2019年の記録
「This is Shanghai」 外灘から黄浦江の対岸、中国発展の象徴・浦東新区を眺める
広州から浙江省寧波へ飛行機で移動、取引先を表敬訪問の後、1泊して翌朝クルマで上海へ。上海は、海外の仕事を実質的に始めた僕にとって特別の土地なのだ。殻を破って顔を出した雛鳥が初めて見たものみたいなもの。
広州から一緒の部下が、外灘(ワイタン)に行ったことがないと言う。「上海に来たら、外灘でしょう」ということで、迷わず連れて来た。僕も20年前に上海に着いた日の夜に外灘に連れて来て貰った。当時も、今も、外灘は超メジャーな観光スポットで、内外の観光客でごった返している。
北京オリンピック(2008年)以前の中国の観光地には、少なからぬ数の物乞いがいた。マクドナルドの紙コップを差し出す子供の物乞い、なぜか、自分の息子に似て見えてしまったものだ。僕を連れて来てくれた、チャイナドリームの体現者のような中国人社長に「あの子供たちも、才能があり、運があり、そして努力すれば、あなたのように社長になれますか?」と訊ねた。社長は、「なれる」と力強く言ったことが忘れられない。
日本の高度成長期をほんとうの意味で、僕は知らないが、きっと高度成長期とは、国民の誰もが可能性を信じられる時代なのだろう。あれから20年、中国の高度成長期は終焉を迎えるときが来ている。人は経済的な豊かさと引き換えに“可能性”を信じることを放棄するのだろうか。
旧租界(浦西)の金融街の洋館建築群
旅は続く
おはようございます。
先日は中国語講座、ありがとうございました。地域によって訛りがあるとよくわかりました。
以前、OL時代に中国人の同僚によくして頂いたお話をしたかと思うのですが、その女性は日本人と結婚され、日本語がペラペラで「ニーハオ」とか「ツァイツェン」とか私がおどけて中国語で挨拶して見せると大変、喜んだものです。
北京の清華大学出身で、大変、優秀な方で、とことん良くして頂き、浦安のホテルにポイントが貯まったからと、ただで一緒に泊まらせてもらった事もあります。
その方は北京や上海に良く出張に行ってましたが、上海の夜景はよくテレビなどで紹介されて、綺麗ですね。
有名な電視台も見えますね。
これからも楽しみにしております。
おはようございます。
いつも丁寧なコメありがとうございまする
誰だって、自国の言葉で、挨拶されて悪い気はしないと思いますよ。
僕は、外国で現地の人と話すとき、挨拶だけは現地の言葉にするようにしています。
ある時期まで、中国では、「社会的地位」「経済的な豊かさ」「立ち居振る舞い、品行」が一致している社会だと教わったことがあります。日本では、あまり知られていませんが、革命以前から中国社会は、階級社会です。ですから、いわゆる“清貧”ってなかったのです。ななだいさんのご同僚の方は、中国最高学府の精華大学を卒業された人ですから、間違いなく3要素が高い次元の方と思います。
僕の友人の兄は、国費で日本に留学した一族の誇りですが、彼の曽祖父は、韓国移民の小作農です、彼の祖父は生涯出稼ぎ明け暮れ、やっと彼の父親が専門学校を卒業し国営企業に就職しました。曾孫の代でやっと大学に進学できるようになった訳です。しかし、高度成長期を経験した中国は変わりました。一代で富裕層になる人をたくさん生みました。私の友人にも、貧しい農民の息子として生まれ、現場の一労働者から企業経営者になった人もいます。彼らは能力があり、人一倍努力して、尊敬に値します。(もちろん、運にも恵まれた) しかし、立ち居振る舞い、品行というものは、なかなか一代では身につかないようで、「えっ!」と耳を疑う振る舞い、品行をすることがありますね。決して悪い奴ではないのですが。
長々とすみません、堅苦しい話は抜きにして、外灘の夜景は、一見の価値があります、機会があれば、是非!!
お邪魔します。「りくすけ」です。
2009年2月、僕は上海に行きました。
とある企画で参加を募ったツアー客の皆さんを引率する役目。
仕事でした。(引率と言ってもガイドさん任せ)
訪れたのは、外灘、美術館、森ビル、豫園、雑技団など、
ど定番の観光地ばかり。それなりに面白かったですが、
一番心に残ったのは、朝の一人散歩でした。
早朝、ホテルを出て土地勘ゼロのまま街ブラ。
煌びやかな夜、活気あふれる昼とは違い、
まだ起き抜けの上海の裏町は、ほんの一端、
素顔を見せてくれた気がします。
ウォーターサーバーの配達、屋台で湯気をあげるマントウ、
小さな公園での太極拳集会、何事か口論する2人、
終日営業らしいマッサージ屋に出入りする人---。
1時間ほど、それらを眺めて楽しみました。
帰りは道に迷い、辿り着けないかと焦りました。
タイムマシンがあったら魔都と呼ばれた昔の上海へ
行ってみたいものです。
「上海の街角から」、続編を楽しみにしています!
では、また。
コメありがとうございます。
洗練されたような大都会の上海でも、路地裏に入り込めば、猥雑な世界があります。もちろん、年々消えていく世界です。
実は、2000年に上海駅周辺の今は影も形もないドヤ街の写真があります。もちろん、モノクロフィルムです。機会があれば、ブログにアップしたいと思っています。
当時の上海駅には、上海に出てきたものの仕事もなく、帰郷するカネもない人たちが、ゴロゴロしていて、物見遊山でカメラをぶら下げて行くところではありませんでした。今考えると、かなり怖いもの知らずの撮影だったのですが、まぁ、若さの勢いか、無知の勢いか、ってところです。
では、また