世に陽明学と呼ばれるような学問を大成させた人だったが、「知行合一」を説いた人だった。

 伝習録という著書が残っているが、ソクラテスやイエス様のように、本人が執筆したというより、本人の手紙や言行をまとめたものだった。たしか弟子の徐愛という人が中心に書いたものだったか、前文を書いていたと思う。
 それまでの宋学というか、朱子学から発展させた、学問と実践行動を結びつけた人だった。極端に言えば、学問をしても実践に役立たなければ、というようなことだろう。ただ、アメリカの実用主義とは違っている。
 

 心即理とか性即理をとか格物致知、致良知、などいろいろな言葉が解説にはでてくる。しかし、一言で言えば「知行合一」が王陽明の陽明学の特徴と言っていいと思う。
 実際、明は北方民族の侵攻などに悩まされていたが、王陽明は、これらの戦いの指揮でも天才的であったという。学問を教えながら、戦場から指揮を仰ぎにきた人に的確に指示を与えて、戦いに勝ったりしたようだ。
 学問を修めること自体に人格修養、人格向上を認める考え方はあるし、実際そいういう面があると思う。しかし、王陽明は、それを経て、それに加えて、知ることと、行うことの合一を説いたのだ。知と行いを切り離して考えるべきではないということだ。 

  現代では、ある意味、あたりまえのことかもしれないが、500年以上経った今も不朽の思想だと言えるだろう。訓詁学のようなものだけでは、物足りないこともある。
 王陽明自身は、儒教を深く学んだ人だった。陸九淵の思想を発展させたとも言われている。ただ、書物だけでは本当に学びになるのではなく、行動実践と結びつける必要性を説いているのだ。
 

 大塩平八郎や幕末の佐藤一斎も、山田方谷も、河井継之助も、もっと言えば、西郷隆盛も吉田松陰も、その思想を受け継いでいると言えるだろう。
 陽明学は、行動実践に結びつくため、やはり、前段階での学問による人格陶冶、人格形成を十分に経ないで浅知恵や単兵急に性急に行動に走ると、極端になりやすい傾向もあるから注意が必要だと言われる。
  王陽明のような偉大な人物だからこそ、その真意が500年以上も残っていると考える見方も必要だ。

 三島由紀夫が陽明学を信奉していたと聞いたことがあるが、状況判断、熟慮は不可欠だし、その人の個性の次元で陽明学が危険なところがあると断ずることは逆に危険なことだと思う。
 

 深い学問に基づく、腑に落ちた叡智、確信に基づいた行動実践は、必ず地に足の着いたものになるのではないだろうか。
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