goo blog サービス終了のお知らせ 

宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

世の中を動かしているのは誰か?

2012-12-09 18:14:22 | その他
 政治家、官僚、資本家、マスコミ・・・??
「世相を斬る あいば達也」(//blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/80b40a4f9fedb07955bf32c790a990d9)

 ・・・・
 マスメディアが「○○○○は悪だ」と云う世論形成に、重大な役割、否、主役を演じた点だけは歴然とした事実である。

 右左関係なく、時には一般人を含め、マスメディアが一定の意図を持って恣意的に報道を繰り返せば、政治家すべて、否芸能人すべて、否国民すべてが「悪人」に仕立て上げられると云う事実である。

「世論」とは人々が共有する意見ってことだが・・・・

 多くの国民が共有の意見とか意識を持つ動機づけはマスメディアの情報が核となっている。
 その核が発する様々な情報の色づけによって、人々はどっちが良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとかを決める事になる。

 たしかに、ネットメディアの普及などにより、マスメディアに登場しない真偽織り交ぜた情報に接することは出来るが、共通の意識である「世論形成」にまで至る事は現状ではあり得ない。

 やはり、現代において「世論形成」に最も影響力があるのはマスメディアである。

 ただ残念なことは、様々なマスメディアがそれぞれの立ち位置によって、情報に色づけがなされれば、人々は考える、感じると云う自主的思考を持てるのだが、すべてのマスメディアが同一の色に染まり、同一の解説を加え始める最近の風潮は、マスメディアがジャーナリストとしての思考を停止したことであり、それを読み聞く人々の思考をも停止させてしまっているのだと思う。

 突きつめて考えるなら、日本と云う国家が全国民・全組織を巻き込んで「思考停止」と云う状態に陥っているのかもしれない。
 思考停止状態だとの認識があれば、それはそれで救いがあるのだが、困った事にその意識すらもない。

 ・・・・マスメディア各社は個性を失い、何かに感服、敬服、ひれ伏し畏敬をもって従属している。
 それを情報として思考停止状態で耳にする人々は、右にでも左にでも烏合の衆となって大移動する。
 集団自殺に嬉々として従う野鼠のようである。

 国民の多くが準禁治産者状態と云う事かもしれない。
ひたすら風潮に流され、右に左に流されているだけのように思える。

  霞が関では国民等と云うものは「有象無象」思考能力など無きに等しいと云う官僚世界の共通認識があるらしい。・・・・(引用終り)


【原発をやめて】
 化石燃料を輸入すると2.8兆円燃料代が増加する、と電力会社やマスコミは世論誘導に忙がしい。
 しかし、これは消費税の1%分に過ぎず、各家庭では電気代の中の数%の値上げだ。
 脱原発(原発は、重大事故や廃炉を考えるとコスト高なエネルギー)が叶うなら、我慢できる範囲ではないだろうか。

 いっぽう、このデフレ・不景気の状態で消費税を5%(12兆~13兆円以上)上げ(年間全消費活動の5%上げ)のほうが、国民、なかでも中・低所得者に与える影響は計り知れない。

 自公(政権予備軍)は、消費税を上げた後に「国土強靭化」という名の大公共事業を目論んでいる。
 民主党野田総理があれほど強調した「財政健全化」のための消費税上げは、どこへ行ったのだろう。
 民・自・公合作(財務省主導)の大嘘だったことが明々白々になってきた。

 ◎今回の選挙は、消費税【増税に対する国民投票】に他ならず、他の問題より何より優先される問題だ。
 政・官・財やマスメディアの政治編集委員に言わせておいてはいけない「国民がバカで助かる」(元新聞記者の告白)・・・と。

2つの命題

2012-10-22 18:39:59 | その他

「科学的命題」と「価値的命題」

 ~安斎育郎氏(学者)の講演から~

 ・・・そこで、科学と宗教のかかわりなどについて考える
上でも、・・考えてみたいんですね。
「私たちは人生で2種類の命題を扱う」と書いてあります。
 命題というのは、私たちの判断を文章とか式とかで表現
したもの、それを命題と言うんですね。

 人生の上で出会う命題には大きく分けて2種類あるだろう
というので、ここでは「科学的命題あるいは客観的命題」と
言ってもいい。

 いっぽう「価値的命題あるいは主観的命題と言ってもいい」
だろうというので、その二つに分けてあるんですね。

 「科学的命題群」というのは、その命題が正しいか正しく
ないかということを客観的に決めることができるような命題
であります。例を考えてみれば「直径に円周率をかければ、
円周の長さを計算できる」。これは客観的に決められるでし
ょう。
 それはもう、正しいか正しくないかということを客観的に
判定することができる。
 こういう事実と照らし合わせて正しいか正しくないかとい
うことを決めるような問題は「科学的命題群」と呼ばれるわ
けで、そういうことだけだったならば、この世の中は割に簡
単で、事実に照らして合っているかどうかが判定基準だとい
うなら・・・。

 ところが、世の中には「価値的命題群」というのがあって、
その命題の真偽、正しいか正しくないかということが価値観
に依存するために、一義的に正しいとか正しくないとか決め
られないような命題群が山ほどあるんですね。
 「ピカソの絵は非常にすばらしい」というのは、僕はYESと
答える・・、僕の友達には、どこがいいんだと言っている人
はごまんといますからね。
 これは、どういう絵に価値を見出し、どういう絵に価値を
見出さないかという価値の選択の問題であって、一人ひとり
違って構わないわけでしょう。
 こういうのはまさに「価値的命題」ですね。

 「核兵器は廃絶されるべきである」。僕はYESと答えるけ
れども、アメリカのブッシュ大統領はNOと答えますね。
 アメリカは核兵器を持ち、その抑止力によって戦争を抑
えつけることこそが意味のあることなんだから、核兵器の
存在に価値を見出しているんですね。
 だから、科学から答えが一義的に出てくるのではなくて、
その存在に価値を認めるか認めないかという、その人の判断
によって正しいと思うか正しくないと思うかが違ってくるん
ですよね。

参照URL:
www.city.setagaya.tokyo.jp/kiki/taisakuhonnbu/sinpo/kouen.html

【シンプルで重要なこと】
 「科学的命題」と「価値的命題」とがある、という安斎育郎氏の分析・見識は、忘れがちだが、シンプルかつ重要な指摘だと思う。
 たしかに「価値的命題」は、1人1人違って当然なんだろう。”歩んできた道”も違えば、”日常の現実”も1人1人異なるのだから。
 そうならば、「価値的命題」について語るのは、貴重な体験・教訓的経験話を除けば、あまり意味がないのではないか。
 そこで、好むと好まざるに関わらず使っている「価値的命題」より、「科学的命題」(じっくり考える方面)に自分としては関心が向くのです。

日本人論

2012-10-13 15:22:52 | その他
 学問に「比較文化人類学」という分野があり、それに気付かせて
くれたのが山本七平氏(父は、内村鑑三の一番弟子)だった。

 私は「私の中の日本軍」はじめ、彼の著作本をほとんど読んだが、
そのなかから一つ抜粋・引用したい。

■「日本資本主義の精神」山本七平著
《まえがき》から抜粋、以下

 本書が成立した経緯を記しておきたい。
・・・、日本的特質を、日本人自身が自覚していない、という彼ら
(外国の友人)の指摘であった。
 彼らはもはや「日本人はモノマネがうまいだけ・・・」などとは
考えていない。
 だが日本人自身がそう考えているためか、明治における発展で
あれ、戦後の経済的成長であれ、「なぜそうなったか」を把握して
おらず、外部に説明しえない状態である。いわば、「何だかわから
ないが、こうなってしまった」のである。
  もちろん、その「ノウ・ハウ」を外部に説明する必要はない。
 ただこの状態は、自己がそれによって行動している基準を、自ら
自覚していないことであり、言葉をかえれば、伝統に無自覚に呪縛
されている状態である。
 私はこれが最も大きな問題であると考えている。

 というのは、長所とは裏返せば短所であり、美点は同時に欠点で
ある。
 このことは、日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破
綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、
「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展をもたら
すが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」という
破綻をも、もたらしうる。

 明治のこの無自覚状態は、太平洋戦争に帰結している。

 一度の失敗は許されても、二度の失敗は許されない。
 したがって、いま必要なことは、この「呪縛」の対象を分析して、
再把握して、自らそれを統御することである。
 それを外部に説明する必要はないが、要請されればそれができる
ように、各人が明確な自己を把握して、自らを統御することは必要
である。
 それは国家に要請されるだけではなく、企業にも、個人にも要請
される。
 本書は、それを行なうための一提案であり、いわば視点の提供で
ある。


 ※「山本学」と呼ばれ、一つの分野として分類されるまでになっ
た彼の著作群は、一級の「日本人論」として貫かれていると、私自
身も考えている。