Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

上海の街角から 第1回(外灘)

2021-01-18 22:30:43 | 旅行

2019年の記録

「This is Shanghai」 外灘から黄浦江の対岸、中国発展の象徴・浦東新区を眺める

 

広州から浙江省寧波へ飛行機で移動、取引先を表敬訪問の後、1泊して翌朝クルマで上海へ。上海は、海外の仕事を実質的に始めた僕にとって特別の土地なのだ。殻を破って顔を出した雛鳥が初めて見たものみたいなもの。

 

広州から一緒の部下が、外灘(ワイタン)に行ったことがないと言う。「上海に来たら、外灘でしょう」ということで、迷わず連れて来た。僕も20年前に上海に着いた日の夜に外灘に連れて来て貰った。当時も、今も、外灘は超メジャーな観光スポットで、内外の観光客でごった返している。

 

北京オリンピック(2008年)以前の中国の観光地には、少なからぬ数の物乞いがいた。マクドナルドの紙コップを差し出す子供の物乞い、なぜか、自分の息子に似て見えてしまったものだ。僕を連れて来てくれた、チャイナドリームの体現者のような中国人社長に「あの子供たちも、才能があり、運があり、そして努力すれば、あなたのように社長になれますか?」と訊ねた。社長は、「なれる」と力強く言ったことが忘れられない。

 

日本の高度成長期をほんとうの意味で、僕は知らないが、きっと高度成長期とは、国民の誰もが可能性を信じられる時代なのだろう。あれから20年、中国の高度成長期は終焉を迎えるときが来ている。人は経済的な豊かさと引き換えに“可能性”を信じることを放棄するのだろうか。

旧租界(浦西)の金融街の洋館建築群

 

 

旅は続く


広州の街角から 第2回(広州)

2021-01-17 15:32:29 | 旅行

2019年の記録

華南まで来ると、東南アジアの匂いをほのかに感じる。

 

広州にも日本の出島みたいなところがあった。沙面島である。1862年竣工した人工島で、イギリスとフランスの租界が1943年まであった。僕の好きな西洋建築物がならんでいる。ただ、時期が悪かった。街全体が改修工事中だったのだ、ちょっと残念、でも、また来る。幸い仕事も順調で、年何回かは、様子を見に来ることになりそうだ。

沙面島の旧フランス租界にある天主教露徳継母堂

 

リアルな祈りの場として存在する教会建築が輝くように、建物は商店、食堂、事務所、住宅・・・として、使われてナンボだと思う。

 

 

旅は続く

 


広州の街角から 第1回(広州)

2021-01-16 20:25:54 | 旅行

2019年の記録

カトリック広州教区で、最も荘厳で特色のある大聖堂と紹介される石室聖心大聖堂

 

3ヶ月弱ぶりの中国。しかし、広州の仕事は、2008年以来。トランジットでも広州に降り立つのは2014年以来である。懐かしいどころか、初めてきた感覚だ。日本人の感覚だと、中国は中国と国単位で考えるが、とても、日本、中国、韓国・・・・といったような国単位では、一括りにできない。仕事も生活も華東(中心地上海)から北と遼寧省(東北三省=旧満州の1つ)だったので、華南にある広州は、別の国みたいなものである。気候も亜熱帯、言葉も広東語(ほとんど聞き取れない)、同じ漢民族といっても小柄で、北の大男(東北三省)と同じ人種とは思えないのである。

東京が、遥か彼方なのと比べると、先週いた石垣島の近いこと、近いこと。

 

仕事で来ているので、あたりまえだが日中はフラフラできない。仕事場(取引先の工場)があるのは、郊外の佛山市で、片道クルマで1時間ほど。休日がないと散歩はできないので、広州到着日早々、部下を引き連れて、石室聖心大聖堂に行ってきた。「中国で教会、意外ですね。ついてきて良かった!」と言ってくれたので、パワハラにはならず。

 

 

石室聖心大聖堂は、1863年着工、25年の時を経て1888年に落成したカトリック教会。聖堂の壁と柱は花崗岩を積み上げて作られている。パリのノートルダム大聖堂の影響を受けたフランス人建築技師によって設計された。

 

1枚目の写真に観光客が写り込んでいるように結構な観光名所で、たくさんの人が観光に来ている。ちょうどミサの時間で、聖堂内には入場できず、目玉のステンドグラスを中から見ることはできなかった。(僕はクリスチャンなので、礼拝に来たと言えば、中に入れたかもしれないが、神様の前では、絶対に嘘をつけない。)

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/石垣島

2021-01-14 20:55:07 | 旅行

2019年の記録

上空から見る石垣島は美しい、南海の楽園だ。

 

いよいよ石垣島を離れる日の朝、気合を入れて日の出前に宿舎を出て海岸に向かう。外はゴゥゴゥと音を立てて風が吹く嵐だ。それでも、東の空が明らむのを待っていると、大粒の雨が降りはじめたが、暴風が雲を蹴散らす一瞬だけ、赤い空が顔をだす大自然のドラマが2度ほど繰り返された後、雨は強くなり退散した。

真っ黒な雨雲と朝焼け、不思議な光景だった。

 

宿舎に戻り二度寝。「昼すぎまでいてもいいですよ」という奥さんの言葉に甘え、部屋でPCをいじって過す。洗濯物と同様、肉体もリフレッシュできた。

 

早めにレンタカーを返し、早々に空港に入り、エアラインのオンタイムを確認する。竹富で会った兼業キャバ嬢の女の子と偶然再会、どうでも良い話をして時間を潰し、飛行機に搭乗する。

離陸する頃になると雨が止み、光が差した。サンゴ礁や白波が美しい昨日も見た小島が、どんどん小さくなっていく。「また来るよ、八重山」と呟いた。

 

一旦東京に戻り、来週からは、中国の仕事が待っている。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/石垣島

2021-01-13 21:37:44 | 旅行

2019年の記録

南の島の美しさを象徴する紺碧の空、白い雲、そしてエメラルドグリーンの川平湾

 

竹富島から石垣離島ターミナルに戻ったところで、波照間航路の窓口に行ってみる。今のところは、欠航していない、しかし、明日のことはもちろん、今日の午後のことさえわからない。何しろ、波照間航路は、年平均の運航率は約5割、しかも、今、台風が接近している。迷うまでもなく波照間行きを断念。そもそも、波照間島に行くことが目的ではない、波照間ブルーを見たくて行くのだ、台風が接近している時に美しい海が見られる訳がない。

波照間島は、石垣島よりさらに南下する孤島。波照間は、「果てのウルマ(サンゴ礁)」の意。いつか訪問したい。

 

旅行中は、ついつい無理してしまうので、基本はムリしない、安全第一だ。寄りたいところに寄れないのは、また来るきっかけを神が与えてくれたのだと考えるようにしている。

 

レンタカーを借りるために空港まで行く。石垣離島ターミナル近くにもレンタカー店はあるが、圧倒的に空港近くが多く、価格も安い。諸事情を勘案、スマホを駆使した結果である。

 

まずは、「絶対に寄るべき」とアドバイスされていた川平湾に向かう。途中、教会を見つけたので、迷わず立ち寄る。僕は敬虔でないクリスチャンなのだが、宗派を問わずキリスト教会やイスラム・モスクが好きで、その場に行くだけで、心が穏やかになる。

 

石垣キリスト教会、強い日差しで色褪せた赤が、南国の教会らしくて良いと思う。

 

昼食の海鮮丼、リーズナブルで美味しかったが、石垣でサーモンやイクラって、あり?

 

途中で早めの昼食を摂り、迷うことなく川平湾に到着。石垣島の超有名観光地、駐車場もちゃんと有料で、土産店が軒を連ねる。あまり期待せずにビーチに向かう。ウ~ン、確かに美しい。絶景と呼べるか否かは、ひとそれぞれかもしれないが、ここまでお気軽に眺められることを勘案すれば、「絶対に寄るべき」のアドバイスは、あたっている。観光地化される以前に悪路を走るか、カヤックで、ここにたどり着いた人の感動は、想像を絶するものだっただろう。

青い空に白い雲の強いコントラストが、僕の好みだ。画像を処理することなく、PL(偏光)フィルターだけで、鮮やかな写真が撮れた。

 

川平湾を見た後は、道路に沿って北上、気になったところがあれば、クルマを止めて、周辺散策。島の北端を廻って、東海岸を走る国道390号を南下して市街地に戻る。予約した民泊は、空港と市街地の中間点にある。市の中心部には、ホテルや飲食店も多く便利だが、価格は高め、駐車場は別料金とカネが掛かるので、一旦予約したもののキャンセルした。

 

吹通川のマングローブ林は、道路脇にパーキングスペースがあるだけで、まったく観光地化されていない。人影もなく、ひとり静かに休んでいると、蟹か、何かの生物の息づかいが聞こえてくる。

 

玉取﨑展望台からは、東海岸の雄大な風景が眺められる。

 

夕陽を見るために再び西海岸まで走り観音崎灯台へ。2枚目の夕陽に照らされた中央に注目、恋人だろうか?美しいシルエット、偶然の瞬間。

 

予約した民泊は、リニュアルした直後のようで綺麗だった。トイレ、バス、キッチン共同で、オーナー兼管理人の奥さんは、距離感が絶妙な素敵な人だった。洗濯機、乾燥機、キッチンの調味料は無料で使えて、とてもリーズナブル。加えて、クルマで数分のところにドン・キホーテがあり、食材もひと通り買える。溜まっていた衣類をすっかり洗濯、さっぱりした気持ちで東京に戻れることになった。

 

 

旅は続く