Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第4回

2021-06-12 21:37:52 | 旅行

2020年の記録

 

石とアスファルトの堅い雰囲気だった丸の内仲通りに天然芝が敷かれ、緑のオアシスに変わった。

 

オリンピック開催のために設定されていた5連休の前後に東京を散策した時の記録。緊急事態宣言は解除となったものの泊りがけの散策は自粛していた。

上野公園内にある近代建築の多くが、歴史的建造物を博物館、図書館として利用しているのではなく、元々博物館、図書館として竣工された建造物であることは、特質すべきことだ。

 

国立科学博物館は、1931年(昭和6年)に竣工のネオ・ルネサンス様式を基調とした建築物である。2008年(平成20年)重要文化財に指定された。

 

博物館動物園駅は、1933年(昭和8年)開業し、2004年(平成16年)廃止となるまで、日暮里駅と上野公園駅(現京成上野駅)の中間に位置する京成電鉄の駅として営業していた。

 

国際子ども図書館は、旧帝国図書館として1906年(明治39年)竣工の第1期工事(鉄骨補強煉瓦造)と1929年(昭和4年)竣工の第2期(鉄筋コンクリート造)の2次にわたって建設されたルネサンス様式を取り入れた明治期洋風建築の代表作のひとつである。

 

黒田記念館は、日本近代洋画の父とも言われる黒田清輝遺言によって、1928年(昭和3年)、美術研究所として建てられた。イオニア式列柱を用い、外壁にスクラッチタイル(縦に引っ搔いたようなタイル)を貼っている。

 

東京音楽学校(現東京芸術大学音楽部)の校舎施設として、1890年(明治23年)に木造の旧東京音楽学校奏楽堂(コンサートホール)が建てられました。

 

 

上野公園を散策したあと、JR京浜東北線で王子に行き、都営荒川線(東京さくらトラム)に乗って、荒川車庫前まで行き、東京さくらトラム(路面電車)の写真を撮った。その後は、JR尾久駅まで歩き宇都宮線に乗って帰る。そもそも、何ゆえに東京さくらトラムに乗り、撮影なのかというと、何かのネット記事で見た東京さくらトラムが、とてもレトロに撮られていたので、「僕も」と安直に思った次第。さすがに“撮り鉄”と呼ばれ、日々研鑽している人のようには撮れない。

 

 

 

栃木の自宅には帰れているものの長野県にいる息子とは、1年近く会えていない。海外にいる時は、何とも思わなかったが、僅か数時間のところにいて会えないと思うと妙に会いたくなる。我ながら勝手なものだ。

 

 

【メモ】

5月25日の緊急事態宣言解除以降、徐々にコロナウィルス新規感染者数は、ジリジリと上昇に転じいわゆる第二波となった。しかし、かつての緊張はなく、明らかに“緩み”である。我々は、悪い意味でwithコロナに慣れ、しかし、飲食、観光業等は、経営体力を消耗していった。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/袋田の滝

2021-06-08 23:28:44 | 旅行

2020年の記録

 

「袋田の滝」は、有名だけあって美しい。

 

茨城県は広い、もちろん面積的な広さではなく、東京のベッドタウンから山村まで。海も山もある。

 

日光にドライブに行った翌日、北東に向かった。目的地は、「袋田の滝」。そんなに遠くではないのだが、今までに行ったことはなかった。「袋田の滝」に行く前に同じ大子町にある「月待ちの滝」に寄った。季節が悪かったのだろう、ネットで紹介されているほど美しさを感じなかった。水量が少なく、緑に濁った水・・・・・・。景勝地の写真は、実際より美しくが撮るのがプロ、リアルの感動を素人はなかなか撮れないものだ。蛇足ながら「月待ちの滝」の周囲は、私有地内とのことで、入場料代わりに隣接する「もみじ苑」のかき氷を食べた。

 

「袋田の滝」は、その名の通り茨城県久慈郡大子町袋田にあり、久慈川支流の滝川上流に位置する。長さ120メートル、幅73メートル、冬は「氷瀑」と呼ばれる、滝が凍結する現象が発生する。「華厳滝(栃木県日光市)」、「那智滝(和歌山県那智勝浦町)とともに日本三大名瀑の1つである。

 

「袋田の滝」の観瀑施設は、袋田の滝トンネルを進み、エレベータで昇る。それは、それは楽ちんでありがたいのだが、その分、感動が半減したと、まったく我が儘な感想。

 

「袋田の滝」のある大子町に隣接する常陸太田市にある「竜神大吊り橋」を眺めて帰る。「竜神大吊り橋」は、竜神ダムの上に全長375m、ダム湖面よりの高さは100mに架けられた歩行者専用の橋で、本州一の長さを誇るとか。しかし、天候もイマイチなので、320円の通行料をケチって、橋を渡らず帰路へ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/日光

2021-06-06 19:43:24 | 旅行

2020年の記録

 

憾満ヶ淵の化け地蔵、昼間はともかく暗くなったら怖い。

 

梅雨が明けると8月になっていた。久しぶりに帰宅し、日光へ行ったときの記録。1時間ほどでもドライブは良い。「旅行って、ほんといいですね。」とは、友人の口癖。

 

日光真光教会礼拝堂は、1914(大正3)年にジェームズ.M.ガーディナーの設計で、竣工している。ジェームズ.M.ガーディナーは、立教大学校長として来日し、教職をはなれたあとは、東京に建築設計事務所を開設するとともにガーディナー日光山荘を建てて夏を過すことが多かった。礼拝堂は、ロマネスクに近いゴシックの様式で、外壁は付近の大谷川から採取した暗赤色の安山岩が使われている。

 

日光東照宮、写真をアップしながら申し訳ないが、東照宮周辺をプラプラして帰ってきてしまった。神厩舎の「見ざる、言わざる、聞かざる」や陽明門もスルー。建築物より樹々の緑に圧倒された。

 

大谷川と数万年前に男体山が噴火したときに流れ出た溶岩により形成された憾満ヶ淵。その南岸には、ずらりと並ぶ地蔵群がある。正式名称は「並び地蔵」だが、別名は「化け地蔵」。数えるたびに数が異なり、参拝者を化かすという不思議な謂れから、そう呼ばれるようになった。

 

 

【メモ】

7月末から「Go Toトラベルキャンペーン」が始まった。その後「Go Toトラブルキャンペーン」と揶揄されながらも中断となる年末まで続く。現時点では、再開の見込みはない。旅行そのものが、コロナウィルス感染原因でないとしても、誤ったメッセージを国民に発信したことは間違いないだろう。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/緊急事態宣言発出、解除、梅雨×東京

2021-06-04 22:26:55 | 旅行

2020年の記録

 

緊急事態宣言前に許可を取り撮影した。偶像崇拝は忌避すべきものだが、このカットを見ると心が落ちつく。

 

緊急事態宣言下、とうとうテクテク歩いて県境を越えてしまった。徒歩圏内なら良いだろうと思ったのだが、長野県に住む息子に「それ、ヤバイよ!」と。老いてないけど、子に従うことにして、越境自粛。以前の日記に書いたように蕨市は、日本一ちっちゃな市なので、散歩コースは限られる、それに加えて、カメラでもスマホでもパチパチやっているのは、何とも後ろめたいような気になるので、WalkからRunにチェンジしたので、写真がない。

 

緊急事態宣言が解除になり、テレワークは終了、国内出張は解禁となったものの、ほどなく梅雨入り。ウロウロできるようになったのは、梅雨が明けた8月のことだ。(8月以降の記録は、次回以降に)

 

施錠された聖堂の扉を見ると、特別な想いがもたげる。「教会は、いつでも、だれにでも開放され、神様と対話できる場」と子供の頃に教わったからだ。ただ、ただ、コロナ禍は悲しい出来事だ。

 

緊急事態宣言が解除され、聖堂の施錠も解錠されたが、憂鬱な梅雨の日々が続く。

 

 

【メモ】

コロナ禍と関係なく2020年7月からレジ袋が有料化した。エコバックの定着で、国民の環境意識は向上した。その一方で、「海に漂流するプラスチックごみの内、ポリ袋の占める割合は、僅か0.3%(容積比)」、「(僕もそうなのだが)ポリ袋を買って、ゴミ袋として使うので、ポリ袋の消費量は変わらない」・・・・・。「上に政策あれば、下に対策あり」ではないが、代替レジ袋として登場した生分解性プラスチック袋やバイオプラスチック袋は、どうにもくせの悪い代物だ。組成が多様なためマテリアルリサイクル(再生材料)ができない。埋め立てが、できるようで実はできない。(生分解するので、埋立地はガスの発生、地盤沈下する。紙や木材の埋め立てが禁止されているのと同じ理屈。) 結局、焼却処分するサーマルリサイクル(排熱利用)しかないが、焼却すれば、二酸化炭素を排出し、反カーボンニュートラル。何ごとにも、光と影はあるものだが、イメージ先行が否めない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/蕨から浦和へ

2021-06-02 21:36:03 | 旅行

2020年の記録

 

蕨福音自由教会の教会堂は、1984年(昭和59年)竣工。十字架、高い塔、赤レンガ、ステンドグラス、パイプオルガンがある。

 

緊急事態宣言下の日常、ふり返ると、緊急事態宣言が、“緊急事態”として機能していたのは、この時の第1次緊急事態宣言の時だけだったと思う。

 

東日本大震災の時も、記憶に残る非常時の空は、雲ひとつない紺碧だった。実際は、曇天も雨天もあったはずなのだが・・・・・・・。

 

家でじっとしていられない症候群の僕は、徒歩圏内をウロウロするしかなく、市の境界を越えてさいたま市浦和の教会まで散策した時の記録。(往復約12キロ、約2時間)

 

浦和諸聖徒教会は、1928年(昭和3年)竣工。

 

 

【メモ】

散歩(4月19日)の3日前、4月16日に緊急事態宣言の対象地域を全都道府県に拡大するとともに国民一律10万円給付が発表された。

 

「国民一律10万円給付」には、大きな違和感を覚えた。自慢ではないが、幸い僕の収入は減少していない。経済的困窮の度合いは、“一律”じゃないはずだ。しかし、冷静に考えてみると、“給付”とは言っても、ほんとうの意味では、返さなくてはならない。つまり、財源は、国の借金であり、その借金は、増税に形を変えて我々国民が返済する。真っ当な徴税を前提にすれば、富裕層ほど高額の納税が果され、バランスがとれる理屈だ。(富裕層は10万円以上増税され、貧困層は10万円未満の増税にとどまる)

 

1つ忘れてはならないことは、補助金、補償金・・・・と政府にカネを安易に求めると、そのカネを負担するのは、為政者でも官僚でもなく、未来の自分や子供たちだということ。

 

 

旅は続く