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あいまい工房

毎日の生活で気づいたこと/新たな発見の記録です。

覚書続き(3)

2011-01-30 | Weblog
なんか風邪気味だけれどもとりあえず友人に会ってパブに行き、近況報告。

同じ寮の階違いに住んでいたんだけど、こうやって二人で飲みにいくのは初めてかも。
きっと良いご家庭ですくすくと育ったんだろうと思う、初印象(非常に良かった)と今もまったく変わらない、すばらしい女の子です。
才色兼備だし、とても庶民的で誰とでも仲良くなれるタイプの人です。
ドクターをとってからの将来のことをいろいろ聞いたりして、あっという間に時間が来ました。
うまくいくといいね。

翌日は何もせず1日が過ぎる。
人もいるけど人にも会わず、ひたすらネットでイギリスのテレビを見ていました。
その間に、イギリスのテレビをストリームしてくれるソフトウェアがあることを発見。
今回買って帰ったDVDを全部見終わったら高いけど加入しようと思います。
これでイギリスに行く理由がひとつ減ります!

あ、そうバレエに行きました。とてもよい先生なのだけど、こんなシンプルなレッスンだけじゃ物足りないね、と思うのはやはり勤勉な日本人だからでしょうか?
でも腰が痛くて大変でした。旅の疲れは腰に来ますね。

またロンドンへ戻る。
某巨大スタジオは年末年始クローズしていたのですが、やっと開いたのではりきって参加。
大きいスタジオ、すばらしいピアニスト、明るい雰囲気。これは日本では味わえませんね。
できないなりにも思いっきり動いてきました。

夜はスピーチクラブへ。
前に行った事あるクラブで、見たことある人が何人かいました。
東京から来たといったらみんな驚いていました。
終了後の二次会は下のパブでやるのですが、日本のことをいろいろ聞きました。
でもほとんど中国・北朝鮮からみの話かな。
日本単独で話題になるなんてアニメの話くらいだもんね。話題性ゼロ。時代は変わったもんです。

翌朝からはユーロスターでパリに。楽しみ。

覚書続き(2)

2011-01-17 | Weblog
ちょこっと寝たらもう朝。
元日は特別ダイヤ&engineering workということでしたので、バスの予約をとっていたので早めに起きなければいけません。

なんと宿の朝食は徒歩5分くらいの別館で、ということなので、寒い中移動。
昨日もあったかもしれない黒人男性とエレベーターで会った。
あいさつをし、また道中で会った。
で、なぜか立ち話。
彼は本を書く人だそうで、日本から来て会ったこれもまた縁、ということで彼の著書(薄いペーパーバックですが)にサインをしてプレゼントしてくれました。
ナイジェリアの戦争の話だそうです。
黒人の宿泊客が多い宿だったので、そういう関係がある場所なのでしょうか。
最初はここどこ?とか思いました 笑

寒空をビクトリア・コーチ・ステーションまで。
バスは結構混んでいました。
NYEを朝まで過ごした人が多かったんでしょう、みんなぐったりとしていました。

私の住んでいた町でとめてもらうことになっていたのですが、彼女はお母さんの具合が悪くなり、イタリアまで帰ることになってしまいました。
で、彼女の離婚した元だんな様に迎えに来てもらうつもりだったのですが、直前になって都合がつかず、ごめんタクシーで来て、とのこと。
そこのタクシーには一度ぼられたことがあったので、徒歩で家まで。
30分くらい重い荷物を持ってとぼとぼと歩きました。
まあ何もやることないのでかまわないのですが。

彼女のいない家はいつもとは打って変わって火が消えたように静かで、誰もよりつかない、静かな家でした。
離婚のいきさつというか愚痴を1時間くらい聞いて、私のヒアリング能力も限界に達したのでベッドへ。
人が少ないのでシャワーつきの良い部屋を提供してもらいました。
久しぶりによいベッド。
予定もないので時差ぼけのわりには結構眠れました。

翌日は乗馬。
これまた日曜ダイヤなのでかなり早めに町にいかないといけません。
めっちゃ寒い日で、しかも時間を間違え結局だんな様に送りを頼んでしまいました。
申し訳ない。

乗馬はいつものコースをたどるのみになってしまい、あまり進歩がありませんでした。
久しぶりに乗るのでしょうがないけど、なんか上達はまったくしないなぁ。
しょうがないですけどね。日本に比べるときっと格段に条件がいいだろうし。

乗馬で知り合った友人を亡くしたことをネットで発見したのですが、乗馬の先生に聞いたところ、やはりほんとうだそう。
がんだったそうでした。
彼には帰国前本当によくしてもらい、短いながらもプリンセスのように扱ってくれました。
昨年はクリスマスカードもくれ、君のためにインターネットに契約したんだよと言っていたのに・・・
返事がないのはそういうことだったんですね。
彼の笑顔とhospitalityをいつまでも美しい思い出にしたいと思います。

帰国してからカードを送りました。RIP。

続きはまた。

旅の覚書2011新年

2011-01-16 | Weblog
ここのところはもっぱらFacebookに走ってしまい、ほとんどブログには手をつけていない状態です。
大学にいるときはFacebookは学生間の連絡メインにつかってたんですが、日本に帰ってからはメジャーになったこともありすっかり自己PRの場になっています。
ふだんから友人の動向がわかるので、ひさしぶりに会っても久しぶりの気がしません。

というわけでブログはなんだか心の内面を描く場がふさわしいと思うので(実名ではありませんし)そのように活用していきたいと思います。
過去の思い出も書いてありますし、見返すにもおもしろい。

年末年始はイギリス・パリに行ってきました。
覚書を書いておこうと思います。

行きの成田は人もそんなに多くない。テレビであんなに騒いでいたのはどこだったんでしょうか?
でも飛行機は混んでいて、窓側の席はなく、中央の真ん中。
まったく眠れませんでした。
SASはエンタメプログラムもいまいちで、ジュリア・ロバーツのくだらない旅映画を見てハリウッドの人って自分が旅行したくてこういう映画作ってるのでは?と考えをめぐらしたりしました。
学会だってみんな旅行したいからリゾート地で会議したりするもんね。
いい時代に育った業界っていうのはそんなもんですかねやっぱ。

コペンハーゲンで飛行機が遅れ、地べたでぼーっと待たされました。
アジア便でまったく眠れなかったのでヨーロッパ便では爆睡。
とはいっても1時間半ですが。

ヒースローの入管は週末旅行の人で大混雑。500人以上は待っていた。
1時間近く並んで宿に着いたのは11時半ごろ。
そこから暖房や鍵のことでちょっといろいろあって寝たのは2時くらいかな?
余裕があったらサルサクラブに行こうと思っていたのですがそんな状態ではまったくありませんでした。
ほんと疲れた。

翌日はもう大晦日。
イギリスの携帯はもうだいぶくたびれていたので買い替えをしたり新しい機種をいじったりついでに買い物をしていたらあっという間に夕方。
一度宿に荷物を置きに帰り、昼寝をしていたらあっという間に時間。
今夜はロイヤルのシンデレラを見に行くのだ。
マルケス&マックレイのふたり。
席がよくなくて首が痛かったけど、これで2000円しないんですからありがたいと思わなければ。
シンデレラはやはりアシュトンですよね。今までに何度も見ていますがやっぱりロイヤルオペラハウスで見るのは感動でした。
最近マックレイも大好きだし、舞台装置もよかったのですが、これが都さんだったらもっと良かったのになぁ、と舞台中何度も思ってしまいました。
私は都さんの大ファンというわけではないですが、それでも都さんがこのバレエ団、そしてアシュトンの作品に残した功績は多大なるものだと思う。
フィナーレはほんとうに美しく、見に来てよかったと思う夜でした。

その後宿に戻って友人と待ち合わせ。
私の部屋からロンドンアイのカウントダウン花火が良く見える場所だったのですが、友人は下のセキュリティのでっかい黒人の人とモメて(笑)上に上がってこれず。
仕方なくカムデンのバーに向かう途中にビルの合間から花火が少し見られました。
残念。
あとでBBCの映像を見たらものすごくきれいな花火でした。
帰ってくるのが大変だったらしいですが。

その後カムデンのThe Cubanのカウントダウンパーティに参加。すごい人でサルサもほとんどかからずで、なんかつまんなかったんですが(ひどい女性酔っ払いグループがいた)、一人アフリカンの人ですごくうまい人がいて、彼と踊れたのでまあよしとしましょう。
ロンドンのアフリカ系の人には逸材が多いです。ラティーノはわざわざサルサの練習に行かないし、もとのリズム感・安定感が良いので伸びしろが大きいのですね。

友達はずーっと何人かなぁ?口説かれていて、かわいそうだったので3時ごろに救出に行き、出てきました。
友人は他の集まりで朝8時までレスタースクエアにいたそう。若いね!

そんな日本の大晦日とぜんぜん違う、ロンドンのNew Year's Eveでした。
では続きは次回!